それは、10月も最終週に入ってからの事だった。
「ねえ、ヨシヨシ。今度の土日って空いてる?」
 そう、吉田に尋ねて来たのは、井上だ。
「んー、何かあるの?」
 吉田はちょっと顔を傾けて尋ねた。
 最近の吉田の週末は、特に用が無ければ佐藤の部屋でだらだら過ごすのが定例となってきている。だから、予定は埋まっていると言えば埋まっているのかもしれないが、約束があるとも言えない状態でもある。
 実はね、と井上は話を切り出す。
「今月末はハロウィンでしょ? ウチのバイト先もそれに関連したイベントやるんで、ヨシヨシにちょっと手伝って貰いたいの」
 少し申し訳なさそうに、ダメかな?とそう友達に言われたら、断れないのが吉田だ。佐藤には悪いが、今週は井上の方を優先しよう。
「でも、他の人とか居ないの?」
 こう言っては何だが、かなり急な話である。今月末がハロウィンなのは、それこそ1年前からでも解りきった事なのに。
 吉田の最もな疑問を、井上が解消してくれる。
「それがね、怪我とか引っ越しとか試験とかで、バイト続けられなくなっちゃった人が続いちゃってさ」
 勿論その分の人員は増やすが、急にやっつけで入れる事は躊躇われる。通常業務はまだ障りは無いが、イベント等が発生するとさすがに手が回らない。そこでこうして、急遽お手伝いを集めている、という事らしい。
「何せ、話が急なのはこっちも承知だからね。その分お金も弾むよ〜」
 そう、井上が耳に口を近づけて囁いた金額は、確かにお得感溢れる額だった。これは美味しい!井上の提示する金額が手に入れば、欲しい漫画もゲームもお菓子も、全部買えそうだ。吉田の心も弾む。佐藤は何でも奢ってくれるけど、だから余計に甘えてはいけないと思う。
 それに、もうすぐ来るクリスマスに向けて、佐藤へのプレゼントの予算の積み立ても出来るし。それを一番の動機として、吉田は井上の依頼を引き受ける事にした。


 吉田の任される仕事は、簡単に言えばお菓子配りである。例の、合言葉である「トリック・オア・トリート」を言った子供に対し、籠の中のアメをあげるのである。ただそれだけと言えば、それだけなのだが。
「あーっ、こらこら、ダメッ!籠から取ったら!こらそこ!他の子のヤツ取ったらダメだろー!合言葉言えばあげるから!」
 小さい吉田の、それでも腰元程度の身長しか無い小さい子供達が吉田の元に群がっている。それは勿論、お菓子目当てではあるが。
「うう、なんで井上さんの方には集まらないんだろ……」
 小さいながらも、エネルギッシュな子供たちを持て余しながら、吉田が井上に助けを求める様な顔を向ける。井上も吉田も、同じような悪魔の衣装を身に着けていた。悪魔と言っても、勿論おどろおどろしく恐ろしいものでは無く、ミニスカートでコケティッシュな感じの可愛らしい奴だ。頭には小さな角、芸も細かく尻尾もきちんとスカートの中から覗いている。
 群がり子供たちにひたすら戸惑う吉田だったが、対して井上はその光景を当然のように見て居た。
「あら、こうなる気はしてたけど。だって、ヨシヨシって子供に人気ありそうじゃない?」
「えー、そうかな?」
 まあ、確かに小学の時はモテていたけども。女子ながら、女子相手に。あるいは男子からも好意を向けられていたかもしれないが、覚えの無い事だしもはや確認の仕様も無い。いや、1人だけ居たか。小学校の頃から好意を持たれていた男子が。勿論、佐藤の事である。
 今日、井上のバイトの手伝いをするのだと伝えた時、やっぱり佐藤は、ちょっとだけ吉田と過ごせない週末に落胆した様子を見せていた。それはとても些細な、僅かな表情ではあったが、吉田には解るのだ。何となく。
 そりゃあ吉田だって、何もなければ佐藤の部屋でのんびりまったりしたいとは思うし、佐藤が実家に帰ってしまって会えない日とかは、仕方ないと思っても寂しく感じる。後で、佐藤にメールでも出しておこう。そう吉田が思った時だった。子供の喧騒がぴたりと止む。
「よおー、ヨシヨシ。何か可愛い格好じゃねーか」
 ジャンパーにGパンという、素っ気ないにも程がある格好で高橋が現れた。高橋は胸もあるし、プロポーションは抜群なのだから、着る服さえ選べばかなり化けるだろうに、というのは井上のみならず吉田でも思う印象だった。何か、損してるというか。最も本人が全く気にも留めてないので、損も得も無いだろうが。
「井上さん、とらちんにも頼んだの?」
 突然と言っていい、高橋の登場に、吉田は首を傾げながら井上に尋ねた。今日、バイトというか手伝いをする事になったのは、高橋にも伝えた事だが、正確な場所までは言って居なかった。その時はまだ吉田は知らなかったからだ。
「ああ、個人的に呼んだの。ヨシヨシと記念撮影しようと思ってv」
 しれっと井上はそう言うと「へ?え?」と戸惑っている吉田の肩を抱き、高橋に自分の携帯を手渡した。
「ほらとらちん、撮って撮ってーv」
