佐藤の就寝は吉田より遅く、そしてその起床は吉田より早い。
 勿論、必ずしもそうとも限らないが、吉田が佐藤の寝顔を見る機会が少ない、と不満を持つくらいはそのスタンスが続いている。
 佐藤としては、無理に起きたり寝るのを堪えている訳でもないのだが、そこはやはり吉田と同じく、相手の寝顔を拝みたいという欲求が一役買っている感は否めない。それくらい、吉田の寝顔は可愛くて、見て来て凄く幸福感に包まれる。
 そして今も。佐藤は愛してやまない吉田の寝顔を、ごく至近距離のアリーナ席で拝んでいる。まだ2人とも、布団の中。吉田は暖を求めるように、佐藤の胸元に磨り寄った体勢で安らかな寝顔を浮かべている。
 これだけ気持ち良く眠られると、未だ健在の佐藤の中の苛めっ子精神がむくむくと頭を掲げてくる。例えば鼻を摘んでみて、この心地よい眠りから無理やり(しかも痛みで)強引に目覚めされたれたら、吉田はどんな顔と台詞で自分に詰め寄って来るだろう、と思うとワクワクしてしまう。それでもやっぱり、寝顔を眺めて居たい気持ちもあるからそれを実行に移すのは、まあ5回に1回くらいの割合だろうか。
 ちなみに、その周期で言えば、そろそろ実行に踏み込む頃である。さあ、どうしよう、と相反する願望の狭間に揺れながら、とりあえず今はまだ、自分の腕の中で眠る吉田を眺めている。
 しかし、そろそろ休日とは言え起きるべきだろう時刻になってきたし、あと悪戯したい気持ちがいよいよ高まりつつある。が、佐藤が実行に移す前、吉田の目がそろそろと開いた。
 寝ている吉田に悪戯するのは、次回に持ち越しとなった。まあ、佐藤もいい加減大人になってきた(と、思う)ので、次にこんなSっ気が浮かび上がるのは何時とも知れない。
「吉田、起きた?」
 そう言う佐藤の言い方は、まるで眠気を誘発しそうなくらい、穏やかなものだ。いっそ子守唄にすらなるだろうか。
 吉田は、まだ半分は寝ているような表情で、数回瞬きを繰り返し、すぐ目の前の佐藤を見て――
「………わあっ!!!!」
 吉田は驚いて、のけ反ったのかもしれないが、佐藤の腕に抱かれたままなので、数センチ後ろに顔だけがずれただけだった。
「? どうした?」
 横になったまま、首を傾げるように佐藤は尋ねる。しかし、吉田は「な、なんでもない、なんでもない」と、繰り返すばかりで。
 その顔は、とても赤い。
 実の所、目覚め一番の吉田の、この不可解な行動を見るのは、これが初めてではない。しかし、随分と久しぶりに見るものだ。
 吉田はすぐ近くの時計を見る。吉田の所持物をそのまま持ち込んだ、デフォルメしたゾウの形の小さい置き時計は、そろそろ午前も終わりだと告げている。
「ん〜、こんな時間か〜………わぁっ」
 起き上がろうとした吉田が、また驚いた声を上げたのは、身を起こそうとする動きを阻むように、佐藤の腕が引き寄せたからだ。おかげで、また寝転んだ体勢に戻ってしまった。
 何すんだよー、と抱きしめられたまま、思う様な抵抗が出来ない吉田。そんな彼女に、佐藤が耳に吹き込んで囁く。
「ねえ、今、何を驚いた?」
「え………う………」
「まだ、俺と一緒に居るのが慣れないのかなー。吉田は」
 佐藤はいっそ楽しそうに言う。
 家から出て、それまでは中学からの親友の高橋とルームシェアをしていた吉田だが、高橋の突然の妊娠で自分のタイミングとは関係無しに佐藤と暮らす事になった。それを選んだのは吉田自身ではあるものの、色んな意味で急な転居であった為か、意識が追いついていないようだった。それは寝起き直後、佐藤の姿を見て驚く姿で解る事だ。――今のように。
 しかしそんな反応も徐々に減って来て、完全に無くなったかと思えば、今のこの反応だ。あの慌てる吉田は佐藤のお気に入りの一つで、もう見られないのかと思っていたから思わぬ僥倖である。今日は朝からついている、とは佐藤の呟きだ。
「う、う〜ん、慣れてないとかじゃなくて……」
 佐藤の楽しみはある種、吉田の恥でもある。佐藤との同居――いや、同棲に、何もかも過剰反応していた頃は、思い出してちょっと恥ずかしい。佐藤の胸元に顔を埋めるような姿勢の為、もごもごとした口調で「そうじゃない」という吉田だが、どうも言い訳とは違うような気がした。
「だったら、どうしてなんだ?」
「う〜〜〜………」
 他の理由があるらしい、とは解っても、さすがにしれをズバリとは当てる事は出来ない。
 それでも、吉田の真っ赤な顔を見て、きっと自分にとって堪らなく素敵な理由であるのは、確信できる。これは是非にでも聞かないと。
 佐藤がばっちり、訊くムードになっているのを察し、吉田は黙秘を早々に諦めた。一旦聞き出すと決めた佐藤は、何をしても聞き出す。それに吉田も、自分が照れて中々言い出せない事は、佐藤が聞いてとても喜ぶ内容であると解っている。だから結局、絆されるように告げてしまう。その時の佐藤の顔は、吉田の大好きなものだから。
