代理抱擁



「……御剣……自分でも凄く残酷な質問だと思うけど………
 ”それ”は、何だ」
 かつての自分が関係者に証拠品をつきつける如くな感じで自分へ差し出されたそれに、成歩堂は何か明確な説明が欲しかった。もらった所で事態が好転するとか、ましてや一切消滅してくるとか、そんな儚い希望は儚すぎて祈る傍からシャボン玉みたいに消え失せているのは判っている。
 しかし、聞かずにはいられない。
 これは弁護士としての名残なのか、はたまた成歩堂龍一という個人の性質なのかは、本人には判らない。少なくとも、今は。
 そんな成歩堂の胸中を実感出来る程に受け取った御剣は、重い口を開いて言葉を紡ぐ。出来れば、”これ”に関しての事は一字一句自分から吐き出したくは無いのだが――何故ならそうするとまるで自分の一部になるような気がして――しかし繰り返すが、自分には彼の気持ちが痛いくらい判る。そう、彼は少し前の自分と同じだからだ。
 なので、御剣は言う。曇りない真っ直ぐな目で、濁らず明らかな口調を持ってして。
「パペッター・タイホくんだ。無論、パペッター・タイホちゃんもある」
「……………………………………」
 深い――海より深い沈黙に事務所内が満たされる。遥か向こうのさお竹屋の声が、聴こえるまでに。
「……もう一つ……いいかな」
「構わん。……許そう」
 重い空気に押しつぶされそうになるのに抗いながら、二人は話を続ける。
「……まさか、そのバックには……」
「ああ。パペッター・タイホくんとタイホちゃんが、みっしりかつぎっしり詰まっているとも」
 その作業の記憶を思い出してしまったのか、御剣は遠い目をした。
「…………………」
「それで、だ。
 これがみぬきくんの分。そして真宵君と春美君……ついでにあやめさんにも貰ってもらおう」
 成歩堂が意識を飛ばしている間に、御剣は勝手にテーブルの上にパペッター・タイホくんとタイホちゃんを並べていく。いや、積み重ねていく。男女ペアなので、計8体。
「……さらについでに、将来増えるかもしれない所員の分も」
 2体増えた。
「……………」
 可哀想に。将来ここに属するかもしれない彼もしくは彼女。
 この時、某学生がクショミをしたとか。
「……ふ。成歩堂……私と君はまだいい方だ」
 言いながら、自虐めいた笑みを浮かべる御剣。
「……かつてこの怪物が法廷で大暴れしたあの事件の関係者――つまり宝月捜査官だが――にはダンボール3箱が届いたそうだぞ」
「………………」
 ダンボール3箱では正確な数が判らない。なので、1箱にどれだけ入っているかを聞く必要があるが、成歩堂にそんな勇気や度胸は無かった。
「……今頃かつての彼女の同僚の元に、このパペッター・タイホくんタイホちゃんが振舞われている事だろう」
「…………………」
 何だかまた新たな蟠りが出来そうだな、と成歩堂は彼女を心配した。
 ……いや、二人だって判っているのだ。この警察のマスコットには何の罪も無い事には。
 しかし裁判の行く末を見失うくらい翻弄されまくった事は確かなので、叶うなら法廷で召喚したく無い存在ナンバー2の地位に居座っている。ナンバー1は勿論矢張だ。
「……ええと………」
 と、ようやく成歩堂に声を発する機能が正常に戻った。
「……ありがとう、って言った方がいいのかな……?」
「成歩堂。下手な気遣いは無用だ。相手も自分も傷付ける……」
「………うん………」
 疲れきった御剣の言葉に、成歩堂はかける言葉が見つからなかった。
 そう言えば、巴に送られた総数は言ってくれたが、自分の配分にはまだ何も触れていない。
(……あえて聞く事じゃないよな……)
 時には、飲み干してはいけない闇もある。成歩堂はそう思う。まぁ、相手の顔を見れば大体は推測出来そうだが。
 きっと、海の向こうの妹弟子だか姉弟子だかにも送ったのだろう。タイホくん(と、タイホちゃん)海外デビューである。きっとムチの標的になるだけだろうけども。
「……でもまぁ、しっかりした造りしてるじゃないか」
 ビニール袋から取り出して、しげしげと実物を眺める。
 パペットなので、中は空洞だ。勿論、手を入れて操るための。実際に手を入れてうごうごと動かしてみれば、案外タイホくんはその動きを滑らかにこなしていた。
 自分が知っているタイホくん関連グッズと言ったら、糸鋸刑事の技術の全てを持て余して制作したダンシング・タイホくんしかない。あれに比べれば全てが精密に見える。
「成歩堂」
 と、硬質な声がした。
「……滅多な事を言うんじゃない……また増殖したらどうする………」
「………………。ごめん」
 増量とか増産でもなく増量と来た。御剣の中でこれはアメーバと同一なのだろうか。
 しかし、鬼気迫る表情で何も言い返せない。
「……今ですら『ご家庭用・ダンシングタイホくん<ターボ>』が計画されているというのに……!」
「……………」
 糸鋸刑事、良かったね。ご家庭に進出するよ。
 現実から逃避した成歩堂は、そんな事を考えた。
「ちなみに。これはソーラーパネル設置なので、本体に壊滅的な損傷が与えられない限り、ほぼ永久的に動き続けるぞ」
「……………」
 糸鋸刑事、良かったね。ほぼ永久的だってさ。
「まぁ……何て言うか。あの課長、良かったねと言うか」
「そうだな。草葉の陰でうれし泣きをしている事だろう」
「……勝手に殺すなよ……」
「最後に一発当てたな」
「……勝手に最後にするなよ……」
