Dear.パパ!!

「オドロキさん、オドロキさん」
 6月も半ばのとある月曜日。みぬきと二人して法介は事務所に居座っていた。
「ハリケーンとトルネードの違いって、何でしょうね?」
「……………。ええと、」
「ってそんな事考えてる場合じゃないんですよオドロキさんッッ!!!!」
「うおおおおッ!?」
 急にソファから勢いよく立ち上がったみぬきに、法介は素直に驚愕した。度肝を抜かしている法介に、みぬきはビシィッ!と指を突きつけた。素人だったら突き指しそうな力強さで。
「昨日、何の日だったか知ってますか!父の日ですよ!!」
「…………。ああ、そう言えばそうだったな」
「もう!何が、”ああ〜、そう言えばそうだったかな〜〜”ですかッ!」
「い、異議あり!オレはそんな5日前のもやしみたいなふにゃふにゃした言い方なんかじゃ…………
 …………自分で気づいてないだけで、本当はそうなの!?ねぇ、みぬきちゃん!!みぬきちゃん!!」
 異議の途中で急に弱気になった法介だった。
「うううう、みぬきとした事が、こんな一大事を逃すなんて、これこそあるまじき!」
 しかしみぬきはそんな事どうでもいいみたいで、一人頭を抱え、苦悶の表情で後悔している。少々大袈裟みたいだが、法介はまあ、そうだろうなぁ、と妥当な反応だとみぬきを見ている。
 みぬきのパパ大好きっぷりは事務所に来た初日からもういいよ、というくらい見せ付けられて知っている。そんなみぬきが父の日を忘れるって事は、茜がルミノール検査薬を響也のオフィスに忘れるくらいうっかりしている。
「ここ暫く、みぬきが仕事に行く事で不可抗力的にパパと二人きりになるオドロキさんを、いかに面白可笑しく騙しておちょくるか!?と考え込んでいて、すっかりすっぽかしてしまいました!何てこと!」
「ああ、そりゃ何てことだ。特にオレが」
「………。なるほど。つまりオドロキさんのせいって事ですか」
「何でそうなるんだ何でオレが加害者なんだ――――――ッッ!!」
 じ。と真面目な顔で自分を見据えたので、本気で身の危険を感じた法介だった。それはそうと、父の日をすっぽかしてまで企てている自分のおちょくり方とやらも気になる。何をされるんだ何が起こるんだ。
「……パパもパパだよ。一言言ってくれてもいいのに……」
 唇を尖らせ、ちょっと拗ねたように言うのは自分勝手な言い分だと気づいているからだろうか。
「うーん、言っちゃアレだけど、成歩堂さんも案外忘れてたんじゃないかな?」
「そうですね。たまに家賃の振込み日も忘れてますし」
「……それは意図的じゃないかな」
 確認するのも億劫なくらい間違いないと思う。
「……もぉー!だいたい、父の日って覚えにくいんですよね!6月の……えーと、第何日曜日でしたっけ」
「第3だよ」
「そう!それ!そんな曖昧模糊としていないで、もっと何月何日何曜日!ってはっきり決めて欲しいですよね!」
「いや、みぬきちゃん。何曜日ってのは……」
「あーん!今からこんな事言っても、父の日過ぎちゃったよ!みぬきのバカバカッ!」
 と、言いながらみぬきは法介の頭をぽかぽか叩いた。あんまり痛くは無いのだが、殴られているという行為自体で何か精神的ダメージを被っている気持ちになる。そもそも何故自分が殴られなければならないのか。
「ま、まぁ、みぬきちゃん」
 法介は自分をポカポカ殴るみぬきの腕を掴んで止めた。一回失敗して、見上げた時鼻にモロ当たったのでこれは結構痛くて法介の呼吸が一瞬詰まる。痛い鼻を顔の中央に置きながら、法介はみぬきに言う。
「確かに父の日は過ぎちゃったけどさ。それへの感謝の気持ちはいつあげてもいいんじゃないかな、ってオレは思うんだけど」
 法介にそう言われ、みぬきは顎に人差し指を当てて思案する顔になった。
「……うーん、オドロキさんが正論言うのは気持ち悪いですが、一理ありますね」
「今さ、どさくさに凄い酷い事言わなかった?」
「うん!みぬきの父の日は、これからです!!」
 なんか纏まりきれなかった冒険活劇の最終話みたいなセリフを言うみぬきだ。
 立ち上がった勢いとは裏腹に大人しくソファに座ったみぬきは、さっそく成歩堂へのプレゼントを考えているようだ。
