「吉田。今週の日曜日、空けといてね」
 そう佐藤に言われたのは、月曜の事だった。部活も塾も入って無い吉田は、学校が終わればそのままフリータイムだ。その辺り勿論佐藤も知っているのだから、こうして釘を指すのは余程特別な用でもあるのだろう。
「うん、いいよ。何かあるの?」
 期待だけを込めて問いかける吉田が可愛い。
「うん。ちょっとね」
 にっこりと笑って佐藤はそれ以上は言わなかった。つまりは当日のお楽しみ、という事だ。
 隠されると途端に不安が湧きあがる。何せ佐藤には、好きな子の困った顔や泣いた顔が好きだと言う、吉田の理解を飛び越えた嗜好があるのだから。
「まあ、楽しみにしててよ。あ、それと、当日可愛い服着て来てこいよ」
「う、うん」
 何が待っているか解らないが、とりあえず言う事は聞いておこう。吉田は手持ちの服の中、可愛い装いになるラインナップを頭の中で繰り広げて行く。
 一生懸命にコーディネイトを考える邪魔はしたくないが、そろそろ佐藤も吉田に触れたい欲求を抑えるのも疲れて来た。そんな自分の様子に気づいていない吉田を良い事に、佐藤は素早く不意打ちで口付けた。


 そうこうしている間に、一週間は過ぎて行き、(佐藤が)待ちに待った日曜が訪れた。鏡の前に立ち、吉田は最終チェックをする。とは言え、そんなに自信を持てるセンスが無い中でのチェックがあるのかどうか、吉田も疑問だけども。
「おっ、可愛い服だなぁ〜 デートかな」
 そんな娘を見た父親が、ひょっこりと顔と声を同時に出した。
「ちっ!ちちち、違うよ!!友達と遊びに行くだけ!!!」
 これが佐藤だったら、真相を吐き出すまで粘着質に探られるだろうが、何せ自分の父親なのであっさり退いてくれた。ほっとする吉田。
 ある意味、佐藤と類を同じくした様な性質の悪さを持つ母親にこの姿を見られたら、またややこしくなりそうだ。そう持って吉田は父親にだけ出掛ける事を告げて、外に出た。
 結局、どこに行くかと言う明確な発言はとうとう今日に至るまでに佐藤から得られなかったが、それでも行く先が飲食店である事だけは教えてくれた。なので、吉田もそれに合わせた格好を取る。遊園地に行く等、遊びがメインであればまた別の服を選んだ。
 最近、佐藤での部屋デートが続いたので、ここで外出するのは良い意味での気分仕切り直しもあるだろう。最も、今日も佐藤の部屋で過ごす事になっても、吉田は特に不満も持たないが。要は、2人で一緒に居たれたら、どこだってなんだっていいのだ。そういう認識は、どうやら2人の間では共通しているらしい。衝突はまだ見られない。その予兆すら。
 あるいは年末年始、一緒に過ごしたジャックに「たまにはどこか連れて行ってやれよ!」と言われたのを、佐藤は気にしたのだろうか。
(う〜ん、それは無いかな?)
 思った後、吉田は自分の意見は否定した。まあ、気にしたという程は無いだろうが、何かしらの影響は及ぼしたかもしれない。
 艶子の別荘で、皆とワイワイ過ごしたのは楽しかった。しかしその時の楽しさは、単に合宿の様な楽しさではなく、佐藤が自然体で過ごしていた喜びだろう。あの場での佐藤は、友達の軽口にからかわれては表情を憮然とさせて顰めてみせる。その様子は、校内でのまるで王子様の様な煌びやかな風体はとても見られない。
 いつもの校内でも、素で居れば良いのにな、と吉田は思うがそうはいかないのだろう、という把握も出来ていた。佐藤にとって「学校」というのは差別されて苛めを受けた記憶の場だ。勿論建物自体は全く別だが、そこは概念に焦点を当てる問題だろう。
 小学校時代、いつも他人事のようにしていた佐藤は、高校で再会して思いっきりドSの本性を自分に見せつけて来た。そんな風に表に出せるようになったのは、きっと施設で過ごしていた間に培われてきた事だ。
 そう思うと、吉田はやっぱり、ちょっと悲しくなる。その時の佐藤に、自分は何もする事が出来なかったし、知りも出来ないでいる。
 しかしながら佐藤が感情を露わに出来たのは、吉田の存在あっての事だ。それを吉田が知る事になるのは、まだもう少し先の事。佐藤が自分の過去を昇華出来るようになる頃の話だった。


