想い出の人。




 自分が娘となった後日から、成歩堂は色んな人を紹介してくれた。昔からの友人とか、弁護士だった時の助手達とか。やや間を置いて海外からも来た。電車に乗って二時間かかる所や、夏はいいけど冬は寒さが厳しそうなうらぶれた山にも行った。
 その時は色んな場所の色んな人に会える事に(しかも大好きなパパの知り合いで)ただはしゃいで居たが、あの巡礼とも言っていい練り歩きには、真相を追う成歩堂に万が一があった時、頼れる人を暗に自分に教えていたのではないだろうか、と後になってみぬきは気づく。
 そして、その最後に会ったのは神乃木という人だった。刑務所に居た。彼が其処に入る事になった経緯はとても複雑で、成歩堂は何度も根気よく教えてくれた。何度も何度も、彼自身噛み締めるように。
 思い返せば、その時からだったかもしれないな、とみぬきは思うのだ。


 意外と此処には突発的な来訪者が多い。それは、何故かそういう人が自分の周囲には多いからだ、と成歩堂は苦笑して言う。迷惑だけど嬉しい、という複雑な感情なんだろう。
 今日もアポ無しでいきなり訪れたのは、鬣のような白い髪の男性、神乃木だった。来た理由は近くに寄ったから、だそうだ。みぬきが彼に会うのはこれが2回目だ。塀の外であるなら、今回が初めて。
 これはいいチャンスが来たものだ、とみぬきは正直に浮かれた。浮かれたのでぴょんぴょん跳ねた。
「ね、カミノギさん!みぬきの魔術見る?」
 マスクの中を覗き込むように、みぬきが言う。
「クッ……カワイコちゃんの誘いには断らねぇ。それが俺のルールだぜ」
 パパに聞かなかったかい?と尋ね返す神乃木。
「あのね」
 と、みぬきはまだ小さい体躯を最大限に使って、小型のギロチンをテーブルの上に乗せた。大根が入りそうな穴が開いている。
「ここに腕入れて。ほら、早く!」
「女はもっと余裕も持たないといけねぇな、嬢ちゃん」
 察するにつまり。ギロチンに手を突っ込んで、切れたかと思えば切れてませんよ、というマジックなのだろう。これなら、デパートのオモチャ売り場にもある。みぬきの腕は成歩堂から聞かされているので、神乃木は何の躊躇いも無く腕を突っ込んだ。
「それじゃ、行きまーす!」
 ダララララ、と太鼓の音を自分で口ずさむみぬき。
 その時、成歩堂が帰宅した。買い物帰りなのか、荷物を抱えている。
「あれ、神乃木さん来て………
 ………………
 わぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!?神乃木さん、腕、腕抜いて早く―――――ッ!!!!」
 成歩堂は血相を変えて慌てふためき、神乃木に駆け寄る。異常なまでの剣幕に、神乃木は度肝を抜かれしまった。なので動かず(動けず?)に凝固した。
 静止した神乃木に反して、成歩堂の行動は素早い。神乃木の脇に腕を入れて、そのまま後ろに引っこ抜いた。腕の引き抜かれるぎりぎりでギロチンの刃が落ちる。その爪先を、刃が削っていった。
「……………」
 その手をじっと見る神乃木。
「…………………」
 もう一度見詰める神乃木。
「…………………………」
 さらに見詰めて、5本指のある喜びを噛み締める神乃木。
「………。ちぇっ」
 みぬきが残念そうに舌打ちした。
「みぬき!これは狩魔検事のドイツ土産で、一見マジック用具っぽいけど本当に普通に切れるヤツだから、使う時はパパと一緒の時にね、って約束したじゃないか!」
 口を戦慄かせて顔を青ざめ、成歩堂が説明臭くみぬきに叫ぶ。
