メヌエット−追復曲
何と言うか……仮にも独房という場所が、自分の住まいより広さも内容も豪奢だと、こう、やりきれないものがあるよな。税金をきちんと納めている一般市民としては。と、部屋を見渡して思った。
「そんなに、珍しいものですか?」
と、今現在この部屋の主となっている彼が聞く。
「まあね。留置所にはしょっちゅう来てたけど、ここまで入るのはこれが初めてかもしれない」
「そうですか。まあ、気の済むまで見て行ってくださいよ。私も最初こそ物珍しかったのですが、最近はさすがに見飽きました」
悪びれもれず、至って普通に穏やかに言ってのける。挨拶や社交辞令のように、相変わらずだな、君は。とだけ返しておいた。
「……どうして、殺した?君ならしないで済ます事も出来た筈だ」
「誰の事です?」
にっこり、と。牙琉は笑った。
ピンチの時程ふてぶてしく笑え――そんな言葉が不意に頭を過ぎる。ああ、そういえば、彼もまた弁護士なのだった。
「僕が尋ねているんだから、相手は一人しかいないだろう?」
パーカーのポケットに手を突っ込んで、口元を上げる皮肉った笑みを浮かべていた。
牙琉はそれ以上はぐらかしたりはせず、成歩堂の本題へと入った。
「そうですね……あの日、君とディナーを一緒にしたからでしょうか」
「…………」
成歩堂がその言葉に無反応なのを、何度も確認してから牙琉はセリフを続ける。
「あの男を見た瞬間、次には貴方の顔が浮かびましてね」
「…………」
「いつも、「終わる時」に取り乱したりしないようにと、「父親」として振舞っている貴方が」
一旦そこでセリフを切り、牙琉は一層綺麗な笑みを浮かべた。
「みぬきさんは、お元気ですか?」
「ああ、元気だよ。時々、持て余すくらい」
次に何を言われるのかを解って、成歩堂はあえて言った。
それは良かった、と牙琉は満足して言う。
「貴方のその場所を、脅かす者はもう居ませんよ」
「…………」
「おや、こんな時間だ。そろそろ帰らないと、まずいんじゃないんですか?」
今はもう一人増えましたからね、と呑気に笑う。
「……牙琉、僕は君を哀れむよ」
多分、今の自分は笑みも何も浮かべていないだろうな、とぼんやりと成歩堂は思う。
「……それは、どうしてですか?」
「そうすると、君が一番悔しがると思うから」
「…………」
そのセリフには、牙琉はメガネを押さえる動作をした。
「そうですか」
そして、手を離した後には、いつもの笑み。いつも浮かべていた笑み。何かプロっぽく見える曲はないか、とやる気のない相談にも、ちゃんと答えを返してくれた時の、あの笑顔と何も変わらない。
そして、自分も何も変わらない。
ただ、彼の身を置く場所が変わっただけだ。それで全てが変わる――変わらないとならない筈だ。
「……会いに来ても、無駄ですよ」
と、笑みを消し、その双眸で見据えて牙琉が言う。穏やかなあの笑みからは想像も出来ないくらい、その眼は、鋭い。
「何度訪れようが、貴方に私は解らない」
「…………」
解る筈が無い。
やらずに済めばいいと解っているのに、
それでも、罪を犯してしまった男の気持ちなんて。
と、彼は言った。
「そうだね」
と、眼鏡の奥の眼を見て、言う。
「そしてきっと、君にも僕を理解する事は出来ないだろうね」
騙されていれば幸せだと解っていながら、
それでも、嘘を、真実を暴かなくてはいられない男の気持ちなんて。
と、彼に言った。
御剣が、自分と違う道から同じ目的地に着くのだとすれば、彼は同じ道に居ながら全く真逆を進んで居るのだろう。同じ性質を持っていながら、ベクトルは正反対を向いている。自分はどうやっても御剣と同じ道には入れないだろうけど、牙琉の居場所にはふとした拍子に入り込めるかもしれないと思える。
なんだか、平行世界の自分を見ているようだ。
ここに居たのが彼でなく自分だったら、今、この自分が立っている場所に居るのは、彼なのだろうな、と決められている事のように、そんな風に思えてしまうのだ。
まあ、こうして顔を見に来てしまう理由は、今の自分の立ち位置を確認したいからではないのだが。
さっき彼が言ったように、牙琉を理解したいのだろうか。言われるまで、そんな事は思った事は無かったけども。
「……成歩堂」
と、牙琉が名前を呼んだ。そう言えば、今日此処に来てから名前を呼ばれるのは、これが初めてだ。そう、昔の事でもないだろうに、随分久しぶりに聞いたような気になった。
「曲のレパートリーは増えましたか?」
そう言う彼の顔は、悠然と微笑んでいた。
「いや、あれっきりだよ。ピアノって僕には難しくてね」
それでピアニストを名乗っているのだから、我ながら大したもんだ、と無責任な事を思った。そんな成歩堂に、牙琉は少し苦笑のようなものを浮かべる。
「普通、7年もかけてひとつしか弾けない方が難しいんですよ」
「まあ、これでいて僕も、他に色々やる事があったから」
「なら、今は暇ですね」
「……そうだね、とりあえずは」
「ピアノくらい、教えてくれるお友達なら、居るでしょう?」
「まあ、ね」
「……他にも、弾けるようになりなさい。仮にもピアニストなら」
「…………」
命令、のような。あるいは、懇願、のような。
そのうちにね、と適当に答えて、その独房を後にした。
彼のような完璧主義者は、それを打ち崩した相手の存在を、どうしても許せないのだ。そういう人間を、自分は知っている。
だから自分を嵌めて、陥れ、自分の知っている人物は本当に命を奪ったが、牙琉は社会的抹殺する事でそのプライド、もっと言えば自分自身を保ったのだろう。
その後近づいたのは、監視の為だ。あの裁判は自分を破滅させる事に成功したが、判決を出さなかった……いや、出来なかったというのは彼の一番の誤算であり、何より致命的な出来事なのだ。自分に向けて放った矢が、その威力のまま自分に返るような。人を呪わば穴二つ、というヤツだろうか。
だから自分に接近し、傍に居た。見張る為に。消息を絶った被告人が連絡を取るとしたら、それは自分の可能性が高いから。
きっと、それだけだ。
それでも、この手にはメヌエットのメロディーが浸み込んでいて、そしてそれが離れる事が無い。
end.
……何か書いてて自分でも訳が解らなく……許容以上の事はするなっちゅー事ですね。
でも割りと雰囲気は気に入っていたり。