7・Days・Change



 みぬきが成歩堂と電話を終え、行けるとの旨を伝えると御剣の顔が面白いくらい明るくなった。
 普段みぬきには見せない「親友」の顔に、物珍しさとちょっとした罪悪感を覚える。成歩堂だと思って見せているその表情は、なのに本人に届いていない訳だから。元に戻ったら色々助けてあげよう、とみぬきは誓う。
「さて、君に何か要望があれば、それにするが?」
「うーん……」
 と主導権を渡され、みぬきは考え込む。
「じゃあ、イタリア料理」
「いいだろう」
 いい店を知っているのか、早い返事が返る。さすが大人、とみぬきは感心した。


「…………。ここ?」
 ホテルに併設させた店を見て、みぬきはぽかんとした。その横を、御剣がさも当然と平然とした顔でスタスタ歩く。
「何を呆けた顔をしている。行くぞ」
「う、うん……」
 緊張し、カクカクとした動きでみぬきが歩く。
(だって!お出迎えの人が居るレストランなんて、初めてなんだもん!)
 動揺している自分に、何故だかいい訳した。みぬきの中のレストランなんて、中に入ってウェイトレスが「何名様ですかー」とマニュアル通りの笑顔で出迎えるものでしかない。こんな、黒いスーツ着た人が一席ずつについている場所なんて初めてに決まっている!
(………ピザとかナポリタンとか、なさそうだよね。ここ)
 メニューを見ても、地中海風なんとかとか、トスカーナ地方のなんとかしかない。と、いうか何の料理かすらも判らない。これだけ長いメニュー名で、どうして何も判らないのか。いっそ不思議だ。
 それにしても。
 これくらいの店だというのに、ニットにパーカー、足にはサンダルという格好の自分に対し、不審そうな顔ひとつ浮かべなかった。さすがプロ。これでこそプロ、とみぬきはウェイター達を讃えた。
「……で、いいか?成歩堂」
「えっ?あ、ああ、うん。いいんじゃないかな」
 何がいいのか判らないが、とにかく逆らう事は止めておこう。しかしそれを早速みぬきは後悔した。一旦離れたウェイター……実はとその時居たそれはソムリエだったのだが……はボトルを携えて戻ってきた。勿論、みぬきのグラスにワインが注がれる。
「……これ、飲むの?」
 ワインの注がれたグラスを指差す。
「何言っているのだ。君は?」
 御剣があからさまに怪訝な顔をする。
「あー、いやいや。ちょっと聞いてみたかっただけ!」
 自分でも良くわからない言葉で誤魔化し、さらに誤魔化すようにワインに口をつけた。不味くても我慢すればいいや、と覚悟を決めて。しかし。
「………?あれ?美味しい?」
 確認の為、もう一口。
「! 美味しい!」
 世紀の大発見でも見つけたように声を上げる成歩堂(の姿のみぬき)に、御剣がグラス片手に苦笑した。
「何を騒いでる。初めて飲んだ訳でもあるまい」
(初めてなんだけど……)
 心の中でだけ突っ込んで、くぃっとグラスを空けてしまうと、早すぎも遅すぎもしないタイミングで新しく注がれる。
(お酒ってこんなに美味しいんだ。大人ってずるいなぁ、こんなのが飲めて)
 最も、みぬきとしても今が大人の体で、酒に慣れた舌だからこそ美味しいのだというのは解っている。元の体で飲んでも、おそらく飲めたものでもないだろう。
「……成歩堂。飲むペース早いぞ?」
 すでに二杯目が空になっている相手に、御剣が言う。
「へ?あ、そうだよね」
 ははは、と成歩堂っぽく笑ってみせる。
 そうか。お酒はジュースみたいにガバガバ飲むものじゃないんだ、とみぬきは学習した。
「頼むのは決まったか?」
 そう言われて、さっきまでそれに困り果てていた事を思い出す。
 ここは変に見栄を張ってつまらないものを頼んでも仕方無い。相手に丸投げしよう。きっと、パパだってそうするに違いない。みぬきはそう思った。パタン、とメニューを閉じて御剣に言う。
「御剣が何かいいの頼んでよ。それにするから」
「全く、君はいつもそれだな」
 仕方が無いな、というようにメニューを開く御剣。
 自分の予想がドンピシャで、みぬきは危うくガッツポーズをしそうになった。


