親友である事の証の一つとして、好きな食べ物を知っている、というのがあげられるだろう。それも単なる自己申告では無く、何度も食事を一緒にする事により「ああ、あれが好きなんだな」と察してこそ。
 それを踏まえると、佐藤の好物を知らない吉田は、その現実に打ちのめさせる。何せ吉田にとって佐藤は、付き合っている相手――恋人なのだから。好きな人の好きな食べ物を知らないとは、全くどんな話だと他者の立場なら吉田はそう突っ込んだであろう。
 何せ、本当に解らないのだ。普通に一緒に食べていた時は元より、探ろうという意識を持ってちょっと観察するように食事中の佐藤を眺めていても。佐藤には食事中に顔を顰める悪癖があって、それにより妨げられている部分もあるかもしれないが、それを差し引いたとしてもどの料理に対してのその反応に差が見られないのである。だというのに、佐藤からは寸分間違わず好物を振る舞われるものだから、情けない事仕切りである。
 自分で限界を感じた吉田は、人を頼る事にした。自分よりも余程多く、佐藤と長い時間、食事の時間を共にしてきただろう艶子に対して。
 最初はメールで単純に「佐藤の好きな食べ物って知ってる?」と尋ねただけだったのだが、艶子が直接会いたいと願った為に休日に会う事になった。集合は吉田の家で……つまり、艶子が迎えに来たのである。
 自分の家がある住宅街にはあまりに似つかわしく無いリムジンに乗り込み、連れて行かれた先はホテルのサロン。天井が高く開放的な構造ながらに、周りに人の気配がなく、十分にプライバシーが守られそうだ。それより吉田としては、埋もれそうに柔らかいソファの方に夢中である。とてもふかふかだ!
 やがて紅茶とケーキが銀のトレイに乗せられて恭しく運ばれてい来る。今が旬である白桃のムースを味わいながら、吉田はメールでも尋ねた本題を艶子へ切り出した。
「それで、佐藤の好きな食べ物に何か心当たりって無いかな」
 ムースを一口一口味わうごとに幸せそうな表情を浮かべる吉田を満喫しつつも、艶子は投げかけられた質問にもきちんと応じた。けれど、偽りなく真摯に答えた結果は、およそ彼女の要望を満たすには敵わないだろうと、艶子は吉田からのメールを見た時分から解っていた。
「……施設に居た時は、度々食事が一緒になる事もありましたけど、特にこれが他より好きだ、みたいな台詞も素振りも見せていませんでしたわ」
 それはもう、艶子も何度も何度もあの頃を思い出した結果としての結論である。毎日、とは言わないが多分吉田よりは一緒に席を同じくしているのは確かだ。まあ、吉田のように熱心に観察していた訳でもないが、それでもあの頃から食に関心が薄いというか、低い佐藤である。他よりも箸が――まあ、その時はフォークやナイフだが――進むものがあれば、目に付くだろう。けれど、そんな記憶の引っかかりすら無かった。
 艶子の返答に、吉田は肩を落としたがそこには「やっぱり」という台詞が見え隠れした。過ごした時間は艶子の方が長いが、そもそも佐藤と先に出会ったのは吉田である。佐藤があまり食べる事に関心を持たないのは、すでに承知済みだっただろう。
「ごめんなさいね。私も解らなくて……」
「う、ううん! 艶子さんは悪くないし! あっ、ケーキ、美味しいよ!」
 労い方があまりに吉田らしくて、艶子は小さく吹き出した。
「答えられなかった私が言う事ではありませんが……どうして隆彦の好物が知りたくなったの?」
 それ自体は全く持って悪い事でも無く、むしろ2人の中を応援する立場の艶子としては大いに結構な事だが、気になると言えば気になった。
