始まりの続き。



 少し顔を見れただけで凄く嬉しくなるのも。
 逆に、会えない日が続くとどうしようもなく寂しくなるのも。
 好きだからだ。恋をしているからだ。
 それを思った途端、かけていたサングラスを取ったように、ぱっと視界が開けて、今まで空だった部分に何かがストン、と綺麗に填まる。そして、スキップして闊歩したいような高揚感に見舞われた。
(そうか、私は成歩堂の事が好きだったのか)
 それがとても嬉しい。自分の中にそんな風に思う温かい場所があったのも嬉しいし、その相手が成歩堂だというのがさらに嬉しい。
 今まで被告になったり上司に裏切られたりそもそも父の敵の弟子になったりしたり、全くどーしようもない事ばかりであったが、成歩堂の事をちゃんとそういう風に好きになれた事は、自分で褒めてたりたいくらいの快挙だと思う。昂ぶる気持ちのままに、御剣は拳を天に突き上げて「ダシャー!」とか気合いでも入れたくなったが、矢張っぽい行動なので止めた(←賢明)。
 この先ぱっと知り合う誰かより、昔から自分を追いかけてくれた成歩堂を好きになるのが筋ってものだろう。真っ当な選択をした自分に、御剣はうんうん、と称えるつもりで頷いた。
(私は成歩堂の事を想うんだ。
 彼の事が何より大事だと想うんだ。
 ああ、私は成歩堂の事が好きなんだ)
 再三胸中で呟いても、色褪せる事がない。
 特別な人を特別に想う。それの何て素敵な事だろうか。
 次の朝、目が覚めてもやっぱり成歩堂が好きである自分と、その相手が住む世界に自分も居る事に、御剣は顔を綻ばせて実に気持のいい朝を迎えた。こんな朝が続くのかと思うと、いよいよ御剣は幸福感に包まれるのだった。



 例え土砂降りの寸前でも青空のような澄み渡った笑顔の御剣とはかなり対照的に、この場所はまるで台風通過中みたいに荒れ狂っていた。
「何て事をしてくれたんだよオマエは――――!!」
「だ、だからちゃんと謝ったじゃねえかよ!そんなに怒るなよ!
 オマエがいっつも御剣が自分ばっかりだ、って落ち込むから出会いの場を設けようと、合コンに誘っただけじゃねえか!てかあの流れでどうして自覚したのか、こっちが聞きてーよ!」
 後日、絶対怒髪天を突いているであろう成歩堂と対峙するよりほっといて向こうから出迎えられた時の方が恐ろしくなった矢張は、お詫びの品(←トノサマンジュウ)(←売れ残り)を引っさげて「こんちゃーす☆」と事務所を訪れ、相手が矢張だと確認するや否や、成歩堂から怒涛の詰問が始まった。出会い頭、胸倉をがしぃぃっ!と引っ掴まれて。
 矢張にとって不幸だったのは、真宵というストッパーがこの場に存在しない事だっただろう。まあ、居た所で千尋さんが勝手に憑依して今よりさらに酷い事になっていたと思うが。可愛い弟子になんて迷惑を的に。
「合コン?……あっ!オマエ、御剣をエサにして可愛い女の子を一杯呼ぼうとしたんだな!?そうだな!?」
「ぅっ……そ、そんな事……無ぇよ………」
「最初に呻いた上にセリフ噛んで視線が泳いで脂汗滲んでる!!!」
 世の中が矢張みたいな人だけであったら(あるいは成歩堂みたいな人だけであったら)ウソ発見器は未だ発明されていないかもしれない。は、おいといて。
「御剣をダシにしようとしたあげく、しないでいい背中押して……!!」
「まあ、成歩堂。実は俺は昔からな、こう言われてたんだ。”事件の陰にはやっぱり……”」
「知ってるよ!すでに知ってるよ!!うんざりするくらい知ってるよ!!!」
「ぐええええええ、ぐるじぃぃぃぃぃ」
 怒りがボガーンと爆発した成歩堂は力の限り矢張の胸元を締めあげた。あと一息でこの事務所で第二の殺人が起こる、という寸前でその手が解けられる。
「まあ、過ぎた事をいつまでも詰っても仕方ないし………」
 ふぅ、と陰鬱に言う成歩堂。堕ちる寸前まで相手の首を締めあげた後に言うセリフか、と矢張は思った。
「何だ。もう告白とかされたのか?好きだー!とか何とか」
「いや、まだ無い……と、言うか今は好きだと気づけた事が嬉しくて舞い上がってる段階だから、告白するとかしないとかいう考えにまで及んでないと思うんだ」
 さすがというか、御剣の事をよく解っている成歩堂だった。
「ふーん。ならせめてその状態が続くといいよな」
 矢張が耳をほじりながらとても無責任に言った。その態度が腹立ったからという訳でもなく、成歩堂はそれには頷けない。
 それだって結局御剣の興味関心の一切を寄せられているのには違いないし、変に潔癖な所のある御剣だから(それはもう失踪してしまうくらいまでに)ひょっとしたら今まで以上に人との付き合いを断っているかもしれない。
(まあ、そこまでは考えすぎかな……)
 誰かを想う事を幸せだと気づいたのなら、その対象が増えるのはもっと素晴らしいと、御剣が気付けばいいな、と成歩堂は淡い期待を持った。



