金曜日の放課後。
 学生の本分である勉学から解放される時ながらも、吉田の顔は優れないし、晴れないものだった。
 答えは単純。佐藤が他の女子達と帰ってしまったからだ。
 アイドルなんていう肩書すらも追いつかない程、佐藤の人気は壮絶なものだ。有名税というか、人気税のようなもので、こうして時折熱を上げている彼女たちに福祉厚生に勤めている。
 その辺りの事情は、クラスメイトである吉田も解っていて、だから「ふーん、そう」の返事だけで終わる。仮に佐藤が素っ気ない態度でずっと放置して居たら、逆に燃え滾った彼女らに自宅まで押し掛けられかねない。最も、そういう行動は他クラスとの牽制の為、抑えられているみたいだが。
 まあ、そんな訳で。高橋との都合もつかなかった吉田は、1人きりの下校となった。中学からの友達は、井上共々最近は高橋まで彼氏持ちになってしまった。常時、恋人との予定で放課後の時間は埋まっている。勿論、自分もそうなんだけども。こんな時以外は。
 折角の週末。このまま帰ってしまうのは勿体ないけど、1人で遊んでも詰まらない。だから結局、大人しく帰るしかない、と他平日よりも若干人の賑わいの増した駅前を吉田は歩いていた。
 と、その時―――
「おーッ!ヨシダ、見つけた!!!」
 思っても無い人物の声が、吉田を引きとめた。


 降り返り、その姿を見た時、吉田は幻覚なのかとポカンとしてしまった。まさか、此処にいる人物とは思えなかったから。
「ジャック!それに、ヨハン!」
 自分を呼んだジャックと、その横に居るヨハン。クリスマスから年末にかけて一緒に過ごしたけど、その後は彼らは帰国したのではなかったか。
「もー、ヨシダ、聞いてよ〜。ジャックってば、僕の言う事聞かないで適当な電車に乗っちゃってさ!!」
 本当はもっと早い時間に着く筈だったんだよ!と、挨拶もそこそこに、ヨハンの嘆きに吉田は大体の事情を察した。ヨハンの心労も。
「ふ、2人とも、どうしたの??」
 吉田は目をぱちくりさせながら、とりあえず最も気になる来日の動機を尋ねる。吉田はとりわけネガティブ思考という訳でもないが、まさか向こうで起こった一大事をいち早く、この国に住む同胞達――佐藤と艶子に報せに来たのでは、と思った。急な行動は緊急時を連想させる。
 しかし幸いな事に、吉田のそんな危惧は杞憂で終わりを告げる事になる。
「いやー、桜を見ようと思って来たんだけど……何つーかまだ早いみたいだな?」
 ちょっと照れくさそうに頭をかきながら、ジャックは言う。万人に好感を持たれそうな顔だった。
 佐藤もこんな風に、素を出せば良いのにな、と吉田は思う。
 いやいや、この場に居ない佐藤の事なんて、今はどうでもいい、とすぐに気持ちを切り返る。
「そうだなー。2週間くらい早かったかも」
「そんなにか!まあ、到着して咲いてねぇなーとは思ってたけど」
 実に大ざっぱだが、こういう所がジャックだと吉田も受け入れられる。その横で、ヨハンが「だからまだ早いって言ったんだよ」みたいな顔をしていて、ちょっと可笑しかった。
「それで、折角だから隆彦の通う学校でも拝んでやろうと思って――そういや、隆彦は何処だ?」
 吉田の折角切り替えた気持ちを無に帰すように、ジャックは当然のように佐藤の行方を尋ねる。それも、一緒に居る事が前提として。
 吉田は一瞬何を言うか考えたが――大人しく、ありのままを告げる事にした。
「……クラスの女子と一緒に帰ってる」
 ちょっと肩を落とし気味に言った吉田のセリフに、2人は顔を見合わせた。
 その理由は2つ。あの佐藤に一緒に帰るという団体行動が出来た事と、何より吉田をほっといているこの事実だ。2人の視点からしてみれば、色々あり得ない状態と言っていい。
「あ〜〜〜!何やってんだアイツは!ヨシダをこんなほっといて、他の奴に攫われたらどうする!!!」
「いや、攫う奴も居ないから……」
 と、吉田は派手に嘆くジャックにそっと突っ込みを入れたが、吉田は過去山中に襲われかけた事や、現在本人の嗜好を覆してまで西田(いい人だけどホモ)に言い寄られている事をスコーンと失念している。まあ、その程度の事なのだろう。
「それにさ、仕方ないんだ。佐藤は女子にとっても人気あるし、たまに一緒に帰ったりとかしないと、向こうのストレスとか溜まるだろうし……」
 そんな説明をする吉田を見て、2人はその健気さに胸を打たれる。そして確信するのは、佐藤には吉田だけだ、という事だ。懸想してくれる人は、あるいは何人も居るかもしれないが、こんなややこしい奴を理解して傍に居てくれるのは、吉田しか居ない!
