夏が終わり秋になり、ぐっとと一気に冬になったような気温だ。明日の最高気温は、ついにひと桁である。
 手袋もそろそろ要るな、と今日はしてこなかった為、手先はカーティガンの中に仕舞いこんでいる。制服の袖口から、下に着ているセーターがちょこんと、そしてぷらぷらとしている。
「寒いな〜」
「ああ、そうだな」
 と佐藤が頷く。
「今日の夜とか、特に冷え込むそうだから、吉田、ちゃんと温かくして寝ろよ」
 そう言う佐藤に、吉田はちょっと唇を尖らせる。どうも、子供扱いされてるようにならない。もう高校生なのだし、体調管理くらい、自分でそれなりにしっかりやれている!……と、思う。
「解ってるって! 佐藤の方こそ、ちゃんと気をつけろよ。なんだか、病気に凄く弱いイメージだし」
 言い返しとばかりに、最後にそう言ってやる。
「そうでもないよ。そもそも、あまり風邪とか引いた事無いし」
 ちょっとした熱なら小さい頃よく出していた、と佐藤は言う。吉田の方は、小学の小さい頃に、どかんと寝込んだ以来、あまり発熱もしていない。病院に縁が無いからこそ、吉田は病院が嫌いなのだろう。
「ま、とにかく気をつけろよ。吉田が居ないと、寂しいし」
「……そ、そう?」
 真っすぐそう言われ、吉田の頬がちょっと赤くなる。
「うん、からかう相手が居なくて詰まらない」
「何だソレ―――!!」
「まあ、牧村とか秋本でしないでもないけど、やっぱり吉田が一番なんだよな〜。反応とか、表情とかvv」
「もう、変な悪戯すんの止めろよ! あと、秋本達にするのも止めろ―――!!」
 そんな怒声を響かせながら、2人は冬の通学路を歩いた。


 さて、それから数日後。
「っ、くしゃん!」
 佐藤が見たら「可愛いv」と惚気るだろう可愛らしいくしゃみをしたのは吉田である。と、そのタイミングで脇の下に挟んであった体温計が電子音を奏でる。
 取り出し、表示された数値を見る。
「何℃だって?」
「……37.5℃」
 吉田が母親に言う。なかなかの微熱である。
「じゃあ、今日はお休みだね。もうすぐ試験だから、その日に倒れても困るし」
 そう言って、学校へと電話をする。一方吉田も、熱でぽーっとなりながらも親友たちへと今日休む旨をメールで報せようとしていた。
(とりあえず、とらちんと井上さんに……と)
 その2人に送信した後、佐藤は単独でメールする。一層送信すると、送った先で他アドレスも表示されてしまうからだ。
 まあ、メルアドだけ見ただけでは、佐藤のメールだとは夢にも思わないだろうけど……でも……なんだか……ともやもやしながら佐藤へのメールを打った。
 そうして、ベッドに潜る。毛布を余分にもう一枚、さっき母親が持って来てくれた分を被せて。
 母親は程なくしてパートへと出掛けて言った。吉田もまるっきり子供じゃないし、つきっきりで看病して貰うまでも無い。
 額に貼られた冷えピタが気持ちいい。心地よく思うのは、やはり熱があったのだなと改めて思い知る。
 やっぱり昨夜、しっかり髪を乾かさなくて寝ちゃったからな〜と吉田は風邪の原因を探り、一人反省する。空手を止めたから伸ばした髪はそこそこなボリュームになり、佐藤からは「ドライヤーでしっかり乾かすんだぞ」とは言われているが、つい無精してバスタオルで擦る程度で済ませてしまう。
 これからは、少なくとも冬場はちゃんとドライヤーをかけよう、と一人反省会をしている所で、枕横に置いた携帯が着信の音を奏でる。見れば、井上からだった。彼女からのメールを開いている間、高橋からの返信も来る。2人とも、吉田の体調をとても気遣ってくれた文面だ。熱でボーっとしていた吉田も、それを見てえへへとはにかむ。
 体調不良の吉田の為、返信は要らないと2人はメールの最後をそう認めていた。吉田もありがたく、それに従って携帯を閉じる。
 佐藤からの返信は、まだない。
(佐藤、怒ってるのかな〜)
 これも温暖化効果なのか、気温の落差が大きい中、佐藤は度々体調管理を吉田に促していた。その度、解ってるよ!と突っ張るように返事をしていたというのにこのザマである。
 呆れてものも言えないとか……この場合、メールも打てないというんだろうか。次に登校した時、どう謝ろうかな〜と吉田は熱のある頭でぐるぐると考えていた。と、その時。
(! 佐藤だ!)
 着信メロディーの設定で、佐藤からはすぐに解る。あわわ、と手を伸ばして携帯を取り、メールを開く。
 するとそこには、咎めるような内容はひと欠片も無く、先の2人と同じく吉田を心配したメールだった。
「…………」
 頭では無く、胸の奥が熱くなった吉田は、佐藤にはつい返事を打ってしまった。あまり大した事が無いと言う事と、風邪引いちゃってごめんと、そんなような事。
 それを送信した後、電話での着信が鳴る。勿論、相手は佐藤だ。あわわわ、とさっき以上に慌てて電話を開く。
『ごめんな、ちょっとだけ話せる?』
「う、うん。大丈夫」
 ドキドキ、と胸が高まる。普段は顔の方に気になるけど、佐藤は声だって良いのだ。こうして電話で顔の見えない状態だと良く解る。
『熱だけなの?』
「うん、あとちょっとくしゃみが出るくらい……くしゃんッ!」
 狙った訳じゃないけど、良いタイミングでくしゃみが出てしまった。何となく恥ずかしい。
 電話の向こうで、佐藤が楽しそうに笑った。
『吉田のくしゃみ、可愛いね』
「……可愛いって言われても……」
 反応に困る、と悩みつつも鼻を摩る。
『ホントは見舞いに行きたいところだけど、吉田の負担になっちゃうだろうから止めとく。早く、治せよ』
「……うん、ありがと」
 確かに、見舞いに来られたらいつ母親が着ても可笑しくない状況に、吉田の気が気でないだろう。こんな時、いっそもう親には話しておくべきかな……とも思うけど、未だその勇気というかきっかけというか、とにかくタイミングが図れないで居る。変な誤解や歪曲もせず、そのままを伝えるというのは案外難しいものなのだ。
 吉田の事を思い、佐藤の電話はそれで終わった。吉田はあらためて携帯電話を閉じ、枕元に置く。
 朝食の後に飲んだ薬が効いて来たか、ゆるゆると眠気が襲って来た。それに抗う事無く、吉田の意識が落ちていく。
 佐藤が見舞いに来なくて、その方がきっと今の吉田には良いのだろうけど。
(……でも、佐藤の顔、見たいなぁ……)
 見たら一発で風邪も治りそうな気がする。とは言い過ぎだろうか。でも、テストで悪い点数を取っても、佐藤が傍に居て「次頑張ればいい」なんて言ってくれたら、そんなに気を落ち込ませる事はない。それは、佐藤が勉強を教えてくれるからとか、そういう事では無くて。
 生憎、携帯内の画像フォルダに佐藤の姿の写メは無い。佐藤は吉田のを山ほど収めている訳だが(隠し撮り含む)。
 隙を見て、一枚くらい撮っておこうかな、と吉田は思ったが、そんな隙、佐藤が見せてくれる筈がないと思いを改めた。


