キャラメル


 下校途中、また、成歩堂がぐずぐずと泣き出した。そんな成歩堂の手をしっかり握りながら、今日初めて通る通学路を歩く。
 矢張は校門を出てすぐから帰り道が違う。彼も泣き止まない成歩堂を気にかけていたが、御剣が自分に任せてくれ、と暗に言って帰させた。
 行き交う人が自分たちをじろじろと見ている。御剣は全くそれを気にしなかった。ただ、成歩堂がごめんね、ごめんね、としきりに自分に謝っている。御剣はその時は何の意味か解らなかったが、成歩堂は自分が泣いていたら御剣が泣かしたみたいに人に取られてしまう、とそれを心配して申し訳なく思ったのだそうだ。
 歩いていて、ついに二人の分かれ道に辿り着いた。
 帰る時間が遅くなってはいけない。
 けれども、まだ成歩堂の涙は止まらない。
「さあ、泣くのはもう止したまえ。君は何も悪くないのだから」
 御剣がそう言うと、ぐず、と相手は鼻を鳴らした。
「……でも、皆、僕がやったって思ってるよ……」
 確かに、彼の無罪は立証したが、他者の抱いた印象を消せた訳ではない。今日だって、囲まれそうになったのを攫うように助けて、こうして一緒に歩いているのだから。
 御剣は、ぽん、と頭を垂れている彼の肩に両手を乗せた。
「また君が窮地に立たされたら、その時も弁護をしよう」
「…………。キュウチ?」
 一旦涙が止まり、ぱちり、と瞬きした。その行動の意味する所は、つまり御剣の言った単語が解らなかったのだ。
 御剣は少し考え、言葉を選んだ。
「……危機に瀕すると言ってもいい」
「キキニヒンスル?」
「……………」
 御剣は、今度は真剣に考えた。
「君が困る時があったら、僕が弁護をする」
 これには成歩堂も理解を示したようだ。何度も、うん、うん、ありがとう。と涙の跡が痛々しい顔で頷いた。
 それに、安心して自分の帰路を行く。
「御剣、バイバイ。また明日な」
「ああ」
 手を振る相手に、自分も振り返す。
 一人、道を歩きながら、御剣はその振った手を何気なく見ていた。あんな風に親しげに、明日会う事を約束して別れたのは、多分これが初めてだ。




 あくる日。昨日と同じ分かれ道に来た所で、成歩堂は周囲を見渡してから、御剣に何かを差し出す。
「弁護士ってさ、弁護料が要るんだよね?」
 でも、お小遣い今月はもう全部使っちゃったから、と代わりにそれで買ってたらしいキャラメルを一箱、手渡した。手に取ると、中でキャラメルが移動しているのが解る。
「ええと、もう開けちゃったヤツだけど……でも、半分以上はまだ残ってるから。来月、お小遣い貰ったらまたあげるね」
「いや、」
 と、御剣が言う。
「これで十分だ。ありがたく受け取る」
「そう?……いいの?」
 窺うように、そっと成歩堂が自分を見る。その視線がくすぐったくて、なんだか笑えて来た。
「君のなけなしのお菓子なのだろう?大層な報酬ではないか」
「へ?ほーしゅー?」
「弁護料、と同じ意味に取ってもらって構わない」
「ふうん。御剣って色んな言葉よく知ってるよな」
「……そうでもない」
「そうかな?」
「そうだ」
 今まで褒められていたのは両親だけのせいなのか、こうして同年代に素直に褒め称えられると恥ずかしいものがある。照れを隠す為に、変な表情になっていないか気になった。
 御剣はさっそく箱の蓋を開けた。
 学校は、勿論お菓子の類の持ち込みは禁止だ。今日、どこか成歩堂がそわそわしていたのは、これを持ち込んだのがばれてしまわないか、とヒヤヒヤしていたのだろう。そんな危険を掻い潜って、この箱はこうして自分の手に渡って来た訳か。感慨深く思う。
 箱の中から、二つ、キャラメルを取り出す。
 一つを成歩堂に差し出す。
「え?僕に?どうして?」
 君にあげだんだよ?と首を捻る。
「そう、僕の物になった。だから、これをどう扱おうと、僕に決定権がある」
「…………」
 ほら、と掌を広げ、押し付ける。
 成歩堂は暫くそれを見ていたが、やがて顔をあげ、ニカッと笑ってみせた。そして、キャラメルを口に頬張る。御剣も倣って、口に入れた。
「美味しいね」
「ああ」
 口に物を入れているせいで、もごもごとした発音になる。
「じゃ、また明日な」
「うム」
 手を振り合って、分かれ道を行く。
 きっとこうして、明日も明後日も成歩堂に手を振って、自分は家に着くのだろう。そんな将来を知らず描いていた。
 そんな現実が一年にも満たずに終わるのだと、想像すらしなかった。




 下校時刻のチャイムと同時に、人からの挨拶から逃れるように一気に校舎から抜け出す。たまに声をかける者も居る。その時は一応ちゃんと返してやる。クラスメイトの義理として、というよりは一般のマナーとして。そんな自分の姿勢が言わずとも肌で伝わるのか、あまり別れの挨拶をする者はいなくなった。それを悲しいとは全然思わない。学校は勉強する所なのだから、それ以外は何も無くていい。
「…………っ、」
 歩いていて、う。と顔を顰めた。クレープか何か知らないが、ワゴン車が出ていてそこからいかにも甘ったるい空気が周囲を汚染している。
 道を変えようかと一瞬考えたが、面倒だと腹を括り、口だけで息をするように一気に通り過ぎる。
 何気なく眼に入った看板には、キャラメルの文字が躍っていた。この甘い匂いの正体は、これだろうか。
 最後にキャラメルを食べたのはいつだろう。不意に、そう思ってしまった。
 その後に続く笑顔を、自分は必死に記憶の中から排除しようとしているのに。




end.

学級裁判その後。みたいな。
絡まれるのを御剣さんが颯爽と助けにこればいい。ナルホドくんの丙(ホイ)になって下さいね!