*さらに続きです〜^^

 此処は本来旅館なのだが、皆の滞在地とする為、仲居等の従業員の姿は無い。そこまでの事が出来る、財力と信頼が艶子にある訳だ。よって、食事も自己負担である。まあ、当番制等では無く、趣味としている者が好き勝手作っているのだが。
(喉乾いた〜)
 なんて、胸中で呟きながら、吉田がひょこひょこと台所へと現れた。割とひっきりなしに人の集まる場所なのだが、その時は誰も居なかった。冷蔵庫に入ってるのは各自判断で食べて良い、というので吉田も遠慮なく開けた。すでに完成しているもの、まだ途中の物が半々入っている冷蔵庫で、吉田は飲み物を探す。
 あっ、と喜色を浮かべて吉田が見つけた物は、りんごジュース、と思われる瓶だ。小ぶりの瓶に入っていて、見た目が可愛いので目を引いたのだ。美味しそう〜vと吉田はコップを持ちだし、早速中の液体を注ぐ。
 しゅわしゅわと、炭酸の泡がコップの中で立ちあがった。


 そして、夜。夕食の時間だ。何せ自由な皆だから、全員集合という訳にはいかないがそれでも人は集まっている。
「明日は、流しソーメンやってみるか」
「おっ、いいな、それ」
 などと言う会話がどこともなく、聴こえる。流しソーメンか、吉田が喜びそうだな、と思ったはいいが、その吉田の姿が見当たらない。
「あれ、吉田は?」
「あー、さっき台所の方に行った気がする」
 そんな姿を見た、と誰かの声を聞き、佐藤はそっちへと足を向ける。が、佐藤が台所に足を踏み入れる前に、吉田は佐藤の元へと現れた。しかしそれを、佐藤は目で確かめるより先に、どすん、と胸というよりもはや腹に感じる衝撃で知った。相変わらず、吉田は小さい。当然だが。
「っと、吉田」
 突進して来たような吉田を抱きとめ、その名を呼ぶ。吉田は、ほぼ真上に顔を上げ、えへへ、と可愛くはにかんで見せた。吉田からのあからさまなこんな行為は珍しくて、けれど佐藤は怪訝よりも喜びの方が大きくなってしまう。髪の毛をそっと弄りながら、吉田の様子を窺う。
「なんだ、良い事でもあったか?」
 吉田の事だから、ご飯が美味しかったとか、そんな他愛ない理由だろうけども。
「んーとね、」
 と何処か幼い口調で吉田が言う。
「ご飯が美味しくて、佐藤と一緒で嬉しいな〜って」
 最初の台詞こそ佐藤の想像通りだったが、次の発言は意表を突いたもので佐藤が軽く目を見張る。そして、ここにきてようやく吉田の身に起きているのが異変と呼ぶに相応しいものだと判断した。絶対、いつもの吉田では無い。
「吉田……? どうかしたのか?」
「え〜? 別に、」
 へらへらとした顔に、いよいよ普通じゃないと佐藤は思う。
「あのね、」
 と、吉田。
「このジュース、すんごく美味しいよ。佐藤も、飲んでみる?」
 ジュースが美味しくて、そんなに浮かれてるのかな、と佐藤は訝しみながらも、瓶ごと手渡されたそれに口を付ける。「間接キスだな」と思う事は欠かさない。
 そして、ジュースを口に含んだ時、佐藤の目が大きく見開かれた。


「わぁぁぁ―――――んッ!!!」
 と、楽しく会談しながらの食事の中、突如そんな喚き声が響いた。その声の主が吉田というのは、皆すぐに解った。
「佐藤の馬鹿!返せよー!!」
「返せってお前、これは……ちょ、手を止めろって、止め、」
 佐藤の頭上に掲げてしまえは、吉田には全く手が届かない。それでも、吉田は手でべしべしと腹を叩いている。それは肉体的よりも精神的に地味にダメージとなっているのか、佐藤が目に見えて困り果てて居た。片手で瓶を持っているから、もう片方で何とか吉田の両手を捉えようとしているみたいだが、相手がばたばた暴れてる為、それもままならないようだ。
「おいおい、何やってんだよ」
 ジャックが騒がしい2人の元へと赴く。反応したのは吉田で、くるりと振り向いた目には、涙が溜まっていた。吉田は物静かではないが、こういう感情をあまり表に出さないタイプなので、少し珍しいな、とジャックは見る。
「佐藤が、ジュース取った!」
 それがあまりに非人道的な行為であるかのように、吉田は訴えた。びし!と人差し指を佐藤に突きつけてまで。