 そして、次の日。
「おはよー!」
 揚々と昇降口にて高橋に声を掛けたのは吉田だった。ヨシヨシ!と一日ぶりの親友の顔に、高橋の強面も喜色に染まる。
「もう風邪は良いのか?」
「うん、1日寝てたからもうバッチリ」
 まあ、用心としてマスクはしているけども。
 普段あまり薬の世話にならない吉田には、だからこそ薬がよく効いたのだろう。熱はもうすっかり引いてくれた。
「とらちんも、髪乾かす時は気をつけた方がいいよ。ドライヤーかけたりしてさ」
 自分の体験に基づき、高橋にそう警告する吉田だった。すると、何故だか高橋が頬を染める。何?と吉田が首を傾げると。
「……山中のヤツもそー言ってた」
「……あ、へ、へえ、そう……」
 ぼそ、と吐き出された台詞に、吉田もどうしていいやら解らず、曖昧な返事になってしまった。
 山中が高橋に夢中なのは見て解るし、しかも高橋の方も憎からず思っている面がある。しかし、まだ明確なお付き合いはしていないようだけども。
 山中がナンパしている所とかを見ると、殴りかかる程には怒ったりするのである。それは、やはり、つまり。
(う〜ん、なんかビミョウだよな……)
 何となく、自分の事は棚上げして思う吉田だった。


 自分の教室に入ると、牧村と秋本が出迎えてくれた。
「吉田、もーいいのか?」
「うん、あまり休んでも授業に遅れちゃうし」
 ただえさえ、学力優秀と言えない吉田なのだ。これ以上授業に付いていけなくなっても困る。母親が言っていたように、もうすぐ試験なのだし。
 そろそろ範囲が発表されるかな。あの例題ややこしいから出ないで欲しいな、などと牧村と会話していたら。
「吉田! おはよう」
「ふぎゃっっ!!」
「おっ、佐藤」
「佐藤、おはよー」
 ぎゅむ、と身体全部を抱きしめられる吉田を余所に、牧村と秋本は佐藤に朝の挨拶を済ませた。これくらいの光景、彼らには日常茶飯事なのだ。いちいち騒いだり突っ込み入れたりしていられない。
「もう出て来て熱は良いのか? 計ってやろうか」
「へ? ……、て要らない要らない! 熱計らなくて良いから!!」
 自分の前髪をくしゃりとかき上げた佐藤に、額と額を合わせるつもりだと気付いた吉田は、慌てて佐藤から離れた。そんな真似をされては堪らないと。
「そうか? でも、なんだか顔が赤いぞv」
「き、気のせい! ていうかこっちくんな! 風邪伝染るから!!!」
「吉田、元気になったねー」
「そうだなー」
 マスク着用とは言え、ぎゃーぎゃーと普段通りに佐藤とじゃれる吉田に、2人も安堵の顔を浮かべたのだった。