 デザートと食後酒まできっちり飲んで、そのくらいになるとアルコールのせいかみぬきのテンションがやや上がってきた。おかげで素の口調がちらほら出てしまったが、もともと活発な物言いのみぬきの口調は、御剣にさほど怪しまれずに済んだ。
「ごちそーさま、御剣っ!料理も酒も美味しかったーv」
 ケラケラとしながらみぬきは御剣に礼を言う。
「ああ、本当に美味しそうに飲んでいたな。何時の間にそんな酒好きになった?」
「え、ついさっき」
 みぬきとしては正直に言ったのだが、御剣は戯言と受け取り、苦笑した。
「……それなら……上のバーにでも行くか?」
「うん、行く!」
 はーい、とばかりに片手を挙手した。何を子供じみた事をしているんだ、と御剣はその腕を降ろさせる。
 エスカレーターには地震と共にかなりのトラウマがある御剣だが、それでも改善しつつあるのか最近は外が見える形式のものなら乗れるようになったみたいだ。いつだったか、成歩堂から聞いた。しかしここが密封された室内だという事から気を逸らすように、必死になってガラス越しの風景をかなりの形相で見詰めていたが。
(うわぁ……大人の世界、って感じ!)
 囁くようなBGMに、暗すぎない照明。カウンターの中には、ピシっと背筋の通った姿勢のバーテンダーが佇んでいる。
 壁一面がガラスとなっていて、ロマンチックな夜景がパノラマで見えた。この夜景を飲みながら飲むんだな、と思っていたみぬきだが、御剣はむしろ窓から一番離れた席に座った。一瞬あれ、と思ったが、すぐに理由が判る。
(そっか。パパ、高い所が苦手だもんね)
 ちゃんと気遣ってるんだなぁ、と御剣の株を上げてやるみぬきだった。


 自分の大好きな成歩堂を御剣がかなり大事にしてくれてる事が判り、みぬきはその嬉しさも手伝ってかますます酒が進んだ。特にカクテルは甘くて綺麗で美味しくて、いくらでも飲みそうな気がする。横からのストップが入らなければ、いつまでも飲んでいそうだった。
 しかしさすがにそこまで飲むと、みぬきに猛烈な睡魔が襲ってくる。今ここで眠らなければ死んでしまう、というとてつもない睡魔だ。御剣が声を掛けてくるのが判る。内容はさっぱりだが、半ば無意識に頷いてしまった。
 その後の記憶はあやふやだが、どうやら自分はバーから移動して車の中にいるみたいだ。横には、多分御剣が座っている。また御剣が何かを言った。またみぬきは判らないまま頷く。
 そしてまた意識が途絶え、気づくと自分が楽な姿勢を取っていると判った。楽な姿勢――つまり、寝転んでいるのである。
 床でも布団でもなく、ベットのようだ。そのまま寝転がっているのか、上に何か掛けている感触は無い。そんな状態でも、みぬきの目を覚ますのには力不足だった。
 一体「此処」に運ばれてからどれくらい経ったのだろうか。髪を掬う手でみぬきが目を開ける。
「ん〜〜〜?」
 のそ、と起き上がってみると、傍らにベットに腰掛けた御剣が居た。シャワーでも浴びたのか、バスローブを着ている。
「ここはー?」
 考えないで浮かんだ疑問を、そのまま口にした。
「私の部屋だ」
「……ああ、そう言えば」
 電気がついていないせいでかなり印象が違うが、以前入った事はある。
「ごめんね、寝てた……」
 むにゃむにゃ言いながら起き上がる。帰らないと、パパが心配しちゃう、とそれだけを思った。
 しかし。
「…………?」
 起き上がろうとする肩を押さえ込まれ、またベットに逆戻りしてしまう。
 そして、その上に御剣が覆いかぶさった。
「………???」
 御剣の目が、怖いくらい真剣だ。勝手に寝たのにそんなに怒ってしまったのだろうか、と。
 みぬきはまるで見当違いな事を、その時は思った。
「成歩堂……」
 と呟きた御剣は、みぬきが今まで見た事のない顔だった。そのあからさまな違和感に、徐々に酔いが醒めていく。あるいは、無意識に判ったのかもしれない。
 今がどういう状況なのか、が。
 自分を見下ろす御剣が言う。