「ワンピースか。やっぱり可愛いな」
 吉田の出で立ちを見た途端、佐藤は顔を綻ばせて早速吉田を褒め称え始めた。自分でも可愛いを目指したのだから、ここはそう言われて喜ぶべきなのだろうけど、やっぱり吉田にはどうしても恥ずかしさの方が先立ってしまう。
 おしゃれをして来て、と言うだけあって佐藤の方も大分服装を選んだようだ。ラフになり過ぎず、カジュアルとフォーマルの良い所を集めた様な服装。ただの部屋着でも十分格好いい佐藤が服装に凝ったのだから、ますますその魅力が倍増される。こういうのを鬼に金棒というのだろう、と吉田はそう思った。
「食べに行くってどんなお店?」
 せめてそれくらいは聞かせてよ、と駅までの道中に吉田が聞く。どうやら、やや遠方にあるらしかった。
「ん〜。折角だからもう少し秘密。でも、吉田は絶対気に入ると思うから」
 佐藤があまりに確信に満ちて言うから、吉田も何となく追究出来なくなってしまった。まあ、今の口ぶりだと、そうおかしな所には連れて行かれない……と、いいな。
 うっかり激辛な物の専門店だったらどうしよう!と吉田は真昼間から悪夢に怯える。苛めっ子気質の佐藤は、そんな吉田のやや怯えた顔を、それはもう美味しく観賞させて貰った。


 そうして連れて行かれた先は、なんと、ケーキ屋だった。こじんまりとした印象を受けるが、綺麗な外装をしていて、通り縋った時入りたいと思わせる。表に出ている看板から、イートインが出来るのを吉田は知った。特に、「アフターヌーンティーセット」という文字が目に入る。サンドイッチにスコーン、そしてケーキが一度に楽しめるこのセットは、吉田も大好きなものだった。激辛な物ではなくて、ほっと胸を撫で下ろすと同時に、やきもきしていた分喜びも一入だった。
 ケーキは何かな、自分で選べるのかな、と吉田の頭の中はすでにテーブルに着いている状態だ。吉田の手をさりげなく引き、佐藤は店内に入る。
 そして、店員に告げる。
「予約していた佐藤ですが」
 予約、の文字に吉田の眼が驚いて見開かれる。佐藤の言葉を受けた店員が、丁重な態度で応対する。そして、案内された。
「ねえ、予約って?まさかここ、すっごく高いの??」
 目的地がケーキ屋だと知った時の、輝く笑みを潜め、吉田は再び不安の影を落とす声で佐藤に尋ねる。道案内の店員を気にして、ごく小声で。
 小さく擽る様な吉田の声に、佐藤は口の端でちょっと笑う。
「いや、値段は普通だよ」
 でも、予約の必要はあるのだと言う。どういう事だ?と吉田の頭がまた傾げられる。
 しかし案内された先を見て、吉田もやっと納得出来た。
「すごい!個室なんだー」
 吉田は弾んだ声で言った。嬉しそうな吉田に、佐藤も幸せな笑みを浮かべる。
 通されたのは、個室。それも、4人も入ればいっぱいになってしまうような、小さな部屋だった。それでも、全面がガラス張りで外の景色が存分に取り入れられた室内は、却って開放的でもあった。後で解る事だが、近くにある大きな自然公園の緑があるらしく、それをふんだんに利用した部屋に設えたみたいだ。天井が高いのも、狭い室内を感じさせない作りになっている。
「いいだろ? 2人っきりになれて」
 2人っきり、というのに吉田は反射のように顔を赤くしたが、それでもこっくり、と首を縦に頷かせた。
 2人きりなのも嬉しいが、隠れ家みたいな装いにもワクワクする。狭い室内に合わせたからか、テーブルの大きさもやや小さめだ。しかし、それにより対面の距離が短くで、相手の顔がより近くなる。オーダーはすでに済ませてある。勿論と言うか、アフターヌーンティーセットだ。紅茶の銘柄は、佐藤に一任する。佐藤の方が詳しいし、何より自分の好みを自分より熟知しているから。
 すでに注文は決まっているから、それを選ぶ時間も佐藤との会話に当てられた。次の予約も決まっているので、この空間で過ごす時間は限られている。
「本当はバレンタインの時に連れて来たかったけど、さすがにその日はみっちり埋まっててさ」
 佐藤はやや残念そうに言った。そ、そうなんだ。とややどもりながら返事した吉田の脳内では、早速バレンタイン当日の思い出がありありと映し出される。実は、吉田は佐藤から貰っていたのだった。
 佐藤の方が打診して来た事だ。吉田はチョコレートが好きなのだから、今の時期に贈られた方が合理的とか何とかで。上手に言い籠められた吉田は、当日佐藤から贈物を貰う体勢で部屋を訪れた。
 そして吉田は貰ったのだ。チョコで覆われた小さいホールのケーキを。手作りと言ったそれは、最初はちょっと悪戯かと警戒したけども、そうじゃないと解るとその美味しさにペロリとたいらげてしまった程だ。
 だからお返しの日には、あれに見合うものを!と気合を入れている現在、更にこんな店まで連れて行って貰って、余計に奮闘しなくては!と吉田は気を引き締めた。貰うのは嬉しいが、貰いっぱなしは嫌なのだ。嫌というか、可笑しな表現でくやしいと言うか。つまりは、自分の感じた喜びや嬉しさを、相手にも感じて貰いたいのだ。その時の気持ちは、それはとても幸せなものだから。