「ん~、特に理由は無いんだけど……」
 そう言って、吉田はティースプーンをカップの中で掻き回す。
「ちょっと前に秋本……あ、学校の友達なんだけど、洋子ちゃんっていう幼馴染が居るんだけど、その子が弁当作ってくれたんだって、もうその日の昼が来る前からずーっと嬉しそうでさ」
 まだ吉田の台詞は途中だったが、艶子にはもう充分だった。その時の、その秋本とかいう友達が凄く嬉しそうだったから、それならばと吉田も佐藤に作ってあげたくなったのだろう。そして出来れば、その弁当の中に好物を入れられたらと。実際の吉田の台詞も、ほぼ同じ内容だった。
「でも全然解らなくて……まあ、もし解ったとしても作れるかどうかも解らないけど」
 現在の吉田のレパートリーは、出来るものを数えた方が断然早い。しかもその中には弁当に不向きな物も含まれるから、弁当にするとなるとさらに減ってしまう。
 ムースを食べつくした吉田は、腕を組んでうんうんと唸っている。それこそ、咀嚼中の佐藤よりも顔を顰めて。表情の酷さはそのまま、真剣さの現れである。
 自分自身に興味も何も抱いていない佐藤の事を、まるで自分の事のように思い悩んでくれる存在が出来てくれるなんて。佐藤と出会った当初には、こんな現在なんてまるで予想も出来なかった。相手が自分の思い通りになる事に快感を抱く艶子だったが、こういう予想外なら大歓迎だ。何だかんだで、佐藤も苦楽を共にした仲間である。勿論、幸せになって欲しい。だから艶子は佐藤に言う。
「きっと隆彦にとっては、吉田さんが作ってくれたものが何よりの御馳走でしてよ」
 その艶子の台詞に、吉田は顔を真っ赤にした。
「……似たような事、佐藤にも言われた……」
「あら、本人からのお墨付きね」
 艶子がころころと笑う。きっと佐藤の事だから、吉田の照れ屋羞恥心をもっと直に擽る様な物言いだったのだろう。
「大丈夫でしてよ、吉田さん」
 艶子は優雅な手つきでティーカップを持ち上げ、綺麗に微笑んだ。
「料理に限らず、全ての事は何をやったかより、誰がやったか、ですもの。最高の食材に技法を尽くした料理より、好きな子が一生懸命作ってくれた料理の方が断然良いに決まってますもの」
 だから隆彦に作ってあげてくださいな。
 お人好しな吉田は、基本頼み事は断れない。
 だからこそ、お願いする艶子であった。


 そして艶子に後押しされ、吉田は早速弁当作りに励む事にした。しかし、前述した通り、まだ会得したレシピは少ない。その上、付き合っている事を母親に隠している吉田は、あまり大っぴらに台所を使う事も阻まれた。あの母親は絶対勘繰るに決まってるだろうし!
 あれこれ考えた吉田は、弁当という事を念頭に置いた結果、おにぎりを作っていく事にした。おにぎりなら失敗は好きないだろうし、中の具に工夫の余地はある。それに、佐藤は昼休みにおにぎりを食べている時だってあった。コンビニで買ったものであるが。
 次に吉田が考えたのは、弁当を作っていく旨を事前に佐藤に報せるか否かと言う事である。普通なら前もって報せれば良いのかもしれないが、度々サプライズを仕掛けられる吉田としては、たまにはこちらから仕掛けてみたい。おにぎりならそのまま持ち帰って貰って夕飯にしても良いし、と言う事で吉田は当日のその時間が来るまで秘密で押し通す事にした。
 そして、その時は来た――
「――えっ、弁当?」
「うん、おにぎりだけど」
 落研部の部室にて、テーブルの上にちょこんと乗せられた袋の正体を知らされ、佐藤は思わず反芻していた。軽く見開かれた佐藤の様子に、軽いドッキリが成功した事に吉田は胸中で喝采を上げる。どうだ、見たか!!
