目当ての物を探す道中。吉田はふと目に付いた物を手に取った。耳を象ったものがぴょんと出たそれは、スマホに付けるカバーである。
「買うの?」
 そんな吉田の、上というか後ろから覗き込んで佐藤が尋ねる。背中越しに感じる佐藤の存在に、ちょっと顔を赤らめて手にしていたカバーを元の位置に戻す。
「ううん。だってスマホじゃ無いし」
 吉田の携帯は折り畳み式だった。高校進学の時に買って貰った物だから、まだ当分は使う事になりそうだ。
 でもこのカバーは可愛い。ちょっと名残惜しそうに眺める視線を佐藤が辿る。そのカバーは黒色で、三角形の耳が2つ。猫がモチーフとなっているようだ。そしてピンクのギンガムチェックのリボンがちょん、と右端についている。これは吉田が持ったら可愛い事だろう。が、生憎彼女の携帯はこのアクセサリに適した物ではないのは、佐藤は吉田が口に出す前から知っている。
 吉田がスマホに切り替えた暁には、是非今のカバーを買って贈ろう。それがいつになるか解らないけど、絶対傍には居るだろうし。完全に同じ物はないかもしれないけど、似たようなものなら出ているだろうし。
 ちょっと先の楽しみを増やしながら、佐藤は目的の場所へと向かう。


 未だ英国で暮らすジャックから「風鈴買って着てくれ!」という指令のようなメールが来たのは週の頭だった。流通のボーダーレスは進むばかりだというのに、敢えて佐藤に頼むのはそのセンスを自分のより信頼しているからか、吉田と出掛ける機会のキラーパスなんだろうか。別にお前からわざわざくれなくても吉田と出掛けるくらいする、と胸中で悪態をついておきながら、その癖しっかりとそのネタで吉田を誘う佐藤だった。そこはそれ、なのである。
 吉田も、滅多に会えない友達の為と快く頷いてくれた。それは計画通りなのだろうけど、その笑顔がジャック達に向いているのかと思うとちょっとムッとして、本当は禁じられている校内のキスをして吉田を可愛らしい怒り顔にさせたのは記憶に新しい。
 それでもこの週末、地下鉄が直結している大きなデパートに吉田と連れ立ってやって来た。はっきり言うまでも無くデートのつもりの佐藤である。可愛い吉田と一緒に出掛ける。うん、幸せだ。部屋の中で吉田と二人きりで、色々したりするのも幸せだけども。
 目当ての物である風鈴は、多分和雑貨をおいてあるような店にあるのだろう。先に場所は調べてはおらず、現地にて探る事にした。フロア内にあった地図を吉田が見つける。こっち、と手招きする姿が愛らしい。
「この階で良いのかな」
「この辺とか、ありそうだけどな」
 表記からして「和雑貨」のついてある店舗をまずはめざし、進んでみる。が、そこは主に着物とその周辺の小物ばかりで、インテリアとしての和雑貨は無かった。まあ、いきなりすんなり見つかっても面白くはない。
「うーん、どこか無いかな……」
 結構目にしていると思えば、探すとなると見かけないものだ。佐藤は携帯を取り出し、適当なキーワードを入れて検索して見た。すると、ここではない近くのデパートの催事場にて、そういった夏の小物を売り出している会場を催していると言う。中には実演販売もしているそうで、これは吉田も楽しめそうだ。
 冷房の効いたデパート内から外に出ると、暑さよりも湿気の方を感じる。いかにも梅雨の中休み、というような天候と空気だ。休日の時はこの辺一帯は歩行者天国になっている。制限速度やトマレの表示のある道路を、悠々と歩く気分は改めるとちょっと爽快だ。
「ここ?」
「うん」
 短いやり取りで意思の疎通をする。そこのデパートは自動ドアではなくて、自分で開けるガラス製の扉なのだが、思いの外重かったようで吉田がそのちっちゃな体で悪戦苦闘していた。そこで自分を頼ってくれたら良いのに、自分で開けようと奮闘するのがまた可愛い所なのだ。でもやっぱり、頼って欲しいんだけど。
