虹のできるわけ

 

 これはだいぶ古い記憶だ。
 ある日虹が出て、矢張と「虹のふもと」に行ってみようという事になった。
 ところが、駆けても駆けても「虹のふもと」らしき所には辿り着けなかった。
 その上僕たちは家のある辺りからだいぶ走ってきてしまい、気がつくと虹も消えていた。
 知らない通り。
 僕たちは途方に暮れた。
 何処の何の建物かも知れない門の前で立ち尽くした。
 あぁ、やっぱり御剣の言う通り、「そのようなバカな真似」をするんじゃなかった。矢張に付き合ったりするんじゃなかった。
 なんて事を言っても遅い。今はランドセルの重みすら、僕を不安にさせた。
 どれくらい、そうしていただろうか。
 俯いて足元しか見えない視界に、大きな革靴が入り込む。
「”迷子の迷子のコネコちゃん”……か、」
 そんな童謡の一節が聴こえてきた。たったそれだけだったけど、リズムも音程もちゃんとしていて上手だと思った。
 声の方へと顔を上げると、大きな男の人がいた。本当に大きい。こんな背の高い人は、たぶん初めて見た。顔は格好いいんだろうけど怖くて、でもやっぱり格好よかった。ライオンみたいな黒い鬣みたいな髪型も、顎の髭も、夕日みたいな真っ赤なシャツも格好よかった。御剣やミラクル仮面とはまた違った格好よさだ。
 買い物の帰り道だったのか、紙袋を抱えている。袋には「Cafee」と書かれていて、コーヒーの香りが漂う。
「”名前を聞いても解らない”……なんて事はナシにしてくれよ。とりあえず、中に入りな」
 中、と言いながらその人は建物を指差した。
 僕の頭の中には、勿論先生や両親によくいい聞かされている「知らない人についていっちゃいけません」というセリフが染み付いている。けれど、僕は、僕たちはその言葉に従ってその人の後をついていった。
 他にどうしようも無かった。と、いうものあっただろうし、何より僕はこのコーヒーの人が悪い人には思えなかったのだ。


 そこは大学の前だったらしい。
 コーヒーの人は訳を聞いてくれて「虹を追いかけてきた」と言うと眼を細めて笑った。
 大学の中は夏なのにひんやりと冷たく、白衣の人がたくさん居て、薬のような匂いと、臭くはないけれどカビのような匂いがした。
 白衣を着た人達は、心細い僕らを気遣ってジュースを振舞ってくれて、入れ替わり立ち代りあれこれ話しかけてくれる。
 僕は迷子になったという恥ずかしさと、見知らぬ場所に緊張してひたすら萎縮していたけど、矢張は美人のお姉さんにむしろ率先して話しかけていた。つくづく現金なやつだ。さっきまで、僕と一緒に途方にくれて泣いていたってのに。
 また室内に新しい誰かが来て、僕らに目を留める。
「あれ、何だこの子供?」
「迷子だって。神乃木が連れてきたよ」
 「カミノギさん」というのか。気がつくとその人の姿が見えなくなっていた。
 僕は皆の目を盗んで……なんて大層な事はしていないけど、彼の姿を探し、建物の中を探索した。


 そこに訪れた理由はとても単純だ。扉が開いていたら。
 室内は、一瞬また外に出てしまったのか、と錯覚させるくらい木や草に満ちていて、けれどもジャングルジムのような鉄柵に囲まれた、大きな機械のようなものがあった。それから管がたくさん出ていて、傍らにある機械に繋がっている。
 そして、それの前に立っていたのは――
「――なんで、此処に……」
 カミノギさんは僕を見て、目を見開いた。
「……ドア。……あいてた」
 カミノギさんの反応を見て、僕は入ってはマズい所に入ってしまったのだと直感して、気づけは弁解のセリフを口にしていた。
「…………」
 カミノギさんは思い当たる節があったらしく、実に気まずそうに苦笑した。
 僕はそれに笑顔を返し、互いの失態を許しあって、僕はとりあえず追い出される事は免れた。


