駅で待ち合わせ。しかし、吉田のその相手は恋人である佐藤では無かった。
 吉田が指定の場所についてから、約5分後。相手がやって来る。
「やっほー、ヨシヨシ。待った?」
「ううん。ホントに今来た所」
 駆け寄ってきた相手――井上に、吉田はにっこりと告げた。


 本来であるならば。
 今日、井上の相手となるのは、彼女の彼氏だった筈なのだ。だが、しかし。
「怪我って、大変なの?」
「ううん。入院まではしなくてもいいんだけどね。暫く学校以外は自宅療養って感じ」
 井上は苦笑して言う。
 つい3日前、井上の彼氏は、階段から転げ落ちると言う災難に見舞われた。井上から語られるには、災難というよい本人の不注意、つまりドジだと言いたいようだが。
 辛うじて骨折は免れたが、皹が入ったという。とても事故に遭ったその3日後、彼女とデートになど行ける筈も無い。今日の主なデート内容は、映画観賞。人気作だから、当日購入は並ぶだろうと、前日前売り券を買うまでの気合を入れたというのに、粗末な結末だと井上が言った。
「でもー……一緒に行っちゃっていいの? 治った後、一緒に行けば」
 今から見ようとする作品は、人気作である故、長く上映してくれる筈だ。
「まあ、そうなんだけどね。実は、この前売り券買った時に事故に遭ってんのよ」
「……それは……確かにちょっと、行きたくないかもだな……」
 縁起が悪いと言うか、ケチがついたと言うか。まあ、そういう事なら、自分が有難く使う事にするとしよう。
「井上さんから、彼氏の人にお礼言っといてね」
「うん、解った」
 そう頷いた後、井上は何か楽しい事を発見したように、ふふふっと笑みを濃くした。なんだろう、とちょっと顔を傾ける吉田。
「そういや、ヨシヨシと2人きりで遊ぶの、初めてかもね」
「あ、うん。そうだね」
 大体、なんとなく高橋も交えた3人で居る事が自然となっていた。チケットがペア券であるし、何より高橋にはすでに予定が入っていた。
「じゃあ、今日はヨシヨシを独占しちゃおうかな。後でとらちんに恨まれちゃうかも」
 悪戯っ子な笑みを浮かべ、井上はそう言うのだった。


 映画を観終わった後、井上はパンフを2部買っていた。きっと、彼氏の分だろう。
 ショッピングモールに内蔵されたシネコンに行ったので、終わった後は歩きながらショッピングも出来る。
「あっ!」
 と、声を上げたのは井上だった。
「おのお店!好きなブランド置いてる所だ!うわっ、セールスやってる!
 ヨシヨシ、寄って良い!?」
 う、うん、と吉田は辛うじて頷けた。この勢いに首を触れる人も早々居ないだろう。
「このお店ね、可愛いのが多いし、値段もなかなか手頃なのよ」
 そう言いながら、テナントの中には居る。井上の言った通り、値札に書かれた値段は吉田にも手が届きそうな額だった。デザインも金額も、ティーンエイジャー向けという事か。
 しかも今は、セールスでさらにお安く提供されている。これは井上のみならず、見過ごせない事だろう。
 それにしても。
(井上さんって、好きな服のブランドとか持ってるんだな〜)
 そんな風に、妙な感心をしてしまう吉田だった。吉田なんて、そもそもどういうブランドがあるのかすら知らないのだし。
 吉田が持っている服は、主にスーパーで購入したものだ。まあ、別に変な物でもないが。他は、吉田が直接保持している訳ではないが、艶子と泊まり掛けで遊ぶ時などは、彼女の用意した服をよく着る事がある。着させられる事がある、というべきか。艶子が着せ替え用の服を、今もいそいそと準備しているような気がしなくもない。
 この前小遣いを貰ったばかりだし、映画は実質無料だったので財布の中は充実している。せっかく来たんだし、買ってみようかな、という気を吉田に起こさせた。とは言え、何を選んでいいかも上手く解らないのだが。
