HOME&AWAY
暇を見つけては、それこそ、それが自分にとっての休息なのだ、とばかりに度々彼の事務所へと赴く。
それでも、同じ審理の最中だったり、相手が手一杯だったりという状態の時はなるべく控えていたのだが。
最近、それが崩れつつある。
最近増えた、ただならぬポジションの加入者によって。
「……………」
それまで御剣の中にある厄介な者リストの大上段には矢張の名前があったのだが、今は違う。現在堂々とトップに輝いているのは、ゴドー、というか神乃木荘龍だ。
検事としての目的を果たした彼は再び弁護士の立場へと転身し、ブランクと経験の豊富さから成歩堂の補佐のような仕事をこの事務所で担っている。最も、正式な此処の所員ではなくて通っているみたいだが。
「クッ……出来る男の一歩は、整理整頓から、だぜ」
「判ってますよ。判ってるんですけど、」
「実行に移さなきゃ、いくら自覚があっても意味は無いぜ、まるほどう。そんなもん犬に食わせちまいな」
「だから、判ってますってば!」
もう意地悪だな、と一旦手を止めて、首を捻り神乃木に言う。彼はそれを受け取り、ニヒルに笑った。
デスクに向かい、キーボードを叩く成歩堂。その横で、ファイル整理に勤しむ神乃木。
まだ知り合って、というかこういう間柄になって間もないというのに、もっと以前からこうであったと錯覚させる程の先輩後輩っぷりだ。まぁ、言ってみれば双方先輩の先輩であり、後輩の後輩で、A=BでB=CならばA=Cという図式が応用出来るのかも知れないが。
しかしそこで面白くないのは、古くからの友人である御剣である。
過去十数年、その途中紆余曲折かけて、ようやく彼の傍に居られると思ったら、急に出て来た男が同じ位置に居るのだ。気に食わないこの上ない。
もっと言えば、二人きりにさせたくない。神乃木と談笑しているその間、成歩堂の中から自分が排除されているようで。だから、目の前で自分が居ないような会話が展開されても、こうして居座っている訳だ。せめて視覚で訴えたい。自分は此処に居る、と。
しかし、やっぱりこの二人が会話を目の当りにするのは、精神的に何かと磨耗する。ぶすぶすと燻って、煙でも出てやいないか、と本気で思ったのは一度や二度ではない。
「御剣」
と、不意に成歩堂に名前を呼ばれた。
それまで組んだ足に書類を置いて眺めていたのだが、急に視界がぱっと切り替わった。そのくらい、勢いをつけて素早く反応したという事だろう。当の本人には自覚は無いが。
「ム。何だ?」
弾みそうな声を抑えて、努めて平常にと心がける。顔だってちゃんと引き締めてる。……多分。
「いや、そろそろ帰らないと。お昼の休憩もう終わるんじゃないか?」
「……………」
御剣が一瞬停止する。
まぁ、確かに時間的にそろそろと思っていたし、彼の言うセリフに間違いは無い。
(……間違いは無いのだが!!!)
ようやく声をかけて貰ったかと思えばそれである。
泣いていいよ、と言われたら正直泣きたい気持ちだった。
「……ああ、まぁ、そうだな……」
「早く帰ってあげなよ。キミの帰りを待ってる人が沢山居るんだから」
「……………」
一番帰りを待ってもらいたい人にそんな事を言われてしまった。室内なのに木枯らしを感じる。
ここで駄々を捏ねて居座っても怒られるか呆られるだけである。何より、そんな子供っぽい真似はしたくない。
ソファにかけてあった上着を着込む。
去り際の最後に、一言声をかけようと思ったのだが、それより早くに神乃木が成歩堂に言った。
「ホラよ。仕事に草臥れたコネコちゃんには、ゴドー・ブレンド112号奢っちゃうぜ!」
「あ、すいません」
シューッとデスクの端から走ったカップを、成歩堂は自然に受け答えながら自然にキャッチした。そのナチュラルっぷりがいかにも日常茶飯事的な事だと御剣に突きつける。
「……何か飲みたければ、私に言えばよかったものを」
