タイミングは重なるものである。
 吉田が以前、暇があってたまたま送ってみた雑誌の懸賞の賞品と、いつぞやの礼と佐藤にジャックから日本酒の宅配が来たのがほぼ同じだった。
 見事に当ててみせた懸賞とは、この季節に美味しい茸の詰合せセットだ。素材として調理してよいが、折角吉田の当てた物だと、佐藤はそれを主役として味わう事にした。小さな七輪を取り出し、炭を起こして炙る。カボスを絞って作った手製のポン酢に付けてこの自然の恵みを堪能した。シンプルな調理は素朴な味を力強く味覚に伝えてくれる。
 たった今炙り立ての茸は、美味しい反面とても熱い。そこを冷やの日本酒で冷やすと同時に味わった。
「~~~っ、美味~~~ッ!」
 ふはぁっと満足そうな溜息の後、吉田は万感の思いを込めて言う。その吉田と七輪を挟んだ隣、佐藤が微笑ましい態度で吉田を眺めていた。
「なんか、すっごく大人の特権満喫してる気がする」
 実は佐藤が吉田に合わせて選んだ、シンプルな黒猫が描かれた徳利を傾けて空になった猪口に日本酒を注ぐ。今度は酒の味をじっくり味わう為、吉田は少量を口に含んだ。
「うん、このお酒美味しい」
 味わった後の感想として、吉田は呟く。
「ジャックにお礼しなきゃな~」
「いや、これがそもそもお礼なんだし」
 佐藤が冷静に突っ込むと、吉田があ、そっか、とちょっと気まずそうに、けれど可笑しく笑ってみせる。ピッチが早かったから、そろそろ回って来たみたいだ。吉田の良いは、感情表現のふり幅が大きくなるのである。
 基本、何でも美味しく食べ、飲む吉田ではあるが勿論好みはちゃんと存在する。そしてジャックから贈られてきたこの日本酒は、どう考えても吉田の好みに合わせたものだ。まあ、佐藤には食の好みなんてあっても無い様なものだし――何せ吉田が作った物だというのだから――その点なら、好みがちゃんとある吉田に合わせた方が余程失敗は無いだろうし、何より美味しそうにしている吉田こそが、何よりも佐藤への礼になる事もジャックはちゃんと知っているのである。
 しかしこれは思いのほか吉田にとって大当たりのようだ。あとで蔵元を控えておこうと佐藤は思う。
 2人は今、キッチン脇のテーブルではなく、リビングの床で食事をしている。些か行儀が悪いが、それには勿論理由がある。
「寒くないか?」
 佐藤は尋ねる。残暑という文字の印象強い時期ではあるが、朝晩の空気は確実に冷えている。
「んーん、平気」
 酒か料理か、おそらくはその両方から来る火照りで頬を染めた吉田は首を振る。仕草が何となく幼い。
 なら良いか、とソファに置いてある吉田のカーディガンを取りに行こうかと思っていたが、佐藤はその為に腰を浮かす事は無い。
 二人は窓際に座っている。電源を気にしなくて良いのが七輪の良い所だ。
 目の前の窓は空いている。ベランダには、ざっかけない砂地の壺にススキが生けてあり、マンションまでの道中に生えてあったものを失敬したものだ。
 そうして見上げる先には、満月が。見事に真ん丸で、しかもこの位置からばっちりと見える。月はその軌道を予測するのは殆ど不可能に近い。この位置に月が昇るのは、次がいつかとも知れないのだ。そんな日に、美味い具合に秋が満喫できる懸賞が当たった物である。佐藤は基本的に神様なんて信じないが、こんな時はそういう存在が自分達の事を祝ってくれたのかと、ちょっと浮かれた気分にもなる。
 凄いなー真ん丸だー、と見たままを言う吉田が可愛い。釣られるように佐藤も月を見上げてみた。今夜は、中秋。旧暦の8月15日で月が最も美しいとされている日だ。それがしかも、満月なのである。
 中秋の日付は言うまでも無く決まっているが、しかしその時が満月であるとは限らないのである。ある意味、この名月は正真正銘名月と言ってよいだろう。何よりそれを吉田と見る事が出来て、佐藤はもっとも幸せに感じる所だ。月の満ち欠けの周期でざっと換算してみれば、この日の満月はあと8年くらいはお目に掛かれないらしい。
 次の中秋の満月にも、是非隣には吉田が居て貰いたい所だ。
「佐藤~、出来たみたい~」