 頭で理解しているけど、感情が納得してくれない、というように表情を沈ませた吉田の頭を、ジャックがぽんぽんと叩く様に撫でる。
「よし。そんなら、ヨシダに悪い虫がつかない様、俺らが護衛しようじゃないか」
「護衛って、そんな………」
 大袈裟なジャックの物言いは、しかし不快なものではなかった。それは本人のキャラクターだろうし、何より純粋に気遣ってくれているのが解るから。吉田はちょっとdかえ苦笑して、嬉しそうにはにかむ。
「それにしても、隆彦はなっちゃいねぇな。可愛い恋人はいつも抱き締めてないとダメだろ」
 いつもはいらないよ、と吉田は顔を赤らめて呟く。
「こんなんじゃ、本当に余所に取られても文句の1つも言えやしねえぞ。
 なあ、変なのに引っ掛かる前に、俺とはどう?」
 ジャックがそんな事を言って、吉田へ顔を近づける。きょとんとした吉田に、ジャックはにかっと人の良さそうに笑った。まさかの横取り宣言に、ヨハンがぎょっとする。
 しかし、吉田はあはは、と明るく笑うのみだ。
「もー、何言ってんだって。あ、そうだ。2人ともこれから暇? 一緒に遊びに行かない? 折角来たんだし、良い所知ってるよ」
 近くに遊園地があるんだー、と吉田はジャックの告白をものともしていない。と、いうかジャックにしてみても本気の欠片も無かった、単なるジョークだったのだろう。
 内容に驚いて、ヨハンはその辺りを見誤った。一人で焦って馬鹿みたいだった、と胸を撫で下ろしながらヨハンは胸中で呟く。
 その後、吉田の提案に乗る事にし、3人で遊園地に向かう。先導役である吉田は、2人より一歩前を歩いている。
 小さい吉田の背後を気にしながら、ヨハンは隣のジャックにこそっと呟いた。
「……ちょっと、あまり心臓に悪いジョークは止めてよね」
 小声だという以上に、英語で話している為、ヨハンの声は吉田にまでは届かない。
 ピンポイントで聞かされたジャックは、にやりとする。
「でも、ジョークってそんなもんだろ?」
「隆彦に知られたら、ただじゃ済まなくなるよ」
「居ないから言ってんだろ」
 ジャックは悪びれも無く、豪快に笑って言う。
 居ても言うだろうに、とヨハンはやや疲れた顔でジャックを見やった。


「ここ、遊園地なんだけど、ボウリングもあるんだ」
 3人は早速園内に入り、初めて来る2人のために、吉田も自分の知っている限りを教えていた。ここはまだ出来て間もなくだし、吉田も数回しか尋ねていない。
「へー、遊ぶ施設が沢山くっついてるってのはいいな」
「ヨシダはそこのボウリングに遊びに行った事あるの?」
 園内にを見渡しつつ、ヨハンは尋ねる。吉田はうん……と、やや抵抗があるように頷いてから、溜まっていたものを吐き出すように言った。
「っていうかさ、この前そうやって友達とボウリング行くつもりで此処に来たのに、途中からお化け屋敷に入ろうって……」
「隆彦がか?」
「ううん。言い出したのは一緒だった友達。でも、強引に連れ込んだのは佐藤だけど!」
 憤慨しつつ、吉田が言う。固められた拳と、吊りあげられた眼差しがその時の吉田の惨状を者が立っているような気がして止まない。