思わず御剣は口にしていた。
と、言うか。
神乃木が来る以前には、それは自分の役目だったのだ。
一度仕事が舞い込めば、それこそ寝食を忘れて、水分摂取なんて頭から抜け落ちる成歩堂に紅茶を淹れるのは自分だった。自ら率先してやる事もあるし、相手が言ってくるのをわざと待っていた時もある。頼みたそうだな、というのは彼を見れば判った。いや、見なくても判った。勘と言ってしまえばいいだろうか。空気で何となく判ったのだ。
けど、今はその勘が大分鈍っている。
理由は簡単にして単純。環境が変わったからだ。環境が変われば空気も変わる。そしてその異変の元と言えば、勿論神乃木である。
しかも元々気の利くタイプである彼は、御剣が気づく前にさっさとコーヒーを淹れてしまうのだった。
淹れるのがコーヒーなのがまた憎い。いや、仮に紅茶だとしても、自分はやっぱりもやもやするのだろうけど。
「でも御剣も何か書類読んでたし……こういうのは、やれる人がやればいいんだよ」
だから気にするなよ?と笑いかける。
……おそらく、彼としてはこちらを気遣ってくれているのだろうが。
どうせなら、気遣われるより遠慮なく何でも申し付けて欲しいのがこちらの心境なのだ。もっと、何でも、些細な足りない事でも言って欲しい。それを全部受け止めるように努めるつもりは勿論あるのだが、哀しい事にその役目はもう一人の幼馴染が担っているようだった。確かに、十数年の空白がある自分より、その間ずっと付き合っていた方に縋るのは、当然かもしれないけど。
だからせめて、今手にしてあるものを決して手放すまいと思っている端からそれが奪われているようで、かなり落ち着けない。危機感すら感じる。
「……………」
「? 御剣?」
中々出て行こうとしない御剣に、成歩堂が首を傾げて呼びかける。その動作には、何か自分が彼に対してし忘れている事があったら言ってくれ、という意味も込められていた。
「………いや。失礼する」
この嫉妬はあまりに子供っぽいと自覚出来る。だから伝えるのを躊躇うし、その分根が深い。御剣に出来る事と言えば、セリフを全部押さえ込む事だけだ。
「ん。じゃあな。気をつけて帰れよ」
真宵達を見送る時の口癖になっているのか、同年代の自分にもそんなセリフを付ける。しかし、不愉快とは思えなかった。彼らしい、と言うか。
成歩堂の言葉に、ふ、と心が軽くなる。
しかし。
「またな、ボウヤ」
神乃木が不敵な笑みを浮かべて言う。
「……………………」
去り際の挨拶はもう済ませたからしない、と言うように、一瞥しただけ黙って退室した。
この時の、ドアを閉める音が、最近やけに耳に響く。
……またな、なんてそんな言葉、貴様の口から誰が聞きたいと思うかおのれあの男めぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーッ!!
「こんな所で器用に倍角文字使って心の叫びしてないで、その場で絶叫してればいいじゃない。レイジ」
「……メイ、人の心を勝手に読むな」
「解り易い貴方がいけないのよ」
「…………」
泣きたいのと怒りたいのを交互に堪えながら返った御剣の執務室にメイが来たのはさっきの事だ。つまり、返ってからずっと彼の胸中にはそんな思いが燻っていた事になる。凄いと言ってしまっていいのか、悩むところだ。
「……あの男。どうにか出来ないものか」
ぼそり、と御剣は呟く。
「どうにか、って?」
いかにも豪奢な造りのソファに、冥はそれに見合う座り方をする。
「成歩堂の横から排除するには、どうすればいいだろう。出来れば、合法的に」
「目的のジャンルからして、法律に頼るのは間違っていると思うわ」
冥の言葉は辛辣にして真実だった。
「……………」
