「吉田」
 と、昼休みのオチケン部室。今は秋本も牧村も居ず2人きりの空間で、佐藤は吉田に話しかける。
「今度の休み、買い物に行くんだけど、付き合ってくれる?」
「う、うん。いいけど」
 すでに付き合っている関係だというのに、「付き合ってくれる?」なんて佐藤の口から聞かされて、吉田はちょっとドギマギしてしまう。まあ、好きならば仕方ない事だ。
 そんな吉田の、今日も変わらず可愛らしい様子に微笑を浮かべ、佐藤がより詳細を話す。
「ジャックがな、漢字の描かれたシャツが欲しいってメールが来てさ」
「へー、外国だと漢字が人気だってどっかで聞いたような気がするけど、ホントなんだね」
「ああ」
 吉田が半ば関心を持って言う。日本人が英語のロゴのシャツを着るように、向こうでは漢字が絵のような認識をされているらしい。理屈では解るが、何となく受け入れがたい。最も、日本に来た外国人も同じ感覚だろう。
 おそらくジャックが所望する様な、漢字がでかでかとプリントされたシャツは、逆に近くでは売っていない。和雑貨や、あるいはパーティー用品売り場のような所で買った方が無難だろう。
 昼のこの休みは、女子の魔の手から逃れられる解放の時間だが、牧村と秋本も同席する事が少なくないので、こうして2人きりになれない事も多い。例えば今週なんて、今日がやっと2人きりになれた日だ。その分、休みには吉田を部屋に招いて、存分に2人きりを満喫する予定だったのに、ジャックめ、と今は海の向こうの友人を少し呪った。
 まあ、とはいえ、出掛けるのが絶対嫌だ、という訳でもない。外出先ではしゃぐ吉田は可愛いし、ウィンドウショッピングでそれとなく吉田が今欲しい物や好きな物などをチェック出来る。待ち合わせの日時や場所を決めながらそれを思うと、やっぱり楽しみに思える佐藤だった。


 待ち合わせる時、佐藤はあまり時間の前には行かない。理由は単純、逆ナン避けである。それと、雑誌等のモデルのスカウトからも。初めて声を掛けられた時は「本当にスカウトってやってるんだ」と的外れな感想も持ったものだが、今となっては5月のハエのように煩いだけである。吉田との時間を邪魔されたとあっては、もはや排除対象に等しい。
 それでも5分前に着く様に、佐藤は家を出た。集合場所に着くと、自分なりの精いっぱいのお洒落をした、可愛らしい姿の吉田がちょこん、と立っている。思わず見続けたい光景ではあるが、吉田に性質の悪い輩からの声がかかっても困るので、早々に声を掛けた。
「ごめんね、待った?」
「んん、今来た所」
 人ごみの中、全くぶつからずにスムーズに佐藤は吉田の元へ赴いた。そして吉田とのやり取りに「凄いデートっぽい会話だ!」と人知れず高揚していた。久しぶりの外出デートなので、無意識にテンションでも上がってるのかもしれない。
 ああ、それにしても、吉田とデート。なんて甘美な響きだろうか、吉田とデート!!!
