「吉田、ちょっとお茶して行こう」
 佐藤に言われ、吉田は素直に頷いた。佐藤がそう言い出すのはこれが初めては無い。そういう時は、大抵駅前のカフェやファーストフード店だ。が、今日は少し違うらしくて。
「こっち」
 と、軽く指差しして吉田にとって初めての道を導く。知らない場所へと進むが、不安は無い。それはきっと、佐藤が一緒だからだろう。
 ここだよ、と案内されたのは、暖簾の下がる御茶屋だった。
「へぇ、こんな所があったんだ」
 吉田が意外そうに言う。いつもの駅前からそんなに外れてはいない。道を2,3本程いつもとは違う方向へ曲がったくらいだ。自分の住んでいる地域ながら、未開の場所は多い。知らない間に潰れいてたり開いていたりもする。
「割と最近出来たみたい。でも、味は良いってさ」
 最もインターネットから拾った情報だから、どこまでの信憑性かも怪しいが。とはいえ、この外見を見る分には、裏切られる事は無さそうだ。やはり、きちんとした仕事をする店はその構えから違う。
 店名の書かれた暖簾をくぐり、ガラスの引き戸を開けて吉田が先に入る様に促す。別に渡英していたからの習慣では無く、偏に佐藤がしたいからの行動だ。それにちょっと照れくさそうにして店内に入る吉田。手足の運びがぎこちなくて、佐藤は小さく笑う。
 席に着き、吉田は早速メニューを手にした。いや、ここはお品書きと言った方が良いだろう。実際和紙にはそう書かれている。
 写真では無く墨で描いた素朴なイラストだが、それが却って美味しそうに見えた。最初のメージには上生菓子が載っていて、折角だしたまには食べてみようか、と吉田は思い始めた。と、そこへ。
「ここ、ぜんざいが名物なんだって」
 ほら、と別途の和紙を吉田の前に掲げて見せる。
 ぜんざい!その存在を知らされた途端、吉田の頭の中はぜんざいで一杯になった。ふわりと漂う小豆の優しい芳香と、それを腹に収めた時の満足感と充実感。2つの選択肢を乗せた途端、あっさりと軍配はぜんざいの方に上がった。いや、見た目としては下がったというべきだろうか。
「じゃあ、ぜんざい!!」
「うん」
 解ってた、とでも言いたげな優しい微笑みを浮かべ、佐藤は軽く手を上げて従業員を呼んだ。


 そのぜんざいはとても美味しかった。さすが名物と銘打ってあるだけある。何やら色々とこだわりが品書きに綴られていたみたいだけども、吉田は味わう為に読んでいる場合では無かった。何せ、着け合わせの柴漬けまでペロリと平らげてしまったくらいだ。普段ならそっと佐藤に渡す所を。
 そして佐藤が頼んだのは抹茶ラテだった。吉田がちょっと興味を持って一口味見させて貰ったが、吉田にしては甘味がちょっと足りなかった。うーん、と抹茶ラテの入ったカップを両手で包んで自分の嗜好と照らし合わせている素振りを見て、佐藤は甘味を口にするより余程和んだ。
 帰りはご機嫌になりながら吉田は帰宅した。最近、秋が深まって冬が近づく中でのぜんざいはとても美味しかった。腹の中に収めたぜんざいが今でも熱を持って体全体を温めてくれている気になれる。
 そして次の日。佐藤はいつも昼食を買うコンビニでこんなものを見つけたと、たい焼きを2匹(2個?)吉田に手渡す。すでに冷えてしまっていたが、生地は固くはならず、ふわりと柔らかいままだった。中に入っているのは勿論餡子。
「最近はカスタードとか色々あるけどさ、」
 むぐむぐ、と1つ目を平らげた吉田は2つ目に手を伸ばしながら言う。
「やっぱり、餡子が一番良いな~。他のもたまになら良いけど、餡子じゃないと落ち着かないし。
 あっ!この前どっかのテレビでやってたんだけど、なんかお好み焼きみたいなのとかチーズとか入っているのもあって!たい焼きは甘くないとダメじゃんなぁ!」
 憤りを見せながらも食べる速度は変わっていない。この仕組みはどうなってるんだろう……と吉田の口が意外と多機能性である事に佐藤が気付く。
「そういや、佐藤って粒餡と漉し餡、どっちが好き?」
 それにしても魚型の物を持つと一層吉田の猫っぷりが上がるなぁ、などと呑気に眺めていたら、そんな事を尋ねられた。佐藤にとってそんな事、これまで考えた事もなければ聞かれた事も無かった。何せあんな家庭であるし、初めての友達が出来た空間は日本では無い異国の地である。
「いや……どっちも、かなぁ」
 佐藤としてはどっちとも好きとはいえない、という意味なのだが、だよね!と笑顔で頷く吉田にとって、佐藤の返事はどっちも好き、という意味に捕えられたらしい。その齟齬を佐藤は見出してたが、あえて口を挟むのも意味が無いし、とそのままにしておいた。大体、吉田と一緒に食べればどっちだって美味しいのだから。
「どっちかしかない、ってなると困るな~。でも、時々なんかどっちでもないようなのがあるんだけど」
 粒餡ほど粒が残ってないけど、漉し餡でも無い、と吉田は言う。
「小倉餡じゃないか?」
「おぐら??」
「まさしく粒餡と漉し餡を半々に混ぜた餡子をそう言うらしいよ」
 愛知とかが特に多い、という佐藤の解説に吉田はへ~、と相槌を打つ。
「佐藤って物知りだな~」
「そうでもないけど」
 と、ちょっと照れくさそうな佐藤の返事は、別に謙遜では無い。ちょっとした都合で今、佐藤は餡子の類に以前よりも詳しいのである。
 