冥のその言葉を聞いて……と言う訳でもないだろうが、組んだ指に顎を乗せて考え込む。無口になった分、胸の中ではロクでもない事が鳴門海峡の如く渦を巻いているのだろう、と冥は思った。その考えは非常に正しい。
冥がこうして御剣の部屋を訪れるのは、まず第一に仕事の関係で、第二に成歩堂の事でもやもやしている御剣を眺めるのが思いのほか楽しいからだ。相談すれば一応は答えるが彼の質問がアレなので、建設的な事は言わない。いや、言えない。
検事としてはエリートな彼は、しかし人間的な部分において大分欠損が激しい。主に、コミュニケーションにおいて。
必要ないと切り捨てていたそれは、けれども成歩堂と再会を果たし、また彼に想いを寄せた事で再び成長し始めている。
その経過中である彼の行動は、幼くて滑稽なのだ。まぁ、子供の時の止めたものが、またそこから動き始めたのだから、大人の視点から見ればまだ幼くて当然だ。大の大人が子供みたいな振る舞いをしているのだから、見ていて愉快な事この上ない。
(こういうの、先祖返りっていうのかしら)
胸中だけで呟いた為、違う、と冥を訂正する者は誰も居なかった。
「………。冥。コロシヤのカードは……」
唐突に御剣が、地に這うような低い声で呟く。
「…………………」
「いや、何でもない」
しかし、目は限りなく本気だったと、冥は何度その時を思い返しても思うのだった。
次に御剣が事務所を訪れると、神乃木が不在だったので万歳をしかけた。
「何かあったのか?」
と、かなり事務的に聞いてみる。
「ああ、うん。風邪引いちゃったみたいでさ。この時期で割と珍しいよね」
「私は何もしていないぞ」
「? 別にキミのせいだなんて思ってないから、そんな必死に自己弁護しなくていいよ?」
急に冷や汗浮かべて主張した御剣を、怪訝に思いながらもそう返す。
「……それで?どんな具合だと言ってきたのだ」
場を仕切りなおすように、御剣が聞く。
「うーん、咳とか鼻水とかは出ないそうだけど、微熱が続くんだってさ。星影先生の所も休んでるそうで」
「そうか……」
死んでも可笑しくない、と言うか本当に死ぬ寸前だった体なのだ。どのくらい支障があるかは知らないが、大事にするに越した事は無いのだろう。
御剣としても、何も彼に亡くなって欲しいわけでもない。……………多分。
「それでさ、」
と成歩堂が話かける。
「お見舞いに行こうと思ってるんだけど、何持っていけばいいと思う?」
「…………………。なっ!!!」
思わず手にしたカップをテーブルに置き、そのまま立ち上がりそうになったがそれだけは堪えた。
「……何をそんなに吃驚してるんだ?」
こっちが驚いたよ、とばかりに目を丸くしている。
「いや、別に入院しているという訳でもないのだろう?なら、少し大袈裟過ぎやしないか、と思ってな」
過剰な気遣いは迷惑になるぞ、ともっともらしい事を付け加える。
「うん……だけど、ほら、やっぱり神乃木さんって色々体に抱えるものが多いし、それに僕の所でも手伝って貰ってるから、彼の状態をしっかり聞いておかなきゃな、って思って」
出来れば、無理の無い程度にはまだ此処に来て貰いたいから、と言う。
「……………」
見舞いに行くと言い出すわ、居て欲しいとまで言うわでこの短い時間で御剣は2回も大きなショックに見舞われてしまった。今ゲージがあったとすれば、おそらく残りは半分も無いだろう。
……まぁ、来て欲しい理由としては、今は此処に居ない二人の少女の為というのもあるのだろうけど。しかし言ったのが成歩堂の口からというのが途方も無くダメージを与えてくれる。
しかも見舞いとなると、行く場所は勿論相手の部屋なのだろう。彼がどのくらい滞在するつもりか、また相手の状態がどんなものかは知らないが、2人きりというのはマズい!これはかなりマズい!!
それに、神乃木にはまだ、プライベートでの付き合いという利点があるというのに、それすら危うくなるではないか!
何としても阻止したい!