「だから……ちょっと、夢、見てて」
 夢?と聞き直してきた佐藤に、うん、と吉田は頷く。
「高校の時の夢でさ。今から寝ようって布団に潜る所だったんだけど」
 眠っている夢の中で、また寝ようとしていたのか。それを思うとなんだか可笑しくなり、佐藤の顔が緩む。
 そんな佐藤の笑顔に、吉田は腹が立ったり綺麗な顔にちょっと見とれたりと、少しの紆余曲折をしてから本題に入る。
「それで、寝る時『早く明日になって佐藤に会えないかな〜』って思って眠ったから」
「…………」
「そのすぐ後、目を覚ましたら佐藤が目の前に居たから、驚いたの!それだけ!!」
 話しはおしまい!と吉田は佐藤の腕から抜け出し、ベッドから降りる。
 が、降りた所でまた佐藤に捕まってしまった。
「わああああ、な、なんだよぉー!!」
 もう全部打明けたのに!と赤い顔を持て余して吉田が暴れる。
 佐藤は、暴れる相手を抱き締めているにしてはとても涼しい、そして幸福そうな顔をしている。そして、「知らなかったなー」と浮かれた声で言う。
「高校の時の吉田、毎日そんな事思って寝てたんだv ああ、あの頃の自分に教えてやりたい」
「まっ……毎日って訳でも………」
 例えば激辛チョコを食べされられた日とかは。
 しかしそんな日には「次はどんな事してくるんだろ」なんて思って寝ているから、実質的には然程変わらないのかもしれない。
「まあ、俺はいつも思ってたけどね。早く吉田に会いたいなーって」
 一緒に遊ぶ予定があるのなら良いが、そうでない時の休日は佐藤にとって大層味気ないものだ。無味無臭の食べ物を食べているような気分になる。
「だから今は凄く幸せ」
「………うん」
 自分もだ、と俯く様に頷く吉田。そんな可愛らしい態度を取られたら、起きて早々、またベッドに連れ戻したくなってしまう。
 毎日顔を合わせられる今も幸せだけども、そんな風に待ち焦がれる事もとても大切な時間だったのを思い出す。佐藤だって、渡英しても尚吉田の面影を思い出した事で、自分の気持ちを自覚した様なものだ。
 何だかんだで、自分たちは一時期、3年間の別離がある。その時は互いに感情の意識も何も無かったけど、別れは別れだ。実際、その間の事について諍いを起こした事もある。専ら佐藤が話さないのが原因だったが。
 自覚が及ばなかっただけで、小学校の頃からすでに佐藤は吉田に想いを寄せていた。だから庇いに来る彼女を鬱陶しく思ったし、傷を負った時には激しく動揺した。別の場面でフラッシュバックを起こす程に。
 あの3年間を、佐藤は無意味だとは思わないが、吉田との思い出が何も無いというのは、やはり寂しく感じられる。
 そんな風に思ってたのは、自分だけだろうかと佐藤は思っていたが、こんな風に会うのを焦がれる夢を見たという事は、吉田にもそんな気持ちがあったと思っていいのだろうか。まあ、施設に居た時の出来事を頑なに言うまいと思っていた時は、さぞかし吉田をやきもきさせた自覚はある。高校生の時の当時から。
 言えない過去がある分、だから少しでも吉田と一緒に居たくてあれこれ理由を付けて吉田を部屋に招いたものだ。時にはお菓子で吊り、時にはここで悪戯すると脅したり。
 ガキだったなぁ、と佐藤は笑うが、本質は今でもあまり変わっていないと言うのに本人は気付いているかどうか。
「ねえ、今日はこれからどうする?」
 とりあえず、パジャマから部屋着になった吉田が尋ねる。今日は休日。それでいて、予定は何も立てていない。
 今日は天気がいいから、ドライブなんかいいかもしれない。あるいは昔に戻った気分になって、遊園地に足を運んでみたり。はたまた、吉田の実家に顔を出しても楽しい事になりそうだ。
 そうやって、佐藤の脳内に、あれこれとプランは浮かんで来たけども。
「んー……部屋でごろごしていよっか」
 今日は、吉田を独占していたい気持ちが強い。外へ出かけると、どうしても周囲に意識を向け掛ければならくなるから。
 そんなエゴに吉田を突き合わせるのには若干気が引けないでもないが、吉田もどこか行きたい場所があるなら先にそれを提示してくる筈だ。どうする、と尋ねたのは彼女に特に要望が無いからだ。なら、そこに甘えて自分の欲求を満たそう。
 吉田は、うん、いいよ、と快く承諾した。その笑顔に、嘘は無い。
 今日は朝から、高校生の時の吉田の可愛いエピソードを聞く事が出来た。
 部屋で2人だけでのんびり過ごし、こんな日の締め括りは、やっぱり吉田の夢を見たいと思うけども、こればかりは自分の匙加減でも難しい。それでも夢と言うのは、寝る直前に強く思っていた事が現れやすいというから、せいぜい吉田の事で頭を一杯にしておこう。
 最も、それはいつもなんだけど、と胸中で呟く佐藤だった。



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