吉田は決して、運動が嫌いなわけではない。しかし、数多くのスポーツというものは背が高い方が有利とされていて、一般平均以下を誇る吉田としては何となく詰まらなくなってしまうのだ。特に、球技にはその傾向が強い。
「せめて、空手だったらなー」
 吉田が呟く。とはいえ「球技大会」と銘打っている以上、そこにはもはや球技しか無い訳で。吉田の不満はもはやどこにも行き場は無かった。
「結局、吉田はどれにするの?」
 佐藤が訊く。放課後、佐藤の部屋に立ち寄った形だが、話題に上るのは今日行われたHRの内容だった。とりあえず、今日は球技大会については、日程と球技の種類が明かされたに留まる。つまり、次やる時までにちゃんと決めて来てね、って事だ。
「んー、バレーにしようかなって」
 次はハンドボールかな、と吉田は言う。3種ある内の残りの1つはバスケットボールなのだ。これはもう、背の低い自分はお呼びでは無い。バレ―だったら、まだプレイに参加出来ているという気になれる……と、思う筈だ。
「そっか。なら、俺もバレーにしようかな」
「同じにしても、一緒のチームにはなれないって」
 まるでお揃いを強請る子供みたいな佐藤に、吉田は笑って言った。勿論、佐藤が本気で、同じチームになろうとしているのではないのは解りきった事だ。もしなれるなら、どさくさになりたいと吉田も思うけど。ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ。
「なあ、吉田」
「ん?」
 出された紅茶を飲みながら、吉田が返事する。
「応援、来てね」
「……えー、どうせ女子が凄いから、居ても解らないと思うよ」
「解る。絶対解るから」
「……そう?」
 そんなに力強く断言されると、何やら照れ臭いものを感じる。吉田の頬にぽっと明かりが灯った。
「うん。人込みがあって、一か所ぽっかり凹んでる所があったら、そこが吉田だと思うしv」
「な――――ッ!! 失礼なッッ!!」
 さっきまでの健気な態度とは一転、突如憤怒する吉田の表情を、佐藤はにこにこして眺める。
 感情豊かな吉田が、佐藤はとても大好きなのだ。


 球技大会――と、言っても喜ぶのはスポーツが得意な男子か、勉強があまり好きではない男子か(球技大会で授業が無くなるので)ともかく、女子の方はやる気に欠けるというか、決して乗り気な子は多くは無い。
 身体を動かすのはカロリー消費に繋がるから良いけど、日に焼けるし痣が出来ると困る〜などというのが主な理由だろうか。
 しかしながら、吉田の属するクラスではその空気は一変する。
「いい!? 優勝しろとは言わないわ! でも! ひと試合でも多くプレイするのよ!!」
 その宣言に合わせて「おおー!」という掛け声の様なものが響く。
 彼女たちが勝ちを目指す動機は、今の台詞通りだ。優勝が欲しいからではなく、単に試合数を1つでも多くしたいのである。で、その理由といえば、さっき女子達にかけられた佐藤の台詞だ。
「応援に行くから、当日頑張って」
 ――これで血沸き肉踊らない女子は、野沢姉くらいだろうか。それと、ある種吉田。とにかく、その一言により、吉田のクラスの女子はいきなり活気づいたのである。さっきまでの「球技大会ってちょっとだるいよね」なムードはどこへ吹き飛んだのか!
 しかもクラスの違う野沢姉は良いだろうが、吉田はその渦中である。すでにクライマックスな気分だ。
「とにかく、中学運動部に属してた子をまとめて、強いチームを作りましょう」
「ええ、それってずるくない? そのチームばっかり佐藤君に応援されちゃってさー」
「そうね。けど、考えてみて。その他のチームは佐藤君の応援を受けられない代わりに、佐藤君と一緒に応援できるのよ!!」
 その台詞に、どこからともなく「おお!」というどよめきが立つ。
「一体、どっちが佐藤君の傍に居られるかは……解るわよね?」
 まるでキラーンと光りそうな鋭い目で言う。
 まあ、確かに、単に勝ち進みたいだけなら、戦力を平等に分けるより固めてチームを作った方が有益ではある。
 その精鋭チームは、勝ち進む事を課せられたプレッシャーや、プレイしている為に佐藤の姿をゆっくり見れないというデメリットはあるが、それを差し引いて超える佐藤からの応援という特典が付いている。両者、メリットとデメリットがせめぎ合い、中々の采配と言える……だろうか。吉田は首を捻る。
「とりあえず、バレー部だった子、バスケット部だった子、ハンドボール部だった子、手を上げて!」
 全部合わせて、クラス内の3分の1、くらい、と言った所だろうか。他の運動部を加えたら4分の3くらいにはなった。最も、その中には卓球部やテニス部とか、球技に縁の無い陸上部や水泳部も含まれている訳だが。吉田はふと、空手を習っていた事を打ち明けようか迷ったが、結局しない事にした。球技じゃないし、それに部活では無かったし。
「……陸上部の子は、バスケットボールに行って貰おうかしら。一番走る競技だものね。で、テニス部は……」
 大会の種目に当て嵌まらない運動部も、てきぱきと仕分けされていく。吉田はもう、流れに身を任せる事にした。この際、自分の希望が通るかどうかも怪しい所だし。
「吉田、あんたはどれにする?」
 何て物思いに耽っている時、急に呼びかけられあわわ、と慌てふためくものの、辛うじてバレーがいいな、という事は伝えられた。
「バレー、ね。うん、それでいいんじゃない?」
「ホントに?」
「だって、他2つのだと低い身長がもろにハンデじゃない」
「……………」
 吉田もそれを自覚しての選択だったが、こうして他人に言われると釈然としない気持ちになってしまうのは何故だろうか。
 それはさておき、自分の希望は通る様だった。めでたしめでたし。
「さて、」
 と、人員を振り当て終わった合図のように言う。
「決勝まで行けそうなのは、バスケットとバレーね。ハンドボールは生憎だけど、その分応援を前線でやってもらうから。球技大会には応援も得点だものね。
 ――それじゃ、皆! 当日は気張るわよ――――!!!」
 その声に、皆がまたしても「おー!」と声を揃える。吉田もどうしたものか、と一瞬考え、「……おー」と、一応声を出しておいた。