 うーん、と腕を一生懸命突っ張ってる吉田を少し見た後、佐藤は後ろからそっとドアを押してやった。多少は力を込めたが、佐藤には片手で十分足る。吉田は開けて貰って嬉しい思いと悔しい思いを綯い交ぜにしたような表情で、口ではありがとうと言った。
 謝罪と感謝の言葉はすぐに出す、吉田の長所なのである。


 辿りついた特設のフロアでは、日本の夏が収束していた。古き良きものを感じさせるものから、最新のモードなものまで。
 その一角で、吉田が歓喜の声を上げる。
「佐藤! 甘酒が売ってる」
 珍しい!と吉田が好機に目を輝かせるが、本来甘酒とは夏に飲む滋養の飲み物なのだ。近代では大晦日で熱々のを振る舞うイメージが強いが、甘酒は俳句では夏の季語として捉えられている。
 吉田の目に留まったそこは、甘酒を中心に、そこから発展したスイーツが陳列していた。甘酒そのものから始まり、クッキー、マフィン、プリンにゼリーもある。そして。
「ジェラート美味しそう~!」
 吉田がショーケースに貼り付けにならんばかりに言う。テイクアウト用のカップもあるが、その場で食べれるように、例によって山のように高く盛り付けてもくれる。その場合、オカラで出来たクッキーがついてくるようだ。
「食べる?」
「うん!」
 頷いた吉田がいそいそと財布を出す前、佐藤がスマートに会計を済ませてしまった。あ、という声を上げる暇も吉田には無い程だった。はい、と笑顔で渡された吉田は、複雑そうな顔である。
「今日は小遣い一杯あるのに」
 むぅ、とした顔だが、佐藤としても別に吉田が貧困に喘いでいるから奢っている訳では無い。ただ単純に、付き合っていて、デートだから奢るのである。吉田はその辺をあまり受け入れ切れないようだが。
 浮かない顔の吉田だったが、ジェラートを一口頬張るとすぐにまた、目を大きくして煌めかす。美味しい、ようだ。表情を見るだけで、その声が台詞として飛び出す前に佐藤の耳に届く。
「美味しい!ちゃんと甘酒の味がする」
 当然と言えば当然だが、吉田にとっては初めての経験だ。吉田の中では温かい飲み物である甘酒が、冷たいアイスとなって口の中で広がるのである。味は同じでも感じ方が違うと味わい方も違う。
ウエハース代わりのオカラのクッキーをサクサク啄みながら、付随のスプーンの存在を無視してジェラードを舌で掬って舐めて行く。いつだったかの折、アイスを小さいスプーンでちまちま食べるのは好きでは無い、と吉田から聞いた。口の中に一杯頬張って味わった方が、絶対美味しいのだと。佐藤はまだ自分で比較して試したことは無いが、吉田の中ではそれが真実なのだろう。
 至極当たり前の事だが、アイスは解ける。時間と闘うように、吉田はジェラードをぺろりぺろりと舌を忙しく動かして解けてしまう前に食べきろうと努める。
 そんな吉田は可愛いのだけど、長々と見ていると変な事を思いそうで、佐藤はほどほどにしておいた。


 フロアは大きく2つに別れている。食品を置いている所と、雑貨を扱っている所だ。最初、食品のブースの方に流れていた2人だが、当初の目的の為、雑貨のブースの方に足を進める。そこには現地から訪れた職人たちが、その場で実演販売のような事を行っていた。竹かごを編んでいる人、草履を作っている人、職人は居なかったが、巾着の売り場で吉田の足が止まる。
「巾着のストラップだ!可愛いな~」