「……抱いても、いいか……?」
「………………」

 一瞬思考回路がすぱーん、と頭から抜け出た。
「え、……ぇ………えぇぇぇぇぇえええええええッ!」
 みぬきは相手に迷惑なくらいの音量で叫んだ。思わず叫んだ。法介のように叫んだ。しかし、相手はそれに怯まない。
「……こんな酔わせて連れ込むような真似をして、我ながら卑怯だと思うが……もう、我慢が出来ないのだよ」
 それは知ってる。見ていて可哀想なくらい判る(成歩堂は全然判ってないみたいだが)。
「ちょ……ちょちょちょ、ちょっと待って!」
 いくらなんでもこれはマズい。かなりマズい。本格的にマズい。
「だめだ。もう、待てない……」
 と、熱っぽく呟いて、パーカーのファスナーを降ろす。その音に、ぎゃーとなるみぬき。
「ちょっとおじさん!落ち着いて!」
「誰がおじさんだ!同年代のくせして!」
「いいから、と、とにかく落ち着いて!ストップ!止まれ!」
 じたばたと抵抗すると、御剣が傷ついたような苦しい表情を浮かべた。
「私を、受け入れてくれないのか……?」
「そういう問題じゃないのッ!」
 そうとも、中身が入れ替わっているのが問題なのだ。
「何故だ……私を嫌いではないのなら、どうか拒まないでくれ」
 ジー、とファスナーが最後まで降ろされた。パーカーを左右に割られ、下のシャツが露となる。
「だだだ、ダメダメ、ダメだって、こんなの!ダメなの!」
 あたふたとシャツの下に入れようとする御剣の手を掴む。
「何故だ!私の事を……愛してくれないのか!」
 御剣はかなりヒートアップしているようだ。彼も酔っているのかも知れない、と言う事実にこの時思い当たる。実際、少し酒の匂いがしていそうだ。シャワーを浴びたからか、弱いけど。
「そ、そんな事ないよ!
 愛してる!……と、思うし……
 誰より大事!……なんだと思う……」
「何故疑問系の上に伝聞系なのだッ!」
「だ、だってー!」
 本人じゃないもん!と心の中で絶叫する。
(あーん、もう!どうして普段はじれったいくらいウブなのに、こんな時に急に強気になるの!)
 御剣という男は、とことん間が悪いと言うかなんと言うか。
 あいつは普段も出来る男だけど、たまにしなくてもいい事までする、と成歩堂が言って居たのを思い出した。
「待ってってー!今はだめ!だめなんだってばー!」
 脱がそうとする手を必死にくい止める。
「今はダメって……いつならいいのだ!」
「ええっと……少なくともあと5日は」
「どういう基準だそれはッ!」
 真宵おねえちゃんた達が帰ってくる基準です。とも言えず。
 黙るみぬきに、御剣が畳み掛ける。
「……いずれなるというのであれば、少しでも早い方がいい。そうだろう?」
「そ、そうだけどー!」
 それは本人が相手ならばの話で。
 何とかして中止してもらわなければ、とみぬきが一生懸命頭を回転させている所で、脱がす事は一旦中断した御剣が顎を掴む。
「わっ!?」
 いよいよ本格的になってきた。
 多分、これは、キス、される。
(ダメ―――――ッ!みぬきのファースト・キスはパパって決めてるの!)(←勝手ながらに)
「待っておじさん!」
「だからおじさん呼ばわりは止めたまえ!老け顔なのは気にしている!」
 あ、気にしてるんだ。って悠長に感想持っている場合か!
 ここはもう……一か八か、真実を告げるしかない!
「あ、あのね!」
「何だ」
 いい加減相手もじれったくなってきたのか、声が這うように低い。
「体はパパだけど、中はみぬきなの!この前、頭ぶつけて入れ替わっちゃったのー!」
「……………」
 ピタ、と御剣が止まる。信じてくれたかな?と恐る恐る目を上げる。
「………………。
 成歩堂……怖がるのは判るが、そのいい訳はどうかと思うぞ………」
「……………。
 えーん、本当なのにィィィ――――――ッ!」
 自分のゲージがずぎゃーん!と減ったのを感じた。
「……大丈夫だ……怖がる隙も与えず、私に夢中にさせてやる」
 御剣が言った。普段この強気を何処に隠してるのか、とみぬきはとても疑問に思った。
「成歩堂………」
「いや――――――ッ!」
 大声で喚いてみるが、酩酊している御剣には通じないようだ。顎をがっちりホールドされ、顔が逃げれない。
(た、た、た、たっ……
 助けてッ!千尋さ―――――ん!)
 成歩堂に倣って、胸中で祈ってみる。
 と、じたばたさせていた手に、何か硬い物が当たった。
 その時には御剣の顔が、もうすぐそこで、迷っている暇は無かった。
「え―――ぃッ!」
 
ガゴ。
 思いのほか、かなり痛そうな音がした。まぁ、思いっきりぶつけたから当然だろうけども。
 一瞬御剣が停止し――どさ、と自分に倒れた。押し倒したのではなく、力なく倒れたといった具合に。
「……ふぅー……だ、大丈夫かな……もう……」
 肩で息をして、御剣の下から這出る。
 殴った物の正体といえば、木製のティッシュカバーだった。これをかなりの威力でぶつければ、かなりの凶器となるだろう。
 完全に伸びている御剣だが、そっと注意して耳を寄せると呼吸音がした。心底ほっとする。
 とりあえず……この場に居たら、どんどんややこしい事になるだろう。御剣には悪いが、スタコラと退散させてもらう事にする。
 とりあえず自分の服を調え、ニットを被る。御剣にはせめてもの情けに、シーツを被せてやった。
(じゃあね、御剣のおじさん)
 安らかなのか苦悶なのか判らない表情で目を瞑っている御剣に、そっと呼びかける。出来れば今夜の記憶が飛んでいればいいなぁ、とみぬきは思った。