「最近、御剣検事が少し妙なんス」
 真剣と書いてマジな空気を纏いつつ、糸鋸が成歩堂にそう打ち明けたのは御剣が自覚してから少し経った頃だった。
 その日、成歩堂は警察署に来ていた。案件ではなく真宵が財布を拾ったので届けに来たのである。で、たまたま糸鋸に遭遇した訳だ。
「妙、ってなんですか?」
 真宵が無邪気に尋ねる。
 成歩堂は糸鋸のその発言と様子にいきなり嫌な予感のみしか感じられなくなったので、早い所退散したい気持ちで満載になった。
「変に明るいっと言うか……物思いに耽てるよーな時の顔がやけに穏やかで、その癖飲み会に誘おうとすると「そのようなアレは困る」と今まで以上の切れ味でさっくり切り落とすッス」
「………………………………………………」
「人が丸くなったのか余計に素っ気なくなったのか、全く不明ッス。訳解らんッス……あれ、どうしたッスか?」
 壁に手をついて項垂れる成歩堂へ、糸鋸が声をかけた。
「いや…………ちょっと、眩暈が………………」
 本当はかなりしたんだが。眩暈。
「あのー……聞きますけど、まさかそれで仕事に支障が出てるとは……」
「まさか!あの御剣検事が仕事に手を抜くなんて、それこそ考えられないッス!」
 そうか。ならいいかな、と成歩堂は気を落ち着けようとした。
「でも、この前不倫の果ての殺傷事件の案件の時、不倫の当事者に聞いてるこっちが耳を塞ぎたいくらいの罵倒を浴びせて、裁判長も注意する前に思わず謝ってたッス。その気持ち自分も痛感したッス。きっと同じ立場だったら、土下座してたッス」
「………………………………………………………………………………」
「御剣検事って、意外なくらい恋愛に潔癖なんスねー。自分、新しい新発見ッス!」
 成歩堂は糸鋸へ”新しい新発見は言い方が妙ですよ”とかいう突っ込みを忘れた。突っ込みの鬼が。
「イトノコさんは、今の御剣検事とその前の御剣検事、どっちがいいと思います?」
 真宵が無邪気なようでいてなかなか鋭い事を質問する。成歩堂が何となくハラハラする中、糸鋸はう―――ん、と考え込んでから。
「…………ビミョーっすね」
「………………ビミョーっすか……………」
 思わずそう呟き返してしまっていた成歩堂だった。
「確かに御剣検事、明らかに何かあったっぽいくらいにこの前までとは劇的に様子が違うよねあれは夢でもなければ、錯覚でも、空腹が見せた幻覚でもないよ」
 事務所に帰り、真宵はさっきの糸鋸の発言も踏まえて、そう言った。
「……まあ、確かにそうだけど……」
 真宵の勢いに押されるように、成歩堂は頷く。
「特に、なるほどくんに向けるあの笑顔の純粋な事………
 まさかなるほどくん達……チューとかしちゃったの?」
「し、してないしてないしてないよ、そんなの!!告白だってまだなんだから!!」
「ふーん。って事はなるほどくんは、御剣検事が自分の事を好きだっていうのは確信してるんだ」
「うっ…………」
 なかなか鋭い所をついた真宵に、成歩堂は千尋の影を見た。
「よかったねぇ。ずっと追っかけてた人なんでしょ?」
 真宵は成歩堂の内情を大分端折って言った。ころころと笑うその様はとても軽いが、祝福はしてくれているらしい。
 しかし、成歩堂の顔が沈みっぱなしなのを見て、真宵は目をぱちくりと瞬かせた。
「なるほどくんは御剣検事とそーゆー仲になりたくないの?」
「……いや……なりたくないっていうか……」
 うぅ、と成歩堂は呻くように呟き、そして言う。
「なんか……僕でいいのかなって……」
「ほえ?」
 呆気に取られたような真宵を前に、成歩堂は今まで言うのを堪えていた事を、一気に堰を切ったかのようにぶちまけた。
「だってさ、僕が依頼人の事を信じられるのだって、千尋さんの教えもあったけど根底は子供の頃御剣が庇ってくれた事なんだよ?
 だから、本当は僕より御剣の方がそういう事に強い筈なのに、辛い過去のせいでそれを捻じ曲げちゃって、でも今では検事としての仕事に誇りを持ってる、っていうから、そういう信じる力とかが色んな人に向けられて、僕みたいに助けられる人が増えるんだな、って嬉しいなって思っていたのに、御剣は全部そういうの、僕にだけしか向けてこないんだよ!真宵ちゃん、昨日のみたいな御剣の笑顔、僕が居ない時に見た事ある!?」
「あ……ありません……」
