7・Days・Change
しかし、法廷の女神はその微笑を気紛れに法介にくれてやったようだ。
なんと、弁護の依頼が来た。
思わず、ヤッター!と叫びそうになった法介口を、二人で慌てて押しとめた。ちょっと酸欠になったみたいだが、まぁどうでもいい。
依頼人は被告人の兄に当たる人物で、弟は恋人、事実上はもう婚約者の殺害の容疑を掛けられているとの事。決め手となったのは、凶器に付着していた指紋だった。彼以外の指紋は検出されなかったそうだ。その情報を聞いて、早速法介が冷や汗を流す。
「こう言っちゃあなんだけど、オドロキくんに仕事が入って僕も助かったよ。暇が潰せるって言うか」
体はみぬきだが魔術が出来る筈も無いので、ここ数日みぬきがボルハチに行ってる間は成歩堂は事務所で暇を持て余すしかなかった。みぬきと違って、大して役にも立たないに勝負の場に赴くのはやっぱり気が引けるから。
法介に依頼が来たので、その助手として捜査に引っ付こう、と思ったのだった。
「久しぶりに捜査にちょっかいだせるな」
ふふふ、と含み笑いのような笑みを零す。それは可愛らしい少女の顔で合い余って、なんとも言えない不敵さを醸し出していた。
「パパ、くれぐれも気をつけて!今はみぬきの体なんだから、無茶はしちゃダメだからね!」
「大袈裟だなぁ。みぬきの体に傷をつけるような事はしないよ」
「違う。パパの心配してるの!」
「判ってる判ってる」
自分の肩を掴んで言い募るみぬきに、安心させるように相手の肩を叩いた。
「じゃ、行って来るよ」
みぬきちゃんまだー?とドアの外からの声に、成歩堂が行く。
「燃えてる……」
犯行現場でもあり、被害者の自宅でもある其処に着くなり法介は呟いた。その家は犯行後火を放たれたようで、消火の後が見られる。最も、全焼には及ばず、半壊でもなくせいぜい3分の1くらいが焼けた程度だ。通報が早かったのか、あるいは犯人の火の付け方が甘かったのか。成歩堂はまずそこを気にした。
「オドロキさんっ」
とみぬきの仕草を思い浮かべながら、オドロキに言う。
「放火が加わると一気に罪が重くなるってパパが言ってましたよ!やり応えがありますね!」
「……そういうやり応えは、ちょっと避けたかったかな……」
法介は遠い目をした。
最初はまず留置所へ行って、被告人の訴えを聞こうかと思ったのだが、生憎取調べ中との事だった。どういう星のめぐりか、法介は被告人とのエンカウント率が低い。打ち合わせも何も出来ずにそのまま法廷へ、という事も度々あった。
まぁこれも一種の試練と思って頑張ってもらおう。例えば自分の時は、捜査動向の情報を手に入れるのが大分骨だったが、その点は法介は恵まれてるくらいに恵まれている。
「とりあえず、中を調べたいんだけどな……」
一応数人の人が中でまだ何かを調べている。うかつに入れば怒られるのは目に見えていた。が。
「オドロキくんじゃない!よく会うねー、全く」
カリントウの袋を携え、茜が声を掛けてきた。
「あ、茜さん!中を調べさせてもらっていいですか!」
「お願いします!茜さん!」
みぬきを装ってお願いしながら、茜の姿をしみじみ見つめる。こうして捜査に携わっている彼女を見るのは、初めてだった。
(うーん、立派に刑事になってるじゃないか……)
とても不機嫌でカリントウさくさくしてるけど。そっぽ向かれてソーメンが主食なのよりは余程いい。
「そうね。粗方調べつくしちゃった後だけど、それでもいいなら」
「それでもいいです!」
「それでも構いませんッ!」
法介と自分の声が被さる。
そんな二人を見て、茜が一回ぱちくりとした。
「……オドロキくんはともかく、今日はみぬきちゃん、なんだかヤル気満々だね。何かあったの?」
と、茜が自分を覗き込む。
「何でもありませんよ?」
(う……しまった。ちょっとはしゃぎすぎたかな……)
内心冷や汗を流す成歩堂。この感覚は、久しぶりだ。
「そう?何かいつもと違う感じがするし……」
「そうですよ。いつもどおーりです」
言葉に詰まりそうなのを、何とか耐えた。
(ふぅ、さすがに科学捜査官志望なだけあって、異変には敏感と言うか)
気をつけないといけないな、と成歩堂はこっそり思った。
「やだなぁ、茜さん。みぬきちゃん全然、どこも変わったところなんてありませんよ」