「……何がいいかなぁ。オドロキさんも、その10年後に期待したい頭で考えてみてください」
「期待なのは中身かな。それとも、頭皮かな」
 法介の脳裏に、極めてつるっとしたボーンチャイナがリアルに蘇る。
「出来れば、今までにあげた事の無いものがいいんですけどねぇ」
「そうだな。でも、意外性ばかり狙っても、あまりいい事は無いよ」
「ですよね」
「なんでそこでオレの髪を凝視するんだよ」
「……食べ物ってのもアリですけど、みぬきとしては形に残るものがいいなぁー」
 考え込むあまり、ソファの上で膝を抱え込むみぬきだった。
 暫く難しい顔をしていたみぬきが、やおら長く息を吐き出した。
「……オドロキさんは、いいなぁ。とっておきの手段が残ってて」
「へ? 何それ?」
「自分をプレゼント、ってヤツですよ」
「…………………………。え、ぁ、ちょ、な、な、何言ってんだよみぬきちゃん――――ッッ!!?」
「む。オドロキさん、まさかパパにプレゼントあげないつもりですか?」
 キッ、と睨まれて慌てて弁解する。
「いいい、いやいや、まぁみぬきちゃんにそう言われるだろうなって思ってオレもあげるとは決めてたけど、何だよ自分をプレゼントって―――ッッ!!」
 法介は熱の上がったほっぺを押さえ、真っ赤になってあわあわする。
「ですから、「自分」を、「プレゼント」するんですよ」
「区切って言っただけで内容の詳細にはなってないよッ!」
「つまり”私を貴方の好きに……」
「すいませんオレが悪かったですそれ以上は言わないでッッ!!!!」
 テーブルに手を着いて頭を下げる法介だった。
「これ、効力があるのは一回だけなんですよ。知ってます?」
「……いや……何て言ったらいいのか……」
 いや、その前に、と法介はみぬきに向き直る。
「みぬきちゃんはもうやったんだ?自分をあげるって」
「はい!」
 実にはきはきと返事してくれた。
「………………。いつ?」
 ちょっと葛藤しても結局聞いちゃう法介だった。
「あれは8歳の父の日でしたね」
 みぬきは過去を回顧しながら言う。
「へぇ、8歳……って成歩堂さんの子になって2ヶ月目にしてすでにそうなのかよみぬきちゃんッッ!!!」
 もはや早いな、どころの騒ぎではない。
「はい!狙い所は”初志貫徹”ですから!」
「何を狙ってるのかはさておき、2ヶ月目だろ、まだ2ヶ月目!!」
「もうっ!2ヶ月目2ヶ月目連呼しないでくださいよ!誰かがそれ聞いて、パパが妊娠したんだって思ったら、どうするんですかッ!!まだ嫁入り前なのに!!」
「確かに嫁入り前だけどさ―――ッッ!!」
 事実がそのまま真実に直結するのではないと、法介はこの時思い知った。
「狙い定めるの早いよ―――ッ!もうちょっと、こう、ぎこちない期間とかは無かったのかよ!」
「何言ってるんですかオドロキさん!プロの魔術師たるもの、ある意味常に初めてのステージでイリュージョンに挑むモノなんですよ!環境が変わったくらいでうろたえては話になりません!!」
「うわぁ―――ッ!何かすごくまともな事言ってる気になってくる―――ッ!!」
「パパ、何が言いかなぁー」
「戦慄しまくってるオレを置いて話題を戻すなよ」
「去年はね、お揃いのマグカップをあげたんですよ」
「………。ふぅん。それはいいものあげたね」
 自分のセリフを無視された理不尽と、「みぬきちゃんにしては普通にまともな」というセリフは飲み込んだ。
「はい!アンティークで、でも使い勝手のいい丈夫で素敵なカップです」
 みぬきはにっこにこして言う。此処だけを見れば、本当に普通のお父さん思いのいい子なのになぁ、と法介はつくづく思うのだ。
「これでいつかパパと夜明けのコーヒーを飲むんです!」
 現実って儚いな。法介は窓の外を見た。
「でも、みぬきコーヒーはまだ苦手だから。とりあえず、ワンステップとして飲めるようにならないと」
「へぇ、みぬきちゃん、コーヒー苦手なんだ?」
「ミルクが入ればまだいいんですけどね。ブラックはちょっと。でも、そういう時にミルク入りのコーヒーなんて、まるで法廷のオドロキさんみたいに様になら無いでしょ?」
