7・Days・Change
響也はロックグループを組んででコンサートを開くまでもしていたあたり、やたらトークが上手だった。煩くない程度に、沈黙が重くならない程度に。絶妙な会話のテンポにすっかり乗せられて、事務所の前まで来たのは本当にあっと言う間に感じられた。
「ありがとう。本当に助かったよ」
義理でも社交辞令でもなく、本当にそう思った。響也はその礼を、微笑んで受け取る。
「じゃあね、成歩堂さん。いい夢を」
「うん。牙琉検事もね」
いい夢を、なんて言って様になるのは、目の前の響也か御剣くらいだろう。あと、神乃木とか。少なくとも、成歩堂や法介には似合わないと断言できる。
手を軽く上げて別れの挨拶をし、響也は静かなエンジン音で住宅街を抜けていく。本当にいい人だなぁ、とみぬきは車が見えなくなるまで見送った。
さて。
時刻は日付変更線を越えて約一時間が過ぎた。ここまでの夜更かしは、みぬきには初めての経験だ。止むを得ない事情、というか不可抗力な立場であったが、何処と無く後ろめたい。
パパ、寝てるかな、と一瞬思ったが、窓は夜の街に明りを提供していた。
夜更けに申し訳無さそうに、足音を極力殺して事務所の中に入る。
「………パパ?」
開けると同時に問いかける。と、むくり、と小さな頭がソファから生えた。自分を待ちながらうたた寝していたみたいだ。子供の体だから、夜が遅くなると眠くなるんだろう。
どれくらい睡魔と闘っていたのかは知らないが、その事実があるだけで罪悪感が湧く。
「みぬき?」
眠気を払拭するように、目を擦って成歩堂は尋ねた。
「……ごめんなさい。遅くなっちゃった」
「……確かにね」
みぬきが猛反省しているのは、見抜く能力が無くても判る事だ。自省している相手に、追い討ちはしない。成歩堂は苦笑だけで済ました。
「でもね、帰りは牙琉検事に送ってもらったんだよ。だから、とても安全に帰ったんだよ!」
みぬきとしても、成歩堂が心配するのは自分の身を案じての事だと判っているから、その辺は思いっきり力説した。
しかし、次の瞬間、状況の不自然さに気づいたのか、ん?と首を傾げる。
「……ねぇ、みぬき。御剣はどうしたの?」
「……………、え?」
「いや……あいつと飲みに行ったんだから、御剣が普通送るんじゃないかなって思ってさ」
しまった、とみぬきは胸中で汗をかく。
確かに今の自分の発言では、御剣に何かあったようにしか思えない!実際何かあったのだが!と言うかしたのだが!
「え、えええっとね、それがね……」
「?」
あからさまに挙動不審になったみぬきに、成歩堂は怪訝な目を向けた。
「!そう!おじさんてば、酔いつぶれて寝ちゃって、それで……!」
「みぬき」
と、成歩堂は静かにみぬきの口を止めた。
「それが理由なら、最初からそう言うはずだよね?どうして僕が聞き出すまで言わなかったの?隠すような事じゃないし」
「…………うぅぅぅ………」
さすが元弁護士。そして、弁護士ですらなくても真実を追究した男。矛盾や不自然な内容には厳しい。
「……何かあった、の………?」
じぃ、と窺うように上目遣いでみぬきを見やる。
みぬきに能力があるように、成歩堂には道具がある。勾玉だ。それを使えば鍵を開けて秘密を聞き出す事が出来る。しかし、成歩堂はみぬきには決して使わなかった。いつだって、目線を同じにしてちゃんと向き合って話を聞いてくれたのだ。自分はその信頼を崩してはならないと思う。
しかし……
(これ喋っちゃうと、どっちかと言うと御剣のおじさんがピンチなんだよね……)
みぬきの頭の中に、『御剣検事は死を選んだよ』という伝聞系の手紙が残された空っぽの御剣の部屋が連想される。
「……………」
成歩堂をちら、と見ると自分が喋り出すのを待つように見詰めている。しかし、その目が段々翳って行くのが判った。
御剣の事は、勿論いい人だと思う。何より成歩堂の親友であり、想っている相手なのだ。自分も大事にしてやりたいと思う。しかし、その気持ちも元を正せば成歩堂から発生しているものであり、いざ天秤にかけてしまえば申し訳ないと思いつつ成歩堂に傾く。
それによく考えれば、本来成歩堂の身に降りかかる出来事だったのだ。なら、本来の相手に教えてあげるのが筋ってもんだろう。……と、思う。
(おじさんもいい年なんだから、自分のケツは自分で拭ってもらおう)
と、みぬきは思った。
今心中で呟いた言葉を実際に成歩堂が聞いたら、すぐさま神乃木に電話を掛けて「神乃木さんが妙な例えばっかり言うからみぬきが真似するじゃないですか!女の子がケツなんて言っちゃダメなんですよ!」と、ぶいぶい文句を言っただろう。
(御剣のおじさん、ごめんなさい)
みぬきはあまり心の篭っていない形だけの謝罪で、一応御剣を労った。
「………あのね、パパ。出来れば冷静に聞いて欲しいのね?」
「? うん、よく判らないけど」
よく判らないなら返事するなよ。と突っ込んでくれる法介は今は居なかった。
「おじさんと一緒にご飯食べて、そうしたらみぬき、お酒飲み過ぎて酔っちゃったみたいなの」
「うん」
「で、そのままおじさんの家に行ったの」
「うん」