 それはとても小さな巾着で、しかし巾着としての機能はちゃんと果たしていた。小銭くらいなら数枚入りそうだ。小さい分、値段も安かった。吉田は買う事に決めたらしく、吟味をし始めた。小切れを使って作っているそのストラップは、同じ模様が2つとして無いように見える。実際、そうなのだろう。
 これは夏のフェアだからか、青が基調とされた物が多い。その中で吉田は、黄色地に赤い朝顔の描かれた物を選んだ。今度こそ自分で払う!と吉田は無駄に血気盛んに支払いを済ませた。ほくほくとした顔で、紙袋に包んで貰った小さい巾着を鞄に仕舞う。
 そして。
「あっ、風鈴だ!!」
 目当ての物を見つけ、吉田が佐藤の手を引いて揚々と歩き出す。大抵、こういう特設会場は期間が限られている事もあり、人でごった返しになっている。この会場もまたその例に漏れなかった。はぐれてはいけないと、吉田の方から腕を掴んできた。佐藤は人込みに感謝した。もっと、くっ付かないかなと仄かな展開を願ってみたり。
 実演販売の職人たちの中に、風鈴を売り出している所があった。勿論、溶解したガラスを息で吹くような危険な作業をしている訳では無い。そでにそこまでの成形を終えた無地の風鈴に、その場で内側に模様を描いていくのだ。購入を前提として、絵柄のリクエストが出来るらしい。最も、客を待たずにその職人は風鈴にすらすらと絵を描いている。下絵も無いのに凄いなぁ、と吉田は心の底から感嘆した顔で眺める。
 和室の一角を作り上げたようなスペースで、すでに描かれた後の風鈴が吊るされている。音がしていないのは紐の部分にエアクッションを軽く巻き付け、音を立てないようにしているようだ。ちなみに風鈴の内側にある、打ち付けて音を立てる部分を「舌」(ぜつ)と呼ぶとの事だ。備え付けられているパネルにそう書かれてある。
「どれにする?」
 揺れても音を立てることは無く、吊り下げられているだけの風鈴を眺める。全部が全部音を封じられているのではなく、2つ3つはガラスの奏でる透明で清涼感溢れる音を立てていた。
 うっかり佐藤は忘れかけていたが、これはジャックに送り届ける為に買うのだった。吉田の為に買いそうになったが。
 描かれているものはどれも遜色劣らない。花の模様もあるし、水たまりを意識した同心円が重なる模様もある。動物では蛙があり、他には兎や小鳥もあった。トンボもある。
 買う物の選択を吉田は佐藤に預けている。ジャックの方を良く知っているのは佐藤だからだ。だから当然、好みも解るだろうと。
 佐藤は風鈴を眺め、ふと考え込んでから今は手を休めている職人へと声を掛ける。吉田の父親よりは少し年を重ねた男性だ。短く刈った髪は白髪の方が多く見える。
「すいません、猫を描いてくれませんか?」
 猫?と吉田と職人は同じタイミングで佐藤の台詞を聞く。
「はい、良いですよ。どんな猫にしましょう?」
 けれど、そこはプロとしてすかさず笑みを浮かべて応じる。
「黒猫でお願いしたいんですが。出来れば子猫で」
 割と細かくつけた注文に、吉田は佐藤の真意が見えた。吉田の事を猫みたい、と常日頃からかう佐藤は思い出すまでもない。ジャックの買い物じゃなかったのか、と目で語る吉田に、佐藤は気付いていないようなふりをした。別に良いじゃないか、自分の好きなのを友達に送っても。
 吉田が睨みを利かしている間にも、風鈴の中に子猫が描かれていく。1匹だけで子猫だと解るのだから、さすがである。ころころとした丸いフォルムの小さな猫が、走り出すような恰好で風鈴の中に宿っている。その様子には、吉田も可愛い、と声を漏らした。
 丁寧に梱包して貰い、代金を支払う。その場で精算が出来た。
 まあ色々言いたい事はあるが、目的を達する事が出来て良かったと佐藤に笑いかける。ジャックが喜んでくれると良いな、という願いを込めて。風鈴の入った箱を受け取り、佐藤も軽く微笑み返した。その様子を見て、言う。