 吉田が、お化けとか怖いのがとても苦手というのは然程長くもないこの付き合いでもすっかり知れた事だ。きっと怖がる吉田が見たかったのだろうと、そこは佐藤との付き合いの長さであっさりと正解を掴む2人だった。
「それで、まあ色々あって……結局ボウリング出来なかった」
 本来の目的はそれであったというのに、それはそれで酷い話しだ。
 ジャックは、吉田の頭にぽん、と手を乗せる。
「よし、そんじゃ今日はボウリング行こうぜ」
 ジャックの言葉に、ヨハンも「そうしよう、そうしよう」と快諾の意で頷いている。 吉田も、「えっ、いいの?」と顔を輝かせる。
「あー、でも、こう言っといて何だけど、ボウリングあまり上手じゃないっていうか、並っていうか……」
「大丈夫大丈夫!俺がフォローしてやるから」
 にかっと人の良さそうな笑みで言うジャック。その笑顔に推され、吉田も意気揚々とボウリングに臨めた。


 うわー!なんてこった!と、吉田は改めて自分のボウリングの腕前に激しく悔いた。
 よりによって、両端のピンを残してしまったのだ。
「ご、ごめん。思った以上に下手だった……」
 ボールを構えているジャックに、とぼとぼとした脚で戻り、頭を下げる吉田。しかし、ジャックは。
「なあに、これくらい――任せと、け!」
 その大きな体躯に見合った様な、ダイナミックな振りだった。しかしコントロールは繊細で、ボールは回転しながらまずは右端のピンに辺り、弾かれたピンは真反対にあるピンに向かって飛んで行った。果たして、ピンは全てレール上から姿を消した。
「す、凄い!ジャック凄く上手ー!!!」
 褒められる事が決して嫌いでは無いジャックは、その素直な讃辞に胸を張って応える。
「ははは、だから言っただろ?これくらい、ゴリラを相撲を取るよりかなり楽だぜ」
「あはは、ジャックってば面白い事言うなー」
 事実なんだけどね、とひっそりと胸中で呟くヨハンだった。
 そうして暫く3人で楽しんで居たのだが、ジャックが退屈した――というか、刺激を求め始めた。
「うーん、やっぱりこういうゲームは勝負してナンボだよなー」
 そう呟くジャック。
 しかし、1対2ではバランスが良くないし、1対1だと1人が余る。どっちもジャックには良くない傾向だ。
 この事態を簡単に解決するには。
「なあ、ヨシダ。隆彦は呼べねぇの?」
 ヨハンのストライクに拍手していた吉田は、その声でジャックに向き直る。
「さあ……よく解んない」
 女子と帰ってる時にメールで呼びだした事なんて無いし、と、そう言ってちょっとそっぽ向く。
 佐藤は人気あるから仕方ない、なんて言って、実は凄く気にしてるんだな、とジャックは嬉しく思う。可愛いヤキモチの様子に、自然と顔が綻んだ。
「ヨシダが呼べば、隆彦はすっ飛んで来ると思うけどなー」
「僕もそう思うよ」
 レールから戻ってきたヨハンは、今の台詞ですぐに事情を察して、ジャックに同意した。そして、台詞を続ける。
「まあ、来れる状況なのかは解らないけど、僕らと一緒に居る事くらいは連絡しておいた方がいいと思うよ?」