 どうしてもあの課長を亡き者扱いしたい御剣のようだった。
 苦々しく呟いた御剣は、それを癒そうと紅茶の入ったカップに手をつけた。ティーバックだが、淹れ方をきちんとしてあるので、それなりに美味しい。
「……最も、ここまでのブレイクの原因と言えば、あれだろうな……」
「? あれって?」
 ただ気になって聞いてみただけだが、御剣ははっとしたような顔になった。
 次にまた難しい顔になったが、落ち着かせるように息を吐いた後、切り出す。
「……彼だ。牙琉響也」
「?」
 彼とタイホくんの関連が掴めなくて、成歩堂はきょとんと首を傾げる。
 まぁ、御剣が一旦言葉を切ったのは判ったのだが。
(僕より気にしててどうするんだよ)
 苦笑してやりたいが、堪える。
「彼がロックグループを持っているのを知っているだろう?」
「……ああ、何かCDがミリオンしたとか言ってたっけな」
「それのマスコットにタイホくんが起用された」
「は?」
 記憶の中の小生意気な響也のイメージが一瞬ガタッと崩れた。
「おかげでヤングな若者に大人気だ。……成歩堂。このヒットの理由が判らない私は、もう年なのだろうか……」
 難しい顔をますます難しくして御剣が言う。
「いや……僕も判らないよ……」
 ついで言うとあのトノサマンの人気っぷりも未だ判らないのだが。それを言うと小一時間かかってその魅力について語らせそうなので口にはしない。
「うん……まぁ、みぬきには渡しておくから。……何かのマジックの練習に役立つ……かもしれないし……」
「ふっ、そうだな。私としても彼女が早く一人前になって、あの在庫をパンツの中に消してくれるのを祈るばかりだ」
「……………」
 そこまで切羽詰まっているのか。
 談笑めいて言う御剣だが、目は果てしなく真剣だ。
「あっ」
 と、唐突に成歩堂が声を上げた。
「どうかしたか?」
「空!雨が降りそう!」
 切羽詰った声で言い放ち、軒先へと向かった。言われて窓の外を見れば、確かに今にも雨が降りそうな、黒くて重厚な雲が空を覆っている。入れるのを手伝おうかと立ち上がろうとしたら、すでに取り込み終えていた。
「ついでに畳んじゃうね」
 だいたい乾いてた、と御剣に向けて言うように呟き、ハンガーから外していく。
「………………」
 その光景を、御剣は見る。いや、眺める。
 何処かに出かけるのも勿論いいが、御剣としてはこうした些細な日常に紛れる事の方が好きだった。彼の生活に自分が入り込んでいるような気持ちになれて。離れている事の方が多いから、よりそう思う。
 そしてそんな彼を見ると、どうしても愛しさが募る。
 なので。
(抱き締めたい……)
 とか、思う。切実に。
 温もりが欲しくなる。どうしても。
 しかしここで非常にかなり難解で困難で無視できない問題として、向こうがあまり接触が得意ではないというか、彼にとっては「良い事」では無い事だ。使い方を誤ると、恐怖すら与えかねないくらい。まぁ、腕の中で尊敬する師匠の死を体感したトラウマとしては、まだ軽症……と言っていいのかどうか。
(……抱き締めたい……)
 相手の事情は嫌になるほど知っているのに、一度思ってしまうと塞き止める事が難しい。普段は、極力思う事すら控えているのだが、やっぱりこうして完全なプライベートだと、抑える蓋が甘くなる。
「……………」
 何とか手を打たないと、また暴走して面倒な事になりそうだ。何とかせねば。しかし何とかとは何だ!
 自分に異議を飛ばす御剣だった。
 求め縋るように周囲を見渡すと、嫌でもテーブルの上のパペッター・タイホくんが目に入る。さっき成歩堂が手を突っ込んでいたヤツだ。うろんな眼差しに、何かを求めるが如く上に広げられた両手。何となく自分を髣髴した。
「…………」
 半ば気を紛らわすように、それに手を入れてみる。成歩堂がしっかりした造り、と言っただけあり、手の先まで指が入りおかげで動きがいい。
「……………」
 かしょんかしょん、と指を操り、手に寄生したタイホくんは自分の体を抱き締める動きを繰り返す。
「……………………」
 成歩堂を見る。やや離れた所で、洗濯物を畳んでいる。
「………………………」
 そっと近寄り……いや、忍び寄り。
 ぺふっ。
 タイホくんの両腕にて、彼の頭を捕まえる。弁護士だった時のような、ばっちり決めた後頭部だったらタイホくんが危うかったかもしれない。
「? 何?」
 さすがに気づかない訳も無いので、成歩堂が手を止めて後ろを振り向く。
「……………。いや、特には…………」
 手は頭から離しても、パペットははめたままの御剣が口篭る。こんな御剣は見慣れたものだから、成歩堂は笑ってやり過した。何をしたいか、したかったか、なんて見れば判る。
「御剣がそれはめてるのって、何か可笑しいね」
 御剣の一部と化したようなタイホくんを指し、成歩堂がくすくすと告げる。
 それに御剣は顔をかぁっと赤く染め、ずぼっとタイホくんを手から抜いた。
 やはりこれも、矢張同様、自分に強烈な記憶を齎すものらしい。出来れば関わりたくないのだが、来月にはタイホくんTシャツが御剣の元に届けられた。




<おわり>

家事途中のお母さんに甘える息子かー!!
てか話の半分くらいをタイホくんに占められた……
これがタイホくんの魅力なのか………!?
あの動きもあのメロディーもあの映像(防犯カメラ)も。気を抜くと延々に眺めていそうで怖いです。一種の電子ドラック。