 ふと、吉田の目に入るものがあった。マネキンが着ている白いワンピース。胸元にはフリルがあしらわれているが、全体的にはシンプルな作りで、散った花弁がスカートの裾に散り積もっているようなグラデーションの模様をしている。結構、良いな。と吉田はその服を見て思った。
「ヨシヨシ、これ買うの?」
「え?う、うーん、でも高値そうだし……」
「そんな事無いよ。1000円だって」
 相場を知らない吉田にも、それは安い、と目を丸くさせる金額だ。仕立ても丁寧だし、これほどの服が何故こんな捨て値をつけられているのか。吉田も井上も、似た様な疑問を抱いたらしかった。
 2人がそうして眺めていると、店員が目敏く寄って来た。その店員曰く、この服は仕立ての関係で、表示されているサイズよりも華奢な身体でないとキツく感じてしまうらしい。他にもサイズがあったが、一番小さいこれだけが売れ残ってしまったそうだ。それで、この値段と言う訳だ。この服が着られる体形の子は、訪れる客層とは違うから残ってしまったのだろう。
「そう言う事なら、ヨシヨシだったら確実に入るよね」
 井上が言う。この服が売れ残っている理由はもう1つ。セールス中は、試着が出来ない事になっているからだ。危ない橋は渡れない。
「ヨシヨシ華奢だもの、こういうフリルがふわりしたのがよく似合うし」
「う……そ、そうかな?」
 こんな可愛い服を指して、自分に似合うだなんてお世辞だとしてもちょっと嬉しかった。勿論、井上はお世辞なんて言ってないが。
「むしろヨシヨシだったら、大きいかもしれないけど、肩紐タイプのノースリーブだし、中に何か着ればいいかも」
「う〜ん……」
「これ一点ものだし。どうかな?」
「……う〜ん………」
 そして結局。
 まるでシュップ店員のように推す井上に、何だか流されるように買ってしまった。買っちゃった、と手にした袋を実感し、改めて思う。こうして自分のお金で服を買うだなんて、初めての経験だ。
「えへへー、買っちゃったね、ヨシヨシ」
 同じく何点か購入した井上が、嬉しそうに言う。
「この服見た時、絶対ヨシヨシに似合う!って思ったから、ここぞとばかり勧めてみちゃった」
 ごめんね、とでも言うように、ちょっと舌を出す井上。
「ううん。結構、欲しいって思ってたし」
 正直、変な言い方かもしれないが、買わずに帰った場合、買えばよかったと悶々しそうな予感すら抱いた。だったらすぐに買えば、と思うのだが、今一歩押しが足りなくて、井上はそこを補ってくれたのだ。だから吉田も、ほくほくした顔で袋を持っている。
 良い買い物が出来た、と井上もご満悦だ。
「これから好きな人出来て、デートするならその服着るといいよ。男って、ふんわりした服に弱いし」
「え、そ、そうなの?」
「そうだよ。あいつも服に煩いタイプじゃないけど、やっぱりワンピースとか着た方が喜ぶもん」
 ここで井上の言った「あいつ」とは勿論、彼女の彼氏の事だろう。
 実感の籠った井上の台詞に、吉田はちょっとあわわ、となった。スカートを穿く事もそりゃあるけど、Gパンとパーカーなんていう服装で行った時もある。あの時、もしかして幻滅されてたのだろうか。でも、佐藤はいつも「吉田可愛いv」しか言わないし……そこまで思い出して、吉田の頬は少し紅潮した。
「じゃあね、ヨシヨシ。今日はありがと」
 ふと気付けば、別れ道に差し掛かっていたらしい。井上が感謝の事も合わせて挨拶を告げる。吉田も手を振って、それに応えた。
 井上と別れ、一人でてくてく歩く吉田は、購入した服の入った袋をきゅぅ、と抱きしめる。
 これ着たら、似合うって言ってくれるかな。どうかな。
 今日は土曜日。だから明日は日曜日。佐藤との予定を入れている。
 早速着て行ってみよう。吉田は、思った。


 実際身につけてみて、ワンピースの下にインナーが着れるサイズだったが、今日は上着を羽織って行く事にした。
