吉田が本屋に立ち寄ったのは、気になる書籍の発売日だから……ではなく、単に暖を取りたいからだ。こんな寒い日、早く家に帰りたい反面、とてもまっすぐ帰路には迎えられない。特に今日は、佐藤が女子達と一緒に行ってしまったから、なんだか余計に北風が冷たく感じる吉田なのだった。今日は何処に立ち寄ったんだろう。まだ2人きりじゃないとは言え、女子に囲まれている姿を思うだけで、吉田の眉間が食事中の佐藤の様な皺が刻まれる。
 吉田は漫画も読むが、小説も読む。だから本屋に訪れるのは結構楽しい。佐藤の部屋には沢山の本が、しかも文庫化を待たずハードカバーの段階で揃っているものだから、そういう意味でも佐藤の部屋は時間を忘れる。
 まずは漫画の新刊と雑誌売り場の前をうろうろし、それから実用書のコーナーへと向かう。この辺りは、佐藤と付き合いだしてから立ち寄る様になった気がしないでも無い。料理のレパートリーを増やす為にとか、著しく経験の足りない恋愛事情への情報収集などに。吉田の嗜好は、少女趣味からかけ離れているから、そう言う意味では男子の感覚に近い。けれども、それはあくまで友達としての事であり、対恋人となると白旗を上げたくなる程、お手上げなのだ。こうして、信憑性すら定かではない雑誌の情報に踊らされる程に。
 これからの事と思うと、「そういう事」に関しての知識も上げなければと思うけど、どうもセクシャルな話題は手に取るだけで恥ずかしい吉田だ。余程人目がつかない限り、手にも取れない。生憎今日は、吉田と同じ年ごろの女子のグループがその手の雑誌の前を陣取っている。今日は無理だな、と吉田は早々に諦めた。あるいは彼女たちより、余程吉田の方が読む必要があるのかもしれないが。
 それならば、と吉田は料理系の本が揃っている場所へと移る。と、その一面がいやに華やかなのに気付いた。
(そっか、クリスマスか)
 まだ晩秋も良い所だけども、準備を思えば妥当な所だろうか。いかにも美味しそうな、クリスマスのディナーの光景が、雑誌の表紙を煌びやかに飾っている。
 こんな席に、佐藤と座れたらな〜と吉田の顔が緩む。
(そーだ、その前にプレゼント)
 佐藤に何をあげれば。不意に浮かんだ大問題に、吉田は人知れず悩む。
 友達にあげるのでも結構考えるのに、しかも恋人。おまけに佐藤である。初心者の吉田にして、かなりハードルが高い。高すぎる。
 大抵、プレゼントとなると相手が貰って嬉しいもの、それは即ち相手が欲しいものでもある。
 佐藤、何が欲しいんだろう。そう思った途端、吉田の脳内に現れた佐藤が、しゃあしゃあと「吉田が欲しいなv」なんて胡散臭い程の笑みで言った。首を振って、その佐藤を打ち消す吉田。
 吉田の収入なんて、今のところ親からもらう小遣いのみで形成されている。金がかけられない分、手間をかけるのならそれは手作りの品となるだろう。
 お菓子がいいだろうか。でも、消えちゃう物はちょっとな……と吉田はまた悩んだ。
 そんな吉田の目に、不意に飛び込む。”初心者に向ける手編み特集”と題名を飾る雑誌。
 手編み、となると、マフラーとか、セーターとか。
 こういうの、作れる人って凄いな〜と、吉田は何気に手に取り、中身をぱらぱらと眺める。初心者向けにも関わらず、初心者である吉田にチンプンカンプンな内容だった。初心者以下だというのか。
 これじゃ、手編みのセーターなんて夢のまた夢だな、と嘆息しながら、吉田はその本を棚に戻した。
「あれ、いいの? 買わなくて」
 背後からそんな声がして、吉田は飛び上がる程驚いた。
「な、佐藤!! 何時の間に!」
「手編みいいじゃん。温かそうで」
 素の笑顔でにこやかに佐藤が言う。果たしてクリスマスプレゼントの参考だと、勘付いてるのかどうか。
「……いいよ。そんな。大体、男の人って手編みの物って嫌なんじゃないの」
「はあ? また何を……雑誌の受け売りか?」
 一瞬きょとんとした佐藤だが、すぐに真相を見抜いた。佐藤が、吉田との外出先の宛てを参考にする時に読む雑誌にも、その手のような事が書いてあった。
「そりゃ、遊び相手ならそういうの貰ったら重くて邪魔だろうけどさ。吉田は遊びじゃないし。本命だし」
