秋と言えば、まずは食欲を掲げる吉田である。別に運動も芸術も嫌いではないが、やはりこの実りの季節にそれら恩恵を味覚で満喫のがまず第一だと思っている。言ってしまえば運動も芸術も他の季節でも出来るし。
 それに、街中もそんな食欲を殊更刺激させようと、店頭販売も多くなり値引きセールの上りも目立つ。こういう、活性化された商店街を歩くと元気を貰うかのようだ。今日も佐藤は女子と帰ってしまったが、そんな事くらいどうでも良い……まではいかないけれど、気が軽くなったのは確かだ。
 足取りも軽くなった吉田は、すぎには帰宅せず、秋のセールで湧き立つ商店街を見て回る事にした。普段は立ち入らない所にも足を踏み入れてみる。見慣れた光景とは少しいつもと違う様子に、ちょっとだけ探検している気分になった。
 そこで通りかかった精肉屋にて、コロッケが半額になっているのを見つける。昼食はちゃんと食べたけど、下校時は小腹が空く頃でもある。特に今日は、5時限目が体育で腹の減り具合も普段より激しい。そこにきて、コロッケの半額とはとても魅力的だ。思わず3つ買ってしまったが、若干小ぶりなので問題なく平らげらるだろうし、夕食にも影響しない。逸る気持ちのまま、早速取り出してコロッケを齧る。
 揚げたてのコロッケは、手にしても熱かったが、口に入れたらもっと熱かった。気を付けても尚、その熱さにまさに舌を巻く。
(熱っっ!! ……でも、美味しい~!!)
 潰したじゃがいもとミックスベジタブルの入ったとてもシンプルなものだったが、その分とても味わい深かった。コロッケの味付け自体が美味しいのだ。これはいくらでも食べれそうだな、とあっという間に吉田は1つを平らげた。
 続いて2つ目に取り掛かる。こういう惣菜は、出来たても美味しいが冷めてもまた美味しいものだ。残りの1つは冷まして食べよう、と吉田はコロッケを食べながら決める。
 と、街の喧騒に紛れ、明らかにそれとは違う音を聴きつける。その方を向いた所で、吉田は後悔した。そこにいたのは、見知った相手だ。
「アンタの噂、ウチの学校まで届いてんのよ! 二度と前に現れるな―――――ッ!」
 おろらく自分と同年代であろう、他校の制服を着たその女子は、そう言い捨てて大股で立ち去った。その歩き方だけでも彼女憤慨しているのがとても良く解った。
 吉田が聞きとがめた音は、どうやら平手打ちの音だったらしい。残された場所には、男子が一人、昏倒している。この辺の女子はもれなく吉田の学校の女子達とステゴロのタイマンが出来るくらいなので、並大抵の男子では太刀打ち出来ないのだろう。
 倒れたまま動かない人物を見て、吉田が真っ先に浮かんだのは放っておこうかという事だった。出来ればそうしたい。けれど同時に、親友の顔も過ぎって、やはり吉田は無視が出来なくなった。
 半分ほど食べたコロッケを袋の中に戻し、吉田は赴く。
「山中。山中ー?」
「……………」
 返事はない。ただの屍のようだ……と言いたい所だが、以前高橋にボコられた後に佐藤の手厳しい一発を食らっても復活した山中なので、いくら強烈だったとしても女子の一撃くらいでは死なない。吉田は近くにあった木の枝を掴み、突いてみた。えい、えいっ!
「――突くなよ、お前はぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 まるで路上に落ちていた蝉のように、山中はがばりと復活した。やっぱり死んではいなかった。
 起き上がった山中は、まず制服に着いた砂や汚れを落としていた。どんな時でも身だしなみを忘れない男である。
 そして、やおら難しい顔になった。
「……うーん、あの学校にまで噂が届いてるなんて……女子の伝達能力って怖いよな……」
 吉田としてはこんな目に遭ったのがこれが初めてでも無い癖に、懲りずにナンパを仕掛ける山中の思考回路の方が余程怖い。が、お化けのような怖さではないので、恐るるには足らない。
「もう、懲りて大人しくてたら?」
 吉田は半目で言ってやる。そう言って大人しくなった試しがないんだけども。
「や~、でもさぁ~……」
 と、山中。
「とらちん、今、生理でさ」
「……………」
 ざくっ
「痛ぇーなぁ――――!?!? 何故人の足を木の枝で刺す!?」
「ナイフで刺されても文句言えない最低な台詞だったぞ今のは!!」
 そして吉田は思った。こいつ、相手が妊娠したら間違いなく浮気に走るタイプだ!!恋人にしても最低なら夫としても最低な山中である。良い所は顔だけ……と高橋は言うが、吉田はそれほどでも無いと思っている。だって佐藤や父親の方がうんと格好良い。
「別に、その……何か出来なくても、一緒に居てやればいいじゃん」