あっはっは、と能天気に法介は言う。
(……この子は違う意味でも要注意だな)
少しは疑わしく思えよ、と成歩堂はこっそり突っ込んだ。
あまり家が焼けていないのは、通報が早かったからなのだそうで、とすれば今のこの家の状態は、犯人の誤算となるのだろうか。まるっきり建て直ししなくても、修理すれば直るくらいのダメージだ。
火をつけられて、遺体は多少は焦げたがとりかえしつのつかない程には損傷してなかったようで、司法解剖にて死因や死亡推定時刻が割り出されたそうだ。
茜はそれを、自分たちが尋ねる前に教えてくれた。
「死因は出血死ね。喉元が切られていたの。横にスパーっと。
多分、睡眠薬でも飲まされてたんじゃないかな。傷口はそんなに深くないみたいだから」
ストレートな説明に、法介は思わず自分の首元を摩る。
「……火がついたのは、やはり放火で?」
法介が尋ねる。
「まだ断定は出来ないみたいだけど、その線はかなり濃いわ」
「なら、犯人がつけたって事ですよね……」
「殺人の起こった家に、たまたま放火犯が狙いをつけたかもしれませんよ、オドロキさん」
成歩堂は思いついた茶々を入れてみた。
「そんな事言ってたら、きりがないじゃないか」
オレを惑わさないでくれよ、と法介が言う。
「…………。まさか、火をつけて逃走する被告人を見たって言う目撃者がいる、なんて言いませんよね?」
ふと過ぎった悪い予感を、茜にぶつける。できればそうであって欲しくない、という感じをひしひしと漂わせて。
「安心しなさい。それは今の所まだ出ていないわ」
「今の所……ねぇ……」
何か、この嫌な予感は実現しそうだな、と法介は思った。
「………あの。茜さん」
「うん?どうしたの、みぬきちゃん」
「通報が早い、って事は火をつけられてから時間が経ってないって事ですよね。通報した人は、何も見えなかったんですか?オドロキさんが言ったみたいに、走り去る人影とか」
「さすがみぬきちゃんね。オドロキくんよりよっぽど適切な意見よ」
茜にダメ出しされて、法介はやや落ち込んだ。
「通報したは誰も見てないって証言したわ。まぁ、表も裏も目が届く訳じゃないから、当然と言えば当然なんだけど。だから今、聞きこみに回ってるの」
だから人があまり居ないのか、と成歩堂は思う。
「発見が早くて着火時間が割りと正確に出たからね。目撃者は出る時には出るでしょ」
「……出来れば出ないで欲しいなぁ……」
「オドロキさん。事実はちゃんと見ないと」
逃避する法介を、ちゃんと現実と向き合うように言う。
「……あ。ポリタンクがある」
庭に目をやり、法介が発見する。
「灯油かガソリンを撒いて火をつけた、って所かな」
「そうみたいね」
さくさくしながら茜が言う。
(どうやって火をつけたか……よりも、どうして火をつけたか、がポイントになりそうだな。コレは)
元はフローリングだったのだろう。今はすっかり見事なまでに黒こげの床を見て、成歩堂は思った。
さて成歩堂が茜と絶妙にチームくんで法介をからかい倒している時、みぬきは事務所で退屈していた。今日は成歩堂はオフなのである。
(一人で遊びに行ってもつまらないしー。うーん、みぬきも行けばよかったかなぁ)
ソファにごろーん、と寝転びながらみぬきが呟く。
真宵たちが送ってくれたトノサマンDVDでも見ようかな、と身を起こした時だった。
「邪魔するぞ」
言いながら入って来たのは、みぬきも知った顔の男性だった。
(あ……御剣のおじさん)
最近ご無沙汰だったが、成歩堂に娘入り(←妙な言い方)した当初は頻繁に顔を見せていたものだ。おそらく成歩堂を気遣っての事なのだろう。
しかも割りと特別な感情を持って。
しかし当の本人は「今暇なのかな、あいつ」と相手が聞いたら咽び泣きそうな取り方をしているのは、みぬきと真宵と春美だけの秘密である。意外と知れ渡っている。
「えっと……よく来たな。お茶飲む?」
「ム……頂こう」
この暑い中、相手はビシッとスーツを着込んでいた。見ているこっちが暑い。
彼が紅茶党なのは知っているが、麦茶で我慢して貰おう。冷蔵庫から冷えたのを取り出して、コップに注ぐ。
(それにしても、御剣のおじさんもついてないなぁ)