「……なんか、佐藤のせいで球技大会が大変な事になりそう……」
 ぼそ、と愚痴では無く、多分弱音である。吉田から零れたのは。
「? 俺のせい?」
 とぼけてるのか、わざとなのか。まあどっちでもいいや、と吉田は言う。
「佐藤が応援するよって言ったからさ、皆、1回でも多く応援貰いたいからって凄く本気になってんの」
 大変だよ、もう、とと吉田。
「まあ、学校行事に真剣に打ち込むのは良い事じゃないか。後できっと良い思い出になるよ」
 出来る事なら、吉田は今からでも良い思い出になるような出来事を迎えたいものだが。
「それにさ、」
 と、佐藤。
「バスケも掛け持ちする事になったから、せめて3回戦まで勝ち進んで貰わないと、応援に行く隙が無いんだよなー」
「ふーん。……… …………… …………………」
 すっかりいつもの風に相槌を打った吉田だが、今の佐藤の台詞をよく、よーく考えてみると、だ。
「………まさか、佐藤……」
 吉田が言う。
「勝ち進んで貰えるよう、わざと煽る様な事………」
「いやー、楽しみだな、球技大会vvvv」
「…………………」
 吉田の台詞を遮って、佐藤が言う。
 邪気たっぷりに、無邪気に笑う佐藤だった。


 さて、当日。吉田のこれまでの人生で未だかつてない程、熱気に包まれた球技大会を迎える事になった。なんというか、こういう折につき、佐藤の人気を改めて思い知るというか、佐藤の人気もだけど女子のパワーもというか。
 ちなみにこの日に至るまで、毎日女子達の血の滲む自主練習の光景があった訳だが、その辺りは佐藤が言葉巧みに吉田がその洗礼を受けない様にしてくれた。だって練習してたら自分と遊べないし(自分勝手)。くどく言うが、吉田の運動神経は悪い訳じゃないから、練習しなくてもそれなりの動きは見せられる。
「思ったんだけど、」
 と、吉田。
「佐藤の応援する所みたいからって、他のクラスがわざと負けたりとかしないかな?」
 これは吉田が決して、スポーツマンシップから背いた訳では無く、あの殺人アタックを打ちだす事は無いのでは無いだろうか、という相手への配慮からだった。実際、死にはしないだろうが直撃したら凄い痛そう、という吉田を感想は持った。あのアタックには。
「甘いわね、吉田」
 吉田の、平和で穏やかな球技大会を望む最後の望みはその一言で潰えた。吉田の呟きを受けた彼女は言う。
「他のクラスの連中、ウチらが佐藤君と同じクラスっていうのをいつもやっかんでるのよ。きっと、ここぞとばかり打ち負かそうとするわね。
 だって逆の立場ならそうするし」
「………そう」
 最後に、ある意味説得力たっぷりな事を言われ、吉田も頷くしかない。しかしまあ、向こうも同じくらいやる気というなら、一方的に虐げるような事にはならないだろう。ただ、球技大会あるまじき殺気に包まれるだけで。
「…………」
 つまり、巻き添え食っているのは自分だけか、と吉田は孤独を覚えた。