 思わず敬語で言っちゃった真宵ちゃんだ。
「だろ!?僕だけになんだよ!自惚れかも、って思ったけど、自惚れであった方が何倍も良かった事だろうか!!
 そりゃあさ、何年も追っかけて御剣の潔白信じていたのは僕だけだったかもしれないけどさ、それでも、それだって………!!」
 ぜーはーぜーはー(←息が切れた音)
「……きっと、御剣検事の中の基準だと……違う人をちょっとでも好きだって思った時点で浮気なんだろうねぇ……」
 真宵が的を得た事を言うと、成歩堂の肩ががくり、と落ちた。正解、とでも言うように。
「それでさ」
「ん?」
「いろいろ言ってたけど、なるほどくん側としてはどーなの?」
「僕としては……って?」
「御剣検事を如何様な認識にてどう思ってるの、って事だよ。恋人として見れないから、そんなに困ってるの?」
「……………………」
「あっ、ごめん。そうじゃないから困ってるんだね?」
 頬染めて俯いてしまった成歩堂に、真宵はさらりと自分の非礼を詫びた。こういう成歩堂はたとえ7つ下の真宵から見てもとても可愛いと思う。
「……実はあまり僕も解ってないかもしれないけど……僕としては、ふとした時に連絡取り合って、一緒にどこかに出かけたり話したり、っていう関係がずっと続けばいいなって思う……思ってるし、御剣がそれを恋人としてがいいっていうなら、努力っていうか合せるっていうか……御剣がそれがいいならいいかなぁ、と………あ、でも別に妥協とかじゃなくてね?僕は御剣と居られれば、本当に何だっていいんだから」
 あー、はいはいそれはズヴァリ愛ですよ、と真宵は流すように頷いた。
「でも……僕だけっていうのは、困る。凄く困る」
 何で?と真宵が訊く前に、成歩堂は言った。
「だっけ、僕は御剣に僕以上に幸せになって欲しいのに、僕しか見てないっていうならそんなの無理じゃないか!
 そ、そりゃ、まあ、御剣は僕と居ると幸せかもしれないよ?(←と、顔を真っ赤にしつつ)僕だって御剣と居ると幸せだけど、でも他にも真宵ちゃんと過ごすのだって春美ちゃんと居るのだって、幸せなんだ。それを無くしたいとも思えない。
 でも、御剣はそうじゃない。好きな人が居るなら、他の誰かと過ごす事から切り捨てちゃうんだ」
 確かにイトノコさんもそう言ってたなぁ、と真宵はさっきを思い出す。
「僕、御剣には本当に幸せになって欲しい。今まで辛い道を歩いて来たんだから、沢山の人に祝福されるような人生を過ごして欲しいんだ。
 御剣、見かけはいいし、性格も誠実と言えば誠実だし、あの口調だって慣れてしまえば可愛ものだし、冷徹な仕事人間かと思えばすっごい不器用だったりトノサマンみたいな特撮が好きだっていう抜けた所もあるから、素を見せれば周りから好かれるタイプだと思うんだけど……
 あれっ、真宵ちゃん!口とお腹押さえてどうしたの!?」
「……うぅぅぅ……惚気ってチャーシューメンより腹に溜まるね………」
「惚気!?誰がいつ、惚気たっていうんだよ!」
「………それすらも惚気…………」
 真宵は呻って言った。
「うん、まあ、なるほどくんの心配してる所は解ったよ」
 あとついでにどんだけ御剣検事が好きかという所も。
「でもさ、なるほどくん。自分の子供の頃を考えてみようよ。
 ご両親からの愛情をたっぷり貰ってから、家族以外の誰かとも仲良くなれたでしょ?御剣検事も、なるほどくんからたっぷり愛情貰えば、ちょっとくらい周囲を見るようになれるかもしれないよ」
 何気に真宵は御剣を子供扱いにしてるが、それについて成歩堂から異議や異存は出てこなかった。
 その代り。
「……その、周りを見れるようになるは、いつ頃?」
「……………………………」
 真宵はそれにシリアスな顔になり、
「なるほどくん、未来は誰にも解らないんだよ」
「……………………………」
 深い沈黙に包まれる事務所に、その原因である人物は今まさにドアを開けようとしていた。
 好きな人と会える期待に、早速顔を嬉しそうな笑顔に彩らせながら。




<おわり>

御剣となるほどくんの内情……みたいな話かな。
結局どっちもどっちみたいな気がしないでもないですね。あっはっは。

御剣は成歩堂に全部捧げたくて、成歩堂は御剣に自分以上に幸せになって欲しい。
この認識のせいで綺麗に上滑りしてすれ違う訳です。