「……………………………」
 現実って本当に………残酷だな。法介はチャーリーくんにそっと語りかけた。
「ふぅ。本当に何にしよう。オドロキさんは自分をあげれば済む話でいいですけど」
「い、いやいや。まだそうするって決めた訳じゃ……」
 法介が異議を唱えかけた時、話題の中心人物が帰って来た。
「ただいまー」
「パパ、おかえりなさい!」
 まさに電光石火の速さでみぬきが成歩堂に飛びつく。成歩堂はそれをにっこりして抱きとめた。
「楽しそうな声が聴こえてきたけど、何を話していたのかな?」
 一体さっきの会話のどの辺に楽しそうな声が出てきたのか、問いただしたい法介だった。
「ね、オドロキくん。何の話?」
 と、話題を振られ顔を向けられ2重にビクッとした法介。
「え、ええと、その……」
「父の日のプレゼントを話し合ってたの。もう、日にち過ぎっちゃったけど……」
 サプライズ要素を必要とするプレゼント云々の話を果たして本人にして良いものか、と法介が考えあぐねている内にみぬきがさっさと言ってしまった。法介は未だに打ち明けるべき事と内緒にする事についての、みぬきの基準がよく解らない。
 父の日をすっぽかした事にしょんぼりしているみぬきの頭を、成歩堂は慰めるように撫でた。いいなぁ、と素直に法介は羨ましがる。
「そうか。昨日は父の日だったんだな。ちっとも気づかなかった」
 やっぱり成歩堂さんも忘れてたんだなぁ、と法介は自分の考えの正しさを知る。
「父の日って、セールとかあまりないから、忘れがちなんだよなぁ」
 とんでもない忘れ方してんだな、と法介は自分の予想の浅はかさを知る。
「後でとびっきりでとっておきのプレゼント、あげるからね!」
 自分でハードルをあげるのがみぬきのいい所だと法介は思っている。
「ははは。それじゃ、それなりに楽しみにしてるよ」
「で、オドロキさんは自分をあげるんだって」
 バッターン!と法介はソファに座りながら卒倒した。初めての経験だ。
「な、な、な、な、何言ってるんだよみぬきちゃん!」
「え?さっきそう言ってませんでした?」
「言ったのはみぬきちゃんでそれに異議を唱えてたのがオレ!」
「あ。そうですか。まぁ別にもうそれでいいじゃないですか」
「簡単に言うなぁこの一大事を――――――ッッ!!」
「へぇ、オドロキくん。僕にくれるの?」
「っ!!!!」
 と、成歩堂がにこにこしながら言うので、法介は大絶叫を一瞬で止めた。にこにこした成歩堂はその笑顔のまま、法介の元へと戦く。成歩堂が近づくと同調して自分の鼓動も大きくなる。
 ソファに座り込む法介を見下ろし、成歩堂はにこっとして言った。
「ありがとね」
「!!!!!!!」
 ぼひゅ、と顔が沸騰し、法介は座っているというのにへたり込んだ。
 この人の笑顔は凶器だ。いつか死人が出る。
 もし被害者が自分になったらそれは喜ぶ事なのかそうでないのか、と迷っている時点で法介もアレだ。
「わーい、これでオドロキさんもパパのものだね、パパ!」
「そうだね、みぬき」
「…………………………」
 いつもなら何か異議を唱える所だが、今はみぬきの「オドロキさんはパパのもの」というセリフが木霊してそれどころではない。自分勝手にオドロキさん「も」がオドロキさん「は」にご都合的に変換されているが、それも気づかない。
「いやぁ。みぬきの初めての父の日を思い出すなぁ。あの日に、みぬきを貰ったんだよね」
 覚えてるんだ。法介は戦く。それを平然と普通の思い出と話す成歩堂に。
 向かいのソファに座った成歩堂は昔を思い出して言う。
「うん。で、その年のクリスマスに今度はみぬきがパパを貰ったんだよねー」
「え、そうなの?」
「はい!」
 それは気持ち的動機なのか金銭的理由のかがかなり気になったが、とにかく。
(……今年の父の日に、オレを成歩堂さんへあげたって事は)
 今年のクリスマスには。
 成歩堂さんが。
 オレの。
「……………………」
 はっはっはいやまさかそんな事はないだろうそんな美味しい展開で邪魔が入らない筈が無いっていうかそもそもみぬきちゃんが許してくれる筈無いよ!!無いだろ!そうだろ、オレ!!そうだろ!!!!