 ああ、やっぱりそうなのか、と神乃木は指をわきわきさせる。うん、ちゃんとついている。
「……………」
 成歩堂に大声で叱られて、みぬきはむむぅ、と口を真一文字に噤んだ。
「みぬき!」
 そんな様子のみぬきに、再び成歩堂の叱責が飛ぶ。
「悪い事をしたら謝りなさいって、いつも御剣にも言ってる事だろ!」
 言ってんのかよ同い年の親友に。
 神乃木は胸中で突っ込む(←とても口が挟めそうではないから)。
「みぬき!神乃木さんにごめんなさいは!?」
「…………。あっ、お仕事に行かなきゃー」
 白々しくみぬきが言う。
「コラ、みぬき!」
 成歩堂は捕まえようとしたが、みぬきはちょこまかと動き回ってその手から逃れきり、外へと出てしまった。
「……全く!」
 暫く追いかけるべきか、一人にして頭を冷やしてやるべきかを葛藤し、後者を取ったようだ。その場で額を押さえ、深い溜息を漏らす。
「本当に、なんでこんな事を……念のため訊きますけど、神乃木さん何かした訳じゃないですよね?」
「この俺に、コーヒーを美味く抽出する事以外に出来る事があれば、教えてもらいたいくらいだぜ」
 神乃木はいつも通りにシニカルに答えた。
「……………」
 成歩堂はやや考え込み。
「……まさかこの言い方が鼻についてイラッとしたとか……いやいやいや、それだと初対面の時でそう思った筈だ……じゃあ、違うよな……」
「……まるほどう。本音は胸に押し留めておくものだぜ……」
 背後に木枯らしを吹かせながら神乃木が言った。
 改めて神乃木に向き直り、成歩堂は申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめんなさい。普段はあんな率先して人体切断する子じゃないんです」
「だろうぜ」
 でなければ大変な事だ。
「ついでに言えば、何の理由もなくあんな事する子でもないのに……」
「…………」
 神乃木としては例え理由があったとしてもあんな事はされたくないのだが。かなり。
「どうしちゃったんだろう、みぬき……」
 言いながら、成歩堂は窓の外へ目を移した。みぬきの行き先を思っているのだろう。
「まるほどう……コーヒーの味なんざ飲まない限り永遠に闇の中だぜ。早くあのお嬢ちゃんを追ってやりな」
「でも……神乃木さん……」
「いやもうホント今すぐマジで追いかけてちゃんと目の届く範囲に置け。頼むから!」
 マスク越しながら神乃木の目が本気なのを、成歩堂は察した。
「うーん、でも僕としては、みぬきより今の神乃木さんほっとく方がなんだか不安なんですが」
「オイオイ、このハードボイルドを前にして何を心配するってんだい?」
「神乃木さんさっきから小刻みに震えてますよ?」
「……クッ……武者震い、だぜ……!!」
 何て言ってる時にも震えている。
「………。ここで意地張っても神乃木さんにメリットは無いと思いますよ……」
「…………………」
 成歩堂のセリフに神乃木はちょっと考えて。
「……………。今までの人生で2番目に怖かったぜ…………!!!」
 自分の肩抱えてぶるぶるする神乃木に、まぁ、そこまで怖がっても別にいいけど、と成歩堂は一応納得してあげた。
「………。ちなみに、1番は何ですか?」
 恐怖の突っ込み男としては、突っ込み所を逃す事が出来なかった。
「竹刀持った千尋に追い掛け回された事だな」
「………………」
 一体何したんだとか、ちなみに毒盛られた時じゃないのかとか。
 色々突っ込む所がありすぎたので、今度は突っ込む事が面倒くさくなった成歩堂だった。