「仲が良いね。御兄妹?」
 悪気のない言葉に、吉田がう、と固まる。こうして出掛ける時、そんな誤解を受けたことは1度や2度では収まり切らない。吉田が女性の魅力が無いからだとか、佐藤と釣り合わないだとかいう前に、二人の身長差がそんな語弊を招いているかと思う。
 わざわざ訂正するのもな……と吉田が無言でいると。
「いえ、付き合ってるんです」
 こう見えて、高校生なんで、と吉田の頭を軽く押さえる。一瞬何が起こったか解らず、きょとんとした吉田。
「――――!なっ!!」
 ようやっと事態が頭に回った時、顔はすでに赤く染まっていた。そんなしれっとした顔でなんて事を!吉田は佐藤を上手く窘める事も出来ず、ただあうあう、と言葉を詰まらせて顔の熱さに悩むだけだった。
 佐藤から真実を突きつけられた相手は、ちょっと目を丸くして、すぐに破顔した。
「そうだったかい。それは、悪い事をしたね」
 そう言って、目の前にある台の引き出しを開ける。さっきの精算の手順の時もそこを使っていた。けれど、取り出したのは小銭では無く、ビー玉。
 お詫びと言って吉田の手に握らせた。風鈴のような模様は無いが、ビー玉自体が淡い水色で染まっている。本当に、清い水を丸めて固めたようなビー玉だ。
「あ、あ、あ、ありがとう、ございます……」
 彼女認定されたのが恥ずかしいのか照れているのか、多分その両方だろうけども。少しだけ言語障害を引き越しつつも、真っ赤な吉田はやはりきちんとお礼を言ったのであった。


「あー、貰ったビー玉、買った巾着に入れよう!」
 目的を済ませた2人は、その足で佐藤の家に戻った。出掛けるデートの時でも、現地での解散ではなく部屋で過ごす時間を設けている。
 早速吉田はストラップの巾着を取り出し、その中にビー玉をいれる。ビー玉はスペースを目に余る程余らせるでも無く、入りきらないでも無く、丁度良い感じに収まった。吉田も満足そうだ。
 佐藤もまた、今日は大満足だ。殆どいきずりであるが、自分達が付きあっているのをアピール出来た。本当は、もっと大勢に高らかに言いふらしたい。付きあえるようになって自分がどれだけ歓喜に見舞われているか、きっと吉田も解っていないだろう。
「今日は、楽しかったなー」
 出来事を振り返って吉田が呟く。甘酒のジェラートが気に入ったらしい。作り方を調べておいて、今夏の間に振る舞ってみようか。そうしたら、またあの時の笑顔が観れるだろう。
「うん、楽しかった」
 佐藤が同意すると、吉田がふにゃっと微かに相好を崩す。それがあんまり可愛くて、佐藤は外出時に堪えていた分、すぐさま抱きしめてキスをして、それ以上の事を少しだけしたのだった。


 風鈴は艶子からジャック達に渡すようにした。その方が正規のルートより余程手っ取り早い。
 そして、おそらく受け取ったその日にジャックからメールが届いた。描かれている黒の子猫を指し、「これってヨシダだろう!」とズバリ真相を言い当てた。
 思えば、イギリスに風鈴だなんて、恐ろしくミスマッチだな、と佐藤は今さらに思った。
 ジャックからのメールには続いて「ヨシダとのデートは楽しかったか」と記してあった。風鈴を買いに行くのに、佐藤が吉田を誘うだろう事は想定済、というか折り込み済みなのだ。だから、わざわざお前からパスを回して貰わなくてもデートくらい行くと、けれど貰ったパスは必ず受け取ると。
 だから次もよろしく、という意味合いを込めた返事を佐藤はメールに認めたのだった。



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