 これが初めてでも無いくせに、佐藤は胸中で連呼して歓喜した。何せ、昔は話しかけるという発想すら無かった相手なのだ。多少我儘になっても仕方ないと思う、という時点でとても我儘な佐藤だ。
「それじゃ、行こうか」
「うん、…………」
 頷いた吉田が、何か萎むように俯いた。何故、とは佐藤は思わない。後ろから横から、あるいは前からも、自分に向けられる視線を感じ取っているから。そうだ、楽しい事も沢山ある外出デートの、最大の欠点はこれなのだ。他のメリットを埋め尽くし、部屋で2人きりで居たい、と思わせるほどに。
 幸いな事に、自分に同行者――恋人なのだが――が居ると解って、それを押しのけてまで声を掛けるパワフルな女性はこの場には居ない。現れては堪らないと、佐藤が吉田の手を握り、颯爽と歩く。笑える程小さな手を握った時、吉田がちょっと撥ねたかという程驚いたのが掌に伝わった。
 敢えて覗かなくても、吉田の顔が赤いのが解る。掌の中にすっぽりと包め込めてしまう手と、顔の温度は同じだろうから。


 近所にはなくても、さすがに然るべき所へ行けば、それこそ売る程品物が揃っていた。こうなると、迷ってしまう。とはいえ、お使いを頼んだのは、どれがいい?とこの場で容易く連絡できる相手ではない。
 まあ、自分に買い物を任せたのだ。多少好みが違ってもむしろ向こうの責任だ、と佐藤は結論付けた。それより佐藤としては、直接頼まれた自分より、余程熱心に品定めをしている吉田が可愛くて仕方ない。
「これだけあると、どれが良いって決めらんないな〜」
 むぅ、と考える姿すら可愛い。そのちょっと尖らせた唇に、ちゅっとキスしてやりたいくらいだ。まあ、キスした後うろたえる、可愛い顔の吉田を晒したくないので、人前ではしないけど。
 一生懸命選ぶ吉田は可愛いけど、それが他の男への贈物だという点が、佐藤にはやや頂けない。
「そうだなー。これとか良い感じだと思うけど」
と、言って佐藤は「ちゃぶ台返し」とプリントされたTシャツを取りだした。
「……もっと、いい文字が書いてあるのにしてあげようよ」
 それを選んだ佐藤のセンスを疑う、という目で吉田が言った。まあ、佐藤としても本気で選んだものでもないし。と、いうか作った側も何故この文字をセレクトしたのだ?
「それじゃ、これだ。いかにもあいつにぴったりだ」
「へー、どれどれ……って、”半人前”って………」
 書かれている文字の意味に反して、その文字は堂々とプリントされている。
「せめて、”男前”にしてあげようよ」
 優しい吉田の優しい台詞であった。
 ふざけて遊ぶのもそこで一旦打ち切らせ、佐藤も真面目に選んでやる。とりあえず、”伊達男”という文字が入ったのと、吉田選出の”男前”を買う事にした。あとついでに、作務衣も買っておいてやる。ここは外国からの旅行者にも配慮されていて、大きなサイズも豊富に揃っていた。だからこそ、佐藤も此処を選んだ訳だが。
 贈物ではあるが、包装は普段使い用にして貰った。別に祝い事でも無いし、何より飾った包装に喜ぶ相手でも無し。
「じゃあ、昼飯にしよっか」
 買い物の入った紙袋を手に提げ、佐藤が言う。何食べたい?と尋ねる佐藤に、吉田は「オムライスが食べたい!」と言った。この日、出掛けると聞いて、あれこれ考えて居たのだろう。オムライス、というか美味い洋食の店なら、このデパートに入っている。そこに向かおうと、エレベーターを待った。その時、隣に居る吉田が、とても嬉しそうににこにこしているのに気付く。それは、これから美味しいオムライスを食べに行くから――というのも入っているだろうが、それだけではない。佐藤が、友達に頼まれた買い物をしている。吉田はそれが嬉しいのだ。昔、佐藤が苛められっ子だった事を知っている吉田だからだ。