 一体何が拗れているのかと思えば、そんな理由でジャックの目が思わず点になる。
「あのなぁ、佐藤……つまらない事してるなよ」
 大方、吉田の気を引きたくてジュースでも取り上げたのだろう。そう、ジャックは思ったのだが。
「違う! ジュースじゃないんだ、これは!」
 佐藤はそう言い、瓶をジャックに突きつける。吉田には届かない頭上のやり取りで、吉田が悔しそうに手を伸ばしている。
 ジュースじゃないって?とジャックは怪訝そうに中身を確かめたが、その意味する所がすぐに解った。
「これ……酒か。サイダーだな」
 サイダー、とジャックは言うが、それはジュースではなく、アップルシードルの事である。イギリスではシードルの事をそう言う。リンゴから作られる発泡性の酒で、口当たりが良い。だから吉田も、酒とは気付かずごくごく飲んでしまったのだろう。
「っあ―――!」
 と、ジャックの瓶をを指差し、誰かが叫ぶ。その相手は、ダダダ!と台所に駆けこんだかと思えば、またもあー!と叫んだ。おそらく、冷蔵庫を覗きこんだのだろう。
「5つあった瓶が2本しか無い!」
 と、言う事は吉田はこれで3本目という訳か。いや、数勘定はさておいて。
「何、酒持ち込んでんだよ」
 ジャックが戻って来た彼に向い、そう言う。
「だってこんなに暑いんだぜ?! 飲まなきゃやってられっか!」
「それも、そうだな」
「オイ、納得するな」
 真顔で頷くジャックに、佐藤の突っ込みが飛ぶ。
「も〜〜なんで返してくれないの!? 佐藤っていっつもそう! 嫌な事ばっかりして!」
 自分が飲んだのが酒だとは思いもしないのか、吉田はまだぶいぶい文句を言っている。しかも、どんどんと激昂しているように見える。アルコールのせいで、感情に抑えが効かなくなっているのだろう。
「いや、だからこれは……」
「佐藤の馬鹿! 大っきらい―――!!」
「!!!!!!」
 吉田の言葉に、全身を強張らせた佐藤を見て、心にざっくり突き刺さった音が聴こえた様な気がするジャックである。
「っ………、吉田……」
 精神的ダメージによろめきながらも、佐藤はどうにか踏み止まる。感情の歯止めが甘くなった吉田は、ついにわんわんと泣き始めた。こうなったら、論理的な反論は通じないと、佐藤は別の手を取る。
「………ジュースはあげられないけど、代わりにアイスあげる」
「えっ、ホント?」
 ころり、とそれまでの涙はなんだったのかとい程、吉田は態度を変えた。解り易過ぎる態度に、何だか脱力してしまう。
「チョコミント、ある?」
「んー、どうだったかな……」
 アイスを取りに行く佐藤の後ろを、吉田がぴょこぴょことした足取りでついて行く。依然、吉田は軽い酩酊状態にあるようだが、その様子は微笑ましいものだ。とりあえず、当面の問題は去ったらしいと事のいきさつを見守っていた皆は、自分の食事に戻った。


 その後、軽く酔った状態の続いた吉田は、今度は泣く事は無く、むしろずっと笑っていて一通りはしゃいだ後は、アルコールが入った為に訪れた睡魔にこてん、と身体を横にした。膝に頭を預けてくうくうと眠る吉田はまるで猫の様で、それはもう可愛かったがいかんせん皆の目に触れる場所であった為、佐藤は吉田を抱き上げ、自分たちに割り当てられた部屋へと引っ込んだ。
 片手で十分間に合う程、吉田の体躯はとても小柄だ。布団の上に横たわらせ、改めてそれを思うと同時に、2人きりというシチュエーションも手伝って、所謂お年頃の佐藤は色々考えてしまう。まあ、主に、最後まで出来るのかなとか。……物理的に。
 吉田が目を覚ました時、そんな飢えた表情のままではいけないと、佐藤はシャワーを浴びる事にした。頭の中もさっぱりしよう。名残り惜しそうに、すやすやと眠る吉田の額を露わにし、そこへそっと口付けてから。今日は、このまま目を覚まさないかもな、なんて思いつつ。
「……んっ……?」
 しかし、そんな佐藤の予想を覆すように、吉田は薄っすらを目を覚ました。
「………?」
