*前の続きです〜^^



 すっかり血の跡を拭い終えた佐藤は、その合図のように吉田の頭にぽん、と手を置いた。
 さて、次に取りかかるのは。
「この辺――か?」
「わぎゃ―――――!!」
 頭に置いた手を、そのままそろそろと後頭部に移動させると、とある箇所で吉田から喚き声が上がった。後ろに転倒した際に出来たたんこぶに触れた為だ。
「しばらく、冷やしておこうか」
 そう言って、佐藤は濡らして来たタオルを、後頭部のその場所と、そして鼻を中心として顔の赤らんだ部分に当てた。前から後ろからと、タオルを当てられている。1人だったらちょっと難しい事だったかもしれない。
(う〜、情けない……)
 改めてそんな思いが過ぎった。少なくとも好きな人の前で晒したい姿ではない。
「そういや、佐藤、自分の試合は?」
「ああ、次は俺はどっちも出ないから」
 まるっとひと試合分、佐藤はフリーと言う事か。あるいは、吉田の応援に合わせて組んだ事かもしれないが。そうやって、ゆっくり出来る筈がこんな消毒液くさい部屋に連れて来てしまい、ますます申し訳なくなってしまった。
 タオルが温くなったからか、佐藤は当てて居たタオルを離し、再び水で洗う。絞ったそれを、吉田が自分に手渡すよう、手を伸ばした。
「後はもう自分でやるから、佐藤、休憩してなよ」
 バレーしか出ない自分と違い、佐藤は2つ掛け持ちしているのだ。まあ、片方はお手伝い程度とは言え、吉田より運動量が多いのは明確だ。
 そう吉田が言うと、佐藤は。
「……今はデコピンも鼻も摘めないのも出来ないから、困るな」
 さすがに佐藤も、怪我人にその患部を攻撃する様な鬼畜では無い様だ。まあ、ドSだけどね!
「え、な、なん――――ッ!!」
 小突いたり出来ない代わりの様に、佐藤は強引に唇を合わせた。全く呼び動作無しの不意打ちで、吉田もパニックになる。言葉の羅列にならない感情が、頭の中で洗濯機並みにぐるぐるした。
「〜〜〜〜〜、ぷはっ!!!!」
 当然、鼻で息なんて出来る筈も無く、短時間の無呼吸に見舞われた吉田は、解放されて早々存分に空気を取り込んだ。ああ、酸素が美味しい!
「ななな、にゃにすんだよぉっ!!」
 長い間口の中を好き勝手に弄られていた為か、上手に口が動かない吉田だった。そんな自分の声にまた赤面。
 そんな吉田に、佐藤は仏頂面になった自分の顔をまた近づけた。キス寸前のぎりぎりの所で、佐藤は口を動かす。
「俺は、吉田と一緒がいいの」
「…………」
「吉田は、違うの?」
 そう言った佐藤の双眸が、何だが揺れた様な気がして、吉田は気まずく「……違わないけど」と、小さい声だがはっきり言った。吉田のその台詞を聴いて、佐藤の表情が晴れやかになる。
「じゃ、も少し此処に居よう。
「え、うーん、でも………」
 ごにょごにょと呟く吉田の視線は、ドアの方へと向けられている。吉田の考える事は手に取るように解った。
「大丈夫だって。保険医は会場の方に行ってるんだし、滅多な大怪我しなければ此処には――」
 ―――ガラララッ
「うぉーんっ! 痛ぇ! 痛ぇよー!」
「もぉー! どうして着地考えずにジャンプするんだよ! ……あっ、佐藤に吉田。あれっ、吉田怪我してるの?大丈夫?」
「足がー! 足がぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「「……………」」
 負傷した牧村と、その付添いの秋本の導入に寄り、保健室の人口密度は一気に上がった。


 吉田と同じく、牧村と秋本も種目はバレーを選んだ。牧村はさておき、秋本がバレーを選んだのは他の種目(バスケとサッカー)に比べ、コートが小さい分、移動距離が少ないだろうという算段の上だった。まあ、それこそさておき。