 ずっと吉田の事を監視していた訳じゃないが、それでも彼女がメールを打ったかどうかくらいは解る。そして吉田は、2人の前で携帯に触った素振りすら見せて居なかった。
「う〜ん、それもそうだなぁ……」
 友達が来た事は報せておかなきゃね、と2人の意思とはズレた納得をしていた。思わず、苦笑を浮かべてしまうジャックとヨハン。
 そりゃまぁ、自分たちが来た事も教えて欲しいけど、重要なのは恋人以外の誰かと一緒に居るという事。そしてそこに全くやましさがないと、早めに伝えておかなければ。
 何せ自分たちの知るあの男は、おそろしく嫉妬心と独占欲が強くて、その癖自分の感情に大変不器用なのだから。


 佐藤へのメールを打ち終わった後、吉田はトイレの為に席を立った。
 メールの内容は、簡素に。ジャックとヨハンと今カピバランドのボウリング場に居る事と、ジャックが佐藤も呼んでと言われてこのメールを出した、というものだ。それと、吉田はちょっと考えて、来られるんだったら来てね、と最後の一文を添えた。
 なんだか、ジャック達をダシに佐藤を呼びだしたみたい、と吉田は手を洗いながら思う。本当は、吉田も余程メールを出したかったのだけども、来なかった時を思うと出せなかった。来なかったのは、メールをしなかったから、と言い訳を残しておきたかった。
 佐藤からの返信は、まだ返らない。とは言え、未だ女子に囲まれていると言うなら、携帯を見るのも難しいかもしれないが。
 女子達と一緒に帰るのが、佐藤の本意ではないと吉田も知っている。だから、変に嫉妬しないようにしよう、と心がけているからか、佐藤に呼びだしたりなんてしなかった。きっと、女子の相手で疲れているだろうし、と。ジャック達が聞けば、疲れているからこそ一緒に居てあげてよ!と声高々に訴える所だろう。
 下手に女子達の中から抜けて帰ったりしたら、不完全燃焼の分が明日に持ち越されてしまうだろう。佐藤、上手く抜け出せれるかな……そもそも、抜け出せられるかな……?
 中々返信の来ない携帯を、取り出して見つめた。メールを出してから、まだ10分弱しか経っていないのだから、遅いと文句を思う程でも無い。……筈だ。
 吉田はポケットに仕舞い直して、自分のスペースに戻るべく、足を進める。
 トイレのある奥まった場所から出て来た時、ヨハンが自分を呼んだ。
「ああっ!ヨシダ!良い所に!!助けて!!」
 しかも何だかただならぬ感じで「ど、どうしたの」とヨハンの動揺が伝染したように吉田も慌てる。
「自販機の使い方が解らないんだ!缶でもなくて、ペットボトルでも無いんだよ!どういう事!?」
 外国人だけあって、嘆くポーズが様になってるな……と吉田は悲痛な顔で訴えるヨハンを見て、そんな事を思った。
 路上にある自販機はさておき、ここは買った後にすぐ飲まれる事を想定したからか、自販機にはヨハンの言う通り、缶でもペットボトルでも無く、紙コップで差し出される物が置かれている。
 確かに、初めて見ると使い方がよく解らないかもな、と吉田は思った。取り出し口の形からして違うし。