 そんな訳で、熱気(あるいは殺気)に満たされた大会内で、別の意味でテンションの高い人物が居た。しかも2名。
「凄いね、姉さん!! これが人の本能なんだ!」
「憎悪、嫉妬、恨み……渾然一体となって、校庭を覆い尽くしている……!!」
 あくなき美術への探求を続けている野沢ツインズが、ここでもその使命を全うしていた。がりがりと画用紙に己の思いの丈をぶつける野沢を見て、いっそあそこに混ざりたいなぁ、なんて吉田は血迷ってみたが、自分に絵の才能が皆無なのは知っている。とにかく、この大会から逃れる場を探した所で、思い知るのは逃げ道なんてないという事だけのようだ。言われた通り、余所のクラスも――というか、余所のクラス程殺気立ってると言うか。
 吉田の所属するバレーボールのみならず、人数はプレイヤーぎりぎりではなく、補欠も含めた人数で構築されている。吉田は1回戦、2回戦と出ずに済んだが、さすがに次は出場しなければならないだろう。クラスメイトが良しとしても、他クラスが許してくれないだろうし。登録メンバーが全員出場するというのは、大会規定で決められている事だ。それを反すればたちどころに即・失格である。
 それと、吉田はふと思い出した。それは佐藤の台詞である。
 ――せめて3回戦まで勝ち進んで貰わないと、応援に行く隙が無い――
 それは取りも直さず、3回戦は応援に行ける、という事である。もしかしたら、佐藤が応援してくれるかも、と吉田はちょっと違うドキドキもしてきた。それまでは、すでに格闘レベルに達しそうなバレーの様子に顔を引き攣らせていたのだが。
 3回戦まで進んだら佐藤が応援に来てくれる、というのは直接本人の口から聞かなくとも、試合のローテーションを見れば解る事だ。だからこそ、1回戦と2回戦は絶対に負けないメンバーで構築されたのだ。吉田を含めず。
 ちょっとだけでも活躍出来たらな。そんな気持ちを携え、吉田はバレーコートへと向かう。


 外から見るだけでも凄まじい、と思っていたコートの中は、実際入るとやはり凄かった。びりびりとプレッシャーを感じる。空手を退いてから、こういう「試合」の雰囲気を肌で感じる事は無かった。懐かしい、と少し思う。
(佐藤、居るかな……)
 応援に来るとは言っていたが、最初から居るという訳では無さそうだ。居れば、すぐにでも解る。あの姿は。探すまでも無い。
 そうしていると、試合開始のホイッスルが響いた。吉田は慌てて頭を切り替え直し、高く舞うボールへと集中した。