「ちょ、ちょっと井上さん!ヤだ、恥ずかし……!!」
「行くぞー」
「えっ、とらちん!だめだってばああ!!!!」
 しかし、そんな吉田の抵抗空しく、井上との、小悪魔ちっくなお揃いの衣装の姿はばっちり激写されてしまっていた。パシャーン、と軽快な音が響く。
 携帯を戻して貰った井上は、その後少し操作をする。程なく、高橋の携帯から何か着信音が響いた。
「今の画像、ヨシヨシにも送ってあげたからね」
 そう言った井上を鑑みると、今しがた高橋の携帯を鳴らしたのも、その添付メールが届いた音なのだろう。
「ええええっ! そ、そんな!」
「いいじゃない。ヨシヨシってば可愛いもん。記念に残さなきゃ。
 ねー、とらちん」
「そーだな。ヨシヨシ、可愛いぞ」
「なっ……!じゃあとらちんは、逆の立場で大人しく写真撮られても黙ってるの!?」
 顔を真っ赤にして反撃した吉田の台詞は中々的を得て居て、高橋がぐっと言葉に詰まり困った顔になる。
「そ、それは………」
「あー、ほらほら。おしゃべりはここまでにして、仕事仕事!」
 吉田に怒られてうろたえる高橋に助け船を出す形になったのは、井上だ。実際、今は勤務中であるし。
「井上さんがとらちん呼んでんじゃん! てか、とらちんの方に頼めば良かったんじゃないの?」
 この服、多分だがきっと高橋の方が似合うだろうし、と吉田はやや恨めしく井上を見る。
「いや、とらちんはダメよ。だって……ね」
 井上は言葉を濁した箇所で、辺りへ目配せをした。そこには、高橋の凶相に怯える子供たちの姿。
 なるほど、子供相手の仕事にはとてもじゃないが彼女には頼めないと、吉田も認めざるを得ない状況だった。子供たちにとって、高橋から見降ろされる形になるので、その怖さは3割増と言った具合か。
「んじゃ、ヨシヨシも井上も、頑張れよー」
 顔を見せに来たというか、見に来たような高橋はそれで去って行った。吉田もそれに手を振って、そして高橋が去ったと同時にまた吉田の元に子供たちが集まる。あわわ、と吉田の狼狽も再開された。
「それじゃ、私も自分の仕事に戻るから。ヨシヨシ、後は頑張ってね」
「えーっ、ここで一緒にお菓子配るんじゃないの!?」
 それならこの子供大群に耐えられると思った矢先の井上からの残酷な宣言である。吉田は隙あらば子供たちが手を入れ良いとする籠を庇いながら、井上に問いかける。
「私が配れるんだったら最初からヨシヨシに頼んでないって。本当にヤバくなったら来てあげるから、」
 ある意味ご尤もな意見を言いながら、井上は店頭から店内へと場所を移してしまった。薄情者!と吉田は軽く呪いつつ、この子供の大軍を相手にするとなると、事前に言われていた金額では何だか割に合わない様な、損な気さえして来てしまったのだった。


 井上は、吉田の顔を指して子供に好かれそうな顔と言ったが、つまりは親しみを感じる顔なんだろうな、と吉田は自分なりの解釈をした。他にも、吉田から見渡せる範囲で、同じようなサービスをしている店はあるが、この店――というか、吉田の所が断然人が多い。
「あっ、だめだよ。横入りしたら。ちゃんと並んでね」
 最初こそ、戸惑いばかりが先走った吉田だが、事態に慣れたか子供の扱いも大分こなせるようになってきた。とりあえず列を作る様に並ばせて、一人一人ちゃんと手渡していく。
 貰いに来る子供たちの年齢は、ざっと見ると小学校低学年以下、という感じだろうか。それ以上の子となると、ともすれば吉田の背と同じかそれ以上になるので、自分と同じ程の背丈からお菓子を貰うのはどうも阻まれるようだ。まあ、元から小さい子向けのサービスであるし、好都合と言えば好都合だ。
 やれやれ、何とか頼まれた仕事はこなせそうだ、と安心した吉田は甘かった。配っているアメ以上に甘かった。
「はい、どうぞー……って、わあああああああ!!!?!?」
 順調にアメを手渡していると、急に後ろに引っ張られた。背中には悪魔の羽の飾りが付けられているから、それを引っ張ったのだろう。
「こらっ! 誰だ!!」
 言いながら吉田が振り向くと、そこには小学に上がるか上がらないかというくらいの男の子が1人。ダウンジャケットのような上着を着ている。
「お菓子が欲しいの? なら、ちゃんと順番待たないとダメだから」
 そう言って並ぶように促すが、男の子は動こうとしない。お菓子が欲しいんじゃなくて、衣装が珍しかっただけなのかな、と吉田は思って、身体の向きを元に戻す。待たせてしまった子に、謝りつつアメをあげると、次なる異変が吉田を襲った。
「うわああああ! 何すんの! ダメだってば!!!!」
 同じ男の子が、今度は尻尾を取ろうとしているのか、スカートの下から除く尻尾をぐいぐいと引っ張る。
「わー! もう、ホントにダメだって――――!!!」
 吉田は焦る。羽はまだ良いが、尻尾はヤバい。何故なら、尻尾の部分を引きずり降ろされると、ついでに下着までずれる危機に瀕するのだ。おまけに今は、ミニスカだ!!!!