 布団の上に座り、吉田は首を傾ける。何せ吉田の記憶の中では、大広間で皆と食事をしていた所でぷっつり途切れている。どうして部屋に戻ってるんだろう?と吉田は状況を掴めないで居た。
「起きたか?」
 と、その時、シャワーから佐藤が戻って来た。ようやっと、この状況を説明出来る人物が現れた。
「えーと……何時の間にここに?」
 きょとん、と目をぱちくりさせる吉田の横に、佐藤はそっと腰を降ろした。この様子を見ると、ひと眠りした事で、吉田からはすっかり酒が抜けたようだ。
「吉田、途中で寝ちゃったんだよ」
「え、ホント?」
「うん、はしゃいで疲れたんじゃないかな」
 佐藤がそう言うと、子供じゃないんだから、と吉田は顔を赤らめた。まあ、本当はアルコールが回った為だが、未成年飲酒がバレると後々厄介なので、ここは当人の吉田も巻き込んでしらばっくれる事にした。
「佐藤が運んでくれたの?」
「そりゃ、そうだろ」
 他に居るか、というよりも、他にさせるものか、というニュアンスで佐藤は吉田の顔を覗きこみながら言う。差のあり過ぎる2人の身長差は、座った状態でも健在で目線が合う事は中々無い。けれども、上目遣いの吉田がより多く見える事になるので、それはそれで楽しい佐藤だった。
 急に近くなった佐藤の顔に、吉田は中てられたようにドギマギした。シャワーから出たての佐藤は、仄かに湯気を漂わせながら頬が若干紅潮し、普段はきちんとセンター分けになっている髪型も、今はぱらりとばらつき顔にかかっている。
 すぐにぱっと別の方向に向けてしまった吉田に、なんだ?と思って自分の姿を改める佐藤。しかし立場が逆だったら、と考えて佐藤はにやりとした。
「吉田ーvv」
「ふぇっ……わああッ!!」
 横から抱きしめられたかと思えば、あっという間に再び横たわっていた。その上に佐藤が覆いかぶさり、視界一面に佐藤が一杯になってしまった吉田は、ぎゅう、と目を綴じた。と、その瞼にキスされてしまい、微妙な所への感触に「わひゃぁぁっ!」と変な声を発してしまった。
「こっち、見て」
 吉田が驚きに目を開くのを待って、佐藤が顔を覗きこんで言う。元から紅潮していた吉田の顔だが、それがどんどんと赤く染まって行く。顔どころか、首元までその赤みは侵食していた。
「っ、ん、」
 赤くなるばかりで、何も言えない吉田をからかうように、閉じられたその口に佐藤が唇を重ねた。顔の角度を変え、唇が擦れ合う感触に背中がざわつく。吉田は恋愛初心者だというのに、その相手は上級者向けなのだった。
「……あいつらと一緒だと、楽しいのはいいんだけど、」
 キスの合間というより、最中のように顔を寄せ合ったまま佐藤が呟く。今は唇は離れているけど、喋る度にその呼気が当たる。
「吉田を独り占め出来ないのが、辛いな」
 苦笑した笑顔で、こつん、と額同士が合う。そうして、またキスを再開させ――急にばたばたと吉田が暴れたため、佐藤は一旦中断した。服の裾からするりと入れ、肌の柔らかさを堪能していた手を、そっと出す。
「どうした?」
「ど、どうしたもなにも! するの!? ここで!!」
 叫びたいだろう吉田は、けれど声を抑えている。
「……布団あるし、部屋に2人きりだし」
 何も問題無いだろ、という佐藤だが、吉田には大ありの様だ。
「だ、だって、皆いるし……こ、こ、声、とか、」
 真っ赤になって、ぷるぷる震えている吉田は、もう食べてしまいたいくらいの佐藤の好物だ。とは言え、強引に進めて良い事では無いので、佐藤もぐっと堪える。まずは、吉田の抱える不安を払拭させてやらないと。
「大丈夫、皆来ないよ」
 何せ公認の仲なのだから、それくらいは気を遣ってくれる。というか、しなかったら殴る。
「でも!音が聴こえるかも!」
 吉田の中では、それは覗かれるに等しい行為なのだろう。身体を強張らせ、すっかり怯えてしまっている。そこまで気にするのは、自分との事を大事に思っているからだろうとは思うが、それで手が出せないとなると、佐藤にはやや辛い状態だ。
「大丈夫だってば。何で俺らの部屋、一番奥だと思ってるんだ」
「……そういう意味なの?」
「そういう意味なの」
