7・Days・Change

 

(やれやれ。どうも、忘れちゃうんだよなー)
 いざとなれば他の人も持っているから平気、という甘えでもあるのか、プライベートで出かける時等はうっかり忘れしまう事が多かった。弁護士だった時は、意図して気をつけていたけども。
 駆け足で事務所への道を行くと、街中で一際目立つ色彩を見つけた。
 赤い車。
(……あの車……)
 他にも同系の車は沢山あるだろうし、すぐに直結させるのは安易かもしれないが、御剣の車のような気がした。
 近づくとそれは確信に変わる。距離が縮んで、傍に控えるように立っていた車の持ち主が見えたからだ。
「……………。御剣、のおじさん?」
 みぬきの呼び方を思い出しながら、声をかける。御剣は本気でこちらの存在に気づいてなかったようで――おそらく他に気をとられる事があっただろうけど――この声に目に見えて判るくらいに戦いた。
「………ああ、みぬき君か」
「はい、こんにちわ」
 とりあえず、挨拶をする所だろう、とぴょこんと頭を下げた。それに、ああ、とまた気の抜けた声で返事をする御剣。
「……何か用なの?」
 と、促すような事を言う。明日の審理へ向けて捜査しなければならないのは判っているが、御剣をこのままスルーする事も出来ない。
 彼が此処に訪れて、しかもこんなに思いつめた顔をしているのに、ばっちり心当たりがあるからだ。
(昨夜の事だよな。絶対……)
 言い方をアレしてしまえば、強姦未遂である。まぁ、酩酊状態であったという情状酌量を考慮してやってもいいが、やられたのが実質みぬき、というのが見過ごせない。
 何か用か、と言われてそのままを言える訳も無く、そして当たり障りの無い言葉で誤魔化すことも出来ない御剣はいや、その、と意味の無い言葉で場を濁している。
 みぬきの事を子供だから、と蚊帳の外に追いやらないこの姿勢は好ましいと思う所なのだが。
「……とりあえず、中に入った方がいいと思うよ。いつから立っていたかは知らないけど、不審者って通報されちゃうかもしれないし」
「……う、うム」
 どうせ成歩堂も携帯電話を取りに事務所に入る必要があるのだ。
 ややぎこちないような御剣をつれて、中へと入った。


 とりあえずソファへ座らせて、紅茶を振舞ってやる。しかし、カップには手をつけないで、御剣は沈痛な顔のまま鎮座している。まるで世の苦悩全部を背負ったような、もしくはこれから死刑判決を待つ囚人のようでもある。
 御剣はソファの右端に座り、手摺の部分に肘を乗せて頬杖をついていた。その脇に、成歩堂がソファに凭れ、寄り添うように立っている。
「パパ、今日はお仕事で夜にならないと事務所に来ないけど、どうする?」
「ム…………」
 何も考えないで、ただ赴くままに来たというのか。そうそう時間のある役職でも無いだろうに。最も、彼の事だから他に負担を出すような愚かな真似まではすまい。
 御剣はどうするかを真剣に考えて居るようだった。腕を組んで目を閉じて瞑想する。
「……………」
 御剣が本気で反省しているのは判る。
 そんな人に追い討ちをしてはいけないのも、知っている。
 しかし。
 可愛い愛娘を危うく傷物にされかけたのだ。それくらいの報復はして然るべきだろう。
「……そう言えば、御剣のおじさん」
 なんだ?とばかりに顔を上げ、こちらを向く。
 成歩堂はみぬきの仕草を真似て、顎を人差し指で押さえて視線を上に向かせる。
「昨日、パパとお食事に出かけたんですよね。
 昨日の夜、パパに何かあったか知りませんか?何か、すっごい傷ついてたって言うか、心配なくらい元気が無くて……」
「!!」
 ザグシュ!とダメージ音が聴こえる。
 成歩堂は続いて、しょぼんとした素振りで言葉を続けた。
「みぬきがどれだけ訊いても答えてくれなくて……今までどんな事でもちゃんと話してくれたのに」
「!!!!」
 ドグザシュ!!とダメージ音が聴こえる。
(おーおー、白め向いて唇ブルブルいわせてる……)
 久ぶり、というか懐かしいなぁ、と呑気に眺めてやった。
「そう言えば、パパ昨日凄く遅く帰ったし。ただ食事するだけには時間が遅すぎますもんね」
 淡々と言う成歩堂と対象に、御剣のうろたえっぷりが増す。これに比べればさっきの法介なんて可愛いものだ。
「もしかして、御剣のおじさんと別れた後、何かあったのかも。
 だって、御剣のおじさんがパパを傷付けるわけないものね」
 ドゥザシュグゥ!と一番大きい音が聴こえた。御剣もぐぅ、と唸る。
 成歩堂はとびっきりの笑顔を浮かべ、御剣へと向ける。
「ねえ、御剣のおじさん。心当たり無い?」
「………………」
 ここでついに御剣は轟沈する。
 かと思いきや。
(あれ?)
 御剣は何だか、呆けた顔のように成歩堂の方を向いていた。それまでの動揺すら消し飛んで。
 全神経を集中させてこっちを見ている。見極めるように。
 結論が出たのか、御剣が言う。