 あの頃の記憶は、やっぱりまだ顔を逸らしたい思いもある。そんな記憶の渦中に吉田との思い出があるのは、なんとも皮肉な事ではある。けれどもこうして、まるで自分に起きた幸福のように吉田を見て居ると、この現在があの過去と繋がっているとそう思えば。
 それなら、まだ受け入れやすい。いつかは自分の全てを飲み込んで、吉田をもっと深く愛せる自分になりたい。吉田を見る度、佐藤はそう思うのだ。


 さて、そんな事があってから、約一カ月――
「今度の休み、俺の家に来れる?」
「えっ、な、なんかあるの!?」
「そんなに警戒しなくても……その日に届くよう、ジャックがこの前のお礼送ったんだって」
 吉田は一瞬、なんの事だっけ?と思ったが、すぐに漢字のプリントされたシャツの件だと思いだした。佐藤が送って数日後、それを着こんで嬉しそうなジャックの画像を見せられたのは覚えて居る。
「吉田と一緒に選んだ、って書いたら、なんか吉田の分もあるみたいで」
「えっ、そんな、ただ選んだだけなのに?」
「それが嬉しかったんだろ」
 吉田が、佐藤が友達に頼まれて買い物をしているのも嬉しく思ったように、ジャックもその買い物に付き合ってくれる恋人が出来たのを喜んでいるのだろう。何やらむず痒いというか、こそばゆい気持ちになる。吉田も、照れたように笑っていた。
「何がくるのかな?」
「さあ、それは開けてからのお楽しみだ、としかメールには無かったけど」
「そっか」
 と、相槌を打つ吉田の表情には「お菓子だといいな〜」という期待が込められている。ジャックから何が送られてくるかはまだ解らないが、吉田の要望に応えるものでは無かった時の為に、美味しいケーキを買っておこう、と思う佐藤だった。


 吉田の訪れる少し前、荷物は届いた。大きさの割には軽い。そこから察するに、少なくとも食べ物の類では無さそうだな、と佐藤は推理する。
「何かなー、これ」
 やがてやって来た吉田も、しきりに中を気にした。まあ、当然だろう。
 さて、中身が何かとそわそわする吉田も満喫できたことだし、佐藤は荷物を解き始めた。最後に蓋をぱかりと開け――佐藤は、詰められていた中身を見て、若干固まる。
「え? これって、何――」
「……ちょっと、ジャックに電話してくる」
「あ、うん」
 露わになったというのに、吉田の傾いた首は変わらない。怪訝そうな吉田を部屋に置いて、廊下に出た佐藤は元凶とも言うべきジャックへ電話を掛けた。
 繋がると、ジャックは相変わらず陽気な声で佐藤を出迎える。
『よう、隆彦! 荷物は届いた――』
禿げろ!!
『何その声! 最近の日本の電話事情はそうなってんの!?』
 そんな訳があってたまるか。
「お前……あの荷物はどういうつもりだ……!」
 地獄から湧き、地を這うような佐藤の声に、しかしジャックは臆することなく言う。
『え、どういうつもりって、吉田に着てもらうつもり』
「禿げろ!!」
『また言った!2度も言った!』
 親父にも言われた事ないのに!とジャックは喚く。
『だって、服を送って貰ったお礼だから、やっぱり服を然るべきかな、と』
 ジャックは言う。そりゃ、ごく普通の服であれば、佐藤もこんな目くじらを立て、吉田を部屋に置いて廊下に1人出て海の向こうの友人に禿げろとは言わない。問題は、その服の――なんというか、種類と言うかジャンルと言うか――
「メイドやらウェイトレスやら、妙なコスプレ衣装ばっかりじゃないか!」
 そう、ちょっと見ただけでも、それらの類ばかりだと――いや、それしかないというラインナップだった。
『日本人って、コスプレ好きなんだろ?』
「……明らかにごく一部の趣向を全体に向けるんじゃない……」
 とりあえず佐藤が何を腹を立てて居るかといえば、あんなのを送りつけて一部の趣向の持ち主だと吉田に誤解されるのも嫌だし、何より服を選ぶ段階でジャックの脳裏にその衣装になっただろう吉田が想像されたのが嫌だ。とても嫌だ。可能ならその時の記憶をすっぱり消去したいくらいだ。多少の副作用なら許す!