 何だか、初めて佐藤の家に訪れるより、緊張しているような気がする。
 いよいよドアの前に立ち、吉田は意を決してチャイムを鳴らす。程なくして、佐藤が顔を覗かせた。
 いらっしゃい、というその台詞を言う前に、佐藤の目は軽く見開かれる。
「あ、あのー、この服ね、昨日井上さんと……」
「……とりあえず、中入ろうか」
「あっ、そっか。うん、お邪魔します」
 ややぎこちないながらも、吉田は玄関へと入って行った。吉田を招き入れた佐藤は、ドアをそっと閉める。
「どうしたの? 凄い可愛いね」
「え、あー、あぅー、に、似合、う?」
 何もしていない内から、吉田の顔は真っ赤になっていた。意識してお洒落をしてきた事が、そんなに照れるのだろうか。ここにきて、また初心な所を見せつける吉田である。
「似合うよ、当然。決まってるだろ」
 あっさり断言されてしまい、吉田も赤くなって俯くしかない。ホントに可愛いヤツ、と佐藤は顔を綻ばせた。
「さ、佐藤はこういう服がやっぱり好き?」
「まあ、好きって言うか、色んな服着た吉田を見るのが好き、って所かな」
 にっこり、と佐藤が微笑んで言う。これは素の笑顔だ。
 そういう事なら、ズボンで来ても、佐藤はそんなにがっかりしたりはしないかな。やっぱり、ズボンを穿きたい時もある。
「その服、新品?」
 何となしに、佐藤が尋ねる。少なくとも、今まで見た事がないのは確かだ。
 佐藤の問いかけに、吉田はうん、と頷く。
「昨日、井上さんと遊んだ時、入ったお店で買ったんだ。初めてだったんだー、自分で買うの!」
 吉田がさも偉業を果たしたように言うのが、可笑しかった。そして、可愛かった。部屋についた2人は、並んで座る。
「井上さんがね、似合うからって勧めて来てくれたんだよ」
 この服、と言って吉田はスカート部分をちょっと持ち上げた。
「へえ、井上が。………」
 不意に、佐藤が黙り込む。吉田がその顔を見て、少し慌てる。
「さ、佐藤? 眉間に皺寄っちゃってるけど?」
 何かマズい事でも言ったかな?とここに来てから発した言動の数々を思い出してみるが、該当しそうなものはなかったと思う。けれどもそれは吉田の主観で、佐藤の立場からすればあるのかもしれないが。
「いや、羨ましいと言うか、ずるいと言うか……俺も、吉田に似合う服、見立てたい」
「えっ、そんな事で顔顰めてたの?」
「そんな事って、何だよ。俺には重要な事なのに」
 佐藤は何だか物凄く真剣だけども、吉田はピンと来ない。……むしろ、事態が斜めの方向に進もうとしているのだけが解るというか。
「だって、自分の選んだ服が似合ってるってかなりその人の事良く知ってる、って事だろ?」
 そこまで言われて、吉田もようやっと一応の納得は出来た。しかし、今だ嫌な予感が拭えない。
「あー、いいなぁ……いや、買うとかいっそ、自分で作るか。俺、服飾デザイナーになろうかな〜」
「えっ、ちょ、何言ってんの!? 本気!?」
「とりあえず今は本気」
「とりあえずって何―――!? 今後の人生をそんな風に決めるなッ!!」
「俺の人生は、吉田だよ」
「………。ばっばか―――――ッ!!
 とっ、ととと、とりあえず、今決めてやるような事はするなーっつの!!」
 顔を真っ赤っかにして、吉田は言う。全く佐藤は、とんでも無い事を云うのだ。解ってるけど。
「じゃあ。じっくり考えてなりたいって思うのは、いい?」
「そ、それは……まあ……いや、でも………うぅ………」
 すっかり考え込んでしまった吉田。その様子を、佐藤派にこにこしながら眺める。またからかわれたのだと気付いたのは、吉田がその佐藤の笑顔に気付いた時だった。



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