自分よりずっと外に居た筈の吉田の身体は、抱きしめるとそれでも温かい様な気がした。部屋に戻ったらホットチョコレートをあげる。そんな約束を交わし、抱き寄せ会うようにして屋敷に戻った。
 が、しかし。
 外に出た吉田の事を考えてか、あるいはそれとは別なのかはさておき、室内では皆にホットミルクココアがもれなく振舞われていた。当然、その甘くて温かい飲み物はカップに注がれ、吉田の、そして佐藤の手に収まる事になった。
 吉田に作ってあげる機会を失った、と佐藤は眉間に皺を寄せてココアに口をつける。それをすぐ横で見た吉田が「飲み物でもそんな顔になるんだ!」と新たな発見に声を上げたが、勿論佐藤は即座に違う、と言った。しかし違う、としか言わなかったので、真実は吉田からまだ遠い。
「大体、俺らの国とかだと、紅茶やコーヒーにビスケットを浸けて食うんだ。むしろ最初からそうする事を念頭にビスケットは作られてるって感じだな」
「へー。ウチでそんな事したら、母ちゃんに怒られちゃうよ」
 そう言いながら、吉田は渡されたビスケットをココアに浸していた。そのまま噛んだ時は、きになる固さがココアが染み入った事で軟化されている。ココア味のビスケットとはまた違う、ココアを吸いこんだビスケットは、吉田のまだ知らなかった味の世界をまた1つ増やした。美味しい、とこの食べ方を勧めてくれたジャックに向けて言う。
「こういう食べ方、好きだなー。でも……」
「”母ちゃんに怒られる”……か?」
 ついさっきの吉田のセリフを引用して、ジャックが言う。うん、そう、と吉田は真似された事を笑いながら言った。
「なーに、だったら佐藤の部屋でやればいいさ。問題無いだろ?」
「まあな」
 佐藤は素っ気ないくらいに簡素に答える。が、吉田の顔が輝いたのを見ると、ほんのわずかだが口元が緩んだ。勿論、ジャックはその変化をしっかりと見取った。
 と、その時。
「おーい、何か演って欲しい曲あるかー?」
 数人がバイオリンを持ちだし、弾く準備を揃えている。そこらかしこから、やいのやいのと何か曲のリクエストが上がるが、吉田はその曲を知っているとか言う以前に、流暢な発音で言われた為その題名すら解らなかった。
 それでも、曲が流れ始めると吉田の知ったものであるのが解る。
「あ、これ、知ってる!何だったっけ……」
 吉田の意識が記憶の中に埋もれていると、横に居る佐藤が正解を教えてくれた。
「”ママがサンタにキスをした”じゃないか?」
 あっ、そうそう、それだ!と吉田がはしゃいだように言う。
 この歌は、サンタの正体が自分の父親である事を知らない子供の勘違いを歌にした、何ともユーモラスで和ませる歌だ。吉田が同じ場面に遭遇したら、そっくり同じ反応をするんじゃないだろうか、と佐藤は思った。そして、自分の昔も思い出す。サンタの存在を純粋に信じて居られた頃が、果たしてあったか。仮にあったとしても、思い出せないのなら無かったも同然だ。しかし信じていた事でサンタに強請るのは、流行りのオモチャでもゲームでも無く、そのソリに乗せてどこかへ連れて行ってくれという事だろう。
 吉田の父親がサンタのふりをしたのか、佐藤はちょっと聞きたくなった。しかし、反対に自分の父親について尋ねられるとそれは困った事になるので、触れるのは危険な話題でもあった。1つの嘘が、それを固める為に更に嘘を重ねるように、隠し事もまた連鎖するように増えて行くのだろうか。いつか絶ち切らないと、とは思っている。
 自分から言い出さなくても、吉田の方から訊かれる可能性は、とりあえず今の所少なかった。何故なら、吉田は目の前で繰り広げられているバイオリンの生演奏に夢中だ。こうして、演奏している所を直に間近で見るのは初めてだと想像できる。
「……俺も何か楽器習おうかな」