 佐藤の存在に寄り血走っている女子達と違い、男子の方は至って和やかというか、一般的な競技大会の雰囲気であった。基本遊び半分で、時に真剣になったりという具合で。そしてたまーに調子に乗った男子が自分の技量を無視して勇みこんだファインプレーをし……たつもりで、指節間関節のねん挫や打撲(つまり、突き指の事)及び擦過傷(所謂、擦り傷の事)以上の怪我をこしらえてしまうものである。まさに牧村がその典型的なパターンに陥っていた。
 牧村と共に保健室のドアを潜った時は、まるで余命半年でも告げられた様な悲壮感の牧村であったが、佐藤がてきぱきとテーピングし終わった今ではすでに通常運転である。あの時の動揺は何だったのだろう、という程に。
 牧村の負傷場所とその症状は足首のねん挫だった。バレーをしていた牧村は、格好付けて大きなジャンプでアタックを決めようとした所、タイミングが合わずにボールを空ぶったばかりか、着地を失敗して足首を捻ってしまったのだ。誰も同情の仕様が無いエピソードである。
「おー、サンキューな、佐藤! ありがとなー、凄い上手だなぁ、お前」
 きっちりと、保体の教科書の応急処置の頁から抜け出たような自分の足首を見て、牧村が言う。
「そりゃーどーもありがとうよ」
 そんな牧村に対し、佐藤はむっつりとした顔で、平坦な声で返事した。その佐藤を見て、秋本が「佐藤、機嫌が悪いの?」と吉田に言い、「え、えーと」と返事に困る吉田が居た。
「吉田は大丈夫? どこか怪我したの?」
 ぶっちゃけ秋本はしょーもないスタンドプレイでしょーもない怪我をしたしょーもない牧村の事なんかより、吉田の方が心配だった。その場での応急処置でま間に合わず、保健室へと運ばれる位なのだからという秋本の認識だ。秋本そこまでの怪我でもないんだけど、と吉田はちょっと申し訳なそうに言う。
「大した事じゃないけど……バレーのボールが顔に当たっちゃって、鼻血がちょっと出ちゃったくらい」
「血が出たの!? 大した事だよ、それは!」
 吉田の説明とは裏腹に、秋本はますます声を上げた。
「う、うん、でも、もう今は止まったから」
 さすがに可愛い女の子を幼馴染に持つだけあり、秋本は女の子の安全には敏感なようだ。良い奴である。つくづく。
 以前は空手なんかしていて、軽い怪我くらいは日常だった吉田にとって、このくらいで心配されるのは照れくさいやらこっ恥ずかしいやらだ。でも、他意の無い、純粋な秋本の心配が決して嫌な訳じゃない。
「コブはもう引いたのか?」
 不本意ながら、吉田に頼まれ牧村の治療に当たっていた佐藤が、ああ終わった終わったやっと終わったとばかりに吉田の方へと赴いた。一発で怪我だと解る牧村に、保険医の居ないこの状況、博識である佐藤を頼って吉田が手当てをお願いしたのである。普段どれだけドSでも基本一介の恋する男として、好きな子の頼みは断れない佐藤なのだった。
「えっ、頭も打ったの?」
 佐藤の台詞に、秋本がまた驚く。もう、秋本を心配させるような事言わないでよ、とちょっとだけ吉田は不満顔をした。
「ああ、顔にぶつかった衝撃でな。吉田、小さくて軽いから見事に吹っ飛んじゃってさ」
「小さいはいらないだろ―――!!」
 今度は吉田は盛大に不満顔になった。なんで一言多い事を言うのか、佐藤は!!
「まあ、確かに痛いけど、動けない程じゃないんだから、大袈裟なんだってば」
「……動けない程だったら、大袈裟どころじゃないだろ、もう」
 救急車で搬送レベルだ。佐藤が控えめに突っ込む。
「今日はもう、激しい運動は止めた方がいいと思うよ?」
 激しく平気を主張する吉田に、けれど秋本はそっと進言する。また同じ事になったら、それこそ大変な事になるとばかりに。
「そうだな、俺も同感だ」
「えー、だって、まだ1回しか出てないのに」
 秋本の意見に深く頷いた佐藤へ、吉田が唇を尖らせる。
「別に公式な試合じゃなくて、ただの球技大会なんだし、そこまで意固地に出てどうするんだよ。
