あ、という吉田の声に佐藤は振り返った。別に詰まらない部屋だとは思わないが、吉田が声を発してまで関心を示す物にも心当たりは無かった。何せここは自分に部屋だ。何があるかは佐藤が一番よく解っている。
「これ、可愛いー」
 そう言っている吉田の視線が注がれているのは、佐藤の机の上。はてあの上に何があったかと思い返してみて、少々焦る。
「黒猫の付箋、可愛いね」
 そうだ、それがあった。もはや失態と呼べる迂闊さに、佐藤は頭を抱えたい思いだ。
 そのもの自体には何らやましい所は無い。佐藤が自分で購入したものだ。けれど、その動機を知られたらと思うと軽く悶えたくなるくらいにはなる。
 幸いにも、吉田は購入理由なんてさして気にするでも無く、可愛い可愛いとごきげんな様子で言っているだけである。
 見つかって何てこった、と苦悩した佐藤だが、吉田の喜ぶ顔が見れたのならまあいいか、と思える。
「欲しいなら、あげるけど」
「え、良いの?」
「付箋は他にも持ってるし」
 使いかけでも良ければと、佐藤がそう言えば吉田はそれじゃあ、と嬉しそうに付箋を手にした。新品じゃないというのが遠慮のハードルを下げたらしい。
 物欲が無いのではなく、金銭にけじめがある吉田はデートの度に佐藤が奢るのもあまり快い顔はしない。別に負担じゃないんけどな、と早速付箋を鞄の中に入れる吉田を眺め、ぼんやりと思う佐藤だった。



 今日の放課後は、佐藤は女子と一緒のようだ。別に良いもんね、といつも通りの意地を張るが、普段よりもそれが薄いのはこの前佐藤から貰った付箋の件があるからだろう。
 可愛いし、佐藤から貰った物だし、活用したい反面大事に取っておきたい気もする。
 そんな相反する葛藤の中、吉田の机の上には黒猫の付箋があった。
 帰り際、偶然一緒になった井上とそのまま帰る事にする。
 クラスが違う友達と、話す事と言えば授業の進行の事だ。井上とは担当教師が被るところが多いので、前もって聞いておくとピンポイントな予習が出来るという訳である。
「数学ってどこまでやった?」
 井上が吉田に声を掛けた。数学のカリキュラムは吉田のクラスの方が少し進行していた。
「えっとね、」
 吉田が鞄を漁る。学校指定の鞄は決して大きい物では無いのだが、吉田が持つとどうも大きく感じられる。鞄を漁る様子は一生懸命さがにじみ出て、いっそ微笑ましかった。
 ようやっと数学の教科書を取り出した吉田はページを捲る。と、井上が気付く。
「その付箋、可愛いね」
 それはこの前佐藤の部屋で吉田が発したのとほぼ同じ台詞だった。その言葉が向けられている対象もまた、同一で。
「あー、うん。でしょ」
 ”可愛い”を共有できるのは嬉しい。吉田が笑みを作って応えると、井上が言った。
「黒猫っていったら、やっぱりヨシヨシのイメージだよね」
「へ?」
 そうなの?と少しきょとんとする吉田に、自覚が無いんだと井上の方が驚いた様子だ。
「だってホラ、髪は黒いし、ツリ目だし」
 あと小さいながらにぴょこぴょこ動き回るのが子猫っぽい、と言う。
 しかし生まれてこの方、自分に向けての「可愛い」という台詞は父親と、そして佐藤からしか訊いた覚えのない吉田には、そんな可愛い生き物と自分と同一視するなんて吉田の発想からは考えられない事だ。
 そんなものかな~、と吉田は佐藤から貰った付箋を思い返す。黒猫のイラストが入った、可愛い付箋。あの時は可愛さばかりに気を取られていたが、そもそも佐藤みたいな男子がこんな可愛い付箋を購入するなんてどこか不自然な気がする。何か、明確な理由でも無い限り。
 そこで浮かんだのが、今さっき言われた事。黒猫に似ているとか。
 それを踏まえると、佐藤が持って居たと言う事実が何やら妙に引っ掛かるというか……
「…………」
 まさか。そんなまさかね、と佐藤はむしろ吉田の初心さで救われた立場になった。

 が、しかし、度々佐藤の部屋に訪問する際、マグカップやらマウスパッドやら。細々とした物に黒猫のイラストを見つけ、吉田が真実を佐藤に問いつめるのはそう遠くない未来であった。




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