上に行って責任のある立場になったせいか、その分自由に休みが取れないみたいだ。その数少ない休みだというのに、よりによって入れ替わっている最中。せっかくこうして逢引しても、成歩堂の経験には加算されないのだ。
とりあえずお茶を運んだ。ソファに、背筋を伸ばして座る御剣の前にコップを置く。それを御剣は何だか真面目腐った顔で飲んでいるので、みぬきは噴出すのを堪えるのに必死だった。
(まさか、何か相談しに来たのかな)
緊張とまではいかないが、何となく気を張っているのが感じ取れる。相談となるとちょっと厄介だ。自分は法曹界や法律の事に成歩堂並の知識は無い。
「…………」
御剣が自分の顔を見て、ちょっと目を開く。髭がないからだろう。
「………。その、」
コップを手で包み、御剣がぼそりと呟く。いや、自分に言っているのだ。
「……今日は、確か休みだったなだ。君は」
「? うん」
年上を目の前にすると佇まいを直してしまうが、今は成歩堂なのだからちょっとだらしない方がいいかな、とポケットに手を突っ込んで、ソファの背凭れに体を預ける。
「で、だ」
と、御剣が目を鋭くさせる。別に怒っている訳ではないのを、みぬきは熟知してたので、その眼光に怯む事は無かった。
「君の予定さえ無ければ、今夜一緒に夕食でもどうだろう」
「えっ」
「いや、だめならいいのだ!急な話なのは判っている!」
自分が聞きなおすような声を上げたのは、早口気味だったから確認が取りたかった為なのだが。何を早まったのか御剣が慌てて言う。
「いやいやいや、別にダメだなんて言ってないよ。……でも、何で急に?」
目を瞬かせて、首を傾げる。
「ぅ……それは、だな……」
かぁ、と憮然としたような御剣の顔に、朱が走る。
これ以上困らせるのも可哀想だし、告白されてたらこっちが困るので、みぬきはぱっと笑みを浮かべて話を切り替える。
「ちょっと、みぬきに予定聞いてくるよ。それからでもいいよね?」
「あ……あぁ。構わない」
どこかほっとしたように胸を撫で下ろしている。
その様子に、ふ、と顔を綻ばす。
(好きな人を誘うにこれだけドキドキするなんて、みぬきの友達にも居ないよ)
パパは御剣のおじさんのこういう所が好きなのかな、とみぬきは思った。
「御剣来たの?こんな時に」
『うん、こんな時に』
親子揃って、御剣をダメ出しした。御剣は小さくくしゃみをする。
『それでね、夕食に誘われたんだけど、どうする?行くべきかなぁ』
「みぬきは行きたいの?」
『行きたいっていうか……美味しいものは食べたいかな』
えへっとちゃっかりした可愛い笑みを浮かべたみぬきを浮かべる。
「うん、じゃあ行っちゃえばいいよ。みぬきの仕事を取り上げちゃった訳だから、それのお詫びって事で美味しいモノ、食べておいで」
わーい、とはしゃぐ声が電話の向こうから聴こえた。
『……でも、いいのかなぁ』
みぬきが戸惑う声をした。
「うん?何が?」
『だって、御剣のおじさんはパパを夕食に誘った訳でしょ?でも、実際行くのはみぬきだから』
「仕方ないよ。こんな状態だもの」
ははは、と苦笑する。
『…………。そうじゃなくてさ、パパ』
「?」
じゃあどういう事なんだ、と成歩堂は首をかしげた。
やっぱりというか、相変わらずこういう方面には疎い。
(だからさ、つまり恋人(一応多分それなりに)の人が自分以外と食事に行く事になる訳で……
…………。まぁ、パパがいいなら、いいかな)
その分御剣が可哀想だが。
『じゃあ、行ってきまーす』
「うん。御剣に適当によろしく言っておいて」
『はーい』
「みぬきちゃん?」
丁度みぬきの声と入れ替わるように、茜からの声が掛かる。
「あ、えーと。パパから電話がきたんです」
ひょっこり顔を出した。話す内容を聞かれなくて、物陰にこっそり隠れていたのだ。
「成歩堂さんから……」
そう呟いた茜の顔に、ふ、と影が落ちる。
「……成歩堂さんは凄いよね。弁護士じゃなくっても、ちゃんと真犯人上げてさ……」
「……?」
らしくない表情に、目を瞬かせる。
茜はふぅ、と小さい溜息をついて、焦げの少ない壁に凭れかかる。
「アタシなんて、折角アメリカで勉強してきたってのに、科学捜査官になれなくてさ。本当、何やってんだろ……」
「……………」
さく、とひとつ、力なくカリントウを食む。