 何て自分を言い聞かせながらも、その隙間でしょぼくれたジジイが店主の薬局は何処かと検索する法介だった。
「……あれ。って事は、今年のクリスマスにはパパはオドロキさんに自分をプレゼント?」
 その可能性を思いつくのに至ったみぬきが、そのままを口にする。
「そそそそ、そんな事無いだろみぬきちゃん!」
 手首がすっぽ抜ける勢いで手をぶんぶん振る法介。しかし頭の中では条件に該当する薬局を見つける事に成功したので、今度は枕に隠す数を考えている。
「そうだよ、みぬき。パパは一人しか居ないし、そのパパはもうみぬきにあげちゃったんだから。あげたものをあげる事は出来ないだろう?」
「ほーら見た事かオレの言った通り!!!!!」
「オドロキさん、目から血が出ています。血の涙です」
 みぬきが淡々と言った。


 さて。後日。
「……で。結局何をあげたの?」
 昨日のショック(何のショックなんだよ)が尾を引いているのか、法介はなんだか投げやりだった。
「はい。童心に返って、手作りの券をあげてみました!」
「……15歳で童心、ってなぁ……」
 まぁ、それくらいの違和感は見逃そう。そう、それくらいならば。
「思えば、そういうのあげた事が無かったんですよね。いい経験でした」
 何の経験なんだか。些細なツッコミを心の中でそっとした。
「券っていうと……肩叩き券とか?」
「はい。それと他にも色々」
「ふぅん?」
「”ラーメン奢ってあげる券”とか、”グレープジュース飲んでもいい券”とか」
「はは。そりゃいいな」
 何枚作ったは知らないが、にこにこしながらそれらを眺めている成歩堂の姿が想像される。
「そして極め付けに、これぞみぬきならでは!という券を作ってみました」
「へぇー」
「ずばり”パパの気に食わない人を永久に消しちゃう券”です!」
「…………………………………………」
「ま。これは予約券なんですけどね。みぬきにはまだその技術は無いから。でも、こういうのって実現云々よりまず気持ちでしょ?」
「…………そ、そうだね……あはは」
 いかん。陽気に笑い飛ばそうと失敗して、余計に怖い想像を駆り立てられてしまったぞ。
「出来ればオドロキさんにその券が施行されないのを願うばかりです。さすがに顔見知りだと、ちょっとやりにくいですからね」
 中止はしないんだ。しかもちょっとなんだ。
 えへっとみぬきは可愛らしく言ってくれた。


 その後数日、成歩堂と二人きりの時法介は借りてきた猫より大人しく、それを聞いたみぬきが大層ご満悦な笑顔を浮かべたが、法介はそれは勿論知らない。
「ねぇ、パパ。”みぬきに口チューする券”は無期限で無制限なんだよ」
「へぇ、そうなんだ」
「所謂ゴールド・カードってやつ!」
「なら、大事にとっておかないとね」
「……ちぇっ」




<おわり>

……だからなんで無駄に長くなるんだろうな(遠い目)