 吉田はヨハンと連れだって、問題の(?)自販機へと辿りついた。ヨハンは3人分のジュースを買う為にここへ訪れたのだと言う。なら余計、自分と会って良かったな、と吉田は思った。缶やペットボトルならさておき、紙コップ3つを持ち歩くのはキツいものがあるだろう。
「――で、ここに紙コップが落ちてきて、中身が注がれるの」
 吉田の説明に、ヨハンは感心したように「へぇ〜」と息を洩らす。そんなに大した事を言っている訳でもないのに、と吉田はちょっとくすぐったい気持ちだ。
「凄いねぇ。飲み物がそのまま提供されるんだ……」
 しかもカップに注いだのが、と日本の技術に感嘆するヨハン。吉田は特に愛国主義者でもないけど、自分の国を褒められて悪い気はしない。えへへ、と訳もなく照れた。
「あ、言い忘れてたけど、この記号があるヤツは氷ありとなしを選べるから」
「そんな事まで出来るんだ!」
「うん。でね、コーヒーはミルクと砂糖が、ありなしと、あと量の加減も出来て――……」
 ジャックが待っている事は吉田の頭にもあるけれど、大きく反応してくれうるヨハンが楽しくて、つい余分な説明もしてしまう吉田。
 そんな事言わないで、さっさと買って戻れば良かったのだと、吉田は次の瞬間激しく後悔する事になる。
「ねえ、君、どうしたの?暇?」
 顔立ちは違うけども、チャラチャラとした事が共通しているの2名の男が、声を掛けて来た時に。


 ぱっと見、大学生かフリーターか。20代前半とおぼしきその男達は、良識と配慮が欠けているのが目に見えて解るタイプだった。
 そうでなくても、某人物、まあ山中のせいだが、ナンパ目的で声をかける奴はろくでなし、という方程式が吉田の頭には植えつけられていた。
「何、ジュース欲しいの? お兄さんが買ってあげよっかv」
 そう言って、いきなり慣れ慣れしく肩を触る。
「君、可愛いねぇ。彼氏居る?まあ、居てもいいんだけどさ」
「あ、あ、あの!」
 ついに耐えかねて叫ぶ。
 ――ヨハンが。
「僕、男なんですけど!!!?」
 ちなみに、隣に居ると言うのに吉田は綺麗にスルーされている。
 しかしこんな場面には慣れている吉田だ。そう、佐藤と居る時とか、佐藤と居る時とか、他は佐藤と居る時だ。
 えっ、男?と2人は顔を見合わせる。誤解は解けたようだ、とヨハンはほっとするが、それは生憎早計だった。
「へえ、そうなの?まあ、そこまで可愛いなら、別にどっちでもいいや」
「え―――ッッ!!ちょっとちょっと!!!」
 自由にも程がある!とヨハンが再び声を上げる。が、そんなヨハンには全くお構いなしだった。
「よく見ると、目の色ちょっと違うくね?カラコン……あれ、天然??」
「へー、外人なんだ!どうりで可愛い――」
「ちょっと。手、離せよ」
 吉田も、この2人がヨハンを女と間違えてナンパしたのが解ったし、だからヨハンが自分の性別を訴えた時点で終わる事だと思っていた。が、現実は尚もしつこく食い下がっている。傍観していた吉田だが、こうなっては口を出さずにはいられない。かつて、クラスでいじめられていた佐藤を助けた時にもあった、正義の心が燃えるのだ!