 探しに出てみれば、みぬきは近所の公園でブランコをこいでいた。
 いかにも、ここに居ます見つけてくださいな格好で、見つけた瞬間思わずぷっと軽く吹いてしまったくらいだ。
 しょんぼりした後姿を見る限り、反省はしているようだ。もう怒る事はしない。
「………みぬき」
「…………」
 みぬきはつま先を地面につけて、ゆらゆら前後していた。
「みぬき……神乃木さんと二人きりで、気まずかった?緊張したのかな?」
 気まずさや緊張で腕をちょん切らないで貰いたい、と本人が聞いたら猛異議を繰り出すだろう。
 みぬきは、成歩堂の言葉にゆっくり首を振った。
「……神乃木さんが、嫌い……?」
「…………」
 その言葉にも、みぬきは首を振った。
「じゃあ、何かな。出来れば教えて欲しいんだけどな……」
「…………」
 身を屈めて、目線を同じにしてゆっくり語りかける。みぬきはゆらゆらしていた動きを止めた。
「……あのね、」
 と、眉を垂らして、困惑した表情のみぬきが言う。
「うん」
「神乃木さんは嫌いじゃないの」
 でもね、と続ける。
「……神乃木さんと会ってるパパは、何だか遠いから哀しいの……」
「……遠い……?」
「うん………」
 頷き返す時も、みぬきは考え込んでいた。相応しい言葉を、捜して。
「目の前に居るのに此処に居ないみたい。なんでだろ」
 そう言って、可愛く首を傾げる。幼い仕草に成歩堂は目を細めた。
「……うーん、そうだねぇ……」
 隣のブランコに腰掛けて、さっきのみぬきみたいにゆっくり前後運動する。
「……神乃木さんが僕のお師匠さんの恋人だってのは、教えたね?」
「うん」
「それだからね。僕は、あの人と居ると、一番千尋さんを思い出すんだろうね」
「…………」
「その時の僕は……みぬきの言う通り、遠い、のかもしれないね……」
 成歩堂がみぬきに向けて、自分の師匠を名前で呼んだのは今が2回目だった。1回目に名前を教えて、あとはずっと「お師匠さん」呼称だったのだ。
「でも。真宵お姉ちゃんだって、千尋さんの妹でしょ」
 その時に自分は何も感じなかった。あったとしても、新しい友達が増えたような喜びだけで。どこか遠くへ行ってしまいそうな焦燥感はなかった。”遠い”感じも。
「うーん、その辺は自分でも矛盾してるな、って思うんだけど、真宵ちゃんとは長く付き合ってるせいか、「千尋さんの妹」っていうより「真宵ちゃん」としての認識が強いんだよね」
 成歩堂は苦笑して説明する。
「……それに、何て言うのかな。血の繋がりがある人より、想ってた人を見る方が、多分その人の面影が濃いんだと思うよ。僕としては、ね……」
「……………」
 ああ、また。
 彼が”遠い”。
「……じゃあみぬきは?」
 やや大きめの声を出して、彼をこっちへと呼び戻す。
「うん?」
「みぬきを見て、誰かが”あの成歩堂のムスメだね”って思ってくれるかな?」
「……………」
「思うよね?」
「……そうだなぁ……じゃ、帰ったら早速神乃木さんに訊いてみようか?」
 軽く悪戯っぽく、成歩堂が言った。
 それに、みぬきがぱぁっと表情を軽くする。
「うん!で、”見えない”って言ったらギロチン降ろしちゃっていい?」
「………いやいやいや、それは止めようよ……」
 同時刻、神乃木は謎の悪寒に見舞われたという。


 後日。
「クッ……サーカスなんて久しぶりで涙が出るぜ」
「ねえねえカミノギさん!あっちでライオンの口に頭突っ込む体験が出来るんだって!やってやって!」
「仕方ねぇな。カワイコちゃんには適わなねぇぜ」
「でね。このスカーフ首に巻いてね」
「ほー、随分スパイシーな香りのするスカーフだな」
「神乃木さん、ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――ッッ!!!!」




<おわり>

神乃木さんに執行猶予だか仮釈放だかがついて一応外に出れるようになった頃くらい。
ウチのみぬき嬢はガチでパパを狙ってるので神乃木さんに油断出来ないみたいですね。
例えば弾丸が5発入った拳銃を渡されたら全部神乃木さんにぶち込むくらい。
まぁこのサイトぽくてむしろいいんじゃない!!?(自棄)