 さっきの大惨事見て、皆も別に非難や反対なんかしないだろうし――大体、お前が怪我した後だからって、手加減してくれる相手じゃないだろ?」
「……………」
 それを言われると反論も出来ない吉田だった。確かに、相手は(あるいは自チームも)色んな意味で度を超えているのだし。
「……じゃあ、応援してる」
 吉田の返事に、佐藤も秋本も、安心したような顔で頷いた。そこで、佐藤の出る試合が時間的に迫って来たので、牧村を置いて皆で移動する事になった。
「牧村はほっといて良かったの?」
 吉田が秋本に言う。先ほど、秋本が吉田に懸念したように、保健室にまで連れ込まれる程の怪我では、と思ったのだ。
「吉田に言われてテーピングはしてやったけど、ほっといても大丈夫なくらいのねん挫だったぞ」
 答えたのは佐藤で、えっそうなの?と吉田が目を瞬かせる。次いで口を開いたのは、秋本だ。
「うん……あんまり痛い痛いって煩いから、保健室連れてけって言われただけだし……」
「………………」
 本当に、全く。同情の出来ない牧村だった。


 次がバスケの試合だという佐藤を、吉田も秋本も応援するつもりだった。
 つもりではいた。それは嘘ではない。
 その為の意欲はたっぷりあったのだが――
「……人、多いね……」
「……佐藤、見えないね……」
 佐藤の出る試合は、その前から場所取りがされていて、時間に合わせてやって来た2人には、もはや蚊帳の外と言って良かった。見えないばかりか、その溢れんばかりの歓声で何がどうなっているかすら解らない。まあ、佐藤がシュート決めた時等は一層歓声が強まるから、辛うじてそれくらいか。
「俺、他のチーム応援して来るね」
「……うん」
 秋本の判断は英断である。賢い選択と言えよう。
 吉田も秋本に倣うべきであろうが、見えなくてもこの先には佐藤も居るし、何とかして応援したいし、でも何ともならないし。
 ううう〜ん、と再び鼻から出血しそうな程、頭を悩ませる吉田に誰かが声を掛ける。
「おう、ヨシヨシ。こんな所でどうした?」
「あっ、とらちん!」
 思わぬ場所で親友との出会いだった。聞けばトイレに来たとの事。確かに、自分達のクラスがある階まで行くのは面倒だし、1階は他学年の所なので何となく足を踏み入れ憎い。体育館のトイレなら近いし、女子はあらかた応援で佐藤の試合中何て特に行ってる場合じゃないので、まさにうってつけな所だ。偶然出会ったけども、必然とも言えよう。
「佐藤の試合かー。やっぱスゲーな」
「う、うん……」
 まさに人垣の女子達を見て、高橋がいっそ感心したように言う。吉田と言えば、高橋の方は知らないとは言え、友達が恋人の事を話題にするのはなんとなーく恥ずかしいっていうかもにょもにょするっていうか、なんていうか。もじもじしてしまう。
「応援しようと思ったんだけど――……肝心の試合が見えないっていうか……」
「ああ……そりゃ困るな」
「うん……」
 吉田が困ったように頷く。と、不意に高橋は妙案を思い付いた、というように閃いた顔になる。
「なあ、ヨシヨシ。肩車してやろっか」
「え、ええええ!?」
「それなら、見えるだろ?」
「そ、そりゃ見えるだろうけど……」
 まさかの提言に、吉田も色々と躊躇してしまうというか、高校生になって肩車なんて!と吉田の思春期らしいプライドが疼く。
 しかし、高橋の言う事は確実と言えば確実だ。いくら吉田の体躯が小さくても、高橋に肩車されればコートの中は覗けるだろうし、その姿は佐藤にも見える筈だ。……あまり、見られて良い姿でも無いかもしれないけど。
 でも応援に行くと言った手前、行った事を相手にもきちんと知らせておかないと!特に相手は佐藤だから、後で「来なかったじゃないか」とぶつくさ文句言われそうだ。いや絶対言った挙句、お仕置きとか言ってあんな事やそんな事までさせられる(される)かもしれない!それに比べれば、高校生の身分で肩車される事くらい、何でも無いやい!