 まさかそんな部屋割をされていたとは、と今更に吉田が赤くなる。そりゃまあ、この場では誰もが知る自分達の関係ではあるが。
「吉田が思いっきり叫んでも気のせいぐらいにしか聴こえないよ」
「そ、そこまで大きな声出さないし……」
「なら、問題無いな?」
 吉田の台詞の上げ足を取る様に、にっこりとした笑みを見て、吉田は自分の失言に「うぐ、」と呻いた。
 別に、佐藤とするのが嫌なんじゃない。嫌じゃないけれど、堪らなく恥ずかしくて、どうしたらいいのか何も解らなくなるから、困る。もっと言えば、嫌じゃないのが困る。どんどんのめり込んで、抜け出せなくなりそうで。
 そんな不安に、目を揺らしていたら、頬にそっと佐藤のキスが振る。さっきのような、振りまわすキスとは違い、随分優しいものだった。吉田は、ぱち、と一回瞬きをして、目の前の、本当に目の前の佐藤を見る。優しい顔だ。意地悪ばかりするけど、一番根っこの大事な所では、大切に思われているという自覚は吉田にもある。
「……声が漏れるのが嫌なら、ずっとキスしたままでいようか?」
 吉田の柔らかい部位を撫でながら、佐藤がそっと言う。佐藤の手で施され、自分の内側から籠る熱に頭をぼーっとさせながらも、吉田はそのセリフには反応した。
「そ、それじゃ、息出来なくて死んじゃう……」
 口を塞がれているという物理的な面や、佐藤にキスされているという精神的な面においても。ちょっと慌てたように吉田が呟くと、「死なれるのは困るな」と佐藤も苦笑する。その顔がなんだか吉田には可愛く見えて、気だるい身体ながらもそっと腕を伸ばし、佐藤の髪に触れる。
 佐藤はその手をそっと掴み、恭しく口付けたのだった。


「おはよ。ジャック」
 翌朝――と言っても昼間近いが、に起きた吉田は、広間に向かう途中ジャックと出会った。
「おう、おはよう、ヨシダ。あとついでに、隆彦」
 吉田のすぐ背後には、ぴったりと着くように佐藤が居る。まるで背後霊だな、とその呟きは胸中に留めておく。佐藤は然程、ついで呼ばわりについては突っ込む程気にしてない様だ。佐藤が動くには、とにかく吉田が関わる事が第一なのだ。
 挨拶をした後、ジャックは改めて吉田を見る。さっきも思った事だが、今日の吉田は朝からちょっとだるそうで、でもとても満ち足りたような表情でもある。と、なると昨夜は。
「おい、吉田をじろじろ見るな」
 ジャックが、繰り広げられたであろう2人の事を思っていると、すぐさま佐藤の鋭い声が入った。じろじろ見ているのが気に食わないのではなく、その様子から考察されるのを腹立てている。
「いいじゃねえか。仲良き事は美しき哉」
「……悟られたと解ると、お前らと居る時絶対触らせてもらえなくなるだろ」
 佐藤が睨みを効かせる。何とも個人的な意見だ、と思いながらも自分達を無視するという考えが佐藤に無いのは、ちょっと嬉しく思う。最も、今となっては吉田とも親交があるのだから、佐藤が本当に無視をすれば吉田が腹立てるだろう。
 それにしても、触らせてもらう、か。あの隆彦にしては随分と謙虚な台詞が出来たものだ、といっそ弟の成長を見守る兄のような心境になるジャック。
 佐藤にとって危ない内容なので、さっきから2人の会話は英語でなされている。取り残された吉田は、ただきょとんとして2人の話が終わるのを待つしかない。と、その時、くぅ、と吉田の腹が小さくなった。なんとも可愛い音だが、それより可愛いのは真っ赤になった吉田だった。
「……えーと、お、お腹空いた」
 腹を押さえ、吉田が呟く。確かに、最後に口してから12時間は経過している。それは腹も減るだろう。
「よし、ちょっと待ってろよ、ヨシダ。今から魚を焼いてやるからな。イワシの丸干し」
 焼き立てをあげよう、と言うジャックに、空腹も手伝って吉田は何度も嬉しそうに頷いた。
「隆彦も同じで良いよな」
「ああ」
 そう頷く佐藤だが、視線はジャックでは無く、朝食に想いを馳せる吉田の方に向いている。
 解り難いけど、解り易いヤツ、とジャックも朝食の支度に向かいながら、そっと笑みを浮かべたのだった。