(って、どう帰ればいいんだろ……)
 玄関ホールに出て、みぬきはちょっと途方に暮れる。ここがどこだか判るし、事務所の場所も判る。けれど、距離がある。歩くには少々無理があった。
(タクシー……はお金掛かるもんね。……うーん、やっぱり歩くしかないか……)
 こんな時、春美達は凄いと思う。電車で2時間の距離を走ってこれるのだから。
 はぁ、と溜息を吐くと、目の前の自動ドアが開く。
 住人でも来たんだろうか。
「……あれ、貴方は……」
「牙琉検事!」
 相手が自分を呼ぶ前に、叫ぶように言って居た。
 響也は一瞬、どうしてここに、と問いかけたそうな顔だったが、やおらいつもの微笑を取り戻す。御剣と成歩堂が親友だというのを、知っているのだろう。
 そしてみぬきも、響也がここに来た理由は何となく判った。御剣は今夜早く上がったから、それ以降の時間帯で何かがあったのだろう。しかし……
「あ……御剣、なら今、その……凄い酔っ払って、寝ちゃってるよ?」
 やはり御剣に伺いに来たのが目的だったらしい。みぬきの言葉に、目を軽く見開く。
「へぇ、そこまで羽目を外しちゃう人なんだ。あの人」
 クスクスと上品に笑った。
「ご、ごめんなさい」
 正確には酔いつぶれたのではなく、殴り倒して気絶しているのだから、しかもその原因は自分だ。みぬきは申し訳なくなって、頭を下げた。
 響也から見て、成歩堂が敬語で謝ったのがかなり意外だったのだろう(そりゃそうだけど)。さっきよりも、大きく目を見開いて瞬きさせた。
「どうして貴方が謝るんだ?」
「え……っと、だって牙琉検事は、何か仕事の用事があったんでしょ?」
「ま。それはそうだけど。だからと言って成歩堂さんが僕に謝るのはお門違いなんじゃないかな?」
「うーん、だけど……」
「そんなに手をもじもじさせるものじゃないよ。まるで女の子みたいだ」
「え、そ、そう?」
 響也としては、軽口のつもりだったのだろう。しかしズバリ正解だったので、みぬきはギク、となった。これが相手が法介だったら、見抜かれていたかもしれない。
「ところで、牙琉検事はどうして此処に?」
「ああ……借りてた本を返しに来たんだ。此処の所、お互い忙しくて、すれ違うことすら無くてね。今日は彼、半分オフだって聞いたから、今の時間には家に居るだろうって思って」
 これがそうだ、とばかりに顔の横にまで本を持ち上げる。皮の表紙で重厚な本だ。しかも、英字。Lowの文字があるから、法律関係の本なのだろう。それくらいなら、みぬきにでも判った。
「じゃ、行こうか。成歩堂さん」
「?」
 急に呼ばれ、みぬきがきょとんとなる。
 全く意図を汲んでないみぬきに、響也はちょっと困ったように笑う。
「お友達が潰れちゃって、帰れるに帰れなくてぼーっと立ってたんだろう?」
「……ぼーっと、って」
 そんなに間抜けな顔はしていなかった。……と、思う。
「ついでだから、送って行ってあげるよ」
「えっ!いいの!?」
 渡りに船、とは、まさにこの事だ。外聞もなく、顔を輝かせる。
「貴方をこのまま置いて来たと判ったら、あのお嬢ちゃんのパンツに消されそうだからね」
「そんな、事しません!……ってみぬきは言うと思うよ」
 思わず自で喋ってしまった。フォローは間に合った……と、思う。
 響也は、ふふ、と笑みを濃くして。
「帰ったら、お嬢ちゃんに明日はよろしく、とでも伝えておいて」
「あ。オドロキくんに入った事件、牙琉検事が担当するの?」
「そうだよ。久々に熱いギグが出来そうだ」
 響也の目に力が入り、俄かに検事の顔となった。
 その後他愛ない話をしながら、二人は駐車場へと向かったのだった。



***

某ドラマで外食してる場面が超可愛かったので。舘ひろしが。
スプーン咥えて「ん?」ってしてる所が超可愛かったので。舘ひろしが。
って言うかみぬき嬢を襲うミツルギ。
三途の川を渡ればいいと思う。