吉田は両親共が酒飲みである。なので、ほぼ必然的に吉田にもアルコールには耐性ある体質を持った。
 けれど、甘いものが好きという吉田の嗜好により、飲むのは専ら甘い果実酒。それをデザートのように嗜みに、食間にワインなどを口にするのは少し格のあるレストランに入った時くらいだ(もちろん、佐藤と一緒に食事中に酒を摂らないのは、)吉田は食事となれば、しっかりご飯を食べて腹を満たしたいタイプと言う事もある。
 とは言え、酒とつまみの組み合わせの味をまるで知らないというのでもないのだ。
「んー、このたこわさ美味しい~!」
 吉田が目を細めて称賛する。その向かいに居る佐藤がとても満足そうなのは、そのたこわさが佐藤お手製のものだからだ。
「それ、わさび殆ど入ってないもんな~」
 くつくつと笑みを押し殺していうと、吉田がそも心外とばかりに言い返す。
「それでもちょっとツンとしたし! このちょっとピリっとした感じが良いんだよな」
 箸の先でほんの少しつまみ上げたたこわさを、ぱくんと口に含む。そして、ハイボールで流し込んだ。
 たこわさとはその名前のまま、たことわさびを混ぜたつまみだ。居酒屋の定番メニューである。吉田はそれを、毎回美味しそうに眺めているのだがわさび成分の為に一口しか食べられなかった。そこで佐藤が、吉田の為にわさびを減らしたレシピで作っているのである。刺身用のタコを一口サイズよりやや小さく切った後、みりんや醤油を加え、そしてわさび。更に茎わさびを細かく切ったものを加える。2週間くらい保存は出来るが、大体いつも1日か2日で食べきれる量で佐藤は作っている。すでに半分以上が無くなっていた。そうだ、別にたこだけじゃなくて他の魚介も混ぜてみようか、と吉田が食べる様子を見て佐藤は思った。イカとかイクラとか。2つ以上の材料を混ぜる時は、味がお互い喧嘩しないよう、気を配る必要がある。吉田は食事を終えた傍から次の食事に思いを馳せるが、佐藤も食事中に次回の献立を考えるのだった。吉田の笑顔をもっと見たい為に。
 今日は金曜日。明日の心配が無いと、吉田も酒を飲みたくなる。とはいえ、それまでの日常を忘れる為ではなく、これから迎える休日に対しての祝杯の気持ちが大きい。吉田の酒は、いつも楽しい酒なのだ。
 先週、吉田の実家に立ち寄った時、持って行きなさいと父親からウイスキーを手渡された。お歳暮として受け取ったものらしい。吉田の父親が酒を嗜むのは同じ部署で働けば自然と解るもので、他にもアルコール類が重なったらしい。それでもこの両親ならば飲みきれる量だろうに。帰りの車の中で、吉田はウイスキーの瓶を抱え、そんな事を呟いていた。別にケチを付けたい訳では無く、きちんと自立して生活しているのに施されるところに引っ掛かりを感じているのだ。まるで子供扱いされているような。
 そういうんじゃないと思うよ、と佐藤はそっと否定し、貰った分また返せば良い、と運転中の為、手で髪を梳いたりという行動がとれなかったのが佐藤には悔やまれた。
 ハイボールに仕立てたのは吉田に合わせた結果だ。ロックやストレートだと飲むには重く感じるらしい。
 ちょっとお酒が飲みたい気分、と申し出た吉田の為、晩酌を考慮した軽めの夕食にした。そしてこの晩酌の後、吉田の為にカモミールのシロップで浸した葛きりを用意してある。今頃、冷蔵庫の中で冷えているだろう。
 過ぎ行く金曜日の夜を満喫していると、室内にチャイムの音が鳴り響いた。
「ん、誰だろ」
 こくり、と口の中のアルコールを飲み下し、吉田が何となしに言う。ドアホンに近い場所に居た佐藤はすぐに立ち上がり、来訪者を確認した。
「宅配だってさ」
 短くそう告げ、誰から何が来たんだろう、と顔を輝かせた吉田を見てから佐藤は玄関に向かう。
 佐藤の家には宅配が多い。というより、吉田と住むようになって明らかに増えた。その送り主は、大体が決まっている。
「ジャックからだった」
