ジュースとベーゼ
ソファでゴロゴロしていた成歩堂は、やおらソファ本体とマット部分の間に手をズボッと入れ、その手にボトルを収めて再びズボッと出した。
「…………。何、でっかい飛行船にいる怪盗みたいな真似してるんですか」
「いいアイデアだろ。座ったまま、移動しなくてもいいんだ」
呆れたような法介に、ちっとも悪びれず、成歩堂は栓を抜く。
「いいんですか、飲んでも。みぬきちゃんに止められてるんでしょ?」
「みぬきは今此処に居ないしね」
「でもオレが居ますよ」
「…………。君に僕が止められると思うの?」
と、笑みを少し濃くして、上目遣いで法介を見やった。その視線の先でぐぐっと言葉に詰まる法介。
まだまだ甘いなーと成歩堂はからかうように笑い、瓶に口をつけようとした。
その時。
「みぬきちゃ―――んッ!成歩堂さんが、ジュース飲もうとしているよ―――――ッッ!!」
なんて法介が叫んだ。ここが事務所じゃなくて山だったら、山彦が出来そうだ。
「何を叫んでるんだ、オドロキくん」
さすがの成歩堂もちょっと驚いて、一旦瓶から口を離す。
「みぬきちゃんに言われたんです!何時如何なる時でも成歩堂さんがジュース飲んでるのを見つけたら自分を呼んでくれって!」
「だからって、今ここで呼ぶか」
「だって、例え自分が居なくても呼ばなかったら、オドロキさん本人をこの世から消しちゃいますからね、ってニコニコして言うから!!」
法介は泣きながら訴えたので、事実なのだろう。さすが僕の娘だ、と成歩堂はうっかり感心してしまった。
「ま。後から怒られても、飲んじまえばこっちのものだからね」
そんな朗らかに不良中学生みたいな事を言わないでもらいたい、と法介は思った。
再び瓶に口を付ける。
そしてその時。
「パパ!飲んじゃダメって、言ったじゃない!!!!」
と、部屋の傍らにあった大きい箱からバーンとみぬきが飛び出した。ちなみに飛び出した時に吹っ飛ばした蓋が法介に直撃したが、みぬきと成歩堂の知ったこっちゃない。
「みぬき。どうしてそんな所に?」
そういう至極最もで衝撃的な質問は、そんなシラスに大根おろしをかけたようなあっさりした口調じゃなくてもっと激しく慟哭しながら突っ込んで欲しい、と蓋の直撃を受けて床に伏している法介は思った。
「箱に入りながら脱出マジックを考えてる最中だったんだけど、狭くて暗い所でじっとしてたせいか、眠くなっちゃったの」
テヘッと可愛らしく舌を出して照れるみぬき。
「うんうん。みぬきは魔術師だから、魔術機具の中が落ち着くんだろうねえ」
「うん!小さい頃のベットは人体切断に使う箱だったからね!」
そんな所でよくすやすや眠れたもんだなあ、とようやくダメージから復活した法介は思った。
大好きなパパに頭撫で撫でしてもらって、嬉しそうな笑顔で答えるみぬきだったが、本題を思い出してはっ、となった。そしてきっ、と見据えた。
「もう、パパ!どうして飲んじゃダメって言ってるのに、飲むの!?」
「うーん、そこにジュースがあるから……かな」
「何ですかそんな登山家的いい訳」
「じゃ、仕方ないかな」
「納得しちゃうんだ。今ので」
法介の突っ込みは全面的に無視して親子は会話を進める。
「あのねえ、パパ。何もみぬきね、絶対に命と引き換えにまで飲んじゃダメって言ってる訳じゃないの」
そりゃそうだろう。と無視され続けたので、法介は心の中でだけ突っ込んだ。
「いつも言ってるじゃない。みぬきに口チューしてくれたら飲んでもいいよ、って!」
ゴッ。
よろけた法介のおデコは壁に激突し、頭蓋骨にまで響いた。
「それは出来ません」
と、ふざけてるみたいに敬語で言ったが、いつもみたいに茶化している訳ではないようだ。
「もーッ!パパ、強情だなあ」
「みぬきのパパだからね」
それを言うなら逆。おまけにアンタら血繋がってないし。割れるような痛みに襲われながらも、法介の頭は突っ込みをはじき出していた。
「じゃ、ダメ!もう絶対飲ませてあげない!」
と、言って、みぬきはぷいっとそっぽを向いてしまった。それを、成歩堂はじっと見ている。……というか、途方に暮れてるのかもしれない。
(おお。成歩堂さんが困ってるの、初めて見た……)
と、法介はちょっと感激してしまった。頭が死ぬほど痛いのも今は忘れた。
「………みぬき」
考えるように顎に指を添えていた成歩堂が、ぽつりと言う。
「口にキスすれば飲ませてくれるんだね?」
「えっ……ちょっと、成歩堂さん!?」
みぬきの欲求に意欲的な姿勢を見せた成歩堂に、法介は慌てたがみぬきは歓喜した。大きな双眸に星が輝いて見える程に。
「うん!口にね!ほっぺじゃないよ。口にチューってするんだよ!情熱的にね!!」
みぬきちゃんにはメキシコの血でも流れてんのか、と法介は思った。
ぴょいぴょいと飛び跳ねながら言うみぬきの言葉に、成歩堂はニコニコしながらうん、うん、と頷いていた。
「もう一度確認するけど……口にキス、すればいいんだよね?」
「うん!!!」
みぬきは元気と力を一杯にして頷いた。
法介は強く思った。
(止めなければ!)