「君は……成歩堂なのか」

「…………えっ?」
 それは真実なのだが、どうしてそれがこの場で出たのかが判らなくて、成歩堂は目を剥く。
「な、何………」
 瞬きするばかりの成歩堂に、御剣は立ち上がって詰め寄る。
「いや、成歩堂だ……その、事実を淡々と述べて追い詰めるやり方といい、最後の笑顔の恐ろしさといい、まさに成歩堂そのもの!成歩堂以外、ありえない!!」
「ちょ……ちょっと!オマエ、どこで人を判断してるんだよ!」
「やはり!成歩堂なのか!」
 売り言葉に買い言葉、みたい言った事だが、確かに御剣の言い分を肯定するようなものだった。瞠目して御剣が叫ぶ。
「……………」
 成歩堂は一瞬躊躇して……しかし認める事にした。
 打ち明ける事はしなかったが、そこまで懸命に隠す事でもない。
「………うん。そうだよ。僕だ」
「そうか……また、珍妙な事になっているな。君は」
「またって何だよ。またって」
 そんな始終トラブルに見舞われてるような言い方……って、図星か。
 成歩堂はそれ以上は言わなかった。
「何故こんな事に?」
 最もな疑問を口にする。
「うん。ほらちょっと前地震があっただろ?」
「………ああ」
 未だ癒えないトラウマのせいで、それを思うだけで顔を顰める御剣。
「その時、みぬきと思いっきり頭がぶつかっちゃってさ。人格が入れ替わっちゃったみたいなんだ」
「……何と……簡単なというか……」
 呆れてるのか感心してるのか、判断しにくい表情で言う。
「……まあ、霊媒して体つきが変わるのだから、頭をぶつけて人格が変わるくらいの事も起こるのだろう」
 同じ事思ってるよ、と成歩堂はちょっと笑えた。
「それで…………」
 何かを言おうとしたのだろう。
 しかし、それを言う前に別の事に気づいたのか、不自然にセリフが途切れた。
 そして、それは御剣にとっておよそ良くない事だろうという事は、顔色の悪さを見ればわかる。
「……と、言う事は………」
 冷や汗まで流れ出した。
「昨夜の君は……と言うか何と言うか………」
「……うん。みぬきだったね」
「…………………………………」
 サァァ――……と見る見る内に御剣から血の気が引いて行く。
 そして。
「死のう。」
「いやいやいや!ちょっと待て!待てよ御剣!!!」
 服を掴んで引きとめようとするが、33歳男性と15歳女の子では、15歳女の子が33歳男性に引きずられるのが現実ってものだ。
 よろよろと窓際へ向かい、ガラガラと窓を開ける御剣。
 成歩堂もこの時ばかりは腰に抱きついてそれを阻止しようとした。
「バカ御剣!落ち着けよこの短絡思考――!!!」
「……ああ、そうだな。この高さから落ちた所で死ねはしない……」
「そーじゃない――――!!昨日の事はみぬきから聞いた!あの子も特に気にして無いみたいだし(それはそれでどうかと思う)(←自分内異議)君も物凄く反省してるみたいだから許す……って言うか、とにかくもうそんな気にしなくていいよ!!」
 本気で死にかねない御剣に、大声で告げる。
「……本当か?」
「本当!!」
 パックされた魚みたいな目で自分を見下ろす御剣に、力いっぱい頷く。その様子にようやく自分を取り戻したのか、窓を閉めた御剣。
「全く……そこまで後悔するなら、最初からするなよな」
 腰に手を当て静かに言うと、御剣が言葉に詰まる。
「いや昨夜は私も珍しく酔ってしまい、歯止めが利かなくなったというか……」
 言い訳をぼしょぼしょと話す。
「まぁ、確かに君、あまり酔わないよね」
 御剣はアルコールを取ると、あまり内面の変化、つまり陽気になったり弁舌になったりという酩酊にはならない。ただ地肌が白いせいか、少量であっさり朱に染まるので、そのギャップでよく矢張にからわかれるのだった。酔った状態に免疫が無いから、余計ややこしくなったのかもしれないなぁ、と成歩堂は思った。
「うム。君の……いや、みぬき君のペースが早くてな。ついそれにつられてしまった。しかもその後バーにも行ったからな」
「……みぬきめ……酒飲んだのか……」
 確かに成人の体だから、飲んで不都合が生じる訳でも無いけど、未成年が飲酒をするのはモラルに引っ掛かる。後で厳重に注意しよう、と腕を組んで、苦々しい表情で決めた。
「それにしても……御剣だって飲む方じゃないだろうに」
 許容量は標準だろうけど、真っ赤になってしまう都合であまり外では飲まない御剣なのだ。
 御剣は怒ったような顔つきになる。羞恥を抑えた顔、つまり照れ隠しの表情だというのはもう解りきった事だ。
