7・Days・Change



 開廷はいつも午前10時からだ。その30分前に法介たちは待合室で待っていた。待合室なのだから待たなくてはならない。そして準備室では準備しなくてはならない。多目的室では多目的に使用しなくてはならない。
「……ふー、やっぱり、どうしても直前になると緊張しちゃうよな……」
 胸に手を当てて、表情を若干強張らせた法介が言う。
「え?何です?」
 成歩堂はそれを聞きなおした。
「だーかーらー!開廷前だと緊張するって言ったのー!」
「? 海底潜るとキンチョール?」
 法介との会話がちぐはぐなのは、別に成歩堂の故意ではない。今回の依頼人の凄まじい号泣が、待合室中に響き渡っているのだ。かれこれ10分だろうか。全く衰える素振りも見せないので、何だか人体の神秘さを感じてしまう。
 今日、この部屋に当たった警備員はきっとおみくじで大凶を引く人種に違いない。二人とも、声には出さずに同じ事を思っている。
「……どうしようね、あの人……」
 床に突っ伏しておいおい泣いている被告人を指して法介が言う。誰が助けてください俺は無力です的な顔つきで。
「多分、言って止めるくらいなら、最初からしないと思いますよ」
「……………。ほっておこうか」
「はい」
 しかしこうなれば、法介は依頼人と事前の打ち合わせがさっぱり出来ない、という事だ。せめて被告人が証言台でうかつな事を口走らない事を願うばかりだ。自分の初法廷を思い起こし、成歩堂は切に思う。
(……それにしても……やっぱり、この部屋に入ると気が引き締まるな)
 掛けられた絵が変わっているが、他は自分が弁護士だった時とあまり違わない。まぁ、元から観葉植物とソファが置かれているだけの、シンプルな部屋だから当たり前かもしれないけど。
(そうそう、あのソファに座って、痛い目にあったんだよなぁ……)
 記憶を無くしたまま法廷に突入したのだから、かなり切羽詰った危険に満ち溢れたな審理だったと言える。
 しかし、慎ましやかで緩やかに済んだ審理があっただろうか。
「……………」
 怒涛の3年間を振り返り、成歩堂はちょっとブルーになった。
「……あと、15分か」
 時計を見ながら法介が呟くき、そして、ソファに座ろうとする。
「!! 
ソファに座るな―――――ッッ!!!
 成歩堂はそれを体当たりして阻止した。


 そして、開廷。裁判長の厳かな声が響き渡り、裁判の始まりを報せる。
「べ、弁護側、準備出来てます……」
 机にもたれながら、よれっとした法介が宣言する。
「? 弁護人、どうしてすでにゲージ半分を占めるダメージを食らったような顔なのですかな?」
「いや、ちょっとその………」
「ごめんなさい、オドロキさん。みぬき、力加減判らなくって」
 そして判らなかった結果、法介の体は壁に思いっきり激突したのだった。ドリフか吉本新喜劇だったら、そのまま待合室が崩れ落ちただろう。さすがの被告人もその時だけは涙を止めた。
「……どうやら弁護側で何かハプニングがあったみたいだね。
 しかし!そうして弁護席に立っているなら、手加減はしないよ、おデコくん!」
 響也が高らかに言うと同時に、エレキギターの音が聴こえる。びしぃ!と突き刺すその指の先まで隙が無い。
「うーん、相変わらず牙琉検事、飛ばしてますねー」
「……とりあえず、今の牙琉検事の飛ばした発言の原因は、君だっての自覚してくれるかな?」
 よれっとした法介の異議に、成歩堂はちょろっと舌を出した。


