「こら、吉田」
 と、佐藤が窘めるように吉田を呼んだのは、休日の昼食時に事だった。呼ばれて吉田は、自覚があったかぎくり、という感じで箸を止める。
「豆腐や卵ばかりじゃなくて、ゴーヤも食べなくちゃ。ゴーヤチャンプルなんだし」
「そ、そうだけど〜」
 だって苦いんだもん、とぼやく吉田だった。甘いものをこよなく愛する吉田は、当然の成り行きで辛い物や苦い物が不得手だ。
「折角お義母さんがくれたんだから。ほら、食べなきゃ」
 そう言ってゴーヤを箸でつまみ、向かいに座る吉田に向かって「あーん」と差し出す。吉田はかなり困ったように眉を下げ、意地悪な佐藤に眦を吊り上げる。
 しかし、結局はその佐藤の箸で摘まれたゴーヤを、ぱくん、と口に含んだ。
「!!!」
 途端、目を見開いて固まる吉田が可愛い。吉田はすぐさまアサリのみそ汁を啜り、口直しを図った。
「不味くは無いけど〜!!やっぱり苦い〜!!」
 せめて一緒に炒めてある豆腐や卵も付けてあげればいいのに、ゴーヤしか食べさせなかった佐藤だ。おかげで、吉田の口内にはゴーヤの苦みで充満された。
「もう!苦手なの解ってるのに、なんでゴーヤなんて持って来るんだよ!!」
 今更のように、送り主の母親に文句を言う吉田だった。佐藤からしてみれば「お義母さん、ナイスパス!」みたいなファインプレーだが。
 食べたくないなら、放置しておけばいいのに、佐藤が差し出すと吉田は食べてしまうのだ。無視の出来ないお人好しなのである。
「まあ、でも、やっぱりゴーヤは夏に食べるものだよな。冬にちょっとした気まぐれで食べた事あるけど、美味いとは思えなかったし」
 味が変わったとは思えないから、違うのはやはり食べる側の状態だろう。例え適温の室内でも、夏と冬では味覚の差が生じると思う。
「夏でも冬でも、苦いだけじゃん」
 吉田は天敵をみるような目つきでゴーヤチャンプルを見る。ゴーヤは苦いから良いのだが、吉田は苦いのが嫌いなのだから。
 それでも母親から貰ったゴーヤで作ったチャンプルを、ちびちびと咀嚼する吉田なのだ。こんな娘だから、母親もさぞかし可愛がりたい事だろう。
 その後、昼食の後片付け等をしながら、佐藤は今後の予定を何となく思う。特に予定が無い時は、部屋に閉じこもってしまいがちになってしまい、それに吉田を巻き込むのは少々心苦しい。まあ、吉田は行きたい所がある場合、事前に言ってくれるタイプだから、あえて言動の裏を探って本音を察する事も無い。
 そんな風な計算も無く、過ごせるのは吉田だけなのだ。つい人の裏を見てしまうのは、処世術のスキルとしては上等かもしれないが、時にはそれが少し疎ましくも思う時がある。他ならぬ、自分自身に。
 でも吉田にはそんな事をする必要を感じないというか、いや吉田にだって佐藤に隠し事の1つや2つもあるだろが、それが自分を陥れたり傷つけたりするものではない、という確信を含めた信頼がある。あるいは単に佐藤の独りよがりの憶測かもしれないが、例えそうであったとしても、そう思えるのは吉田だけなのだ。
 そんな吉田と一緒に住めるようになって、佐藤は毎日がとても充実している。だからだろうか。余計に外出への意欲が薄れているようにすら、思える。
 かと言って、外出先ではしゃぐ吉田を見るのもそれはそれで好きなので、まあ要するに何もかもが幸せなのだ。佐藤は。
 佐藤は自分の幸福さを再認識し、薄っすらと口元が綻んだ。


