何だってこんな日に。吉田は、わが身の事ながら、そんな恨み事をもらさずには居られなかった。
 よりによって佐藤の部屋に遊びに来る今日、月イチで起こるものが始まってしまったのだ。実を言えば朝起きてから、それの予兆のような違和感はあったけど、帰宅まで持つ、というか持ってくれると思ったのだ。
 けれども、実際と言えば。
「……ごめんね、佐藤」
 そう言って、吉田が横たわるのは自分のではなく、佐藤のベッド。本来の所有者は、ベッドサイドから吉田をそっと窺っている。
「いや、部屋に居る時で良かったよ。外出してた時だったら、もっと大変だっただろうし」
 故意なのか無意識なのか、佐藤の台詞。吉田としては、部屋に遊びに来た先に不調になってしまい、迷惑をかけたと思って詫びたのだが。
「……何処か行きたい所あったら、行って来て良いよ。本屋とかさ」
 留守番は出来ないけど、大人しく寝ている事は出来る。病気ではないのだから、看病なんて要らないのだし。
 折角の休日、佐藤の思うように過ごして貰いたい。
 そう言う吉田に、佐藤は小突くかのように、人差し指で額を突いた。
「嫌だ。今日は吉田と過ごす予定なんだから、どこにも行かなーい」
 少しからかうように言う佐藤。それでいてとても楽しそうで、どう見ても吉田に遠慮したり気遣ったりしている、という風にはとても取れない。
 佐藤は純粋に、吉田の傍に居たいのだ。そりゃあ確かに、普段の様にはいかないけど、こうして同じ場所に居るだけで大分心は安らぐ。まして、2人きりなら。
 吉田はひたすら恐縮しているみたいだが、佐藤としてはかち合ってくれて良かったという面もある。
 吉田の助けになりたい。吉田の為に何かがしたい。
 いつもそう思っているけど、実際に実現させるには難しくて、けれど例えば吉田が目の前で体調を崩しているのなら、それを看てやる事が出来る。吉田の力になれていると、解り易く実感できるのだ。
 勿論、こんなのはたまにだから良いのであって、吉田はやっぱり、いつもの慌てふためいたりする元気いっぱいの様子が良いのだけど。
 それに付け加えて言えば、佐藤はそろそろ吉田がなるのではないか、と察知していたのだ。
 その理由は、胸の張りである。
 吉田の場合、始まる2,3日前に胸の張りが良くなる。胸の張りは1週間前から始まっているが、その頃がピークになる。その感触はとても微小で、普段触りまくっている佐藤にだけ解る事だ。
 当人である吉田は、前兆として訪れる身体の変化を知らないでいるらしい。
(……う〜ん、本人の体調管理として、教えた方が良いのかな〜。でも、言ってしまった日には、絶対じゃないけど当分触らせてくれなくなるかもしれない)
 目立たないようでしっかり柔らかい吉田の胸は、佐藤のお気に入りの1つだ。あれが触れないとなると、佐藤の中では中々深刻な悩みなのである。他人が訊けば何とも馬鹿らしいかもしれないが。
 とりあえず、その問題は一旦保留として、目の前の吉田である。
「お腹、痛いとかない?」
「ん〜ちょっと痛いけど、大丈夫」
 吉田の場合、痛みではなくてひたすら身体がだるくなる様だ。座るだけでも体力を摩耗しているようで、横にしてみてようやく寛げたらしい。
 しかし、これは今月の場合。症状は人によって違うし、また個人でも毎回同じ症状とは限らない。
 そもそも、痛みを感じるメカニズムからして全部が解明されていないという話なので、打つ手も生まれようも無いのだろう。
 自分の方に顔を向けて横になる吉田の髪をくしゃりと撫で、佐藤が言う。
「何でも言えよ。今日は何だって言う事きいてあげるから」
 いつもは愛あるイジメの駆け引きになる言葉だが、今日は本当の本気だ。
 吉田が何か飲みたい食べたいといえば、すぐにでも用意してやる。
 そういう気持ちを込め、佐藤は笑みを浮かべ、吉田の頭を撫でる。
 撫でる感触が心地よいのか、ふにゃり、と表情を和ませた吉田は、そっと窺うように佐藤を見やる。何か、頼みごとでもあるのだろうか。
 何?と目だけで問いかけ、吉田に発言を促す。その佐藤の態度が吉田にも通じたか、おずおず、と口を開き始めた。
「……あのね、無理なら良いけど……」
 そうして、ちょっと顔を赤らめ、言う。
「……横に来てほしいな〜って……」
「ん? ベッドの中にって事?」
 ベッドサイドから覗きこむ今も、ある意味では「横」である。けれど、すでになっている事を頼むとは思えないので、やっぱりそう言う意味なのだろう。実際吉田も、「ダメなら良い」と布団の中に顔の下半分を埋めるようにし、もごもごと言った。
 確かに、眠くも無い佐藤はこの場でベッドに潜る理由は無い。
 が、それはあくまで、吉田にも何も起こっていない時の話だ。吉田にこうして乞われたのなら、勿論断る事も無い。
「いいよ。ちょっと横にずれてくれる?」