 まずは茜を召喚し、現場の様子について証言してもらう。
 そして、どういう捜査結果の故に彼が被告人になったのか、を。
「異議あり!」
 と、法介は叫び、凶器のナイフを突き出した。被告人の指紋べっとりという、依頼を受けて早々法介に冷や汗を流させたアレだ。
 これが最初の難関だと思った法介は、あれから家にかえってじっくり反論を考えていた。今がそれをぶちまける時だ、と思ったのだ。
「家に火をつけた理由が、遺体を燃やして殺害時刻を誤魔化そうと企んだというなら!
 そこまで考えた犯人は、どうして決定的証拠とも言える指紋付きの凶器を残したんですか?どう考えても、不自然です!」
「……どうせ、皆一緒に燃えちゃうとか思ったんじゃない?」
 茜が考えながら言う。しかし、今の発言を法介は首を振って否定した。
「それは違います、茜さん……貴方がさっき言った事です。この凶器は家の外にあったんですよね?燃やす気だったのなら、どうしてそんな所にあるんですか!」
「あ…………」
 と、茜が口に手を当てる。
 ここが責め時だ、とばかりに机を叩き、流れの主導権を握ろうとした……のだが。
「そう、家の外にあったんだ。外に、ね」
 何度も強調したのは法介でも無く茜でもない、響也だった。
「……………」
 何だか嫌な予感がした法介は、冷や汗を流す。
「ねえ、おデコくん。どうして外にあったんだと思う?」
「そ、それは……その、つまり、それは陥れる罠で……」
 だから燃えてしまっては困るから外に出したのだ。そう法介が主張する前に、響也が言う。
「……僕は、こう思ったよ。”ああ、犯人は落としちゃったんだな”って」
「えっ」
「犯人は凶器を持ち去るつもりだったんだよ。だから、指紋を拭いたりはしなかった。
 ……どうかな、おデコくん?」
 ひょい、と身を軽く乗り出して、響也が発言を促す。乗せられているとは判るが、ここで止める訳にもいかない。
「異議あり!
 で。でも……凶器ですよ!?一番重要じゃないですか!フツーだったら落として気づかないだなんて……」
「犯行中はフツーじゃないのがフツーじゃないのかな?
 特に被告人の彼……感情に振り回されやすい性質みたいだしね?」
「…………ぐっ!」
 法介自身も思って居た事で反論されてしまい、異議が唱えられない。
「……とりあえず、現段階では特に不自然な点は見当たらないようですな。次の証言に移りましょう」
 裁判長がそう告げる。
「……昨晩かかって考えた異議だったのに……!」
 さくっと進行されてしまい、法介は哀愁を抱える。
「オドロキさん、ぐったりしないで!ほら、証言は始まっていますよ!」
「うぅぅ…………」
 成歩堂に叱咤され、どうにかオドロキは立ち直った。
 現場の説明は終わった。次に焦点となったのは「動機」だった。証拠では説明しにくいそれは、信用できる証人の証言で立証するつもりのようだ。
 証人となったのは被害者の友人で、彼女は殺害当日の昼に会っていたという。しかし、これは本人からの申し出ではなく、警察の捜査で判った事だ。
 証言の内容は、一見弁護側にとって都合のいい内容だった。会って話しもしたが、被告人とトラブルがあったという内容は聞いていない、と。
 しかし。
「…………………」
 法介は冷や汗を流し、腕輪を押さえている。成歩堂はすぐにその様子に気づいた。まだまだ冷や汗のかき方が足りないなぁ、とか呑気に思いながら。
「オドロキさん、反応があったんですか?」
「…………そうなんだよなぁ………」
 今、彼女は弁護側に有利な発言をしている。それに嘘があるというなら……オセロを引っ繰り返すように、それは検察側の主張を裏付けるものとなるだろう。
 彼女の証言に、証拠との矛盾は無い。
 響也は彼女の異変には気づいていない。スルーしようと思えば、出来る。
「……オドロキさん、」
「……判ってるよみぬきちゃん。目の前の事実を無視しても、真実は見えない」
 そう言ってから法介は目を閉じ、覚悟を決めたかのように目を開いた。
 その時の法介の顔は、若干ながらも弁護士のそれだった。


 やっぱりと言うか、癖を見抜いて引きずり出した後の証言は弁護側にとって非常に迷惑なものだった。その日。被害者は証人に「結婚したいけどちょっとトラブルがあってなかなかその話を切り出せない」と言ったのだそうだ。そんな発言を聞いた後被害者の死を知り、何も出来なかった自分を責め立てて警察に名乗る事も出来なかったと言った。そして、だから証言台に立っても尚、事実を告げなかった。
 こうして動機の面も片付き、一気に判決が決まるかと思えば、弁護側に有利な証人として召喚された彼女は、やっぱり弁護側に奇跡を齎してくれた。
 出会った当日、証人の携帯で被害者との2ショットを取っていた。その時、被害者は大振りなピアスを着けていたのだが、遺体には片方しかついていなかった。そして、徹底的に調べつくされた現場に、その片方は無かったと言う。
 果たしてもう片方のピアスは何処に消えたのでしょう。こんなの先ほどの持ち去ろうとした凶器じゃあるまいし、うっかり落とせる物でもないし、被害者はそれはもうしっかりした女性です。この被告人と付き合っているのが不思議な程に。それ以前にどうして被害者は片方だけピアスを着けたままなのでしょうか。仮に落としたとしても片方だけぶらぶらさせているのは可笑しいではないですか。そもそもどうして家に帰っても尚ピアスを着けていたのか。服装からして部屋着とはとても言い難いじゃないですか。もしかしたら余所で殺されてピアスはそこで落ちたのかもしれないじゃないですか。その立証は今は出来ませんが逆に本当にこの家で殺されたという何か明確な証拠でもあると言うんですかねぇねぇねぇってば。て事で弁護側としては更なる捜査を要請します!!!!!
 てな具合に、裁判は強引に後日へ持ち越される事になった。
「ふぅー、今日はまた一層としてギリギリでしたね、オドロキさん」
 ぐったりと言うかげっそりともしている隣の法介に言う。
「うん……オレももう一度やれって言われたら、その場で全力で逃げると思うよ……」
 遠い目で力なくぼそぼそ呟かれたが、多分本音だろう。
 今からこんな干からびてしまって、捜査が出来るのだろうか。心配だ。
 これから留置所に言って、改めて被告人と話し合うつもりだ。他に真犯人が居るかもしれないという可能性が形となった今は、彼に前向きに事件に取り組む気力を生ませただろう。……そう、願いたい。
「それにしても。審理って力任せに引っ張れば伸びるものなんですねぇ」
「裁判をゴムか何かみたいに言うなよ」
「あっ!ゴムで思い出しましたけど、みぬき携帯電話忘れて来ちゃいました!」
「なんでゴムで携帯電話を彷彿出来る!!?」
「ちょっと事務所に戻って、取って来ます!オドロキさんは先に行ってて!」
 法介にでっかい疑問を残し、成歩堂は駆け足で事務所へと戻った。



***

4で「頭殴られた時以来、依頼人にもあのソファに座らせない」という成歩堂さんに大いに爆笑したので。
つーことは、マックスもユーサクくんもマコくんもマヨイちゃんも座らせなかったのだなぁ、と思いながらプレイすると2,3が別の意味でも面白可笑しく。