 あのさ、と吉田が切り出したのは休日、佐藤の部屋に呼ばれてからだ。もっと言えば、そこでおやつを出された時。甘く炊いた赤飯が中に入っているまんじゅう、と、この辺ではちょっと見ない和菓子を振る舞って貰った。上品と庶民的の真ん中のようなお菓子で、勿論とても美味しいのだが、それ故にちょっと気になった事が。
「なんか最近、餡子っていうか小豆が多い気がするんだけど……」
 ぜんざいから始まりたい焼きに、そしてその後にも餡パンや餡子ときなこの和風パウンドケーキなどを佐藤から貰っている。これらの共通点は、吉田が言った通り餡子――というか小豆である。小豆である事が重要に見える。
「あ、ごめん。飽きた?」
「飽きたって訳じゃないけど、美味しいし。でも、何かあったかなって」
 軽く頭を掻く様子からして、佐藤の方は無意識では無かったようだ。というか確信犯……計画的というやつか。まず思ったのは自分が小豆食べたいとでも口走ったかという事だが、さすがにそんな事を言えば覚えている筈だ。筈である。
 忘れているという可能性が拭いきれない吉田は、最後の方声の張りが窄まってしまった。忘れていたのだとしたら申し訳ないと。軽く畏縮してる吉田に、そうじゃないと佐藤が言う。
「んー、まあ大した事ないと言えば無いんだけど……」
 そう、佐藤は話を切り出した。
「前に本を読んでてさ。小豆っていうか小豆色って邪気うぃ払ったり厄除けの意味があるらしくて」
 読書家の佐藤は知識を本から得る事は少なくない。ふんふん、と吉田が大人しく話を聞いていると。
「だから、吉田に小豆を食べて貰って厄を払って貰おうと思って」
 と、そこまで佐藤が言った所で吉田は軽く頭を捻った。どうやら自分の為と思っての事らしいけども、別に悪運に見舞われている訳では無い。
「払う厄って、あるの??」
 思わず自分で指差す吉田。すると、佐藤は。
「ある。とびきりのがあるじゃないか!!」
 やたら迫力を持って佐藤は断言したが、吉田は自分自身の事ながらさっぱり解らない。ひたすらはてなマークを飛ばしてばかりの吉田に、佐藤は言う。
「最初に”に”がついて次に”し”がついて最後に”だ”の奴だ!!」
「……あー……」
 そこまで言われて、吉田もようやっと佐藤の言う”厄”の正体が解った。西田はゲイながらも女子の吉田に好意を持って居る。それが佐藤には気に食わなくて気に食わなくてとにかく気に食わない事この上ないらしい。ホモなんだから男に惚れておけ!と言うがそうなったらそうなったで佐藤を好きになられたら困る……というのは吉田の胸の内だけの心配だ。言えば佐藤は喜ぶだろうに。そして西田は落ち込むだろうに。
「でも、いくら小豆食べても西田がどっか行くとも思えないけど……」
「解ってる」
 まるで西田本人が目の前にいるかのような壮絶な顔を浮かべながら、佐藤は腕を組む。
「それでも、やっておくたくて……」
 子供っぽい真似だと自覚があるのか、歯切れも悪くぼそぼそという。
 山中の時とは違い、西田に非があるという訳でも無いから、佐藤としてもやりようがないのだろう。佐藤はそれでも、事実無根の誹謗中傷で人を陥れる人物ではない。
 けれど、佐藤がそんなに必死にならなくても、吉田自身は西田の事は何とも思っていない。まあ、同じ学校に通う知り合いくらいには思っているし、挨拶されたら無視は出来ないが、それくらいだ。その程度しかない。そうして、佐藤がこんなにも過剰になるものだから、西田も同じ度合いで返してしまうのではないだろうか。所謂、意地の張り合いというヤツである。
 まさかそんな理由で小豆を食べさせられていたとは。まあ、美味しいから良いんだけどさ、美味しいから……と、赤飯まんじゅうをもぐもぐと平らげる吉田だった。


 けれど、そのたっぷりと摂った小豆のおかげか。この冬、吉田は風邪ひとつ引く事は無かった。
 佐藤が追い払いたくて止まない”厄”の方は相変わらずであったが。




<END>