「ほら、吉田」
 帰り道、ちょっと道を外した佐藤が戻って来た時、その手にはココアの缶があった。もちろん、ホットである。
 差し出されたココアの缶に、吉田は数回瞬きをした。
「……ありがと」
 少し照れ臭そうに、吉田が受け取ろうと手を伸ばしたが、缶はその手にはまだ行かない。別に嫌がらせでは無く、佐藤が缶を開ける為だ。今日の吉田は手袋をしている。
 改めて手渡され、吉田も受け取る。小さい湯気が立ち上り、息を吹きかけ冷ましてから口を付けた。
「は〜、温かいなーvv」
 寒い外気の中、身体の内側に温もりが注がれる感じが堪らない。文字通り、心底温まるようだ。吉田の両手ですっぽりと収まってしまうくらいの、小さい缶だというのにそこから与えられた温かさは身体全体に沁み渡る。
 ぬくぬくとした表情で、またココアを飲もうとした吉田だが、横から注がれる視線が気になって顔を向ける。視線の主である佐藤は、明らかにまじまじと吉田の顔を見ていた。
「……何?」
 まさか、佐藤もココアを飲みたくなったとか。そんな馬鹿な、と思いつつ、自分をあわあわさせる為なら何でもやる男だと気を引き締める。
「顔、やっぱり見えた方がいいなって」
 マスク姿も可愛いけどね、と佐藤は言う。
 そういう意図で見られていたとは、と吉田は頬を染めた。ちなみにというか、吉田のマスク姿もばっちり佐藤には撮影済みだ。本人の承諾なしに。
「インフルエンザはこれから流行るらしいから、気をつけろよ」
「……うん」
 大人しく頷く吉田に、佐藤の加虐心のような悪戯心が擽られる。
「今日は素直なんだな」
「べ、別に……」
 さすがに、つい昨日風邪をこじらせた身としては「もう!煩いな!」などといつものようには返せない。佐藤も、吉田のそんな胸中を解っているからこそ言っているのだが。
「佐藤も、ちゃんと気をつけろよ!」
 せめて負けじと、吉田も言ってやった。その後、何かを誤魔化すようにココアをぐびりと飲む。
 素直になったり意地を張ってみたり。自分に対してそんな反応を取る吉田は、佐藤はとても愛しくて堪らないのだ。
「俺が学校休んだら寂しい?」
 そんな事を言う。
 ココアを飲む為、顎までマスクを下げている吉田は、そのままの姿で佐藤の顔を見上げる。温かいココアを飲んだ為か、唇がちょっと赤いような気がする。
「……そりゃまぁ……うん、寂しい」
 まずはそう言う吉田。そして、続けで。
「でも! だからって無理して出て来るなよ! 休む時はちゃんと休まなきゃ」
 佐藤が自分を抑制してしまう節があるのは、深い付き合いの吉田には何となく解る事。それは意識しての事でもあるし、時には無意識でもある。どっちも性質が悪い。
「ん、じゃあ、吉田の為にもしっかり体調管理しなきゃな」
「自分の為にしろよ!!」
「だって俺は吉田のものだものv」
「なっ――――!」
 さりげなく飛び出た爆弾発言に、吉田の熱がまたぶり返しそうだった。
 全くもう!コイツは!と吉田は再びココアに意識を向けようとした。
 のだが。
「…………」
 佐藤の長い指がマスクに覆われている顎に添えられ、そっとした柔らかい力で上向かされる。これから何をされるのかは、もう解った事だ。
「……体調管理、しっかりするんじゃなかったの?」
「吉田、もう治ってるんだろ?」
 だったら伝染らない、と佐藤はしゃあしゃあと言う。むーっと口を引き締めて、佐藤を睨む吉田。
「……これで明日休んだら、怒る! 物凄く、怒る!!!」
「はいはい、でも、吉田は優しいから見舞いに来てくれるんだよな」
「!! い、行かないッ! ……かも、」
 ぽつり、と付け足された一言がいかにも吉田らしかった。
 佐藤はちょっとだけ笑い、吉田に口付ける。
 吉田の唇は温かくて、ちょっとココアの香りがした。



<END>