拳を固めて。
そして深く考えた。
(どうやって!!!)
頭を抱えて。
この親子の意思が合致した事を未だ嘗て自分が覆した事があるかと言えば、答えはNOでありゼロである。そう、思い返せば初めて事務所に来た時から。。
「じゃ、目瞑って」
「ええー。パパがみぬきにチューする所っていうか顔、見たいなあー」
「ダーメ。口にキスする時には目を閉じるのが僕のルールなの」
「仕方ないなあ。案外照れ屋のパパに免じて、その辺は譲歩してあげるね」
「うん。ありがとう」
法介が過去を回想してその内容に哀愁を漂わせてる間に、みぬきと成歩堂の間では着実に話が進んでいる。
何この親子の会話!と法介は戦慄した。
「な、な、な、成歩堂さん、ダメでしょ!それはダメでしょう親子でそれは―――!!」
とりあえず必死に待ったをかけてみた。
「………オドロキくん」
「は、はい?」
と、成歩堂が思いの他深刻そうな雰囲気で法介に言う。
「この際だから白状するけど……僕たち、親子とは言え、血は繋がってないんだ」
「そんな事はもうすでに知っとるわ―――!!!!」
「嫌だなあ、どうして本当の事言って怒られなきゃならないんだろう」
「今のは本当の事っていうか今更の事ですよ!!」
「て事だからいいよね」
「よかないです!!ていうか血の繋がってない方こそヤバイです!!」
「そろそろ黙らないと、みぬきがあっちで人体切断魔術の準備始めてるよ。しかもタネ仕掛け無しで」
「……………………………………………………」
法介は海の底の貝のように押し黙った。
法介が異議を唱えるのを止めたので、みぬきも人体切断魔術の準備を止めて成歩堂の前に赴く。
「じゃあ、パパ。どーぞ」
「うん」
みぬきは顔をちょっと上げ、目を伏せて口をんー、とした。
その光景を、うわあああああ、と頭を抱えて眺める法介。
(ぎゃー、何かとんでもない事がとんでもなくありつつあるとんでもない状況……!)
そんな意味不明な事を考えたり眺めてたりしないで部屋から出るべきだと思うのだがどうなんだ、法介。
成歩堂は身を屈め。ぎゃっとなった法介に気にする事無く、近くに置かれていたタイホくん人形を取り上げた。ガリューウエーブのDVDの、どれかのおまけになっていたヤツだ。
何でそんな物を此処で?とひたすら戸惑う法介には、成歩堂はにこりと笑ってみた。その笑顔に、う、と顔の熱の上がる法介だ。
そして、成歩堂はそのタイホくん人形に。
チュッと室内に響くような音を立てて、キスをした。口に。
「えっ?」
自分に感触が無いのに音があった事を訝しんで、みぬきがぱちっと目を開ける。その目の前で、彼女のパパはニコニコしてタイホくん人形を抱えていた。
「言った通り。口にキスしたよ、こいつにね」
にっこり、と言い終わった後に、更に笑みを深くして。
みぬきはぱちくり、と大きく瞬きをした。そして理解出来たのか、眉を吊り上げる。
「ずっるーい!そんなのナシだよ!みぬきにするに、決まってるじゃない!」
「僕だって、確認したよね?主語抜きで。でも、みぬきは何も言わなかったじゃないか。
ねえ、オドロキくん?」
「へっ?……あ、はい、聞きました……聞いた」
笑いかけられた時の動悸が治まらないまま、ドギマギしながら答える。
「ほら。証言も取れたよ」
「……う、………うーっ!ずるーいッ!ずるいっ!ずーるーいー!!!」
みぬきは心底悔しがっているようで、いつぞやの法廷の時に見せたような論理的思考が働かないみたいだ。ひたすら、ずるいを連呼している。
「パパッ!ずるいッ!」
「……ずるいパパは、キライ?」
ん?と小首を傾げてみぬきに聞く成歩堂。そのセリフに、みぬきは一層ぷんすかした。
「好きに決まってるじゃない!そーやって聞くから、ずるいんだよッ!」
「あっはっは。それはご尤もだ」
成歩堂は愉快そうに笑った。確かにその笑顔はずるい、と法介も思う。
(……何でも許せそうっていうか、何でもしそうっていうか……)
