メヌエット−正歌劇−
物好きな客と言うのは、大抵金持ちで。
そして時々勘違いしている。
彼がそう言うので、原因は貴方にもある、と異議を申し立ててみた。
店に行けば成歩堂は勝負をしているというので、待たされる羽目になった。いつも人の来ない時間帯を見計らって来ているのだが、別に綿密な計算で導いたものでもないので外れる事も、多々ある。
冷え冷えとする店内の中、熱く濃い紅茶を飲む事で時間を潰した。
勝負は三回。
それは決まっていても、制限時間は無かった。潔い客も居れば諦め悪い客も居る。そこで成歩堂が言っていた事を思い出す。勝つ相手というのは、大抵決めるのが早い客なのだと。
そういうものだろうか、とぼんやり考えていた時だ。
地下室から、駆け足で上って来る足音が聴こえたのは。
出て来たのはちょっとバタくさいような、40代始めくらいの男性だろうか。牙琉にしてみれば信じられないくらい悪趣味な柄のシャツを着ている。彼が今日の勝負相手だったのだろう。しかし全速力で立ち去って行くというのは、勝ったにしても負けたにしてもおかしな行動だ。ちらりと見えた顔は、青ざめていたようにも思える。
「……………」
地下室に行くのは、どれくらいぶりだろうか。全く足を踏み入れないという訳ではないが、勝負の邪魔をしないようにしているし、地下室に居るのは勝負をする時だ。たまに、例外があるけども。
そして自分が赴くのはその例外の場合が多い。
こうして自分が向かっているのだから、多分今日もまた「例外」だったのだろう。
だとしたらあの男は、ポーカーの為に地下室へ行ったのではないのだ。
「成歩堂?」
かつて裏取引に使われたという部屋は、ドアが開いていても開放的と言う感じがしない。少し細身に感じられるドアの向こうには、壁しか見えない。ぱっと見誰も居ないように思える。
「牙琉?」
「入りますよ」
と、言いながら入った。来て欲しくなければ、自分の名前を呼ぶ前にまずそれを言っただろうから。
中に入れば、すぐ異変に気づいた。
勝負の舞台となる机はいつもの場所からずれていて、その周囲にはトランプが散らばり、彼の愛飲するジュースの瓶がボールで倒されたピンのように転がっている。
しかし何より、一番の異変は机の上に居る成歩堂だろう。
ニット帽は取れ、パーカーは前を全開に開き、そこから地肌が覗いていた。シャツは破られたに違いない。散々な姿だが、当の本人は割と平然としていた。机から降りて、ズボンのホコリを払っている。
牙琉は腰に手を当て、ふぅ、と小さく息をついた。
「どうします?通報しますか?」
今回は衣服の損傷と言う実害があるから、起訴しやすいだろうな、と思った。
「止してくれよ。厄介事はゴメンだよ」
成歩堂は苦笑した。
稀に、人数で言えば50人に1人くらいだろうか。成歩堂の事を所謂男娼だと勘違いして押し掛ける……というか押し倒す輩が居る。
確かにこの地下室はほぼ密室と言ってもいいし、人気もあまりない。深い地下だから、声もそうそう上には届かないだろう。実際、つい先ほどここであっただろうひと悶着は、牙琉の耳に聴こえては来なかった。
そんな立地でポーカーをする。ただし金は賭けない。と来たらそれは体を売っている暗喩かと、取れない事もまぁ、取れないと思うが、裏づけも無しによく行動出来るものだ、と呆れを越して尊敬すらしてしまう。
そんな勘違いする輩でも、7割は説明すれば解ってくれるらしい(そしてその後普通にポーカーをやって負けて行く)。
が、残り3割は強引に事をすすめようとするのだ。今夜みたいに。
「せめてもう少し、身なりを整えたらどうです?そう、カジノのディーラーみたいに」
そんな無精ひげを生やしてくたびれた衣服を纏って。
言い方が悪いのを承知で例えると、場末のバーの片隅で客待ちをしているみたいだ。
「僕にタキシード着ろって言うの?嫌だよ、買うのも勿体無い」
別にタキシードまでは言ってはいないのだが、金銭面で拒んでいるのなら訂正しても無意味なような気がした。
「でも判らないなぁ。どうして、みんなこんな三十路前のオジサンを抱きたがるんだ?」
本当に判らない、と腕を組んで考える。
「男を相手にするにしても、もっと顔の綺麗なヤツは沢山居るのに。なあ、牙琉?」
「そこで私を引き合いに出されると、光栄なのか屈辱なのか判りかねますね」
褒めたんだよ、一応。と成歩堂はいけしゃあしゃあと言った。
「……綺麗な絵画が名画になる訳でも無く、ただ歌が上手なだけでは歌手にはなれない」
「うん?」
「どんなに秀麗でも、惹き付ける「何か」が無ければ二束三文の品と大して変わらないという意味です」
「えーと……つまり?」
判らない僕がいけないのかな?というように小首を傾げた。