 吉田の場合、佐藤はそうしてくれる。たまに、痛みが酷い時は背後から抱き上げて、腹や腰を摩ってくれるのだ。それが、どんな鎮痛剤よりも吉田には効いた。
 普段は意地が悪い時もあるのに、ああいう時は本当に甘やかしてくれる。普段もああなら……とか言いたい所だが、あれはあれでずっと続いたら堪らない。
 その時を思い出し、ちょっと頬を染める吉田だが、気づいているのか単に流しているのか、山中は薄い溜息と共に言った。
「俺だってとらちんのお世話とかしたかったよ」
 でも、と山中は続ける。
「……鬱陶しいからどっか行けって……」
 そう言われた時でも思い出したか、ふっと遠い目で語った山中である。
「……………」
 ここで吉田が可哀想、と同情を抱いたのは山中に対してでは無く、そこまで付き纏われた高橋の方だった。
 山中は察しも良いし、勘だって効く。それくらい出来なければ、かつて佐藤の次点にモテるくらいにまではならなかっただろう。だというのに、肝心な本命(なんだと思う。思いたい)の高橋に対してその機敏が全く働かないのもいっそ皮肉である。まあ、まるで気が利かないという訳でも無く、高橋の望む事はちゃんと解っている……筈なのだが、何故かナンパは止めない山中である。病気というより業と呼ぼうか。
「って、それよりお前、何持ってんだ?」
 山中が言う。コロッケはその香しい匂いを立ち昇らせていた。その正体を正確には言い当てられなくても、何か食べ物持ってるな、くらいは解る。
「ああ、そこのお肉屋さんでコロッケ半額だから買った」
 凄く美味しかったー、と吉田がご機嫌で言うと、山中ははぁ?と顔を崩した。
 それを見て、吉田はぱっと反応する。
「やらないからな!!」
「……いらねぇよ」
 コロッケの入った袋を即座に背後に回し、牽制する吉田に山中は脱力しながら言った。
「お前な……買い食いするにしても、せめてもっと可愛いの食べろよ。ただえさえ底辺の女子力もっと落としてどーする」
 今度は吉田がはぁ?となる番だった。食べ物に可愛いと可愛くないのがあるのか。美味しいと不味いの間違いじゃないのか。
「いーじゃん美味しいんだから! って、人の食べるもんにいちいち口出しすんな」
 ふん、と反り返って言い募る吉田に、山中は言い聞かせるようにあのな、と口を開く。
「いいか、お前が男だったとする」
 唐突だなぁ、と吉田は思ったが、基本お人好しの彼女は人の話は最後まで聞く方針だった。
「んで、奇跡が起きて彼女が出来たとする」
「…………」
 何故そこにわざわざ奇跡と前打ったのか。また木の枝で刺してやろうかと吉田が決める前、山中は言う。
「その彼女が、放課後腹減ったって言って半額のコロッケばくばく食べてたらどーするよ」
「…………………」
 それは、ちょっと……残念な気持ちになるような。
 固まった吉田を見て、理解が及んだらしいと踏んだ山中は畳み掛けるように言った。
「お前、一応彼女の立場なんだから、そういう所気を付けてやらないと。知られなきゃいいってもんじゃないんだぞ。そういうのは、普段から染みつくものなんだから。てか、普段から出来なくていざって時に出来る訳ないだろ?」
「う~………」
 悔しいがこの手の話で吉田は山中には勝てない。
「じゃ、しっかりやれよ。お前に何かあると、とらちんが悲しむんだからなー」 
 今日もナンパしていたヤツに言われたくない!普段ならそう言い返せる吉田だが、今は手にした袋の中の一個と半分のコロッケの方が気になっていた。


 それでもそのコロッケはちゃんと平らげた。食べ物は無駄にしてはいけないと母親からの躾である。
 勿論夕食も完食し、自室に戻った吉田は適当に積んである雑誌から1つ引き抜いた。主に漫画雑誌ばかりではあるが、佐藤と付き合うようになってからはハイティーン向けの情報誌もごくたまに買う。残念ながら、殆どが参考になりそうもないのだが、スイーツ特集もあったりでそれなりには楽しめた。目的はその記事である。どちらかと言えば、実際に買う為のカタログというより、見て美味しそうだな~を思いを馳せる為のように読むのである。
 そして目的はその記事だった。こういう雑誌に載っているものこそが、山中の言う「可愛いスイーツ」であろう事は吉田にも解る。
 ぱらりぱらり、と捲って見てみる。
 そこにはまさに可愛らしいスイーツの類が躍っていた。マカロンやマドレーヌ、それに小さなタルトなんかが。
 そして、吉田が気付いたのは、可愛いスイーツとしては総じて値段もそれなりにある、という事だった。例えばマカロンは1つで200円くらいはする。今日買ったコロッケが8つ買えてしまう値段である。
 って、こういうの考える所がいけないのかも。
 ついつい、満腹優先で食事を考える吉田だが、これからはもう少し自分の立場を意識して選んでみよう。
