帰国早々



 9年も向こうに渡っていたのだから、戻ってもこっちの方が「外国」に思えてしまうのかも、何て事を思ってみたが、やっぱり故郷は故郷だ。何時戻っても自分を雰囲気で受け入れてくれる。
 帰国後、家に向かうよりも先に姉の居る警察署へと茜は訪れた。
「お姉ちゃん!」
 あの事件以来、巴は捜査員に身分を戻していた。直後は周囲の冷ややかな目もあっただろうが、今はかつて以上の信頼と実績を取り戻している。かなり威厳を増したような姉に、茜は大きく手を振って駆け寄った。
「お姉ちゃん、ただいま!」
「おかえり、茜」
 互いに微笑みあいながら、相手の訪問を喜ぶ。こんな事は、もう随分と久しぶりだ。SL6号事件以来、巴は茜を避けていたし、その真相が明けた直後早々に茜は渡米してしまったから。茜は照れ臭そうに笑い、姉の言葉をゆっくり心の中で噛み締めた。
「お姉ちゃん、あたしが帰って来たからには百人力だからね。もう今日にでも、科学捜査官になるようにお願いするつもりだから。そうしたら証拠品じゃんじゃん上げてあげるんだからね!」
「ふふ、頼もしいわ」
 少女から大人の女性へ。外見は確かにその成長を遂げたようだが、中身が相変わらずだ。愛しく思うし、やや不安にも思う。まぁ、責任のある職につけば、またそれなりの成長をするのだろう。今度は、中身の方に。
「でね!相手が弁護士だからって、情報も出し惜しみしないの。だって、真相解明が第一でしょ?」
 今までの分を取り戻すような勢いで、茜はそれこそ息をつく暇も無く語りかける。巴は、それを優しく微笑んで聞いていた。
「あー、早く捜査官になって捜査に乗り出したいなー。きっとその内、成歩堂さんの事件ともぶち当たるだろうし」
 頬に手を当てて、どこか夢見がちに呟く。
「……………」
「あれ、お姉ちゃんどうしたの?急に難しい顔になって」
 巴としては表情を変えたつもりは無かったが、さすが血の繋がった妹と言うかその変化を見取ったようだ。
「お姉ちゃん?」
「……………」
 決めていた事だ。帰ったらすぐに伝えようと。だからこそ、帰ってくるまで一切を教えなかった。
「茜」
 その声は何処か厳かな物を含んでいて、思わず茜も姿勢を直す。
「聞いて欲しい事があるの――」


