キーピング



 今日は二人ともひと段落した後の揃った休日なので、どこかへ遊びに行くよりかは体力回復と温存の為、部屋に引き篭る事にした。そんな日に限って天気が物凄く良かったりするのはマーフィーが作った法則のせいだろう。
 室内で寛ぐ、となれば必ずと言っていい程御剣の部屋となる。理由は勿論広いからで、家具も成歩堂の部屋にあるのよりはワンランクもツーランクも上のものだ。寛ぐにしても座椅子よりソファの方が絶対いいと思うのだが、御剣はそんな座椅子しかない成歩堂の部屋に行きたいような素振りをちょくちょく見せる。面白い物は何も無いよ、と言えば、君は判っていない、とオモチャを買い与えられなかった子供みたいに拗ねるのだった。
 まあ、部屋が御剣から自分の方に移っても、する事は特に変わらないだろう。外食してちょっといいもの食べて、その後部屋に戻ってからお茶を入れて適当に話したり、自分が持っているDVDを見たり。今日もそんな感じなのだが、御剣の様子が少し可笑しい。普段はそんな事は無いのに、さっきから神経質そうにソファの肘掛の、布の縫い合わせの部分を指で弾いている。
(何か悩み事でもあるのかな)
 そう思った後、聞くべきかそっとしておくべきか、考える。これはかなり重要な事だ。うっかり間違った方を選ぶと、その後尾を引くのだ。彼は。
「……成歩堂」
 が、今回は幸いにというか、彼の方から切り出してくれた。こっそりほっと胸を撫で下ろしながら、何、と返事をする。
 自分を呼ぶ前に、机の方へ行って戻ってきた御剣は、手にガムテープを持っていた。それを、ビッと20センチほど出して、こう言う。
「これで君の手を縛ってみていいだろうか」
「……………………………………………………………………………………」
「まっ……待った――――――ッッ!!すまん私の説明が足りなかった決してそういう意味で言ったのではないとりあえず事情を述べたいからその手にした電気スタンドは元にあった場所に置いてはくれないかッッ!!!?」
 ソファの上で自分から最大限に身を引いたかと思えば、その直ぐ傍らにあったスタンドをグッと握り取った成歩堂に必死の待ったをかける。彼はやる。確実に。
「……事情って……どんな事情だよ………」
「……………。別に君に関わる事では無いのだから、そのあからさまに警戒した目を向けるのは止めたまえ」
 確かに過度なスキンシップをしてはその後で怒られてはいるが、そこまで信用がないのかと思うとかなり寂しくて悲しい。
「実は……。他の検事が取り扱っている事件の事なのだが」
「……ふうん?」
 表情を崩さずに言う御剣を、いいわけではなく本当を語っていると判断した成歩堂はやや距離を縮める。
 御剣は焦点だけを絞って言う。やはり相談とは言え、簡単に詳細を部外者に言いふらすものではない。
「まあ、被害者と犯人が同時に発見されて通報された事件があったと思ってくれ」
「うん」
「しかし、その犯人は自分が来る前に被害者は死んでいたと主張する。
 実際被害者には他にも殺害する動機を持っている人物が居て、しかもその人物は事件当日現場からほど近い場所にも居た。
 だが、ここからがややこしい」
 と、御剣は眉間に皺を寄せた。
「死亡推定時刻の時間帯には、彼は両手を縛られて身動きが取れなかったというのだ」
「…………え?それ、どういう事?」
 成歩堂は目を瞬かせた。
 御剣は苦虫を噛み潰したような表情をする。
「………いや、だからな。そのようなサービスの店だった、という………」
「……………………」
「わ、私が行ったのではないのだから、そういう顔をするなッ!」
「別にそんな事思っていないよ………」
 そんなに慌てるとかえって怪しいぞ、と心の中で突っ込んだ。
 そういう性癖の人は居るのだと認識はしているが、いざこうして目の当りにすると引いてしまう。これってやっぱり偏見だろうか、とちょっと自分を改める成歩堂だった。
「でも御剣。お店なら従業員とかが目撃してるんじゃないのか?」
 それを見逃す御剣とも思えないが、一応確認の為に訊いてみた。が、御剣はさっきのような顔になり、
「…………放置プレイ、というやつか。かなりの時間、個室にてほったらかしにされていたらしい。ガムテープで両手首を縛られて、な……」
「……………あ、そう」
「うム」
 御剣はただ頷いた。
「で、御剣はその人を疑っているの?」
 そう問うと、御剣の目に険しい、澄んだ光が宿る。法廷で見る、真実を追究する目だ。
「ああ。自宅近くにもその手の店があるだろうに、その日に限って被害者宅の近くに行っているのがどうにも気になる。調べてみた結果、彼がその日にその店へ行ったのは初めてだという事だから、なお更だ。