 少しでも、佐藤に彼女にして良かったと思われる自分を目指し、吉田は決意を固めるのだった。


 そして明くる日。この日は佐藤と一緒に帰宅する事が出来た。途中まで同じ道中を歩きながら、ちょっと涼しくなったな、なんて言い合うだけがとても楽しい。
「冬服もう出した?」
「まだだけど、今度の日曜には出したいな~」
 言いながら、半袖の時期ももう終わりだな、と思う吉田だった。夏服に変わった時がそうだったように、冬服になった時もまた目新しく見えるのだろう。
「ちょっとコンビニ寄っても良い?」
「うん」
 佐藤に促された形で、2人はコンビニへと足を踏み入れた。
 普段であれば、吉田はコンビニに入ればすぐに雑誌コーナーに赴き、少年誌を立ち読みしている。けれど、昨日の山中の台詞が過ぎり、自制する。本当は、続きの展開がとても気になっているけども。
 佐藤はここに牛乳を買いに来たようだ。明日の朝食用だと言っていた。佐藤の朝は洋風みたいだ。
 そうしてレジまで向かってみれば、そこでも半額の文字が躍っていた。定価販売のイメージが強いコンビニであるが、こうしたセールもあるし時には期間限定割引もあったりする。
「吉田、半額だって」
 佐藤が言う。ここで半額にされていたのは、一足先に季節を先度った肉まん、あんまんの類だった。これが半値で買えるとはかなりお得である。
「良かったな、いつもどっちかって迷ってるから、今日は両方買えるぞ」
 吉田は買うと決めた時、そこまでは良いが甘いあんまんにするか、はたまた肉まんやピザまんの類にするかでいつも悩んでしまのだ。半額と言う事は、2つ買っていつもの値段と言う事だ。その事実に、吉田は顔を輝かす。
 そこまでは佐藤の想像内の展開だった。けれど、輝いたと思った顔がすぐに沈んだような色を見せ、吉田は先に店を出るとそそくさと自動ドアを潜ってしまった。軽く首を捻って精算を済ます佐藤。外に出れば、吉田はちゃんと待ったいた。まあ、怒っているのとは違うと思っていたけども。
「吉田、肉まんとかとか、良かったのか?」
 佐藤が聞くと、吉田は向き直って返事をした。
「う、うん。あんま、お腹空いていないし……」
「…………」
 吉田としては、精一杯普段通りに努めたつもりだった。けれど、まじまじと見つめる佐藤に、その自信は消え失せる。
 何かを考えるような素振りを見せ、佐藤は「ちょっと待ってて」と言って再びコンビニの中へと入っていた。そうして、出て来た時、佐藤は手に小さな袋を持って居た。包を見れば中身が分かるようになっている。佐藤は、ピザマンとあんまんを買って来たみたいだ。
「ほら」
「……………」
 そう言って差し出された物の、吉田は素直には受け取れない。が、この反応はすでに織り込み済だ。吉田、と佐藤が呼びかける。
「俺は、吉田が食べてる所を見るのが凄く好きだよ。何を食べてるとか、そんなの関係ない。美味しそうに食べているのを見るのが好きなんだから」
「…………」
 佐藤が言い聞かせるように言うと、吉田は眉を垂らして何やら困ったような顔になる。
 コンビニに入り、吉田がいつものように雑誌を立ち読みに行かないで、佐藤も妙だなと思っていたのだ。今日は吉田が良く見る少年誌の発売日だ。だから、佐藤も立ち寄ろうかという気になったのだから。牛乳が無くなったのは確かだが、無ければ無いようにやっている。
 何やら胸中で葛藤しているような吉田に、佐藤はあんまんを取り出して突きつける。
「ほら、アーン」
 佐藤は滅多に食べなくて、久しぶりに手にしたあんまんはふかふかして、吉田のほっぺたみたいだな、なんて思ったりした。まあ、吉田の方が張りがあるのだけど。
 吉田は考えて、考えて考えて、そうして最終的に――
「…………」
 あむっ、とあんまんに齧り付いた。食べさせてもらう姿勢が不安定だったか、上手く一口になりきらなくて、唇の端に餡がついてしまっている。ぺろり、とそれを器用に舐め取った吉田。
「……美味しい!」
 飲込んでから、吉田がへへっと笑って言う。そう、それで良いんだ。一般論なんかより、自分達が良いよいにすればよいのだから。
 大方、誰かにもっと女子らしい可愛いものでも食べろとか言われたのだろうと、佐藤は大体の事を掴んだ。言った相手が気掛かりだが、その犯人探しに時間を掛けるよりは、こうして吉田と穏やかな時間を過ごしていたい。
「全部食べていいよ」
「うん、………」
 今度は受け取ろうとした吉田の手を、佐藤はひょい、と躱した。え、と吉田が目を丸くする。
 そして、佐藤は。
「はい、ア~ン♪」
「……………」
 結局、あんまんとピザまん各1個。吉田が食べきれるまで、それは続いた。



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