 ここは中庭なんだろうか。温室なんだろうか。
 天井は鉄枠にガラスが嵌められていて、日光がそのまま室内の緑に降り注ぐ。
 カミノギさんは、ここで何かの研究をしているんだろうか。あの機械を、作ったのもカミノギさん?
「見てろよ。スイッチを入れるとイイモノが出てくるぜ」
 カミノギさんが手渡してくれたものは、無理矢理例えて言うなら、ヘルメットの目を防護する部分を取ったようなものだった。あの大きな機械のミニチュアのようだ。
 言われた通り、スイッチを入れる。
 キュイーン、と小さい機械音がした。
「………あっ」
 段々大ききなる音と一緒に、七色の光が現れ、機械の両極に橋をかける。感動しそうな光景に、けれどカミノギさんは無言でそれを見つめていた。――まるでつまらないモノみたいに。
「虹!すごいすごい、どうして虹が出来るの?ねぇ!」
 僕はすっかり興奮して、カミノギさんに飛び掛らんばかりの勢いで尋ねる。
 カミノギさんは、そんな僕に、また初対面の時から浮かべている、ニヤリ、とした不敵な笑みを見せた。
「アンタが見たがってたから、見せた。
 けど、約束だぜ。
 此処で見た事を誰にも言うな。此処に入った事も、だ」
「……なんで?」
「………………」
 尋ねた僕を、カミノギさんは静かに見下ろし、約束の証にと、小指同士を絡めた。


 カミノギさんは教えてくれなかった。
 「言ってはいけない」理由も、虹の出来る訳も。
 そして。
 その日から、僕の中に「虹」が住み着いてしまった。
 あんなにきれいな虹を、何故悲しそうな顔をして見詰めていたんだろう――
 そしてあの大きな機械はなんだろう。
 もしかしたら、もっと大きな虹を作る機械かもしれない。
 そう思うと堪らなかった。今度こそ。
 「虹のふもと」を見られるかもしれない――


 居ても立っても居られなくて、僕は再びあの部屋に行く事にした。当然、一人、でだ。
 場所が大学なのが幸いした。直行のバスがあるから、それさえ間違わなければ勝手に僕を運んでくれる。
 けれどバスに乗ってから気づいた。
 僕はあの部屋に行ってもいいのだろうか。
 叱られはしないだろうか?……けれどバスは止まってくれないし。
 途中で降りる事も出来なかった――


誰かに見咎められたら面倒な事になるな、と思ったけどそんな心配は無用だったようだ。あの部屋に続く階段を上る。コツコツという僕の足音が構内に響く。
 ドアは、前と同じように開いたままだった。中を覗き込む。
(――いた!カミノギさ……)
 声をかけ様として、止めた。
 カミノギさん以外にも数人居たからだ。スーツを着込んでいて、カミノギさんと話している。けど、カミノギさんは険しい顔をしてその人達を見返していた。
「……なにをつまらない事を言ってるんです。あなたの研究がどれだけカネを生むかわかっているでしょう?」
 ”カネ”?なんの話しだろう……
「……金なんざ、犬に食わせちまいな。俺はもう、こんな研究はしたくねぇ。俺が極めたいのは……ブレンドの配分だけ、だぜ」
「何を今更……貴方のご家族は我々の監視下にあるのを、くれぐれもお忘れのなきよう。不足するものがありましたら社の方へメールをください。
それでは、失礼します」
 一体、何の話しだったんだろう。
 スーツの人達が部屋を出る。僕は慌てて隠れてそれをやり過ごした。
 恐る恐る室内に入ると、カミノギさんは机に手を置いて頭を垂れていた。自分の手を、じっと眺めていて。
「……カミノギさん?」
 そっと、その背中に声をかけた。カミノギさんがゆっくり振り返る。僕の姿を認めるのに、少し時間が掛かったように思えた。
「何しに来た……」
 その声は低く掠れ、顔は酷く疲れているように見えた。
「……来るんじゃねぇ…… 帰れ、家に…… 帰れッ!!」
 刺すような叱責に、思わず身体を強張らせる。怯える僕に、カミノギさんは、はっとした表情を浮かべた。
「…………すまない」
 足元に視線を落とし、カミノギさんは僕に謝った。そんな風に辛くさせてしまうのなら、いっそ怒られた方がまだマシだ、と僕は思った。