「そしたら、寝込み襲われちゃってね?」
「は?」
と、最大倍角で動揺を露にし、成歩堂は目を点にした。
「…………………」
暫く、沈黙。
「…………えーと………)
と、呟きながら、成歩堂は顎に指を添えた。考える時の彼の癖だ。
「お、襲われたって、具体的にはどういう………」
「んー、それはみぬきにはいまいちだけど……とりあえず、おじさんは「抱かせてくれ」って言ってたよ」
「は?」
と、もう一度最大倍角で動揺を露にし、成歩堂は目を点にした。
「…………………」
成歩堂は両腕をだらりと下げて、冷や汗をだらだら流した。事態が窮した時の彼の癖だ。
「………あのさ、」
ようやく言葉が見つかったのか、冷や汗な成歩堂は見抜きに言う。
「まさかとは思うけど、みぬきがしようとか言った訳じゃないんだよね?」
「パパ、ひっどーい!みぬき、そんな軽い女じゃないもん!パパにみぬきの全部、捧げるんだもん!」
「だ、だって、そんな、だって………」
頭の中が軽い混乱状態になっている成歩堂は、みぬきのセリフをよく聞き取れていないみたいだった。特に、一番最後。
「だって……無理矢理はいけなんだよ!?犯罪なんだぞ!?」
「……まぁ、人の気持ちなんて、法で縛られるものじゃないし」
みぬきが15歳にあるまじき力のある言葉を吐いた。
「なんで、そんなあいつ……なんで!?なんで!??」
「……パパー、落ち着いて?」
みぬきの前では素に戻る成歩堂だが、この感情の露っぷりは珍しい。思わずみぬきが宥めに入る。
「み……みぬき!」
急にみぬきに向き直り、がし!と両腕を掴む。
「いいんだよ、訴えても!今はパパの体なんだから、皆襲われたのはみぬきじゃなくて僕だと思うから!!」
「……ううん、別に訴えようとか思ってないから……」
むしろ気の毒に思えてきた。御剣が。
「……ああ、そうか、でもみぬきが証言するって事態は変わらないのか………」
ぶつぶつと成歩堂が言う。
パパってたまに相手おいてけぼりで話進める所あるよね。みぬきは思った。
「パパ、」
と、ちょっと声を大きくして呼べば、ようやく成歩堂が我を取り戻したようだ。虚ろだったような目に、光が戻る。
「とにかく。みぬきは傷ついてないから。別に怖がったりもしてないから」
そもそも向こうとしては「成歩堂」を襲ったのだから、「みぬき」である自分が相手に恐怖する必要も無い。まぁ、若干あの本気な態度に貞操の危機を感じたのだが。それを言うと今度こそ御剣が消えてなくなりそうなので、自分の胸にだけ留めておく。
「……そう、なの?」
最後の確認のように、成歩堂が聞く。
「そうなの」
しっかりと頷き返してあげれば、今度こそ落ち着きを取り戻したみたいだ。みぬきもほっとする。
(……でも、こう言っちゃアレだけどみぬきでよかったよ。パパだったら硬直しちゃって、そのまま食べられてる所だよ)
まぁ自分より長い付き合いという事を考慮して向こうに花を持たせているが、自分がキスする前に最後まで進められるのも悔しいと言うか、妬ましいというか。成歩堂の感情が彼に向いていなければ、ワンツスリーの掛け声で消失させてやる所だ。
「……まぁ、うん。みぬきが傷ついてないならいいかな……」
そういう成歩堂だが、かなり不服とした所が残っているみたいだ。次に御剣と会う時、彼の身が案じられる。今の内に、別れの挨拶でも済ませておくべきだろうか。
「……みぬきの事はいいとして……パパは?どうなの?」
「うん?」
と、成歩堂は目を瞬かせた。
「……だからー、御剣のおじさんに、例え体が入れ替わっていたとしても、自分以外を襲うなんて酷い!とか、信じてたのに!みたいな?」
「? ……そういうものなのかな?」
こーゆー恋の駆け引きにてんで疎い成歩堂は、目を瞬かせてきょとんとした。
(……御剣のおじさん。相変わらず哀れだよねぇ)
15歳の少女に思いっきり哀れみを向けられているのを、御剣(33歳)は知らない。
「………んー、さすがにもう限界かな。先に寝てていい?」
くわぁぁ、と成歩堂は大きな欠伸を堪えきれなかった。
「うん、みぬきも早い所横になるから」
みぬきは良い子なので、寝る前に必ず歯を磨くのだ。
「……あ。そう言えば、明日の検事さんは牙琉検事だって」
洗面台に向かう途中、成歩堂に声を投げかけた。
「本当?だったら、いい裁判になりそうだよね」
ここで成歩堂の言ういい裁判、は真実を突き止める裁判の事を指す。成歩堂は響也の能力を高く評価していた。法介や御剣が聞いたらハンカチ噛んで悔しがりそうなくらい、評価していた。
「パパも明日、助手頑張ってね!」
「うん、みぬきと比べたら力不足もいい所だけどね。何せ、助手席に立ったのって、牙琉の裁判の時だからなぁ」
正確にはあの時の被告人は成歩堂だったのだが。まぁ真犯人は牙琉だからそう言えない事も無い。
「いいんだよ、パパ。助手席に座った弁護士さんなんて、その後ろくな目に会わないんだから」
「まあね」
無責任な会話を済ませて、親子は就寝した。
***
響也さんがすげぇいい人に。
ぶっちゃけ響也さんと結ばれた方が幸せと違いますか成歩堂さんくらいにいい人に。