(ム?)
 地震の前には地鳴りがする。
 その知識を聞いて以来、御剣はその手の音にやたら敏感になった。
 今も、微かながらそんな感じの音が、聴こえたような気がした。
「……………」
 そのまま耳を済ませてみるものの、地鳴りの音が聴こえるような聴こえないような。
(…………。気のせい、か)
 とりあえず、そう結論付けた。なので仕事に没頭する。告訴を決めた書類に、次々と判子を押していく。それなりに経験を重ねた御剣は、実践の場から統治する側へと移っていた。それに合わせ、部屋も移動した。以前より広さも豪奢さも1,5倍増しの部屋へ。時折、此処は権力者との会合の為の応接室ともなる。なのでトノサマン人形が置けないのが痛い所だ。
「………ム」
 さっきは気のせいにした地鳴りの音が、また聴こえたような気がした。もう一度耳を済ませる。
 ……かすかだが、聴こえる。
 と、言う事はもうすぐ地震が来るというのだろうか。そう思った途端、心臓が早鐘のように打ち、落ち着かなくなる。
(慌てるな!落ち着け!こういう時こそ、平常心を持たねば!)
 奥歯をグッと噛み締めて堪える御剣だが、ドドドドドッ!と襲ってくる重低音に、ビクッとなった。
 そして。
 バッタ――――――ッン!!
「御剣検事、居ますかぁ―――――――ッッ!!!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉおッ!?」
「あれ?声がするのに姿が無い」
「い、いやここに居る……」
 つい反射的に机の下に潜ってしまった御剣は、誰何にひょこり、と顔を除かせた。
 そこには見知らぬ女性が一人……と思ったが、何か見覚えがあるような気がした。
「もう!いい年こいてかくれんぼなんかしないでください!」
 その相手がぷりぷり怒る。
「……いや、別にそのようなつもりでは……」
 いかにも私がここのボスです、といった風情の椅子に座りなおしたが、やっぱりさっきの失態は見過ごしてはくれなかったようだ。
「それより、君は誰なのかね?」
 言われた相手は、言い募った時に固めた拳をそのままにして、きょとんとした。そして、綺麗な顔を怒りに染めて眦を上げる。
「茜です!科学捜査官志望の!」
「………ああ、」
 言われて納得した。見覚えがあるのも当然だった。すっかり大人の女性に成長したが、自分の記憶の中のまだ16歳の彼女と被さる所もある。大きくなったなぁ、としみじみしてしまい、何だか親戚のおじさんみたいな思考になったのを慌てて直す。
 確か彼女は科学捜査官になるべく、アメリカへと留学していた筈だ。最も、御剣が知ったのは失踪から戻ってからだが。
「いえ!この際あたしが誰かなんて、どうでもいいんです!」
 いいのかよ。
「御剣検事、どーゆー事ですか!成歩堂さんが弁護士じゃなくなったなんて!」
 机をバン!と叩いて自分の動揺を表す。マホガニーの机は、それはもういい音を立てた。
「……その事か……」
 冷静になって考えてみれば、帰国早々の彼女が自分の所に怒鳴り込んで来るだなんて、それしかないだろう。大よその顛末は、おそらく姉から聞いたに違いない。
「酷い……!あたし、御剣検事の事、信じていたのに……!」
 茜が苦しそうな顔で、振り絞るように言葉を紡いだ。
 その一言一言が、胸に突き刺さるようだ。御剣もまた、眉間に皹を入れていた。
「……ああ、自分でも不甲斐無いとは思っている。しかし、査問会議にかけられては、検事の自分にはもう、どうしようも……」
「古臭い言い方する人だけど、そういう事には理解あるって思っていたのに……!!」
「……………。は?」
 何でそこで古臭い物言いとか、理解とかいう単語が出てくるのか。御剣には意味不明だ。
 茜が言う。
いくら成歩堂さんを独り占めしたいからって、家庭に閉じ込めるだなんてあんまりじゃないですかッ!!
ちょっと待ちたまえ
「仕事が生き甲斐って人も居るんですよ!それを取り上げる権利なんて、きっと誰にも無いんです!!」
だからちょっと待ちたまえと言うに
 誤解とかいうレベルを超えて物凄い勘違いをしている茜は、御剣の言葉に振り向きもしなかった。
「御剣検事がそんな人だっただなんて……幻滅です!今までのあたしの憧れ、返してください!」
 涙を浮かべながら、茜は手を突き出した。本当に返してもらうつもりなのか。
「とにかく落ち着いてくれないか茜君ッ!君は成歩堂がバッジを無くした理由をちゃんと聞いたのか!?」
「はい。御剣検事と結婚したから」
「違う!!」
 そうだったらどんなにいい事か、と御剣は血涙する。
「えっ、じゃあ他の誰かと結婚?」
「さらに違う!!!!!」
 そんな事だったら今すぐ死んでやる、と御剣は血涙する。
「それじゃ、一体何があったって言うんですか!成歩堂さんに!!」
「それを説明しようとしたら、飛び出してしまうんだから」
 ふうやれやれ、とこの混沌とした場に似つかわしくない落ち着いた声がした。巴だ。
「こんにちわ、御剣くん。妹がとんだ粗相を」
「……飛び出したのを目の当りにした割には、急いだ様子が見受けられないが」
「あら。廊下は走っちゃいけないのよ?」
 ころころと笑う巴に、御剣はそれ以上言うのは控えた。負ける勝負には挑みたくは無い。
「お姉ちゃん!」
 ぱっと身を翻し、茜は巴に詰め寄る。
「御剣検事と結婚していないなら、どうして成歩堂さんは弁護士を辞めたの!」
 その前にどうして寿退社と決め付ける勘違いが出来たのかを説明して欲しいのだが。御剣としては。
「じゃあ、話すわよ。成歩堂くんは、<略>と、いう事でバッジを失ってしまったの」
 巴が事実を告げた。
「そ、そんな事が……!」
 あまりの衝撃的な内容に、茜がよろりとよろける。
 しかし、そのまま卒倒しなかったのは彼女の成長した所だった。
「ふぅむ……となればあたしのする事は、その検事を使われていない倉庫に呼び出して、集団リンチ&ファックする事よね!」
「茜、いつまでもアメリカ気分じゃいけないわ。ここは日本よ。そんな事、しちゃだめ」
 巴が憤る茜を諫める。それはそうと、それはアメリカでもしてはならない事じゃないのかと御剣は思った。
「だって!それじゃ成歩堂さんが可哀想……」
 事実は判っているのに、その証拠が無い為にどうにも出来ない。だから自分は科学捜査官になろうと思って海外に渡り、帰るなりそんな事態に当たるとは。いや、そうなったのは7年前の事だけど。
 しかし、当時伝えられたとしても、やっぱり自分には何も出来なかっただろう。そう落ち込んでしまう自分を慮って、姉も誰も教えなかったに違いない。
「茜」
 俯く茜に、巴は優しく肩に手を置く。
「彼を見くびっちゃいけないわ。確かにバッジは無くしたけど、真実を求める心まで無くした訳じゃないもの。今も追い続けているのよ……真実を、ね」
「……そう、なんだ……そうだよね。うん!そうよね!」
 さっきまで塩をかけた青菜のようにしょげ返っていたかと思えば、今はもう水を与えたチャーリー君のようにピンピンし始めた。単純なのはいい事なのだろう。多分。
「後ろばっかり見てちゃ、前に進めないもんね!それに、考えようによっては弁護士じゃなくなったんだから、より一層情報垂れ流してもオッケー!って事よね!」
「いや、民間人に捜査内容を漏らされては、」
「こーしちゃ居られないわ!早速配属願い、出して来なくっちゃ!」
 そう言って、地震のようにやって来た彼女は、台風のように去って行った。御剣の発言を全部聞く事も無く。
「……………」
 思わず、黙って茜を見送る御剣。
「……言って失礼かもしれないが……あのように冷静さの微塵も感じられない性格は、科学捜査官には不向きだと思うのだが?」
「大丈夫ですよ。やる気と向上心はある子ですから」
 何故か実力の二文字が出なかったが、御剣はその点について触れない事にした。



 さて、それから。
『あっ!もしもし!
 ちょっと御剣検事!あたし今日、成歩堂さんのムスメさんと会ったんですけど、これってどういう事!?結婚もしてないのに、子供作っちゃだめじゃないですか!順番違うじゃないですか!
 あたし、けじめのついていない事は許せない性質なんですよね!ちょっと御剣検事!御剣検事!!聞いてるんですか!!?』
「……………」
 御剣はそっとドアを開き、そのに居た事務官へ、「巴捜査官を呼んでくれたまえ」と静かに告げた。




<おわり>

茜さんも扱い易くていいです。事務所メンバーズと合わせるとついあっちに焦点行っちゃうけど。
これからもいい感じの暴走してくれるでしょう。うん。