「………」
 さらっと本命と言ってしまえる佐藤が、ちょっと憎たらしい吉田だ。まあ、そんな所も好きと言ってしまえるのだけども。
「……でも、やるとしてもやっぱり途方も無いかな〜っていうか……」
 佐藤に促されるように、再び中身を改めてみる吉田だが、どうも自分で出来るという気がしなかった。やっぱり初心者用とか嘘なんじゃないのか。これは。
「今年のじゃなくても良いから、いつかは欲しいな」
 ゆったりと佐藤が言う。
「いつか……か……」
「高校卒業しちゃう?」
 考え込み過ぎて、顔を顰める吉田に佐藤が揶揄するように言う。しかし、それを受けた吉田は、殊更真剣に悩み、言う。
「う〜ん、成人式になっちゃうかも?」
 と、本当に真面目に言うものだから、佐藤は思わず店内と言う場所も鑑みず、大きく噴出してしまった。幸いなのは、BGMがその音以上に音量があった事で、気付いたのはすぐ隣の吉田だけだ。
「なっ、なんだよ! だって、しょうがないじゃん!!」
 根性はあるだろうが、決して器用じゃない手先なのだから。羞恥に顔を赤くする吉田に、佐藤は場所さえ構わなければすぐにキスしたい所だ。全く、言う事がいちいち可愛いのだから。
 ぷんぷんと憤る吉田の頭を、ぽんぽんと叩く様にして撫でる。店内という場所では、これくらいのスキンシップしか出来ない。それをもどかしく思うが、今は髪の感触を堪能する。
「そういや、女子達はどうしたの?」
 今更ながらに、吉田が尋ねる。佐藤は、さして大した事でもない様に、言う。
「ああ、もう用は済んだから、別れた」
「ふーん……」
 それだけ言い、吉田は口を噤んだ。本当は色々聞きたいだろうに。何処に行ったとか何をしたとか。何も言及しない吉田はいっそ潔いくらいの男前だが、佐藤にしてみれば質問してくれて一向に構わないのに、と思う。まあ、イギリスで過ごした日々については、言えない事の方が圧倒的に多いのだけども。
 部屋に誘いたい所だけど、陽が落ちるのが早いこの季節を考えると、吉田の帰宅時間を思えば控えるべきだろう。
「ねえ、今度の週末、暇? なら、ウチに来ない?」
「えー、」
「ダメ?」
「……ダメじゃないけど、」
 ホントは来たい癖に、照れが先立って、すぐにはうんと言わない吉田。佐藤は、こんなやり取りがちょっと楽しい。どう言えば頷いてくれるかな、と考えるのが楽しいのだ。まあ、大抵お菓子をちらつかせれば、すぐに頷いてくれるのだけども。吉田の方も、どうやって頷くかを探しているのかもしれない。
「あのさ、」
 と、書店を出た所で、吉田が言う。
「その、手編みとか……ホントに欲しい?」
「ん?」
「まあ……ホントに欲しいなら、いずれ……その内……」
 吉田の声が小さくて、途切れ途切れなのは単に自信の無さの表れだろう。しかし吉田は、器用じゃないが壊滅的に不器用でもないのだから、そう悲観する程でも無いと思うのだが。やっぱり恋愛経験の無さが成せる技だろうか。
「うん、欲しいよ」
 吉田の前でだと、佐藤も素直に自分の言葉を吐ける。率直な佐藤の台詞に、吉田は瞬きを数回した。
「……じゃあ、その内にね」
 それが吉田に出来る、精いっぱいの約束なのだろう。吉田は言葉の重みを知っているから、おいそれと大事な事程口にはしない。好きだと言う、そういう気持ちとかも。
「あ、で、でも、期待はしないように、くれぐれも」
 吉田は念を押す。しかし、佐藤は。
「そっかー、楽しみにしてるよv」
「だから、期待すんなってば!」
「そういえば、次の休みだけど……」
「こら! スルーするなー!!」
 そんな掛け合いをしながらの帰路は、不思議と寒さは感じられない。
 今年は多分、手編みは無理だけど、いつかは編んであげよう。
 自分の部屋に戻った吉田は、いつか果たしたい約束に、思いを馳せる。
(……とりあえず、今年のプレゼントだなー)
 頭を傾ける問題が、ぐるりと一周して最初に戻ってきたような吉田だった。
 きっとおそらくは、そうして佐藤の事を想うのが、佐藤にとっての何よりの贈り物なのだろうけど。



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