オチケン部室の素っ気ないパイプ椅子の背に引っかけられているのは、秋本の制服の上着。新緑眩い季節にして、すでに彼にとっては汗ばむ陽気と感じるらしい。これから夏に向けていよいよ暑くなる一方だというのになぁ、と何だか心配の様なものを抱く。
 しかし吉田の関心はすぐに制服そのものへと向けられた。この学校の女子の制服は、可愛いと思う。だから、自分には似合わないと吉田はまず思った。とは言え、制服で学校を決めるものでも無い、と吉田はこの高校にこうして通っている。何せ家から近いのが良い、と制服ではなく場所で選んだ結果だった。まあ、そのおかげでとんでもない再会を果たす事が出来た訳だが。
 可愛いリボンも襟も、自分は相応しくない。せめて、男子のブレザーだったらまだ良かったのにな、と入学前にそう思っていたのを、今思い出したのだった。
「ねえ、ちょっと上着着てみていい?」
 さすがに見知らぬ誰かのものを着てみようという気は起きないが、この上着の素性(?)ははっきりしている。横の椅子で下敷きを団扇代わりにしている秋本に、何となしに尋ねる。
「ん? 良いよ〜。ぶかぶかかもしれないけど」
 秋本は快く承諾した。男子の制服に興味があると、解ったのだろう。もしかしたら、洋子から似た様なおねだりでもされたのかもしれない。
 それじゃちょっと借りるね、と吉田は袖を通した。本人の言う通り、袖も丈も何もかもが余ってしまう。袖から手が中々出てこない。
 秋本ならちょっとはマシかなと思ったんだけど、と吉田は自分の姿に苦笑して思う。この場にたまたま居たのは秋本だったが、別に此処に居たのが誰でも良いと言うわけでもない。秋本は縦より横が目立つ体形で、背はあまり高くないのだ。吉田の最も身近にいる男子はとても背が高くて、制服を着てみようなんていう気にもなれないくらいだ。
「秋本、ありがとね」
 気が済んだ吉田は、皺にならない様に気を付けて、秋本の上着を元のように背もたれにかけて――
 ―――バサァッ!
「!!!!?!!!!???」
 突如、視界が暗闇に包まれた。そしてなんだか、ちょっと良い匂いがする。
 一体何が起きたんだ!と軽く混乱する中、憎たらしいくらい朗らかな声がした。
「何、吉田、男子の制服着てみたいの?だったら俺の貸してあげるのにv」
 佐藤の口調はいっそ明るかったのだが、何やら吉田はその奥に潜んだ怒りの様なものを感じ取った。視界が効かないせいか、より気配に敏感になっているのかもしれない。
「さ、佐藤!!いきなり出て来て何すんだよッ!!」
 じたばた、と上着の中で暴れている吉田に、佐藤は溜まらずぷっ、と噴出した。
「あっ!笑ったな!笑ったなよくも―――!!!」
 脱ぐ作業よりも、からかわれた事への報復を優先した吉田は、耳だけを頼りに佐藤の方へと向かって行く。
 その位置は合っていたのだが、道がよろしくなかった。
 まず声を上げたのは秋本だった。
「ああッ!吉田!そっち行っちゃ危な―――」
 ガラガッシャアアアアアンンッッ!!!
 パイプに向かって直進した吉田は、それを巻き込んで派手に転倒してしまったのだった。


 そして現在の吉田――と、佐藤の居場所は保健室だ。保健医は居ないようなので、勝手に治療を始めている。
「両膝ケガするなんて、器用なコケかたしたよなぁ」
 吉田の可愛い膝小僧を見て、佐藤がなんだかしみじみ呟いた。
「何、人ごとみたいに言ってんだよ!!佐藤のせいだろッ!!!」
 佐藤が、吉田の上から制服を被せてこなければ、こんな目には遭わなかったのだ。治療台に腰掛け、吉田はさっきからぎゃーぎゃー文句に喚いている。
 これだけ元気ならかなり大丈夫だな、と佐藤は安心を決めた。椅子と一緒に転んだ時には、さすがの佐藤もぎょっとしたものだ。
 吉田の前でしゃがみこみ、患部を見たが辛うじて血は出ていない。が、擦りむいてはいる。消毒液を含ませた脱脂綿を当てると「うぎゃっ!」と吉田の声がした。
「痛い!やだ!止めろって!!」
「治療だから、我慢」
「う、うそだっ!絶対何か、わざと痛くしてるんだっっ!!」
「信用ないなぁ……」
 真っ赤になって涙目になって、ぷるぷる震えている吉田を見ると、どSの気質からして顔が綻んでしまう。
「我慢したら、あとでジュース買ってあげるから」
「小さい子にするみたいに言うなッ!大体、佐藤のせいじゃんか!!!」