 吉田は、ヨハンの肩に回された無遠慮な腕を離すべく、それを掴む。そこでようやく、男達は吉田がそこに居た事に気付いた様だった。
 ヨハンに向けていた猫撫で声とそれに見合う表情を一転させ、相手を弱者と見込んだ上の傲慢な態度をとる。
「はあ?なんだこのブス!どっか行けよ。超邪魔。ウザい」
「なっ――」
「ちょっと!僕の友達になんて事言うんだッ!!!」
 どストレートな悪口に、吉田が絶句していると、ヨハンが腕を振り払い、猛抗議する。
 逃げようとしてもそれを阻むように、しっかりと回していた腕をあっさり振り解かれ、男は一瞬意表を突かれたような顔になったが、自分で思ったよりは回し方が甘かったんだろう、と自己完結をした。ここで、自分がヨハンを捕まえる力より、ヨハンが逃げる力の方が強かったのだ、と妥当な判断が出来たら、まだ平和的に終わっただろうに。
 ヨハンの言葉を受けて、男達が思ったのは「え?友達?こんなのと??」という怪訝な顔だった。ヨハンは、そんな男達の無礼から吉田を守るよう、彼女の前に立っている。
「へえ、そうなんだ。よく解らないけど……なら、一緒に遊べば文句ないだろ?」
「は!? 一体なんでそんな――」
 一体どういう頭の回転でそんな結論に至ったのか。ヨハンの口上を余所に、もう一人の男が吉田の細い腕を掴んだ。全く遠慮も気使いの無いその手は、吉田に痛みしか与えなかった。
「い……痛い!痛い痛い!!!」
「うるせーなぁ。一緒に遊んでやるんだから、大人しく付いて来いよ」
「ヨシダ!」
 痛いと訴える声に、ヨハンは振り向く。すぐさま、吉田を引きずるその手を引き離そうと思ったが、自分と対峙している男が改めて腕を掴んで来た。さっきので学習したからか、今度は中々離す事が出来ない。
「ヤダー!!離せよ――!!!」
 吉田も、手を上下にブンブンと降る。
 ――直後。吉田を掴んで居た手は離れた。
 しかしそれは、吉田の行動が実ったからでも、痛いと叫ぶ声に男に罪の意識が芽生えた訳でも無い。
「さ、佐藤!!」
 吉田の嫉妬心と独占欲が強い恋人が、思いっきり蹴飛ばしたからだ。


 男だけが吹っ飛んだ所から解るように、佐藤は蹴り飛ばす前、吉田の手首から男の手をまず剥がしていた。そして、吉田を腕に抱き締めると同時に、男に容赦ない蹴りを浴びせたのだった。しかもその間、1秒強という早業だ。
「さ、佐藤……ヨハンをむぎゃ」
 佐藤にぎゅっと抱きしめられた(抱き潰された?)為に、ヨハンを助けるよう告げる筈の声が途中で消えた。もがもが、と手をバタバタさせるのは、なんだかさっきとあまり変わらない。
 ヨハンはすでに、男の手から抜け出していた。連れがこれだけ派手に蹴り飛んだのだ。呆気になった隙を取るのはとても簡単な事だ。ヨハンは、逃げたり隠れたりが得意なのだし。
「お、お前……なんなんだよ……」
 こんな男のセリフに、しかし吉田は同意してしまった。本当にもう、なんなんだ!!
 佐藤は、男の問いかけの様な呟きには答えなかった。
 しかし、たった一言。
「失せろ」
「!!!!!!!」
 近くで聴いていた、吉田の血も凍らせるようなおそろしく冷えた声だった。
 それを向けられた当の本人は――言われた通りに、失せた。


 置き土産のように、佐藤が蹴り飛ばした男は残った訳だが、それは窓から放りだす事で佐藤は解決させた。山中の時と言い、放りだすの好きだな、とか吉田は思ってみる。
「吉田。大丈夫か?」
「え?うん――っていうか、ナンパされてたのヨハンの方だから!」
 そっちを心配してやれ!という吉田の訴えを余所に、佐藤は「良かった……」と呟いて再度吉田を抱き締めた。人の話聴けー!と胸板と腕に挟まれて吉田は喚く。
「隆彦。ヨシダからのメール見たんだね?」
「だから来てるんだろ」
 その言い方と、声質に、佐藤が何だか不機嫌みたいだ、と吉田は思う。こういう時の勘は、ちょっとは当たるのだ。テストの山は当たらないけども。