が、病人を見舞うという行為自体、それはとても親切な事だから撤回するのは無理だろう。しかも、強行すれば自分が病人を労らない薄情者になってしまう。
(それならば………)
そう、こういう時こそ逆転の発想。想像の転換である。
止めされる事が出来ないのなら……
「そう……だな。なら、実際に私がついて行って、一緒に選ぼうではないか」
見舞いの品を。
「え、そこまでして貰わなくても……」
「気にするな。私も君と同行するつもりだから」
「……へっ?」
全く予想していなかった御剣の申し出に、成歩堂が素っ頓狂な声を発する。
相手が疑問を口にする前に、言う。
「不可抗力的とは言え、すっかり顔馴染みだからな。見舞いくらいした所で不自然でもあるまい?」
いいや。かなり不自然だ。
誰かが聞いても、誰もが言うだろう。
勿論、成歩堂も思ったのだが。
コミュニケーション下手と言って過言でない彼が、(どういう訳かは知らないが)意欲的かつ積極的に人と関わろうとしているのだ。なら、ここは付き合ってあげるのが人情ってものだろう、と。実は思いっきり心の狭い行動だというのを、知らずに成歩堂は承諾した。
神乃木の家は、成歩堂のようにアパートではなく、マンションだった。まぁ、彼の場合そっちの方が当人に相応しいだろう。仮に矢張が賃貸マンションとかに住んでいたら、場違いも甚だしい。セキュリティレベルも高くて、玄関エントランスに入る時点で人物の認証を要するシステムのようだった。が、事前に連絡を入れてあったらしく、部屋までスムーズに行く事が出来た。
あくまで、成歩堂にとっては、だが。
「……大丈夫?」
「……………」
大丈夫だとも、そうじゃないとも。
虚勢も事実も何も言えないくらい、御剣は憔悴していた。そう、エレベーターに乗ったからだ。目を閉じて自分を誤魔化していたのだが、体は正直と言うか何と言うか。エレベーターに乗る前と後で、ここまで人間状態が変わるものかと、成歩堂はいっそ感心してしまったくらいだ。
顔が青ざめたのは自分でも判るくらいだったが、それでも神乃木の部屋の前に着くと気が引き締まる。多分法廷に挑むときと同じだ。これは。油断したら、自分は負ける。
成歩堂がチャイムを押し、暫くしたらインターホンから開けたから入れ、と不躾に取れそうな声がした。勿論と言うか、神乃木の声だ。言われたままにドアを開け、挨拶と一緒に室内に入る。すると、直ぐ目の前に神乃木が立っていた。
「よく来たな」
「ああ、はい、来ました」
「……邪魔をする」
三者三様、挨拶を交わし室内へと入る。神乃木の部屋は実にシンプルだ。目覚めてまだ数年、というのもあるのかもしれないが、元からあまり物を置かない主義かもしれない。それでも、キッチン周りにはサイフォン等の器具が喫茶店さながらに犇いているが。
部屋に足を踏み入れた時点で、中にはコーヒーの芳醇な香りが漂っていた。時間を聞かされたから、逆算して淹れておいたのだろう。サイフォンの中には彼曰く深い闇が溜まっている。
それをカップに注ごうとする神乃木に、成歩堂が待ったをかけた。
「神乃木さん、具合悪いんでしょう?淹れるのは僕がしますから、座っていてください」
「クッ………まるほどう。木登りは足が地面に届く直前が一番危ないんだぜ?」
「はいはい、判ってます。注ぐだけだからって、おざなりにはしませんよ」
成歩堂がキッチンカウンターの向こうへ、駆け寄るように行ってしまったので、物が無い為に余計に広く感じるリビングには、上着を抱えた御剣がぽつんと立っている。すぐ目の前にあるソファとセットのテーブルには、見舞いの品のフルーツの盛り合わせ。しかし、スーパーにあるようなものではなく、成歩堂が知る範囲で彼の嗜好を考慮して詰めてもらったものだった。何を持って行けばいいんだろう、と自分に相談した彼だが、いざ一緒に行ってみると自分でサクサクと決めてしまっていた。まぁ、病人には栄養を着けてもらうべきだろう、と提言しはのは御剣ではあったが。
成歩堂が支度をすると言い、それを甘受した神乃木だが、ソファに座る事はなく彼の傍らに居て茶々を入れてるのか何なのか、御剣にはさっぱりなセリフばかりを並べている。が、成歩堂には意味がそれなりに通じているらしく、何やら会話が成立していた。神乃木が席に着かないのは、成歩堂を信用していないというよりただ会話を楽しみたいだけなのだ。特に、自分の好きな分野で、その場で。
「……………」