「貴方にその「何か」がるのだろう、と言う事ですよ」
「何か、って?」
「そこまでは知りません。特に考えないで思った事を言っただけなので」
「そういうのって、案外真実なんだよ。知ってる?」
したり顔で成歩堂が言った。
「さぁ、どうでしょうかね」
牙琉は前髪を手で払って、ゆっくりと首を振う。
「例えばそうですね。希少価値とか?」
「え、僕って絶滅危惧種なの?」
成歩堂が頓珍漢な事を言うが、それには突っ込まない。
「以前貴方の事を、未亡人みたいだとからかったでしょう?その時に言った事です。
もう居ない誰かの物だから、他の誰の物にもならない。
言ってみれば、この世で絶対唯一のモノ。
だからこそ、手に入れたくなる」
「……そういうものなのかな」
またしても理解し難い、というように呟く。
そして、開いたままのジッパーを上げて、パーカーの前を閉じる。破られたシャツに眉を顰め、「これ、綿100%だったのに」と愚痴を零した。
おそらく家事には娘も携わっているのだろう。洗濯の際に彼の今日の分のシャツが無かったら、どう思うだろうか。今の成歩堂の頭の中には、合理的で上手いいい訳を考えるのに必死みたいだ。視線が明後日を向いている。そんな成歩堂の首筋には、牙琉の位置からキスマークが見える。誰がつけたかと言えば、なんと娘なのだそうだ。これで体目当てにやって来た客を牽制するのだ、と彼は朗らかに笑って言った。一体どんな娘なのだ、と自分は確かその時、本当に頭を抱えたと思う。
「派手にやられたみたいですが、本当に無事なんですか」
机をガタガタと本来ある位置に戻しながら、尋ねる。
「うん、平気だよ。君も見たんだろ?相手の顔」
「ええ、真っ青でしたね。何を仕出かしたんです?」
実はこれが一番訊きたかった事だ。言葉だけの脅しでは、ああも怯えない。
成歩堂はその問いに直ぐには答えずに、まず、にやり、と笑った。法廷で見せたような不敵なものに近いものがあった。
そして。
牙琉に向けられた成歩堂の手には、ナイフが握られていた。
そこいらのチンピラが使うような折りたたみ式のではなく、小型の剣のような物が。
しかし、自分に向けられた目は、そのナイフより何倍も鋭い。
一切の感情を消した顔が、自分に告げる。
「僕を抱きたいのなら、代金は命だよ。前払いで」
「………………」
「……って、言ってやったんだ。これを突きつけてね」
ふふっと笑って見せた今度の顔は、悪戯が成功した子供のような顔だった。
成歩堂が言いながらナイフを手に当てる。ぐ、と押さえ込まれたナイフは彼の体に押し込まれず、逆に刀身へと沈んで行った。
「みぬきのマジック用品なんだ。昼間に、天気がよくて外で練習していたんだけど、友達が来て遊ぶ事になって、ちょっと預かる事になったんだ」
預かったそれを、成歩堂はパーカーのポケットに入れて。
そして、そのまま店に来てしまったのだそうだ。
「……………」
いつもこうだ。
何かイレギュラーな事が起きたとする。
すると、その時に限って普段違う何かを成歩堂がしていたり、持っていたり、それが結果として彼を不意に訪れた災厄から助ける。しょっちゅうではないが、時折企まれるイカサマに、彼が嵌った事は、まだ一度たりとも無かった。
誰かが、隙も無く守っているように思えた。
そしてその誰かが彼を所有している者なのだろうと、漠然と思った。
「明るい所で見ると割りとおもちゃっぽいんだけど……ここは薄暗いから。本物に見えたんだろうね」
上手い事言って良かった、と彼は言う。
「……そのナイフは偽物かもしれませんが、」
「ん?」
「さっき言ったのは、本気でしょう?」
「…………。ただの脅し文句だよ。誰が相手にしろ、傷付けたくないは、無いよ」
殺したりなんか、以ての外だ。そう呟いて、手にしていたナイフをポケットに仕舞う。
(違う)
自分が指したのは、言った内容では無い。
誰の物にもならないという、覚悟の方だ。
そんな彼を手に入れるのは、それこそ彼の不敗伝説を打ち破る事よりよほど難解だろう。
いや、もうただの夢物語に近い。
これからも勘違いを起こして彼を狙ってくる不埒な輩に、むしろ、ご苦労様と労いの言葉をかけてやりたくなった。
<了>
みぬナルのギャグ話に若干リンクしてるという。
それなのにシリアス!
むしろ却ってそこが可笑しい気が!!
でもって単に成歩堂さんを未亡人扱いしたいだけの話。
辞書でちらと調べたら、未亡人って「くたばりぞこない」って自嘲した言葉なんだって。ますますぴったりじゃないか!
本当は「殺す気だっただろう」と言われて「勿論」と答える成歩堂さんでしたが諸事情で修正修正。
でもそんな甘いこっちゃだといかんと思うんだけどなぁー。