 プンプン、と怒る吉田。しかし、佐藤にも言い分はあった。
「あれは……吉田が悪いんだよ」
「何で―――!!?」
「他の男の服なんか着てさ……」
 やや下を向いて、唇を尖らすように佐藤は言った。まるで不貞腐れているような……いや、不貞腐れているのだろう。
 吉田と言えば、呟かれた内容にきょとんとなっている。いや、解るけど。言いたい事は、多分解っているのだろうけど。
「せ、制服なのに?ただの」
「それでも」
「だって……佐藤には頼めないじゃん。ちょっと着てみたくってもさ」
 秋本なら、まだ「とてもブカブカ」というレベルだが、佐藤の場合だともう服を着ているなんてもんではなくなる。でっかい布を羽織っている気分だ。
 吉田の成長は止まったけど、佐藤も同じとは限らない。この先順調に背を伸ばして行ったら、2人の身長差は40センチも夢じゃないだろう。
「ま、そうだけどな」
 佐藤だって解ってる。秋本の上着を着たのは完全に興味本位で、それ以外の他意は一切ない事も、体格の関係で佐藤には頼まない事も。
 しかしそうやって割り切れないのが、人の心と言うものだ。特に、好きな人に関しては。
 佐藤は、吉田の膝を綺麗に消毒出来たのを確認すると、その足をちょっと持ち上げ、軽くキスをした。んぎゃぁ!とさっきより壮絶な顔になった吉田は、もう真っ赤っかだった。
「ばばばばば!なななな!」 
 ばか!何すんだ!と言いたい吉田のようだ。
「早く治るように、おまじない」
「ばばっ……ばかッ!」
 言えた。
(もー!学校でこんな事するなって、言ってるのに!!!)
 確かに今は周りに誰も居ないけど、誰が来るか解らない場所というのが吉田にはとても心臓に悪い。無頓着で居られる佐藤がいっそ信じられない。
「っていうか……ちょっと大げさじゃない?これ」
 患部である吉田の両膝は、きちんと巻かれた包帯で包まれている。流血すらしていないというのに。
「怪我は怪我だろ」
 包帯取って、という吉田の要望を先回りして佐藤が言う。早めに処置出来たし、大きな痣にはならないと思うが、念の為というヤツだ。それに包帯をしておけば、本人にも怪我人の意識を促す事も出来るし。
 軽はずみな行動は控えて貰いたい。佐藤も、あの状態のまま吉田が突進してくるなんて思わなかったのだ。
 巻かれた包帯に、何か落ちつかないな〜と足をぶらぶらさせていると、佐藤が上着を差し出してくれた――と思ったけども、何故か中々渡してくれない。
 佐藤は、自分の目の前で吉田の制服を広げた。おそらくは最小であろうサイズに、笑みが零れる。
「なんか、オモチャみたいだな」
 その小ささを指して、佐藤がそう言う。
「んなっ!!」
「可愛いvv」
「っっ!!」
 まだからかうのか!と憤慨しかけた吉田だが、続いたその言葉に赤くなって止まる。今度こそ制服を受け取り、袖を通す。丁度いいサイズ……と、言いたい所だが実はちょっとぶかい。しかし、これ以下のサイズは無いのだから仕方ないと言うか。
「そういや、制服汚れてない?」
 だったらごめん、と被害者の立場なのに謝る吉田が可愛い。汚れてないよ、と返事する代わりに、髪を優しく梳いた。指先に込めた想いを察したのか、吉田はちょっと困ったように顔を赤らめた。キスや抱擁は「コラッ!」と怒るけども、髪を触る行為はどうしようかと迷っているのだろう。これくらい、友達もしている。それでも吉田は、同じ行為でも人が違えば込められた意味もがらりと変わるというのを、最近学んだ。佐藤とだと、部屋でくつろぐだけでもドキドキする。
 保健室から廊下に出ると、人の気配は無い。目撃されないで済んで、吉田はほっとなった。
「いつか、吉田とペアルックしてみたいな〜」
 人が居ないのを確かめてか、佐藤がそんな事を言い出した。
 吉田はどんな反応するんだろう、とちょっとワクワクして見下ろす。吉田は、ちょっと考えるような素振りをしていて。
「多分……サイズが無いと思うけど」
「…………」
 意趣返しではなく、本当に懸念している声だった。
 どうやら吉田は、揃いの服を着る事に異議は無いらしい。
 そうだね、と答えつつ、佐藤は頬の熱さが気になった。
 これから暑くなる一方で、頬の熱を冷やしてくれる風もあまり無くなる。
 みっともない所を見られない為に、精神の鍛錬をしなくちゃな、と佐藤は密かに決めるのだった。




<END>