「君が飲み足りないと言うのなら、付き合うだろう。私も」
 少しでも長く一緒に居たいから、と言う本音はセリフにはしなかった。言葉にしなくても、成歩堂には判るけど。それくらい、顔を見れば判る事だ。
「………ま。これで自分の限界が知れたと思うからさ。今度から気をつけなよ?」
 ぽん、とからかうように腕を叩く。
 随分な身長差で、かなり見上げているというのに、何故だかいつものように御剣の顔が近くにあるイメージだ。子供の視線から見れば少しは大人っぽく映るのだろうか、という仮説は消し飛んだ。
 御剣は神妙な顔でうむ、と頷いた。それを微笑んで受け止める。
「で、戻る当てはあるのか?」
 これをさっき言うつもりだったのだろう。やや不安げに御剣が言う。最も、御剣としても、今の自分を見れば事態がそう深刻に受け取ってないのが判ると思うが。
「うん、千尋さんに何とかして貰うつもりなんだ」
「ああ、それなら大丈夫だろうな」
 物凄い納得を見せた。御剣の中でも千尋は神の領域に食い込んでいる。
「でも、真宵ちゃん達がハワイ行っちゃってさ。あと四日待たないと帰って来ないんだ」
「ほう、ハワイに?」
 御剣が意外そうに言う。別に彼女たちがハワイに相応しくないとかではなく、事前に騒ぎ立てるだろうそれが無かったのが引っ掛かっているに違いない。
「うん。霊媒の仕事で、急な話だったみたい。多分お土産だので呼び出されると思うよ?」
「ム、」
 女の子のテンションが、苦手というより追いつけない御剣は、今から覚悟を決めるように唇を引き締めた。しかし、決して呼び出されて集まるのが嫌という訳ではなから、その辺は聡い真宵たちも知っていてだから遠慮なく呼びつける。真宵たちに翻弄される御剣の図を思い出して、成歩堂はクスリと小さく笑う。
 と、御剣がなんだか視線を宙に漂わせ、何かを考える素振りを見せた。
 成歩堂はこれまでの経験上、何となく嫌な予感がした。こういう御剣の後は、大抵自分にとって碌な事態が待っていない。
「そういう事なら、今からハワイへ行けるよう手配しようか?」
 過去ジョット機をチャーターして文字通り飛んで来た男は言う。
「いやいやいや、いいよそんなの。お金が勿体無いし」
 慌てて手を振り、それに高い所嫌いだし、と付け加える。高所恐怖症にとって飛行機の搭乗時間は苦行に近い。
 やっぱり吹っ飛んだ内容な事言い出したか、といつも通りのお約束に何だか疲れる。
「そうか………」
 と、御剣はとても残念そうだ。
「? 何でそんなに残念そうなんだよ」
 気になる所は聞く。
 そして、基本的には成歩堂に誠実でありたいと思う御剣は、心情をあっさり告げるのである。
 どんな事でも。
「いや。早く本人に戻ってもらって、改めて続きをしようか、と」
 こんな事でも。
「………………………………」
 何でここまで来てそんな事を思うのかこいつは……と思わず遠い目になる成歩堂。
「……あのね、御剣?」
 意図してにっこりと微笑むと、御剣がびくりと戦く。こんな彼だが、喜びからの笑顔とそうでないものとの区別はつくようだ。
「ここでそんな事言われたら、僕。もう君とは食事しないよ?」
「…………………み、みぬき君の顔でその笑顔を、されるととてつもなく怖いものがあるのだが………」
 可愛い顔と合い余ってその威力が増している。
「ん?そう?」
「………………」
 怯える御剣に、より一層にこにこしてやった。
 なので御剣はより一層怯えるのだった。




***

これを書く前にちょっと虎の人に「みぬきちゃんが成歩堂と入れ替わって、んでもって酔っ払った御剣さんに襲いかかれるんですが、その後の成歩堂の反応どうしましょ」と相談したら「みぬきちゃんが気にしてないなら成歩堂も気にしないんじゃないかな?」と返事だったので書き進めていって、いざ襲い掛かる場面をアップした後「御剣三途の川じゃなくて賽の河原に落としていいですか」と携帯でメールが入ったのでこの部分をどががと書く直す事態に。
いやー、どうも反応が淡白だと思ったんだよなー!襲い掛かるの基準が違ったのかー!あっはっはー!!
ちなみにその後のやり取りで「笑顔の怖さで成歩堂と気づく」という収穫を得ました。当初はちょっとした動作で気づく予定でしたが「それだー!」と大決定。これの方がウチらしいよね!

みぬきちゃんの呼び方が「御剣のおじさん」でなんかくどいような気がしますが、ワタシも叔父さんの事「○○(←名前)のにいちゃん」と呼んでるのでそんな人も居る、ってことで済ませてちょんまげ(うわぁ)