 そんな訳で、吉田と2人きりというささやかな幸福を思っていた佐藤だが、ささやか過ぎるせいか、その祈りは中々届かない。
「わー! チョコレートだ!! 美味しそう!!」
「こっちに、マドレーヌもありましてよv」
「ジャムもハチミツもいっぱい! 艶子さん、ありがと!」
 フランスに行っていたという艶子が、突如その土産を持参して突撃のように訪問して来たのだ。こういうのを、不意打ちというのだろうか。佐藤は思う。
「いきなりやって来て、家にいなかったらどうするつもりだったんだ」
「あら、絶対居ますわ。だって、隆彦とどこかに遊びに出かける時、吉田さんメールをくれるんですもの」
 そんな可愛い事してたのか、あいつ、と佐藤は胸中で吉田に惚れ直していた。
 その吉田は、艶子の土産物に夢中だ。フランス語がさっぱり解らない吉田にとって、品物が何かを探るのは一種のゲームのようだ。
「ワインもあるのよ。後日、宅配で届くわ」
「ホントに? わ〜、嬉しいな〜。この前ジャックから貰ったお酒、全部飲んじゃったし」
「飲む時はジュースみたいに飲むからなぁ……」
 佐藤が呟く様に言う。そんな吉田のペースには、とてもついて行けない。
「パリに行ってたのか?」
 佐藤が尋ねる。
「いえ、今回は国境付近を南下してみたわ」
 隣接する国の影響を受けていて、同じフランスでもかなり違う所が面白かった、と艶子が語る。吉田は、そんな艶子の話を聞きながらチョコレートを堪能していた。
「えへへ、美味しいな〜v」
 さっきの食事が苦いゴーヤだった為か、その感動も一入のような吉田だった。幸せそうにチョコレートを頬張る吉田を見て、艶子も嬉しく思う。
「良かったわ。喜んでくださって」
「だって、ホントに美味しいんだもの。やっぱり、本場は違うなー」
「そんなに気に入られたのなら、現地を案内したいくらいだわ。お勧めしたいものがまだまだあるし、やっぱり料理はその場で食べるのが一番だものね。
 隆彦だって、フランスに旅行できるくらいの甲斐性はあるだろうし」
「一言多いぞ、艶子」
 旧友同士のこんな小競り合いは、コミュニケーションの内なのだ。吉田はそれをにこにこと眺めながら、また艶子の選んで持って来た土産を手に取って、楽しんだ。


 今晩の夕食は、艶子の持って来たパテやらペーストを使って美味しく仕上げられた。改めて、吉田は艶子に感謝のメールを送った。
 沢山ある土産は、両親にも是非おすそ分けしたい所だ。艶子も、その分を含めて持って来ている。後日届くというワインが着いたら、それを持って向かう事にしよう。
 今日という一日が終わり、2人は揃ってベットについた。
「艶子さん、やっぱり忙しいのかな〜」
 吉田が不意に零す。あの後も予定の詰まっているという艶子とは、1時間くらいしか歓談出来なかったのだ。僅かな間だけども、その時間を艶子は捻出して来てくれたのだ。その分もきちんと歓迎出来たかどうか。
「まあ、会えなくても連絡の手段が無いわけでもないし。またその内会いに来るよ」
 今日みたく突然に、と佐藤が少し茶化して言うと、吉田も表情を和ませる。
「また、ジャック達とも会いたいな」
 元から住む国さえ違うが、こうして社会人になって仕事に就く前。学生の頃には長期休暇を利用してよく遊んだものだ。最近、そんな機会はめっきり減ってしまった。仕方ないと言えばそれまでだが、やっぱりちょっと寂しい。
「なら、こっちから押し掛けてみるってのもアリだな」
「そうかもね」
 笑い合いながら2人は言う。専ら、押し掛けられる側はこちらだ。今日のように。
「なあ、吉田」
「んー?」
「別に、昼の艶子の事があったからって訳でも無いけど……行きたい国とかあれば、その予定、組むよ」
 佐藤は通訳として打ってつけだし、その費用だっていつだって工面出来る程に溜まっている。一番のネックは時間だが、計画的に仕事を進めて行けば大丈夫だ。
 どう?と勧めて来る佐藤に、吉田はちょっと考える。
「うーん……行きたいって気持ちはあるけど、具体的にどうこう、ってまではいかないかな。
 佐藤は? 行きたい?」
「吉田と同じ感覚かな。そういう事なら、いつか気の向いた時に、って事にしておこうか」
「うん」
 それが本日最後の会話だった。その後は、すでにうとうとしかけていた吉田の髪をそっと撫で、佐藤は優しく「おやすみ」と囁く。
 吉田も、半分寝た様な状態でおやすみを告げた。
(……行きたい所、か……)
 眠りに落ちながら、吉田は考える。そう尋ねられて、思い浮かべられる場所は沢山ある。けれど、何かが決定打に欠けるようで動き出すには至らない。
 出不精、という訳でもないが、意欲的に外に飛び出そう、という覇気には欠けているのかもしれない。元からそんな気質だった佐藤に影響されたのだ、なんて揶揄する人も居るけれど、吉田としては。
 どこかに行きたい。そんな欲求が出てこないのは、すでに行きたい場所に辿りついているからではないのか。
 それは勿論、優しくて愛しい温もりを感じられる、この場所なのだ。



<END>