 酔いが進んだのか、吉田がちょっと怪しい発音で言う。顔は満面の笑みだった。
 夕食がさすがに茸だけでは味気ないので、実は七輪を2つ用意して片方ではホイルに包んだ物が置いてある。自分で開けてしまいそうな吉田をやんわりと制しながら、佐藤が切り開いた所から味噌の良い香りが立ち上る。スズキで作ったちゃんちゃん焼きだ。鮭が一般的であるが、別に鮭以外で作っても構わないのだ。
 そしてもう片方には、豚肉と栗、そして風味をつける為にローズマリーが入っている。こちらも、とても良い香りだ。これには洋酒が合いそうだが、早々に酔いが来ている吉田にちゃんぽんさせるはどうかと思い、同じ日本酒で通す事にしよう。
 新たに出来上がった料理2種に、顔を輝かせた吉田はまたも「いただきます」と言ってから箸を付けた。まずはスズキのちゃんちゃん焼きの方だ。
「ん~美味しv」
 頬張る時についてしまった、口の端の味噌をぺろっと舐めて吉田が言った。その仕草は、何だか顔を洗う猫を佐藤に思い出させた。
 ちゃんちゃん焼きは大雑把に言うと魚と野菜を味噌で焼いた料理だ。ニンジン、もやし、細切りの筍、白菜などを入れ、白菜はシャキっとした歯ごたえを楽しめるようにしてある。吉田は野菜も美味しそうに咀嚼する。本当に作り甲斐のある、良い顔をしてくれる。
「こっちも良い?」
「勿論」
 佐藤が微笑みながら頷く。今度は豚肉と栗の方に吉田が手を伸ばす。ほんのりとローズマリーと栗の風味が移った豚肉は、ブラックペッパーでキリっと締めた味になっている。吉田は辛いのが苦手だが、程度を押さえればちゃんと味わう事が出来る。吉田はこれまでと同じように舌鼓を打った。
「豚肉と栗って合うんだな」
 まさにほくほくとした感じで言う。豚というのは基本穀物を食べる動物で、栗も食べる。そして、得てして捕食するものとされるもの同士を合わせて調理すると、自然と合うのである。味の成分は化学式で表されるし、美味しいと感じるのもその数式で導く事は出来る。けれど、そうした数字以外の働きもあるように感じられるのだ。
 吉田は上手に栗を箸で摘まみ、子供みたいな笑みを浮かべてそれを口には運ばず、目の前へと掲げた。
「この栗、満月みたいだな」
 にっか、と社会人になってでも吉田は出会った頃みたく笑う。そんな所も、佐藤は惹き付けられて止まない。
 今日の満月は、まるで光り輝いているようで金色に見えた。


 ホイル焼きにした分は綺麗に食べつくし、あとは茸がいくつか残るだけだ。
 それを佐藤は箸で啄む傍ら、もっと極上なつまみをもって酒をちびちびと味わっていた。
 それは、自分の膝に頭を預けて眠る吉田の寝顔。酔いが来てもあまり眠る事の少ない吉田だが、夏の疲れが出たのか、身体は休息を求めたらしい。
 舟を漕ぎ始めた吉田には早々に気付いていたが、何を止めてやる必要があると佐藤は声を掛けたりはしなかった。そうこうしている内、吉田はごしごし、と拳で目をこすった後、何とも言えない発音の言葉を残して体を横にした。ぽてん、と膝に乗った頭はとても小さくて、重さなんて感じているのかどうかも解らない。なんて思っている自分も、寄って来たんだろうか。ふふ、と佐藤は吉田を起こさないように密やかに笑う。
 寝てしまった吉田だが、これは一時的なものだろう。長い付き合いだ。それくらいは、解る。
 目を覚ましたら、今は飾ってある月見団子を食べよう。これは、中にはサツマイモで作った餡を包んで作った物だ。きっと吉田も気に入るだろう。飲み物は……お茶が良い。けれど、カフェインが入ったのは眠りの妨げになるかもしれないから、何か茶の風味に近いハーブティーでも淹れようか。ルイボス茶なんて良いかもしれない。
 ちょっとだけ先に控えるお茶の時間を夢見ながら、佐藤は今は自分だけの幸せをしっかりと噛み締め、もう一度夜空を見上げた。
 今夜の月がとても綺麗なのは、きっと吉田が横に居るからなのだ。




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