 吉田は、佐藤が本当に一緒に寝てくれるとは露にも思って無かったのか、そう言った佐藤を驚いた顔で見上げた。けれど、すぐに目を伏せ、もそもそと横にずれる。
 吉田が開けてくれた空間に、佐藤は身を滑り込ませる。ベッドの中は、吉田の体温で程良く温まっていた。
 その後、ごそごそと場所を探し、やがて定位置を見つけて収まる。吉田は、佐藤と向き合うように身体の向きを変えていた。その身体を、そっと引き寄せる。
 その時、身体がふっと弛緩したのを佐藤は感じた。大丈夫、平気、と言いながら身体の不調を堪えていたのだろうか。
「何度も訊くけど、ホントに痛くはないか?」
 小学の時分、むしろ頼られる側の吉田は滅多に甘える態度を見せない気がする。それが、割と解り易く佐藤を頼るのだから、佐藤としては少し不安になるのだった。
 しつこい程の佐藤の確認に、しかし吉田は嫌な顔ひとつしないで、答える。
「うん。痛くはないんだけどね、なんだかスーっとするようなぞわ〜っとするような……」
 自分で上手な表現を探りながら、吉田は説明する。つまりは、血の抜ける感触という事だろうか。佐藤にはある意味永遠に体感する事の無い感覚だろうから、想像で補うしかない。
 普段、少しからかうだけで途端に真っ赤になる吉田の頬も、今は何だか青白い。触れば冷たさとは無縁、むしろ普段より少し熱いくらいなのだが、佐藤はその肌に灯りを点けるかのように、何度もそっと摩る。
「ん〜?」
 むにむに、と頬を撫でる佐藤に、吉田は少し怪訝そうに見やる。いつも悪戯で抓られる事を思い出したか、ちょっと警戒して見せた。
「吉田のほっぺ、柔らかいな。俺、好きだよ」
 好き、という単語に反応して、吉田の目が丸くなる。普段なら真っ赤っかになる所かもしれないが、今はほんのり顔が染まった程度だ。
「ほっぺだけじゃないけどな。全部好き」
「な、な、何……っっ」
「ねえ、キスして良い?」
 あうあう、と声にならない声で口を開閉している吉田に向かい、佐藤は強請る。
 けれどそれには、吉田はちょっと困ったように眉を潜めた。この反応に、ちょっと「おや?」と思った佐藤だが、すぐに吉田の懸念する所に気付いた。だから、吉田の返事を待たず、額や頬にだけ、そっと啄ばむようなキスをした。普段の様な、濃厚な深くて熱い口付けはしない。身体がその気になってしまっても、それに応える訳にはいかないからだ。吉田が佐藤のキスして良いかの申し出に、ちょっと困ったのはその辺りを思っての事だろう。
(あー、可愛いv)
 顔を擽る様なキスに、吉田がふにゃふにゃと相好を崩すのを見て、佐藤は内心思いっきり惚気た。心おきなく感情に浸れるのも、こうして部屋で2人きりだからこそだ。外出デートも勿論楽しいけど、特に行き先が無い限りはお部屋デートを選んでしまうのはこの辺りも絡んでいる。
「寝てて良いよ。帰る時間になったら起こしてあげるから」
 昼食後なので、幸い夕方の帰宅時間までたっぷり時間はある。それくらい休んだのであれば、帰る頃にはある程度回復してくれるだろう。吉田が自分の元でゆっくり休んでくれるのなら、佐藤には何よりだ。
 でも本当は。
(帰したくないな)
 佐藤は胸中だけで呟いた。帰したくない、というか離れたくない、といった方が佐藤の心情としては合ってるだろうか。
 自分と吉田の帰る場所が一緒なら良い。吉田がこうして体調を崩した時は、ずっと傍に居てやりたいのだ。
「これって羽毛布団だよね」
 そんな物思いに耽っていたら、ふとそんな言葉が吉田から飛び出す。
「ん? ああ、そうだけど」
「そっか〜。やっぱり羽毛だと軽くて温かいね」
 ウチのは綿のだから、と吉田は言う。
「いいな〜羽毛」
「そんなに良いなら、毎回ウチに寝に来る?」
 軽くて温かいのが余程気に入ったか、とろとろと眠りに落ちかけている最中で、しきりに言う吉田。それに、佐藤が揶揄するように言う。本音と願いを込めながら。少し冗談めかして言うのは、吉田が「行かないよ」と断った時の為の保険である。
 だが、しかし。
「ん……それも良いかな」
「え、」
「……寝る……眠い……」
 すでに寝言のように吉田が呟き、佐藤が何も言わないでいる間、すっかり眠りに落ちてしまった。
「…………」
 まさかあそこで肯定するような返事を貰えるとは。
 今は本当に夢の段階にしかならないけど、夢見てしまう。
(いつか、吉田と一緒に暮らしたいな)
 今すぐだなんて言わない。でも、いつかは。
 寝起きする度、吉田が傍に居る。
 そんな、本当に夢みたいな未来が来たらいい。
 吉田の体温が心地よくて、佐藤も吉田につられるように睡魔が襲って来た。
 一緒のベッドで目を覚ませば、少しだけ同棲気分が味わえるかな。
 念の為、携帯のアラームで目覚ましを設定した佐藤は、そんな事を思って目を閉じた。
 次に目を覚ました時、すぐ傍に吉田が居る楽しみに包まれながら。



<END>