 清潔さと可愛さと、機能美を程良くブレンドした服装の店員が、ティーセットを運んで来た。これでもう、誰かの訪問を気にする事は無くなる。
 3弾重ねのケーキスタンドには、2人分が乗っていた。おかげでより賑やかになっている。
 ケーキスタンドを見て、吉田は「わあ!」と顔を輝かせた。
「これ、実際に見るの初めてだー」
 可愛いな、と花弁のようにフリルになっているガラスの皿を眺め、吉田は言う。
 そんな吉田こそ可愛いのだが、しかし発言の内容に佐藤にはやや違和感が。
「お前、艶子とよくお茶してるんじゃなかったのか?」
 それこそ、佐藤の眉間が寄る程に。
 吉田はうん、と頷いてから言う。
「でも、テーブルの上に皿は全部並べられて、こんな風に重ねたりはしてなかった」
 それで佐藤も合点が言った。いかにもエレガントなティータイムを演出するようなこのスタンドだが、実の所、置く場所の足りないテーブルに対しての苦肉の策なのだ。使わないにこした事は無い。艶子が招く店は、それくらいのレベルの店と言う事だ。
「美味しそうだな〜vv」
 重ねられた皿の上を眺め、吉田がにこにこする。連れて来て良かった、と佐藤は今一度噛み締める。
「じゃ、早速食べよう!!はい、佐藤も」
 最下段のサンドイッチを取り、佐藤に勧める。その顔が、一瞬困ったのを、吉田は見逃さなかった。
「……俺はいいから、吉田が全部食べな」
 にっこり、と綺麗な笑顔で言うが、もはやそれに絆される吉田でも無い。
「ダメ!こんなに食べたら、ケーキが食べられなくなるじゃん。ほら、佐藤の分!」
 小皿にサンドイッチを乗せ、佐藤の前に出す。それを佐藤は、一度むぅ、と眉を潜め、諦めたようにサンドイッチを手にした。
 そして、咀嚼。その顔は、勿論いつものように顰めた表情だった。佐藤はこの顔を快く思って無いようだが(そりゃそうだ)吉田にしてみれば、好きな人の素の顔だ。見たいに決まっている。
「………………」
「……何」
 自分の顰め顔を見られている事に気付いた佐藤が、ぶっきらぼうに言う。そんな佐藤だけど、吉田にはとても可愛く見える。指摘して楽しいティータイムが拗れるのも勿体ないと、吉田は眉間の事を言うのはこの場では無しにしていた。
「べっつにー。あっ、このスコーン、イチゴ入りだ!」
 スコーンの中に、赤いコマ切れが見えた。それはドライフルーツ化したイチゴだった。スコーンの仄かなクリーム色に、まるで赤い水玉の模様が出来たようだ。
 丁度季節はイチゴの走り。小さくてコロコロした赤いイチゴは、それだけで可愛いがケーキに加工されてもっと可愛くなっていた。
 そして、それを食べる吉田は、佐藤には一番可愛かった。


 ああ美味しかった!と店を出た吉田はとても満足げだった。佐藤も、個室で吉田を独占する事が出来て非常に満悦だった。外食する時、可愛い顔をして食べている吉田を他人の目に晒すのが、気になると言うか嫌と言うか。時々、自分の心の狭さに佐藤は辟易するが、それにギャーギャー突っ込みを入れながら傍に居てくれる吉田が大分救いになってくる。改善したい部分は多いけど、それでも佐藤は佐藤、と抱き締めるように甘受してくれる。
 アフターヌーンティーセットに、とってもご機嫌な吉田だが心残りが1つだけ。
「写メ撮るの忘れちゃったな〜」
 テーブルに置かれたそれを見て、美味しそう!と目を輝かせてその衝動のまま口付けてしまった。気付いたのは、一番上の皿のケーキを半分以上食べたかと言う所だった。つまりは、手遅れ。
 やや残念そうなその顔に、佐藤は笑みを押し殺しきれない。
「そんなに来たかったら、また来ようか?個室じゃなければ、普通に入れるし」
「え、……うーん。まあ、すぐに行きたい!って感じでも無いから……」
 吉田は控えめに断った。と、言うのもケーキ屋の店内だ。スイーツ男子だのなんだの雑誌やテレビで特集を組まれていても、客層はほぼ女性。店内を過ぎただけの僅かな時間でも、佐藤への注目は嫌という程感じられた。他テーブルがある場となると、それが席に着いている間中、ずっと続くのだ。
 さすがにそれをスルーしきれる程、吉田も愚鈍では無かった。そして、佐藤も。
 吉田が行きたいと言ったなら、勿論すぐにでもまた訪れるつもりだ。しかし、本当は今のように拒むのを予見して言った。モテるのは仕方ないと、傍受している吉田だけども本当は凄く気にしている。すっかり仕舞いこんでしまっているその本音を、突いてちょっと聞いてみたかった。
 これじゃ、食べる時の癖を見たがる吉田となんら変わらないな、と佐藤は苦笑する。
「まだ、時間いいよな。ウチ、寄ってく?」
「……うん。行くー」
 ちょっと恥ずかしそうに、でもとても嬉しそうに吉田は頷いた。
 さっき十分食べたから、部屋に戻ってもケーキは出ない。
 でも甘い時間はまだまだ続きそうだった。



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