「お前な……こういうメールは遊び前に出すもんだろ」
「いひゃい!いひゃい!!」
 頬を両方から抓られ、その痛みに涙目になる。さっき腕を掴まれた時より、今の方が痛いんじゃないだろうか。じたばたする吉田を堪能したか、佐藤はややしてから手を離した。
 抓られたせいで、ほっぺたが膨れた様な気がする。手でさすりながら、吉田は唸った。
 吉田からのメールを貰った佐藤は、すぐさま女子達の中から上手に抜け出し、返信の暇も惜しんで直にこの場へと駆けだしたという。その事情を聴き、吉田は「そんなにジャック達と会いたかったんだ〜」と本当の親友が少ない佐藤を思ってにこにこしていたが、佐藤は思いっきり顔を顰めたのだった。そんなやり取りを、ヨハンは笑みを押し殺して眺めていた。
 席に戻ると、一人の時間をを持て余して居るジャックは、音楽を聞いて暇を潰していた。何の曲かは知らないが、後ろから見てとてもノリノリで楽しそうだ。
「フフンフ〜ン♪………イデェ!!!!」
 ジャックの華麗なる鼻歌が激痛による叫びになったのは、勿論佐藤がその頭をどついたからである。
「いきりなんだよ、隆彦〜!」
 酷いじゃないか!と涙目で訴えるジャック。
 さっきの男よりかは加減したとは思うが、吹っ飛んだ先でぴくりとも動かなかったのを思うと、涙目で済ませられるジャックが凄いと吉田は思える。
 ジャックは佐藤の突然の登場には驚いてはいないようだった。まあ、この国でこんな風に有無を言わさない殴り方をして来るのは佐藤だけだし、吉田が呼んだのだから絶対来るだろう、という確信がジャックにはあった。
 佐藤は、ジャックを見下ろして言う。
「お前、何優雅に音楽聴いてるんだよ。おかげで、吉田がナンパに遭ったんだぞ」
「違―――う!ナンパされてたのはヨハン!!!」
 顔を赤くし、間髪いれずに訂正する吉田だった。
「ええ〜、そうだったのか。悪かったなぁ、吉田。ヨハン」
 ジャックは傍若無人な佐藤の台詞を受けて、2人にすぐに謝罪した。なんていい人だ!と吉田は感動すると共に、自分に謝る謂れは無いのに、と申し訳なく思う。
「俺が買いに行けば良かったな」
 ジャックが言う。しかし、吉田は。
「うーん、でもそれだとヨハンがここに1人になる訳だし……そこでナンパされちゃってたと思う」
 実際、あの自販機で買おうとしていたあの男達は、おそらくボウリングのゲーム中か、これからしようという所だったかもしれない。むしろそうでなければ、あの場所に行かないだろうし。
「って、それはそうと、いい加減離せよ佐藤!!!!」
 さっき会ってからずっと、佐藤は吉田を抱き締めたまま離さない。さがに横抱きして歩くような真似はしなかったが、密着の度合いは同等だ。
 吉田は、さっき言われたジャックの言葉を何となく思い出す。可愛い恋人はいつも抱き締めてないとダメだろ、と。
「だめ。離したらまたナンパされる」
「だから、されてたのはヨハンだってば!!なんで素直に聞いてくれないの!!」
 怒りを通り越していっそ悲しくなってきた。なんで信じてくれないのかと。
 しょげる吉田に、佐藤はその訳を話すように言った。
「だって、俺が来た時、腕を掴まれてたじゃん」
 それなりの状況証拠があったのだ。吉田はそ、それは……と言葉に詰まる。
「――うん。僕の巻き添え食らっちゃったんだよね。ごめんね、ヨシダ」
「いっ、いやいや!こっちが勝手に口挟んだだけだし……」
 吉田は佐藤を窺うように見ながら言う。案の定というか、「お前そんな無茶したのか?」と咎められるような目をしている。だから吉田は言葉に詰まったのだった。
「ヨシダ、格好良かったよー。失礼な男達に向かって、とっても毅然としてた」
「ただの無鉄砲だろ」
「な、なんだと―――!!!」
 ヨハンの讃褒に照れていた吉田は、佐藤の一言に怒髪天を突いた。