「……この大きな機械におカネをたくさん使ったの?」
 カミノギさんは地面(床?)にごろりと寝そべった。横に座った僕は、そんな彼を上から覗き込む。
「――そうだぜ」
 呟くようにカミノギさんは言った。
「たくさん使ったのが悪いことだったの?」
「そうじゃねぇ……」
「じゃあどうしてあの人たちはカミノギさんをいじめるの?
 僕が大人だったら味方したのに……」
 僕がそう言うと、カミノギさんはクッと喉の奥で笑った。
「……頼もしいじゃねぇか、コネコちゃん。俺もお前程強かったらよかった」
 カミノギさんみたいな、身体も大きくて頭のいい人が僕を羨ましがったので、僕は少し驚く。
「……カミノギさん。この大きな機械。……もしかしたら。
 とっても大きな虹が出来る?」
 期待を込めて、そう尋ねた。
「……たぶん、な。
 たぶん。俺もアンタも、世界中のヤツらが誰も見た事の無いくらいの大きな虹が出来るだろうぜ」
 ガラス越しの空を眺め、カミノギさんはそう答える。他の人が言ったらただの夢物語だけれど、カミノギさんは小さいながらも、実際に虹を生む機械を作っている。だから、この言葉は真実なんだろう。
 やっぱり、僕の想像は正しかったんだ。興奮に任せて、僕は矢継ぎ早にカミノギさんに言い募る。
「ねえカミノギさん、見せて!大きな虹!どうやってつくるの!?どうしたらそんなおっきな虹できるの!?」
 枕代わりに頭に敷かれているカミノギさんの腕を揺さぶって、僕は言う。
 カミノギさんは「虹のできるわけ」を教えてくれた。
 けれど、彼の涙の理由は。
 教えてくれなかった。




「成歩堂!」
 と、昼食を買って来た御剣の僕を呼ぶ声に、今が昼飯時という事も自分が空腹だという事にも気づいた。自分ひとりで切り盛りしている事務所だから、どうしても雑務で多忙になってしまう。そんな、それこそメシを食う暇も無い僕に、御剣はこうして食料を調達してきてくれる。彼は組織に属しているから誰かに回せられる分、僕よりは余裕があるんだろう。
 それでも忙しい事には変わりないだろうに、僕の為に時間を割いてくれる彼には感謝が尽きない。
「御剣。食べながら読むの?」
 御剣は片手にサンドイッチを持ち、膝の上に雑誌を広げている。
 僕は別にそういうマナーに厳しい訳じゃない。むしろ御剣から注意される方なので、揶揄のつもりで言ってみただけだ。向こうもそれが解っているのだろう。片眉をあげただけで、ページを捲った。
「興味深い記事があったものでな」
「ふぅん?」
 こうなると僕の興味は珍しくマナーの悪い御剣より、その記事の方に矛先が向く。僕が関心を示した事に気づいたのか、御剣が説明しれくれた。
「去年の暮れ、中東の戦争ですごい兵器を使っただろう」
「兵器?戦争なんてあったのか?」
「……しっかりしたまえ。さんざんニュースで取り上げられていたぞ、去年……」
 御剣は呆れるように僕を見た。
 ……うん。弁護士として、世情に疎いというのはあまり歓迎されないだろうな。今日から、チェックしておこう……
 反省する僕の前で、御剣は話を進める。
「RB……詳しい名称は忘れたな。新兵器だそうだ。炸裂する直前空に虹がかかり、”きれいな虹だ”と思って見上げると……その兵器は動物のある細胞を一瞬で破壊する。あとには静かな街並みが残る……」
 ……………
 ………”虹”………
 遠い記憶が呼び起こされる。鮮やかなあの色と共に。
 虹を作る機械。
 そして、それを作った、カミノギさん……
「開発者の名前は神乃木 荘龍。兵器としての実用化を見ずに謎の死を遂げている。
 機密を握る人物だけに当初他殺だと思われていたが、後に服毒自殺であった事が判明……」
 気づけば、僕は御剣から奪うように雑誌を取り上げていた。
 記事の傍らに載っている彼は、あの日と全く同じに見えた。


 カミノギさんはこう言っていた。

「虹は
 愛する人のいる場所へ
 行きたいと思う気持ちで
 できている」と。




<了>

そんな訳でWパロでござーい。
この最後のセリフの部分読む度にほろりと泣いてしまいます。