ソファは、勿論座るために其処にある物だ。しかし、目の前のそれを見ても、座ろうという気が起こらない。もっと言ってしまえば、座る為にあるものではないとすら思う。じゃあ何なんだ、と聞かれると、上手く答えられないけど。
結局、コーヒーを淹れたカップをトレイに乗せる所まで来ても、成歩堂は神乃木を座らせる事は出来なかったみたいだ。若干皮肉のようなセリフを横に居る神乃木にぶつけながら、トレイを両手で持ってこっちへとやって来る。その時、成歩堂はずっと立ちっ放しだった御剣に気づいたようだ。
「あれ、何してるの?座ってればいいのに」
何だか彼自身がここの住人のような言い方に、胃がずん、と落ちたような気がした。どう動いていいか判らない空間で、彼はすっかり馴染んでいる。それが悪いと思っている訳ではない。慣れない自分がどうにかしているのだ。
別に自分のテリトリー以外全て緊張するという訳ではない。ホテルに泊まった時などは、そのまま普通に過ごせられる。他の誰かの空間、というのが落ち着かないのだ。
しかし、成歩堂の事務所に最初に訪れた時にも似たような感じはしたが、ここまでではなかった筈だ。
やっぱり、神乃木の部屋、だからだろうか。今最も警戒心を抱いている相手の部屋だからこそ。
成歩堂が平然と部屋に居るのに、酷く心が揺れる。
「ほら、座りなよ」
トレイをテーブルに乗せ、カップを配りながら御剣に言う。成歩堂にそう言われて、御剣はやっと目の前の物体は座るためのものなのだ、と認識できた。座ってみると、自分には若干固いような気がするが、なかなか座り心地はいい。どことなく、成歩堂の事務所に置かれてあるものを彷彿させる。神乃木とあそこの前所長は親密な関係であったと聞くから、それが関係するのだろうか。
「……で、神乃木さん、大丈夫なんですか?」
成歩堂は、構率直に聞いた。他人行儀な言い回しは、もはや必要としないのだろう。
「まぁ、な。このブレイクタイムは、どっちかと言えば俺より周囲の為みてぇなもんだからな」
つまり、神乃木本人にとっては深刻な事態ではないみたいだ。彼の属する事務所の所長は、目に見えてお人よしというか、心配すると止まらないような所が見えるから、彼を慮っての行動なんだろう。
隣に座った成歩堂が、安心したのが空気で判る。
「まあ、体調管理はしっかりしてくださいよ。もうそんなに若くないんですからね」
取り様によっては失礼に当たりそうな言葉を成歩堂が言う。が、その顔は屈託の無い笑みを浮かべているし、向こうも楽しそうにそのセリフを聞いている。
「……………」
同じ職場で働いているのだから、終わった後等に食事を取ったりしていても、何も不自然では無い。自分が居る時は一応職務中、というか事務所に居るというけじめの為か、御剣はここまで遠慮なく神乃木に話し掛ける成歩堂を見たのは初めてだった。今が完全なプライベートだからだろうか。成歩堂は部屋に行くのは今日が初めてというが、彼が病気になって見舞い、という事実が無くても、その内成歩堂は此処を訪れたのかもしれない。それこそ、自分を抜きに、神乃木に招かれて。そう思うと、一層居心地が悪くなった。部屋が自分を拒絶しているのではなく、自分が受け付けないだけだから、その違和感を一層に感じる。
とりあえず念のためとばかりに、それから彼の体調について成歩堂は2,3質問し、そして完全に納得出来たのか話はまるで関係ない方向へと飛んだ。主に、神乃木が不在時の真宵達の動向だ。まだ大して間も無いのに、話すのに十分足る事を、彼女達は色々しでかしてくれたみたいだ。聞いていて「それは無いだろう」というような内容ばかりだが、彼女たちの人となりを知っている御剣としては脚色の無い純粋な事実だと受け入れる。それは神乃木も同じだろう。年長者らしい優しそうな笑みを浮かべて話を聞いている。
成歩堂が主に話の軸となり、神乃木が例えのようなセリフでそれに口を挟み、たまに成歩堂に呼びかけられた御剣が返事をする。そんな感じだった。
10分くらいそんな時間が続いただろうか。割り込むようにトノサマンのあのメロディーが場に響く。御剣もその着信メロディーで設定しているが、確かめるまでもなく、自分では無いと断定出来る。何故って、奏でられるメロディーは電子音の単調なものであったし(御剣のは重低音の伴奏を含めて奏でられる最新式の配信メロディーだ)そのメロディーで設定しているのは、他でもない成歩堂だからだ。彼が自分に電話をかけない限り、自分の電話があの音を発することは無い。