「だってそうだろ。実際腕掴まれていた訳だし。大声を出して誰か呼ぶとか、それこそジャックを呼びに戻るとか、他に出来る事はもっとあっただろ」
 それも自分に危害が及ぶ事無く、と佐藤は言う。
「そ、そうだけど……」
 佐藤の言う事は正しくて、吉田はますます居た堪れなくなる。
 あまりに男達が性質悪くしつこかったので、吉田もついつい感情がエスカレートしてしまった。きっとこういう所は、母親似なのだ。
 思えば、ヨハンは折角一度男から離れられたのに、自分が捕まってしまったせいでまた逃げられなくなってしまったのだ。佐藤があの場に着いたのは全くの幸運で(と、言う訳でもないと思うが)もし佐藤が駆けつけて来なかったら、今頃どうなっていただろうと思う。ジャックが居るから、最悪は免れたとは思うけど。
「隆彦ー。ヨシダをあまり怒らないでやってよ」
 眉を潜めてヨハンが堪らず口を挟んだ。
 そういってくどくど注意するのは、その身を案じての事だとヨハンも解っているが、ちょっと言い過ぎだと思えた。
 それでも佐藤は忘れられない。吉田は、そうやって渦中に飛び込んだせいで、目の下に傷跡を負ったのだ。
 傷跡で済んだけど、今度はもっととんでもない事になるかもしれない。あの時だって、あと数センチずれて居たらと思うと今でもぞっとする。
 しかしヨハンから控えめに窘められ、佐藤も少し冷静に戻れた。見れば、吉田はすっかり肩を落としてしょんぼりとしている。その吉田の胸中が、自分が危険な目に遭った事より、自分の迂闊な行動でヨハンが逃げられなくなった事を憂いているのが解る。佐藤の目に映ったのは、吉田が腕を掴まれた所。それにより、それまで難を逃れていたヨハンが別の男の腕に捕まった所だ。
 ふぅ、と佐藤は気を抜く様に息も吐いた。
 イギリスから戻って再会して、以前のように拳を振るって雄々しくクラスに君臨する吉田では無くなったが、それでも自分より相手の身を案じる所は全く変わっていない。改善して欲しいと思った所すら。
 でも――
「でも隆彦は、ヨシダのそんな所が好きなんだよな」
 にやり、としたり顔で言ったのはジャックだ。少し重くなりかけた空気を払拭させるように。
「まあ、話を聞いている限りだと、吉田の取った行動は無茶無謀、あまりに無鉄砲だったかもしれないけど――」
「お前、俺より酷い事言ってないか?」
 普段の佐藤の方がよっぽどだよ、とジャックに突っ込む佐藤をさらに突っ込む吉田。
「力の及ばない相手にそれでも立ち向かって行くのが、やっぱり勇気ってもんじゃねぇの?
 吉田は勇気あるよ。本当に」
「…………」
 知ってる、と佐藤は胸中で呟く。
「まあ、吉田の勇気が物凄いってのは佐藤と付き合ってる、っていう時点で解りきった事だけどなー」
 あははははは!と殊更明るく言うジャックだった。
「……おい、どういう意味だよ」
 佐藤が不機嫌絶頂な声と顔でジャックに言い詰める。あわわ、と吉田は慌てるが、しかし心の底ではこれが友達同士のコミュニケートだと解っているからか、そこまで焦ったりはしない。
「ねえ、それよりボウリングしようよ!!!」
 吉田が声を上げる。折角来たのに勿体ない、と。そもそも佐藤を呼びだしたのは、2対2でゲームが出来るようにだったのに。
「おー、それもそうだな。よし、やろうか」
 どこまでの軽い調子のジャックだった。まあ、佐藤と友達するのなら、これくらいおおらかじゃないとやっていけないのだろう。
「なら、俺と吉田な」
「えー!なんで決めちゃうの!?」
「なんでって……吉田、俺とは不満か」
「いや、不満とかじゃなくてさぁ……こう言う時は、グーとパーで合わすとか……」
 諌める吉田と、宥められている佐藤の様子はとても可笑しくて、でも幸せそうで。
 出来る事なら、その関係をずっと保っていて欲しい、とジャックもヨハンも、願わずにはいられないのだった。



<END>