 箱を担ぎながら、佐藤は吉田の待つリビングへと戻る。吉田がここへ来てから、艶子やジャックを筆頭に、昔施設で知り合った者達からあれこれと品物が送られてくる。吉田が食欲に忠実な性質だと解っているからか、主に食料品が多かった。今さら餌付けしなくても居てくれる、と内心悪態しながらも、何だかんだで自分達を応援し、祝福してくれている気持ちはやっぱり嬉しいものなのだが。
 とは言え、今来たジャックからの宅配物は、手にした重さからどうも吉田の期待する食べ物とは違うような気がする。おそらく、これは――
 吉田は海外から遠路はるばるやってきた荷物の開封に勤しむ。わくわくとした面持ちで実物と対面する。すると、あっ、と驚いた表情になった。
「アロハシャツだ、これ!」
 肩の部分を手で摘まみ、ほら、と掲げてみせる。その色合いと見ると、どうも量販店で売っているのではなくてちゃんとしたビンテージものらしい。
「ハワイに行ってるのかな」
 おそらくは佐藤のサイズに丁度良いアロハシャツを眺め、吉田が言う。箱の中にはまだまだ色んな衣服が詰まってそうだ。下手に取り出すと、部屋が散らかりそうで手が出ない。
 何だかここだけ夏みたい、と吉田が言うと、佐藤も軽く笑う。ハワイは常夏だから、日本の寒さなんて関係なく太陽を青空に輝かせているだろう。
「ああ、ハワイに行ってるみたいだ」
 同封されていた手紙を読み上げ、佐藤が言う。ジャックが暮らしているイギリスは冬は勿論寒い。あいつ、寒さから逃げたな、と思う佐藤だ。
 手紙じゃなくて事前にメールで一言くらい入れろとは言ってあるのだが、それだとサプライズがないだろと謎の反論を食らい、佐藤の意見は未だ取り入れて貰えていない。どうせ夜には家に居るんだろ!と豪胆なジャックの主張が今の所まかり通っているのが何だか釈然としないような。ディナーを食べに行ったりしている時もあるというのに。まあ、基本は2人とも、家が一番落ち着くし寛げるから、取り立てて特に理由が無ければ家に居る事は多いのだが。
「そっか、ハワイか~……、……………」
「マカデミアチョコなら、こっちに寄る時に持って行くって」
「えっ、ホント!?」
 ハワイならマカデミアチョコが欲しいな~という吉田の顔を見て佐藤は言った。相変わらず、考えている事が良く解る。
 まるで不意打ちのように荷物を送ってきたが、さすがに訪問となれば事前に告げてくれるだろうな、と文面を軽く睨むように見る。佐藤にとって気掛かりなのは、いきなる来る事では無くて吉田を独り占め出来る時間が減る事だ。だからもっと早く一緒に住めば良かったのに、と突っ込みを貰いそうだが、佐藤にだって色々思う所があって切り出せなかったのだ。むしろ、色々思っていたからこそ踏み出せなかったというか。
「あと、その中にアロハシャツだけじゃなくて、ドレスも入ってるって」
「んー? あ、これかな」
 佐藤に言われ、ごそごそと箱の中を散らかさないように漁っていると、シャツとは違う質量の生地を見つける。引き上げてみれば案の定、シャツでは無かった。実物を模写したというより、想像で描いた小さな花々が散っている。上部が白、下部のスカートの裾に行く連れ濃いピンク色に変わるグラデーションだ。その上に描かれた花は丁度グラデーションが反転した明度で描かれている。なので、腹部辺りでは薄いピンク色で包まれていた。
 可愛いなぁ、と顔を綻ばせた吉田だったが、これを着るのが自分だと思うと何だかこのドレスに申し訳なくなった。袖はノースリーブで、上に羽織るか下に着こむかすれば、長いシーズンで着こなせそうだ、と後ろから眺めた佐藤が耽々とコーディネイトを組み立てていく。
「なあ、吉田」
 しげしげとドレスを眺めている吉田に、佐藤は声を掛けた。何?と吉田が軽く振り返る。無防備な表情に、襲い掛かりたい欲望を堪え、佐藤は言った。
「ちょっとそれ、着てみて。いますぐ着た所が見たい」