そして法介は、そんな風にいいように扱われながらもどうしようも出来ない自分を自覚して、ふっ、と自嘲気味にこっそり笑ってみせた。
「ううーん。今日の所はみぬきがうっかりしてたから、飲んでいいよ。ジュース」
仕方ないな、といった具合に言う。
「ありがとうね。……っと、もうこんな時間か」
「パパ、ご出勤?」
「うん」
「じゃ、キスする?」
「今日はソバ屋だから、いいよ」
またあの過激な”いってらっしゃいのキス”が繰り広げられるのだろうか、と思っていた法介は少しほっとした。アレはどうやら、ポーカーをする物好きな客相手にする時だけのようだ。
ちゃんとドア付近で送り出す挨拶をしたのに、パパ、いってらっしゃーい、と窓から身を乗り出して道行く成歩堂をみぬきは見送った。ここだけみれば、ただの仲のいい和やかな親子なんだけど。本当に、ここだけなら。
それを横目で見ながら何気なく、法介はテーブルの上のタイホくん人形を持った。警察のマスコットでありかつてのガリュー・ウエーブのイメージキャラだったとか何とか。でもって、世間的に大人気なんだとか。
(…………。こんなのが、なあ……)
言ってはあれだが、閑職に追いやられた無能な上司が無意味な意地と義務で無理矢理世に送り出されたような、そんなイメージがある。それなのに大人気なんだそうだ。………世の中って思った以上に置くが深い。
(……って言うか、これって)
成歩堂さんが紛れも無く口付けたって事で。
今これにすれば。
…………………………
間 接 キ ス 成 立 ?
(いやいや!それはいくらなんでもアレ過ぎるだろう!それは超えてはならん一線だ!オレはそこまで堕ちちゃいない!!多分!!
堪えろ!堪えるんだ王泥喜法介ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!)
と、自分を必死で制している割にはタイホくんを手放さない正直な法介だ。
「オドロキさん」
「ほげえッ!」
自分と闘ってる時に呼ばれたので思いっきりおかしな返事をした。
みぬきはハキハキして言う。
「それ、こっちにください!今ならパパと間接キスが出来ます!!」
知っている者が聞けばこの二人に同じ血が流れている事がはっきり立証出来る発言だった。
「ダ、ダメー!そんなの、しちゃダメー!!」
と、法介はタイホくん人形をみぬきの届かない位置まで掲げあげた。
「どうしてですかッ!」
「だ、だって成歩堂さん、キスしちゃダメって、言ってただろッ!」
とか成歩堂を引き合いに出すが、勿論本心は、オレが出来ないのにみぬきちゃんにさせてなるものか羨ましい――ッ!である。実に大人気ない法介だ。
「パパにしちゃダメって言われてるんです!タイホくんはみぬきのパパじゃありません――ッ!」
「そりゃ確かにそうだけどね――ッ!!」
広くない室内をドタバタと駆け巡る。
「それに、オドロキさんするつもりでしょうパパと間接キス!!」
「べ。別に、そ、そんな事はッッ!!」
「オドロキさん顔が赤いです!オマケに目が泳いで息を飲み、首を手で摩り発汗の現象まで見受けられます――ッ!」
「今まで自分の見抜いたしぐさのオンパレードか、オレ―――ッ!!!」
そんな具合に収拾がつかない事態となったが、それはたまたま忘れ物を取りに戻った成歩堂が事情を察し、にこやかに笑ってタイホくん人形を持って出かけたので、とりあえずの集結は迎えた。
二人は非常に激しく残念がったという。
「……でも!みぬきは諦めないもん!!」
「………。みぬきちゃんのそういうトコ、オレ、案外好きだよ」
でも成歩堂さんの唇狙うのは止めて欲しいな、とメラメラ燃えるみぬきの横で思う法介だった。
<おわり>
成歩堂さんはホースケに証言を取る時、前もって自分の方へと誑し込んだ訳であの笑顔です。
多分そのへんの手腕は千尋さんにでも教わったんだと思います。
またしても題名付けに苦悩しました。うおおお。