 何はともあれ、尻尾を死守しないとならないのだが、その為には男の子を遠ざける必要があり、だが片手にはお菓子の入った籠を持っており、故にそれには現在尻尾部分を掴んでいる手も使わなければならず、しかしこの手を離すとその場で引きずり降ろされる危険があるという、にっちもさっちもいかない状況だった。吉田、ピンチ!
 相手は小さな子供だが、手加減無しで仕掛けて来るし、吉田は庇う物がある上に身体をねじっている不安定な姿勢だ。むしろ劣勢と言って良い。
(わーん、井上さん――――!!)
 ヤバかったら来てくれると言ったのに!そして今がまさに、ヤバい時なのに!!!!
 もうこの際井上以外の誰でも良い!というか、この子の親はどうした!! 
 この場に居る子は、大抵店内で買い物をしている親子連れが殆どだから、親は何処かに居る筈なのだが。どこに行ったんだよ〜!とやや半泣きになった吉田に、思わぬところから救いの手が舞い降りた。
 その手は、男の子の首根っこを掴んだかと思うと、ひょいっとあっという間に吉田から引き離されてしまった。あまりにあっという間で、男の子自身何があったか良く解らない様な顔をしている。が、その表情を吉田が見る事は叶わなかった。何故なら、吉田の視界は今、潰れて居る。
 佐藤に抱きしめられて。
(さ、さ、さ、佐藤―――!!?)
 何故佐藤が何時佐藤がどうして佐藤がっていうかこの服見られた――!と抱すくめられた形で、吉田はぐるぐるした。
 吉田を抱きしめる佐藤を、ぽかんとした顔で男の子は見ている。その男の子に向かって、佐藤が留めの一撃というか、一言を食らわす。
「ガキ」
 たったそれだけの言葉だったが、それを聞いた男の子はわなわなと全身を震わせたかと思えば、顔を赤くして何処かへ駆けて行ってしまった。ふん、他愛の無い……と佐藤が走り去った先を見て居ると、「バカー!」と胸元の吉田から痛烈な言葉が飛んで来た。
「子供相手に何やってんだ! っていうか、子供相手にガキっていう奴があるか――――――!!!」
 あるか、というか、現に目の前に居るのだが。
「…………。吉田、気づいてないの?」
「はあ? 何がだよッ!!」
 尚もギャンギャン言う吉田に、佐藤が言う。
「今のヤツ、吉田が好きなんだよ」
「…………。えっ?」
 かなり遅れた反応に、微塵も気付いて居なかったと改めて実感させられた佐藤だ。
「好きだから、自分に注目して貰いたくて、悪戯して気を引こうとしてたんだよ」
「え? え?? そ、そうなの??」
「そうなの。俺が言うんだから間違いない」
 まあ、確かに佐藤はしょうもない悪戯に関してはあの子より断然プロとも呼べそうだが。
 しかしながら、目当てがお菓子じゃないというなら、さっきの態度にも納得出来る所がある。あの男の子は、今までの子がそうしてきたような、籠の中のお菓子を直接手に取ろうという動きは見られなかったのだ。目的が吉田なら、お菓子に手を出さないのは当然だ。
 ふーん、そうだったんだー、と真実を告げてやってものんびしている吉田に反して、佐藤はやきもきしてしまう。今のはまだ小さい子だから良かったものの、同年代付近だったらと思うと腸が煮えくりかえって蒸発してしまう所だ。顔を出しに来て本当に良かった、と佐藤は自分の先見の明を褒め称える。
「あれ、そういや佐藤、よく此処が解ったね?」
 ある意味タイミングよく吉田が訊いてきた。今日、この店を訪れるのは、吉田はこれが初めてなのでバイト先の案内をしようにも出来なかったのだが。
「まあ、こういうサービスやる所っていうのは限られているからな。適当に探せば、見つかるもんだよ」
 吉田は、正確な場所は教えなかったが仕事の内容は言っていた。そこから推理、というか当たりを付けたのだと言う。
「それにしても、吉田」
 と、佐藤。その顔は、さっきまでと打って変わって、非常に楽しげな色に染められている。あ、ヤバい、とその笑顔に吉田の警戒警報は最大レベルで警告する。
「なんか、凄い可愛い格好してるな〜。ねえ、写メ撮らせて?」
「だ、だめ! 絶対、ダメーッッ!!」
「えー、何で?」
「何ででも! 大体、今仕事中だし!!!」
 ばたばたと暴れて、何とか佐藤の手から逃げる事に成功した。
 きっと、さっきの井上からのメールで、自分の携帯にはこの姿の画像が入っている。
 絶対知られてはならない……!と 改めて気を引き締める吉田だった。



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