 覚悟を決めた吉田は、高橋にお願いする。
「うん、とらちん! お願い!!」
「えっ、マジでやんのか?」
「冗談だったの―――!!?」
「いやまぁ……してくれっていうなら、するけどよ。ほら」
 高橋も、ここから確実に試合の光景が見えるようにするには肩車しかないとは思っていたが、吉田がそれに乗るとも思って無かったというか。まあ、高橋が声にした通り、やってくれと言われたのなら勿論するが。
 吉田はしゃがんだ高橋に、「ごめんね」と一声かけたから頭に跨る。それを見計らって、高橋が身を起こす。ちょっとぐらついたが、大概安定して立ち上がれた。
 人の頭上が眼下に見える光景に、吉田は「おお!」と感嘆した声を胸中で洩らす。と、同時に懐かしい感傷も引き起こした。他でもない、幼少の頃自分の父親にして貰った記憶だ。吉田の父親は彼女の父らしく、小柄ではあったがそれでも普段の倍以上高くなった視界に、吉田がはしゃがない筈が無かった。
 最後の肩車はいつだったかな。そんな思いに浸りつつも、目の前の光景にしっかり集中する。
 点数は、自分のクラスが5点リード。やはり、佐藤の活躍が目覚ましい様だ。……まあ、佐藤以外にボールが渡ったらもれなくブーイングがしそうで、かなりやり辛いだろう。相手選手も、自分の所も。
(あっ、佐藤だ)
 佐藤の姿はすぐに見つけられた。種目がバスケットで、比較的高い身長が集められたらしい。佐藤の背も、そんなに飛び出して居ないし、むしろ埋没しそうな程だが、吉田の目はすぐに佐藤を捉えたのだった。そして、それは逆も当て嵌まる。
「…………!」
 肩車された吉田の姿に、佐藤は少しだけ、驚いた風に目を軽く見開いた。が、すぐに蕩けそうな笑みに変わる。その変化に気付いたのは、吉田だけだった。見に来たよ、という合図に、少し手を振ってみる。
 佐藤は、近くに居るクラスメイトに何事か言ったようだ。相手は驚いたような顔をし、しかしすぐに納得したように頷く。いや、何かを承諾した仕草だったかもしれない。
 さっき、自分のクラスがシュートを決めたのだから、相手からのスタートだ。ゴール下からの大きなパス――を、すかさずカット。それは、さっき佐藤と話をしていた男子だった。
 ボールを手に入れた男子は、そこからロングシュート……ではなかった。ゴールに向けられて投げられたが、片手で投げて居るのだから、それはシュートではあり得ない。一方、佐藤はゴール近くまで走っていた。そして、投げられたボールをジャンプして掴み――そのまま――ダンクシュート。
「!」
 見事なプレイに、女子達の歓声が爆発する。体育館の屋根が吹き飛びそうだ。
「お、なんだ?何かあったのか?」
 何も見えないで居る高橋が、突然の歓声に驚く。
「あー、うん。佐藤が、ダンクした」
「へえ、凄いな。背ぇ高いもんな」
 自分もやってみたいなぁ、という風に高橋が呟く。
 一方で吉田と言えば。
(……や、やっぱり今のって、応援に来たの気付いたからやったんだよな……?)
 チクショウ、格好いい事しやがって!と吉田の中に良く解らない怒りが湧いて来た。だって、自分と来たら顔面にボール受けて鼻血だしただけだもの!納得できない!差別だ!(←?)不平等だ――!!(←??)まあ、そんな風に吉田が憤るのは、素直に格好いいと認めるのが悔しいと思う程格好良いと思ったからではあるが。つまる所は吉田だって佐藤が好きなのだ。恋人的に。
 うーうー、と何かに吉田が唸っていると、背後から突き刺すような声がした。
「ちょっと! 何肩車なんかして!!」
「そこまでして佐藤君が見たい訳!? あたしだって、見たいわよ!!!」
 いかん、今まで最後尾だった為に誰にも見咎められる事無かった肩車が、人が増えた為に目撃されるようになってしまった!
「と、とらちん! ごめん、逃げよう!」
 ずるいずるい、という非難のオーラを感じ、吉田が危機感を覚える。それは、高橋も同じで。
「お、おう!!」
「――って、ちょ、このまま―――!!?」
「悪い! 降ろす暇無ぇ――――!!」
 そう言って、高橋は吉田を肩に担いだまま走りだした。肩に担がれたまま疾走されるのは、ある意味ジェットコースターのスリルにすら匹敵すると、吉田は思った。


 その後、大きなトラブルも無しに概ね球技大会は優勝チームもきちんと表彰し、終了した。佐藤を含んだチームは、良い所まで行ったものの、3年生のチームに健闘したものの、あえなく敗退となってしまった。女子も同じく。まあ、自分達は1年生なのだから、来年に期待すればよいのだ。
 後日談として。
 牧村の怪我は、後日にはほぼ治っていた。牧村はいつも通りに行動し、いつも通りに女子をデートに誘って平手打ちされていた。昨日のねん挫より、今の平手打ちのダメージの方が大きかったのは言うまでも無い。
 そして吉田は、きちんと佐藤の応援が出来て、面目も保てれて、平穏なひと時は――来なかった。
「なんでだよ。ちょっとくらい、いいじゃん」
「ヤだ――! なんで佐藤に肩車されなくちゃなんないんだよ! する意味ないし!!」
「だって、高橋だけずるいじゃないか」
「ずるいって何だ――! あれは必要に迫れてと言うか……」
「俺だって吉田を肩車したいー」
「そ、そんな拗ねた顔したって、ダメなもんはダメっ! だ、ダメだから! 絶対、絶対――――!!」
 果たして、妙なヤキモチを焼いて迫る佐藤から、吉田が無事に逃げられたかどうかは、当人たちのみの知る所だ。



<END>