 それに、目撃者が居ないというのは彼の不在も存在も証明されていない。こっそり抜け出したかもしれない、という事実を否定するにも及ばないのだ。彼は初めて来るにしては珍しく長時間をキープしていたというからな。時間は十分あった」
「それで……手を縛られていたってのがネックになってくる訳か」
 抜け出したという前提には、両手が自由であったという事実が居る。御剣の顔がいっそう険しくなった。
「そうだ。しかし逆に言えば、この壁さえ崩れれば彼の容疑が固まる。現在の被告人以上にな」
「なるほど。事件の内容はよく解ったよ。……でも、御剣?」
「なんだ?」
「それってつまり……被告人の無罪を証明しようって事だろ?いいのか?」
 過言してしまえば、味方を裏切る行為に当たりそうだ。
「………。君がそれを言うのか」
 責めるように睨まれ、成歩堂は弁解を始めた。
「そうじゃなくて、ほら、君ただえさえ悪目立ちしてるというか、謂れの無い中傷浴びそうな立場なんだし……」
「なら今更取り繕う必要も無いだろう」
 きっぱりと、建前ではなく本音で言っているのが何もしないでも解った。
「……………。ま、君が温厚な対人関係作れるとは思ってないけどさ」
「なら言うな」
 憮然とされる。心配したのに怒られた、と少し理不尽な気持ちを味わう成歩堂だ。
「そういう訳で、事件真相解明の為、協力をしてもらいたいんだが」
「うん。勿論それはいいよ」
 でもね、と成歩堂は付け加える。これだけは是非とも言っておかないと。
「僕が君を縛るからね」
「…………。どうして」
 ガムテープを構えたまま(さっきからずっと)の御剣が不服そうに言う。
「だって……変な事されそうだから」
「しないと言うのに」
「君ね、今までの自分のしてきた事全部思い出しても、そう主張出来る?」
「出来る」
「…………………」
 まあ、うん。彼としては一貫した主張を持って自分に接しているつもりなのだろう。……あくまで、彼としては、だけども。
(って言うか暴走してる時の記憶なんかないな。というか暴走してる自覚すらないからな、コイツ)
 その辺に関しては、諦めの域に達している。
「とにかく。僕は、嫌だ」
 成歩堂もまたきっぱり言い放った。その態度に攻める隙が無いと判断した御剣は眉間の皹を増やす。
「成歩堂……これは重要な事なんだ」
「うん、解ってるよ」
「だったら、」
「だからこそ、君がやってみせなくちゃ。そうだろ?僕はあくまで手伝うだけ」
「………………」
 む、と軽く呻く。あまりに執拗に要求するので、本当にただの実験なのか、いい加減疑いたくなる。
「……………」
 御剣はちょっと考えるように視線をめぐらせ、やがて言う。
「…………。君に変な事されそうだから」
「……………………………」
 沈黙で満ちる。
「……あ、そう。じゃ、君の身の安全の為に僕は帰るとするね」
 にっこり。
「待ったぁぁぁぁぁぁッ!!」
 明るい笑顔を浮かべてソファから腰を上げる成歩堂の腕を掴み(ちなみに片方の手にはガムテ)、御剣は必死で止めた。
「全く、いつもいつも自分で墓穴掘って、君は……」
 はーあ、と重い溜息を吐いて、腰を落ち着かせる。
「………。もう逃げないから離せよ」
「………………」
 御剣はがっしりと成歩堂の腕を掴んだままだ。
「御剣ー?」
 どうかしたの、と呼びかけると、しぶしぶと言った感じに離す。
 解らないヤツだな、と成歩堂は思った。
「じゃ、早速取り掛かろうか。どんな感じでいいの?」
「……やっぱり私が縛られるのか……」
「それでいいって事になったんじゃなかったっけ」
「……そうだが………」
「なら、いいだろ」
「……………………………
 ………ちっ、」
「今、舌打ちしたか?」
「何でもないが?」
「そう?」
「そうとも」
 内心びっしょり冷や汗流していたが、おくびを出さずに表情も変えなかった。これくらいの技量は身についた。……というかコレくらい出来なければ成歩堂に主導権握られっぱなしだ。……出来たとしても自分が優位になれるかどうかはかなり怪しいが。
「ええと」
 と、ガムテープを手渡してもらった成歩堂。
「どう縛る?」
「後ろ出だったそうだ。主に手首の部分をぐるぐるに巻いていた。袖の部分は捲くらずにそのままで」
「いいのか?」
「ああ。出来るだけ忠実にやろう」
 と、促されて成歩堂は彼の手首にガムテープを巻いていく。丁寧にやっているともっと乱雑に、と注意が入った。力加減は、血の流れが止まらないくらい。長時間ほっとかるのだから、鬱血しては堪らない。