「え、えっ?い、今から?」
 今は冬だし!と狼狽える吉田からそんな声が聴こえる。
「暖房ちょっと温度上げれば大丈夫だろ?」
「いや、温度とかじゃなくて……」
「見たい。凄く見たい」
「……………」
 吉田を苛める時は色々と策を弄する佐藤だが、強請る時は率直に言う。この方が吉田が折れやすいのだ。彷徨う視線を引きつけるように、きっぱりと言うと、吉田の視線は佐藤に集中し、頬に赤みが差す。しかも上目使いで、堪らないコンボの完成だ。ああ、吉田は可愛いなぁ、と誰と知れず惚気る佐藤だった。
「じゃ、じゃあ、ちょっと着替えて来るっ」
 ドレスを手にし、ぱたぱたと寝室に向かって小走りで駆ける。
 別にここで着替えても良いのにな~、なんて思いながら、佐藤は吉田の帰りを待った。

 ちょっと時間が掛かってるな、と佐藤は時計を見ずとも捉える。初めての服に吉田が手間取っているのだろう。それは良いのだが、おそらくろくに暖房もついていないだろう部屋で、薄着のまま四苦八苦するというのは頂けない。吉田は虚弱でも無いし、むしろ佐藤より病気に対して頑丈かもしれないが、不安要素は取り除くに越したことはない。
 顔を出せば怒るだろうが、ドアの外から伺うくらいなら良いだろうか。なんて思った時、吉田の気配がこっちへと向かって来た。が、途中で止まった。
 寝室へ続く廊下とリビングはガラスの戸がある。エアコンを付けた時などに閉じられているそのドアの向こう、吉田が佇んでいるのが刷りガラス越しに見える。そこまで来て、また躊躇っているのか。案外、時間がかかったのも着るのに手間取ったというよりは、決意を固めていたからかもしれない。
「吉田、そんな所で何してんの」
 廊下は暖房が効いていない。それに何より、早くその姿を見たくて、佐藤は前触れも見せずにドアを開ける。あっ!という顔をした吉田と視線がぶつかる。そして、逃げ出す暇も与えず、腕を掴んで引き寄せる。相変わらず小さい吉田は、佐藤の体躯にすっぽりと収まってしまう。
「可愛い」
 まずは簡潔に告げてみる。それだけで、吉田が沸騰しそうなくらいに顔を赤らめた。こんなに赤いのなら、風邪の心配はないかな、なんて思ったりした。
「着た感じどう?」
 抱きすくめた状態から少し放し、覗き込むようにして尋ねる。生地と肌が合わない場合も多々ある。
「うん、さらっとしてて良い感じ」
 夏に来たならさぞ過ごしやすいだろうと思うが、いかんせん今は冬だ。夏仕様のドレスに着替える為、佐藤が心持部屋の温度を上げてくれたみたいだが、夏の温度には敵わない。
 今から夏が楽しみだ。外出着なのだから、どこかの海岸にでも行ってみようか。
「佐藤は? 着ないの?」
 吉田がちょっと意外そうに言っている。自分に試着を進めたのだから、佐藤も着替えているとばかり思ったのだろう。けれど、佐藤は着替える事は無く、そのままである。
「あ~俺のは……夏までのお楽しみって事で♪」
「な、何だそれ!!」
 自分だけ夏服で馬鹿みたいじゃないか!と憤る吉田だったが、くしゃん、と可愛いくしゃみが迫力を皆無にさせる。
「ああ、ちょっと冷えちゃったか……じゃあ、風呂に入るか。風呂なら一緒に入るよ」
 にこり、とわざとらしい位輝く笑みを見て、吉田の中の警戒信号が黄色く点滅し出す。
「ちょ、ちょっと鼻がむずむずしただけだし! わっ、わー!!!」
 距離を取って回避しようと思ったが、それよりも佐藤のリーチの方が長くあっさりと捕まってしまった。そして、ひょい、と横抱きに抱き抱えられる。こうなると、抵抗した所で大した効力も発揮しない。
 風呂に向かう最中、今日はトロピカルな感じの入浴剤にしようかな、とまだ喚く吉田を抱きながら、佐藤は思う。
 冷蔵庫の葛切りは、風呂上がりで味わう事が出来た。




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