「――なんて、愚痴言っちゃってゴメンね!さて、捜査しようかなー」
「茜……さん、」
危うく茜ちゃんと呼びそうになったのを、辛うじて修正できた。
「ん?」
きゅ、と小さな手に腕を掴まれ、反射的に後ろを振り返る。
「科学捜査官になれなかったからって、誰も茜さんが勉強サボってたなんて思いませんよ。茜さんが科学捜査にとても熱心なのは、パパだって判ってます」
「……………」
「茜さんまだ若いんですから。前だけ向いていればいいんですよ」
ね、と満面に笑みを浮かべる。
「…………。って、みぬきちゃんの方が若いじゃない」
ふ、と茜も笑みを浮かべる。それにまた、成歩堂が笑みを返す。
「……………あれっ!二人とも何処!?オレ置いてかれた!?」
その壁一枚隔てた向こうで、法介が慌てふためいていた。
一度留置所に赴き、被告人の言い分を聞いた後、二人は再び現場へと戻った。
辺りは暗く、すっかり夜となっていたが、茜は現場に待機していた。
「……ここまで来て放火した犯人の目撃者が居ないとなると、おそらく時限装置でも使ったんでしょうね」
聞き出す時間帯を遡らなきゃと、茜が言う。
時限装置、と聞いて法介は牙琉のコンサートで起きた事件を思い出す。
「でも、それっぽい装置は見つかりませんでしたよ?」
そう反論する法介に、茜がやや呆れた目を向ける。
「オドロキくん。紙マッチ知ってる?」
「知ってますよ。それくらい」
「じゃあ、蚊取り線香知ってる?」
「知ってますよ。それくらい」
「その二つがあれば、時限装置なんて簡単に出来るわよ。何も馬鹿丁寧に機械でやる事はないの」
法介が迂闊な自分の質問に顔を羞恥で赤く染めた。
「そうですよね。正確に時間を組むならともかく、ただ自分が着火してる所を見られたくない、ってだけなら時間置いて火がつくだけの簡単なものでいいんですからね」
「そうそう。さすがみぬきちゃん。判ってるねー」
「えへへー」
よしよし、と頭を撫でられる。茜に撫でられるのなんt初めてだから、なんだか気恥ずかしい。笑う事でなんとか誤魔化す。
それ以上得られる情報はなさそうなので、現場検証はこのくらいに切り上げる事にした。茜に十分礼を言い、事務所に戻る。
「あれ、成歩堂さんが居ない」
がらんとした事務所に、法介が言う。
「ああ、パパならお友達とご飯食べに行くって」
「友達!?」
と、なんだか法介がとても吃驚して言う。
「あの人に友達が居るの!?」
「………オドロキさん。どういう意味ですか、それ」
本人を目の前にして言う事じゃないだろう。最も、相手は知る由もないのだが。
「い、いや、その……何か成歩堂さんって自由気ままといいか、そうやって和気藹々と友達とご飯食べに行くような人には見えないというか……」
「失礼だな。これでも誘われたら行くくらいは付き合いいいよ。……ってパパが言いますよ。今の聞いたら」
あんまりな自分のイメージに、思わず素が出てしまった。危ない危ない。
「それはおいといて。明日の対策、ちょっとはしておいた方がいいんじゃないですか?」
「……うん、そうだね……」
と法介が疲れた顔をするのには訳がある。取調べが終わった頃を見計らって、留置所に行って面会出来たのはいいが、相手は始終泣きっぱなしでとても話が出来る状態ではなかったのだった。確かに婚約者が殺された上にそれの容疑者となったら泣きたい事は一杯だろうけど、あれはかなり困った。法介は思い返してうんざりとする。
あいつが居なければ生きている意味が無い。守りきれなかった時点で自分も有罪だ。死刑にしてくれと泣き叫ぶ相手に、成歩堂は戦いた。
(ネガティブな矢張が居る……)
と。
「まずは、凶器のナイフについて何とか説明をつけないと……」
指紋のついた凶器なんて、犯人の顔写真に等しい。とりあえずの難関は、ここだと法介は思った。
「頑張ってくださいね、オドロキさん!影ながら応援してますよ!」
「……出来れば思いっきり協力して欲しいんだけど」
凶器の写真を睨めっこしていた法介は、その言葉に顔を情けなく崩した。
***
あまり事件に関しては掘り下げないでください!それっぽい雰囲気が出せればいいや!ってくらいだから!
実は御剣&みぬきの絡みより茜&成歩堂の絡みの方が書きたかったという。