「う〜ム………」
 と、難しい顔をする御剣。
「どう?外れそう?」
「…………。テープというのが厄介だな。引っ付いて取れない」
 割りと腕は動いているのだが、ガムテープ自体が剥がれるとか、そういう訳でもない。
「ロープだったら話は簡単だったのにね。縛る時さり気なく腕の間隔ちょっと広げておけばいいんだから」
「しかし成歩堂。紐だった場合、自分ひとりで縛る事はそれは不可能だぞ」
 あ、そうか、と言われて納得した。
「テープだったら、一人でも何とか巻けそうだもんね」
「そう、だから……これが外れれば………っ」
 この、とか悪態ついてガムテープと格闘する御剣。言ってはなんだか、滑稽だ。
「……何を可笑しそうに見ているっ!」
 どうやら顔に出ていたようで、そんな叱責が飛んできた。
「ねえ、」
 とそれを誤魔化すでもなかったが、気になった事を2,3こ訊いてみる。
「ガムテープの指紋とかは?お店の人じゃなくてその人のがあったら、それで決まりなんじゃ」
「いい所に目をつけたがな、生憎容疑に上がった時にはとっくにゴミは収集車に持って行かれていた後だった」
 いい所に目をつけた、とは言ったがちっとも褒めていないのは口調からも窺えた。皮肉のようだ。
「くそっ……取れそうなのに取れないのが歯がゆいっ……!!」
「あーあー、あんまりやるなよ。服の表面が荒れるぞ」
 冷静沈着のようで、その実自分より沸点が低い彼にそっと注意した。
「何か、仕掛けでもしてたのかもな」
 事前に店を調べていたというのなら、それくらいしそうだ。
「何か、とは何だ」
 くるっと御剣の首が回って自分を真正面に見据える。
「何かって……その、色々とだよ」
「……なんだ、また例の如くのはったりか」
 はー、と重い溜息をつかれ、些かムカッとした。
「そんな事言われても、僕は詳しい事は解らないんだから、そんな風に言うしかないだろ。本人に聞けよ」
「むぅ……なら、ちょっと締め上げてみるか。名目は事実確認の任意同行で引っ張ってみよう」
 淡々と説明するその頭の中では、その算段を組み立てているのだろう。
「うん、それがいい……って、そこまで出張っていいのか?本当に」
 彼の心意気には胸を打たれるが、あまりのスタンドプレーっぷりにやっぱりちょっと心配になってくる。彼が容疑者として捕まった事件で、御剣に敵が多い事を糸鋸からそれとなく言われたからだ。その大元の黒い疑惑を払拭する事は出来たが、未だ同じ理由で彼を誹謗する人が無くなった訳ではない。それは御剣が裁判で勝ち星を取り続ける限り、無くならないだろう。
 出る杭は打たれる。羨望を集めれば、同じくらいの嫉妬もその身に降りかかるのだ。
「…………。くどいぞ、成歩堂」
 非難するように睨まれた。
「そうだけどさ」
 自覚があるから、言いよどむ口調になる。
「無実の者が殺人犯になるかもしれない。面子なんか構っていられるか」
「………………」
 そうかなあ、やっぱり周囲の兼ね合いも大事じゃないかなあ。とか、色々思うけど。
「そういうの、嫌いじゃないよ、僕は」
 御剣らしくてさ、と付け加える。
「嫌いじゃない……」
 と、御剣はその言葉を反芻した。
「それは、好きという事かね」
「え、」
 思っても無い切り替えしに、声が上擦る。
「いや、まあ……そういう事に、なるかな……?」
「はっきりしたまえ。好きなのか、どうなのか!」
「…………。そんな強く言うなよ」
 うう、いらん事言った、と自分の発言を後悔する。こうなった御剣はしつこい。というか引かない。
「どうなんだ!好きなのか!」
「…………別に、いいだろ」
 と、呟くように言って視線を逸らした。
「いーや良くない!!これはかなり重要な事だ!!」
「煩いな!だから……い、言わなくても解るだろそれくらいッ!」
「解らんッ!!!!」
「……………………」
 ものすごく自信たっぷり言い切ったよ、と成歩堂はこの御剣怜侍という男に対して少し恐怖した。
 その御剣は、成歩堂の回答を待つようにじぃっと見据えている。
「…………」
 おあずけされてる犬みたい。そんな感想を持った。
 成歩堂は観念したように、身体中の力を抜く。
「………。好きだよ。これでいい?」
「………。そうか」
 詰問するような表情を和らげ、ふっと笑みを浮かべる。この瞬間がどうにも心臓に悪い。
 なんというか、目の前のこいつが、本当に自分の事が好きなんだな、と実感してしまって。
「……………」
 ただえさえ自分の感情を持て余しているのに、その上相手の気持ちまで汲み取ってしまって、正直身動きが取れなくなる。で、御剣と言えば自分に「好き」と言ってもらえて至極幸せそうな顔をしている。