 とはいえ、メインはむしろここからである。佐藤が美味しいと思ってくれてこそだ。
 今日の朝、おにぎりと拵える事は出来たものの、吉田をちょっと困らせる事態が発生した。作ったおにぎりを詰めていくに相応しい入れ物が無かったのである。たまに吉田が使う弁当箱ではとても収まりきれないし、かと言って正月に使うお重を持ち出す訳にも行かない。結局、タッパーに詰めて来た吉田だった。
「えっとね、中はオカカと、鮭フレークとゴマを混ぜたのがある」
 中の具は吉田の手作りだ。まあ、包丁も火も使わず、単に混ぜて出来る物ではあるが。
「へー、凄いな」
「……………」
 だというのに、佐藤の方が余程手を込んだ物を作るというのに、佐藤は揶揄でも冗談でも無く、嬉しそうな色も滲ませて言う。
「は、早く食べよ!」
 顔の熱を誤魔化す為に、吉田は言う。言った後、そういや佐藤は今日の昼飯どうなんだ、と思ったけども、佐藤の方はすっかり目の前おにぎりに集中している。
 けれど、そこまで見つめておいて、佐藤は中々手を伸ばそうとはしない。変な遠慮でもしてるのかな、と思ったその時、佐藤がぷっと吹き出す。
「え、何、何??」
 思わず吹き出してしまうような、変な所でもあっただろうか。ただのおにぎりの筈なのに。
 不安になっておろおろとする吉田を宥めるように、佐藤は手をヒラヒラとさせた。
「いや……なんでこんなに小さいんだろうって思ったんだけど、そもそも吉田の手が小さいもんな」
 手で形を作る物だから、出来上がりの大きさも手の大きさに準じるに決まっている。気付いた事より、すぐに見抜けなかった事へ対し、佐藤が笑っていた。
「そんなに小さいかなぁ」
 笑われるほどのサイズじゃないと思うけど、と吉田は自分の作ったおにぎりをみる。
「そりゃ、吉田にとっては普通サイズだろうけどさ。
 ほら、こんなに手の大きさが違う」
「わっ!」
 佐藤が吉田の手を取り、手の平通しを重ね合わせる。掌の付け根同士を合わせると、吉田の指先は佐藤指のの第二関節すら届いていなかった。けれどそれより、吉田としては手の平からじわじわと伝わってくる相手の体温が気になってしまう。
「さ、佐藤って、手、大きいな……」
 気を紛らわす為、そんな事を言ってみる。
「そう? でも吉田の手、小さくて可愛いな」
「わわ―――ッ!!」
 そう言った佐藤は、吉田の指と指の間に自分の指を滑り込ませ、そのまま軽くきゅっと握り締めた。これは所謂恋人繋ぎという奴だ。普通に手を繋ぐより、肌の触れ合いが多い気がする。実際吉田の顔の熱もぐんぐんと上がって行った。
「ちょ、ちょ……と……」
 繋ないだというより、絡めた指先をそのままに、佐藤は吉田の方へと顔を寄せた。そして、こめかみやら頬、左目下の傷へと軽いキスを降らしていく。佐藤の唇が軽く触れる度、吉田が反応する。
「~~~~ッ! 早くおにぎり食べようよ―――!!」
 居た堪れなくなった吉田が、またもされそうになったキスを防ぐように言う。
「えー、もうちょっと。作って来たお礼に……」
「お礼なら食べる前にやってどーすんだ!!」
「それもそうだな」
 と、佐藤はあっさり手を離す。
「続きは食べた後な」
「うん、……へっ?」
 半ば惰性で頷いてしまったが、何だか今、聞き逃せない台詞が出たような。
 吉田が尋ね直す前、佐藤がおにぎりに手を伸ばす。作っている最中は小さいなんて思ってなかったが、確かに実際佐藤が手に取ると、そのおにぎりはとても小さかった。手に取ったおにぎりを見て、佐藤がまたふふ、と小さく笑う。そして、齧り付く。
(――あ、)
 微笑んだまま、佐藤の表情は変わらなかった。咀嚼する間にも。
 しかめっ面以外で食べる佐藤を、吉田は初めて見た。
 と言う事は――吉田は目の前で起こっている事を分析する。普段は顰め面になるのに、今日はならないという事は。
(佐藤、おにぎり好きだったんだな~)
 佐藤が実際にその声を聞けば、何でだよと小言と一緒に耳や頬でも軽く摘まんでいたに違いない事を吉田は思った。当然ながら、佐藤が好きなのはおにぎりでははなく吉田の方である。
 妙な勘違いはしたが、こうして食べてくれた事だし、吉田はまた近い機会にでも佐藤におぎにりを拵えて行こうと決めた。
 中の具も色々考えよう。母親にばれずにこっそり、という厳しい環境の中だけど、自分のできる精一杯で佐藤に美味しい物を作ろう。
 そして、 ガス台は使っていないから弁当を作った事はばれていないと思っている吉田だが、おにぎりと作る分、米は減るので実はとっくに母親へとばれているのであった。



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