 吉田の背ではアタックなんて到底望めないので、専ら拾う専門だ。こういう役割を担う人をリベロというがそれはさておき。
 吉田は小さいなりに、なかなか検討していた。ファインプレーに匹敵する場面も2回程迎える。
 スコアは5対6。吉田達が一点リードだ。ここから試合は後半を迎えると言って良いだろう。点数的に。
 その後、じりじりとお互い点を取り合い、先に取った分吉田達が今の所リードしている。そしてついに、あと1点とい所までやって来た。ここからが正念場だ。
 レシーブしたボールは、しかしアタックは出来ないままに、相手のコートへと打ち返す。それは向こうにとってチャンスであり、すでに雰囲気からアタックを仕掛けるだろうとはっきり解った。吉田も、それに備えて身構える。――が。
(――あ!)
 その視界の先、何を置いても吉田の意識を占める人物が居た。そう、佐藤だ。何とも不思議な事に、まだ誰も佐藤の存在には気付いていないようだ。吉田だけが、佐藤に気付いている。
(来てくれたんだ)
 ほわん、とこの時だけは吉田も笑みを浮かべる。が、それがある種命取りだった。
「吉田――――!」
 と、誰が叫んだだろうか。えっ?と呼ばれた吉田は前を向き、それがある意味とどめだった。
 バチコーン!!と吉田の顔面に、相手選手の渾身のアタックが決まってしまった。
「〜〜〜〜ッ!!」
 そのあまりの痛みと衝撃に、吉田はそのまま卒倒した。
 一方、吉田の顔面に直撃したボールは、いい塩梅に上へと飛ばされ、すかさすトス・アタックの連携で見事最後の1点を決めた。歓声と舌打ちが同時に湧く。
「やったぁー! やったやった、吉田! 勝ったわよ!!!」
「ナイスレシーブ! やったわね!!」
「……う〜………」
 吉田も一緒に勝ちとった勝利に喜びを表したい所だが、今は何せ顔が痛い。打たれた衝撃で未だ痺れる。
「ほら、立ってって」
 仰向けのままの吉田を、手伝うように手で引っ張って起こす。と、何かがだらりと零れる。何かというか、鼻血であるが。
「えっ、やだちょっと、吉田! 鼻血出てる!」
「えっ、鼻血!?」
「う〜……痛い………」
 痛さのあまりに思ったまましか言えない吉田だった。
「そりゃそうよ鼻血出てるんだもの!!」
 鼻血? 鼻血なの? 鼻血だって、と周りが口々に言う。そんな鼻血鼻血言わなくても良いのに。
 きっと、佐藤にもバレてしまった。
「………う、うぅ……っ、」
 吉田から、今度は目から涙がぼろっと零れた。恥ずかしい、みっともない、とそれが胸中でぐるぐるしていて。
「え、痛い?そんなに痛いの!?」
 しかし、そんな吉田の複雑な胸中を察する事無い周りは、単に痛みからの涙だと思った。
「どうしよう、担架呼ぶ?」
「吉田、立て………」
 立てる、と続く筈だった言葉は、最後の一文字を残して途切れた。
 それもその筈、すぐ近くに佐藤が立っていたのだ。さ、さ、さ、佐藤君!と急に現れた驚きに、声が裏返る。
「吉田、保健室行こう」
「………ヤダ」
 指す出す佐藤の手を、吉田は俯いたままプイっと逸らした。勿論、保健室に行くのが嫌なのではなく、佐藤に連れて行かれるのが嫌なのだ。もっと言えば、顔を見られるのが。
 だが、佐藤は。
「病院が嫌いだからって、我儘言うなよ。ほら、行くぞ」
 そう言って、簡単に吉田の身体を抱き上げてしまった。横抱きでは無く、小さい子を抱きかかえる抱っこの形で。
「何すんだよ!! 降ろせよ〜〜〜!!!」
 抱きあげられたのも嫌だが、その抱き上げられ方も嫌だ!! 小さい子供じゃないんだぞ!! 小さいけど!!
 吉田も精いっぱい拒んでみるが、いかんせん佐藤の前では無力だ。
「あまり興奮すると、また血が出るよ」
「!!!!!!」
 これ以上醜態を晒したくない吉田としては、佐藤の言葉に従うしかない。
 普段なら、佐藤に抱きあげられるなんて真似されたら、女子からの怨念のオーラが凄いのだが、今日は緊急時だからというか、抱っこの形だからか、そこまでは恨まれたりしなかったようだ。佐藤の事だから、その辺りは計算でして居る。
 時には女子を嗾ける様な事をする佐藤だが、それでも吉田に被害の及ばない所を見計らって行っているのだ。
 それでも少しはチリチリしたような目線を感じながら、佐藤に抱きあげられた吉田は、そのまま保健室へ強制連行されていった。


 現在、保険医は球技大会の会場に身を置いている為、保健室は無人である。むしろ都合いいとばかりに佐藤は勝手に室内へと入った。
 近くの椅子に腰かけさせるが、顔は俯いたままだ。
「吉田、拭くから顔を上げて」
「ヤダ!!!!!」
 自分でやる、と吉田は徹底拒否の姿勢を示す。
「吉田。顔見せて?」
 ここに連れて来たのは勿論治療の為だが、2人きりになれるという打算も存分に含まれている。通常なら休憩時間に吉田にちょっかい出せる所を、球技大会のせいでそれすらままならない。
「……やだよ、鼻血出てる所なんて見せるの……」
 俯いたまま、吉田が言う。
 そんな事気にする事無いのにな、と佐藤は気付かれないよう、嘆息する。そんな鼻血が出た所より、余程自分は見っとも無い醜態を晒しているだろうに、吉田は傍に居るじゃないか。
「ほら、早く拭いた方がいいだろ」
「……………」
 確かに、いつまでも鼻血つけたままでもいられないと吉田も諦めたのか、おずおずと顔を上げる。ようやっと、近くで吉田の顔を見れて、佐藤の口元に笑みが灯る。が、ここでのその表情はむしろ吉田には悪影響だった。くしゃり、と顔を歪める。
「ほら笑った」
「笑ってないよ。吉田は今日も可愛いなーって」
「嘘付け!鼻血出してる所の何処が可愛い……ふぐ、」
 吉田の台詞を遮るように、佐藤はウエットティッシュで血のついた辺りを拭って行く。幸い、まだ乾く前だったから簡単に落ちた。あっという間に綺麗になる。
「どんな吉田も可愛いよ。ネットの端は見つからなくておろおろしている所とか、校庭にラインを入れてる所とか、高橋と楽しそうに話しあっている所とか、」
「み、見てたの!?」
 何時の間に!と吉田は慟哭する。居れば絶対解る筈なのに。
「まあね。好きな子はいつも見て居たいし」
 何やら問題も感じられそうな発言ではあるが、「好きな子」と言われて吉田の顔が熱くなる。それは、また鼻血が出るんじゃないだろうな、とちょっと心配になる程だった。



<続>


*長くなりましたので、ちょっと次ここで区切ります〜´`変な所で区切ったかな;;*