「………ふっふっふ………」
「声に出して笑うなよ。怖いよ」
「照れ屋め」
「……煩いな」
 ふぃっと顔を逸らす。頬が赤いのは、解っている。
(……こーゆー流れになると、あっちが主導握るから嫌だ)
 心で不満を漏らす成歩堂だった。
「成歩堂」
「何だよ」
 まだからかう気か、と少々言葉を強めて返事をする。
「いや、そろそろこれを取って欲しいのだが」
「…………。ああ」
 そういえば、と言っては何だが、御剣はずっと手を縛られたままだった。
「ごめんね、今………」
 解くよ、という言葉の前にセリフを突切らせた。
 なんだ、と言わんばかりに御剣が目を射める。
「いや……君がずっとこのままなら、僕の身は完全に保証される訳だ」
 何気なくぽつりと呟いた言葉に、勿論御剣はぎょっとする。
「なっ……何を言ってるのだ君は!」
「だって、すぐ抱きつこうとするし……」
「事前にちゃんと承諾取るではないかッ!」
「……したら中々離してくれないし」
「…………………。それは、」
 痛い所を突かれた、と言葉に詰まる御剣だった。
「僕もさ、たまには心落ち着いた状態で君と居たんだよ。解ってくれる?」
「そ、それは勿論だが……しかしこの状況は私にとってアレというか、」
 別に本気でそう言っている訳ではないのだが、彼が真に受けているのでなんだか面白くなっている。まあ、それと同時に自分はどんな認識されているんだ、と複雑になってくるが。
(やりそうだ、と思っているのかよ、こいつ……)
 こうなると信用が無いのははたしてどっちになるのか、かなり微妙になってくる。
「な、成歩堂、ちょっとこれは、本気でその、困るのだが」
 さっきみたいに、いやさっきより本気で解こうと手首を必死に動かしている。
「だ、抱きつかないから!約束する!」
「うーん、どうしようかな?」
「そこでそんな眩しい笑顔を浮かべるな―――――――ッッ!!」
 本気で怖がっている様なので、そろそろ止めてやろうか、と思う。これだけ脅しておけば、今日のこれからはちょっとは平穏に過ごせるだろう。……ちょっと、は。
「冗談だから。ほら、後ろ向いて」
「………その隙に後頭部をボカッとか、」
「…………。しないよ」
 どれだけ凶暴なんだ、君の中の僕は、と突っ込みたい気分で一杯になった。
 遠慮せずやってくれ、という指示に従ったので、テープの下の服の様子が気になったが、取り返しがつかなくなった、という事は無さそうだ。ちょっと表面が毛羽立っているのは御剣が暴れたせいだろう。特についさっき。
「………あー……怖かった………」
 手首を振って解しながら、ぼそ、と呟いている。
「冗談だって、さっき言っただろ」
 ここまで効いているとは、なんか情けないような哀れなような。
 今は大人しく、それこそ成歩堂の望みどおりに、二人ソファにただ並んで座っている訳なのだが、明らかに隣が警戒というか緊張しているのが解る。
(別に怒らせるような事しなかったら、怒ったりしないってのに)
 根本的に、自分にだけ降りかかる迷惑なら許してしまえるのだ。最も、他人を巻き込めば容赦はしないが。
(…………。あーもう、仕方ないなぁ!)
 成歩堂は少し自棄っぱちになる。
 折角の休日なのだから、もっと穏やかに、楽しく過ごしたいではないか。自分も、相手も。
 甘やかし過ぎはいけないのに、とまるで自分を叱責するような事を思った後、御剣に向き直る。
「ねえ、ちょっとこっち向いて」
「………うん?………ぅおっ!?」
 言われた通りに成歩堂の方を向くと、すぐに手が伸びてきて顎を掴む。何だ、と問う前に、額に軽い感触が振った。
 額にキスされた。
「!!!!」
「はい、これでさっきのチャラな!」
「な、なる………っ、!」
「悪かったよ…………。紅茶、淹れて来るから」
 付け加えのようにそう告げて、席を立った。
「……………」
 御剣はキッチンへ向かった成歩堂の後姿を、呆然と眺める。
 未だ嘗て彼の方から自分にキスしてくれた事があっただろうか。いや、断じて無い!!
(これは……攻め時というヤツかっ!!)
 もしかしたら今なら口にキスさせてくれるかもしれないッ!(←まだしていない)
「……成歩堂!」
 俄然前向きになった御剣は意気揚々と彼の居るキッチンへ向かい。
 今度やったら本気で縛る、と御剣を散々脅したのはそのわずか1分後だったという。




<おわり>

割りとほのぼのです。
途中なるほどくんが妙にキツいのは気のせいではなく躾の為だそうです。
すぐ暴走するんだからね!(人事のように)