 怒り心頭の佐藤だが、相手が気心の知れた友人だからか、はたまた電話の向こうで何も出来ないと思っているか、ジャックは通常運転であった。
『まあまあ、そう怒らずに。これを機会に目覚めてみてもいいんじゃないか? 意外と嵌るかもだぞー』
「禿げろ!」
『また言った! 3回も言った!!』
 酷い酷いと喚くジャックをほっといて、佐藤はそこで電話を切った。そして、物憂げに溜息。
 はたして吉田は――あの衣装の山に何を思ったか。考えるだけで気が滅入る現実に、これから立ち向かわなければならないのだ。なんてこった。それもこれも、ジャックのせいである。あと10回くらい禿げろと言って良かったかもしれない。
 ふぅ、ともう一度溜息をついて佐藤はとうとうドアを開けた。長く待たせても、良い事は無いだろうし。佐藤は、「これってどーゆー事だぁああ!」と顔を真っ赤にして怒鳴る吉田を想像していたのだが――
「あっ、もうジャックと電話は終わったの?」
 しかし実際は、その予想を思いっきり覆して、普段通り――というか、それよりちょっとはしゃいだ感じの吉田が居た。どういう事だ?と佐藤の表情がぽかんとなる。もしかして、いつの間にかドア1枚隔てた空間が異世界に繋がっていたとか……そんな馬鹿な(一人突っ込み)
 吉田はにこにこと、箱の中の衣装を広げて見ては観賞している。
「色んな服が一杯あるなー」
 弾んだ声を上げ、がさこそと箱の中を探っている。佐藤も、そんな吉田の隣にようやっと腰を降ろした。
 ジャックの寄越した衣装は、確かにコスプレまがいのものなのだが――その生地や仕立てが良いからか、吉田の目にはなんというかアレでソレなアイテムには見えなかったようだ。首の皮一枚、という単語が佐藤の脳裏を過ぎる。
 しかし、不意に吉田が、怪訝そうに「んー?」と表情を顰めた。動揺に、佐藤がぎくりとする。
 あのさ、と吉田が声を掛ける。
「なんか、佐藤の分が見たら無いんだけど――……入れ忘れたのかな?」
 明らかに女性用、つまりは自分あての物しかない中身を、吉田が訝ったようだった。そんな事か、と安堵に胸を撫で下ろす。
「多分、俺の分はないんじゃないかな」
 そう言えば、吉田のきょとんとした顔。
「あいつも解ってる事だし。自分が着飾るより、お洒落をした吉田を見る方がずっと嬉しいってv」
 途端、言葉に詰まって吉田が顔を赤くする。愛されている自覚に乏しい吉田だが、こうして赤らめると言う事は、自覚が皆無ではないのだ。そこがまた愛しい。
「……可愛い服だけど、外には着ていけないなー」
 あれこれ物色して、吉田が言う。まあ、そもそも向こうも、外で着るというより2人で楽しんで貰う為に寄越した様なものだし。
「じゃあ、俺の部屋で着れば良いよ」
「………。出掛けないのに着替えるのって、可笑しくない?」
「そうは言っても、それしか着る機会がないじゃないか」
 互いにある意味正論で、平行線になるかと思えばあっさり頷いたのは吉田だった。やっぱり、着てみたいという気持ちが強いからだろう。佐藤はコスプレ自体には何の興味も持たないが、コスプレをした吉田には興味がある。大いに。
 吉田が自分の体に服を当てて居る。そのサイズは丁度良い様に見えた。つまりはオーダーメイドなのだろう。1か月の間が空いたのはそれが理由か。
 しかし、と佐藤は思う。こうやって注文できるツールを自分で持っているのなら、最初から頼んだりしないで自分で買えば良いのに。なんて思った佐藤の頭の中に「だって2人が選んでくれた服が着たいんだよ」といつもの笑みを浮かべて居るジャックが言う。きっと、本当のジャックの方も同じ事を言うのだろう。
 昔は、1人だった。自分だけじゃなくて、本当は誰しも人間皆がそうで、それに気付いてないだけだと人間関係で一喜一憂する周りを冷めた目で見て居た。
 でも今は、遠くにも友人が居て、近くには可愛い恋人も居て。
(幸せ……なのかな)
 自分がそんなものを感じる時が来るなんて、それこそ夢にも思って居なかったから、実感も難しい。でも、吉田と居ると心の中からぽかぽかするし、顔の筋肉が擽ったくなる時がある。まあ、逆に二度と立ち直れない程の衝撃を受ける時もあるけども、少なくとも全てを受け流していた頃よりは余程充実していると言えるだろう。そう思った端から、佐藤の口元が緩む。
 そろそろ、用意したケーキでも出そうか。佐藤がそんな事を思った時だ。
「……さ、佐藤……」
 何やら、思い詰めた様な吉田の声。どうした?とそっちを見てみると、吉田のその手には。
 ナース服(ピンク色)
「…………………」
「…………………」
 その服を手にし、困り果てたような吉田を見た後、佐藤は再び部屋を出て、ジャックに電話を掛ける。
 そして渾身に叫んだ。
禿げろ!!!!!!!!!




<END>