何気ない仕草で電話を取り出した成歩堂だったが、相手の名前が表示されているディスプレイを目に入れると目を見開いた。
「……アンタの恋人が恋しがってるのかい?」
からかうような神乃木の物言いに、御剣がぎょっとなったが、そう言えば彼は仕事の事を恋人と比喩しているのだとすぐに思い出した。
「す、すいません。ちょっと失礼します」
心底申し訳無さそうに成歩堂が言い、立ち上がる。
リビングと玄関に通じる廊下は、ドアで仕切られている。そのドアの向こうに成歩堂は移動した。審理が入ったとは聞いて居ないから、遺産分与とか、離婚協議とか、そんな類の相談なのだろうか、と御剣は勝手に想像してみた。
「……………」
と、いつまでもドアの向こうにおぼろげに見える人影を見詰めてばかりもいられない。顔を体の向きと同じにすると、当然視界には神乃木が入る。
「……………………」
会話が無い。見事なまでに。さっきの会話だって、殆ど成歩堂に任せきりだったのだから。
無理して話かけた所で、滑るというか白けるというか。和気藹々とした雰囲気にはまずならないだろう。彼との接点と言えば成歩堂で、その彼は今はこの場に居ないのだから。いや、話したい事や聞きたい事は沢山あるのだ。主に、成歩堂の事をどう思っているのか、についてだから、うかつに口にするのが難しいだけで。
そう言えば、神乃木から御剣が居合わせている事についてまだ何も触れていない。もしその話題に入ったら、成歩堂に言ったのと同様、最近よく顔を合わせるからだと言うつもりで身構えていたので、拍子抜けというか、余計に気になるというか。
まさか、自分が子供じみた焼餅で無理に同行したのが向こうは解っているのだろうか。それを承知であえてスルーしているのだろうか。
心中を見透かされる事には、どうやったって慣れない。そうかもしれない、と思った時点で胸の動悸が早くなる。
口を動かさないで居ると、その分頭の中で色々と想像する。ぐるぐると回る可能性に、酔いそうだった。
成歩堂はまだ話が済まないのだろうか。まだ横で彼が話していてくれたら、平静を取り戻せそうなのに。コーヒーを飲むついでにドアをちらりと見る。飲むついで、というか見るついでに飲んだのだが。
神乃木も御剣に続くようにカップに口をつける。神乃木の方からも、特に話題を振るような事はしないが、それは却って幸いかもしれない。何を話し掛けられても、自分は言葉に詰まってしまいそうな気がした。
「………クッ………!」
と、コーヒーを喉から胃に落とした神乃木が、喉に詰まったような笑い声を上げた。何を言うつもりなのか、と御剣は身構える。
しかし、その後神乃木は特に何を言うでもなく、口元を押さえてやや身を前に屈み、肩を震わせている。
泣いている……筈が無かった。
と、いう事は。
「……アンタ………」
クックック、と堪えるのに失敗した笑い声が幻聴で聴こえる。
「初めて散歩に出たような犬みてぇだな…………」
「…………―――――ッッ!!!!」
かあーっと一気に激昂するのが判った。
(よくも……よくも言ってくれたなこの神乃木めぇ―――――ッッ!!!)
と、控える刑事を震え上がらせるような視線で睨みつけていても、相手は至って楽しそうにまたコーヒーに口をつけている。ひたすらニヤニヤしている。面白いものを見つけたぞ、というみたいに笑っている。
これがまだ牽制や威嚇の為ならばいいのだ。その方がまだプライドが保てる。
しかし、彼は本当に自分を見て面白がっているだけなのだ。そこが一番腹立たしいくて悔しいのなんの。
「室内犬だったら、番犬名乗るのも難しそうだな」
名乗った覚えは無いわ!と猛異議を出そうかと思ったが、それより早く自分のカップにお変わりを注ぐ為、席を立つ。その後姿を見て、思わず今なら殺れる!とうっかりした殺意を抱いてしまった。その直後に成歩堂が戻ってきたから、勿論実行なんてしなかったが。
その後、さっきと様子が打って変わって、何やら険しい顔をしてぐるぐる唸っているような御剣に成歩堂はきょとんとして首を傾げ、そんな二人を見て、神乃木がまた楽しそうに笑う。そしてそれにより、御剣の眉間の皺が増える、という悪循環に気づいているのは、やっぱり神乃木だけだった。
<END>
同じ相手を好き同士の牽制し合い、っていうかお母さん大好きなムスコがお父さんとばかり仲良しなのにヤキモチ妬いてる感じですね。
だからゴドーさんも同じ土俵の相手とは思ってないんじゃないでしょうか。わーい!(何だ)
哀れだな、ミツルギ。