 演奏者達を眺めている吉田の事、邪魔にならないよう、佐藤は控えめな音量で言った。しかし、吉田はすぐに気付いた。
「え、佐藤、興味あるの?」
「っていうか、楽器が弾けたらそんな風に吉田から熱い視線貰えるのかなーって」
「あ、熱い視線って………」
 別に、今まで近くで見た事無かったから、と夢中で眺めていた自覚があったらしい吉田が、やや口籠って言う。頬を赤くしながら。
(……でも、バイオリンを弾く佐藤って、ちょっと格好いいかも……)
 想像の段階で、ぽーっとなる吉田だった。そんな吉田を横目に、割と真剣にバイオリンの手習いを佐藤は考えた(しかし、レッスンの時間のせいで吉田との時間が減るのは頂けない。かなり)。
 と、吉田が手持無沙汰に空のカップを手で弄んでいるのに気付いた。カップが邪魔、というより、中身が空っぽなのが気になるようだ。
「何か、淹れて来てやろうか?」
 傍で囁くと、うひゃっと吉田が可愛らしく驚く。まだ想像の中で演奏している佐藤を思い描いていた吉田だった。
「う、うん。えーっと、じゃあ、紅茶をお願い」
 濃厚なココアを連続で飲む気にはなれなかったようだ。そう言えば、吉田はさっき、チョコレートケーキも食べていた。
「解った。ビスケットはどうする?」
「あ、欲しいかなー」
 さっきのジャックのセリフが、まだ吉田の頭の中に残っている。
「じゃあ、ちょっと行って来る」
 そう言って、吉田の額にチュッとキスをした。
「い、いきなりは……っ!」
 しないで、って言ってるのに!と続く筈のセリフは、演奏中という状況下を思い出した吉田自身の手で封じられた。
 軽くウインクをしてキッチンに向かう佐藤を、せめて吉田は睨みつけた。顔が赤いから、多分無力も良い所だろうけど。


 適当に開始された演奏会は、適当に幕引きとなった。その後は、ヨハンがこの広間に持ち運んだゲーム機を使って楽しく騒いだ。
 日付を跨いだところで、佐藤は吉田をひきつけれて部屋に戻った。吉田が眠たそうにしているのを、察したからだ。
 佐藤がヨシダを攫って行くぞ!と囃し立てながら、まだ続くようなパーティーを控え、2人は部屋に向かう。
「……結局さー、サンタクロースは24日と25日のどっちの夜に来るんだろ?」
 部屋に着き、ついさっきまで数人の間で展開されていた、取りとめのない、結論の出ない議論を吉田は口にした。子供でも支持しないような、実にバカらしい理論をまるで学者のように仰々しく言い争っているのだから、吉田は下手な漫才を見て居るよりも余程楽しかった。当人たちも、そういうつもりでしていたのだろう。しかしふざけるのが目的とは言え、中々気になる議題だった事には違いない。
 24日派の主張はこうである。「25日に宅配したのでは、受け取るのが26日になってしまう。それは果たしてクリスマスプレゼントと言えるのか?」 対して、25日派の主張。「24日の夜ではイブであってクリスマスでは無い。日付を超えたら午前であり、それは夜と呼ぶ事は出来ない」と、始終こんな調子だった。考えれば考える程、合理的な結論が導き出せない。
「ま、それぞれ信じてる方に来るんじゃないか?」
 そういうものだろ、と適当なのか取り合っているのか、良く解らない佐藤だった。そもそもサンタクロースと言う存在を、合理的に解釈しようとする時点で冒涜に繋がるだろうが。
 そんな事を言いながら、ごそごそとベッドに潜る吉田。と、佐藤。寝床に着いた事で、ふわぁ〜、と吉田が大きな欠伸をした。特に激しい運動をしたというのでもないが、やっぱりはしゃいでいるとそれなりに体力を消耗するものなのだろう。
 そんな吉田に、さっきと同じように予告なく額にキスをしても、怒ったり文句を言ったりしない。他人の目が無いからだろうか。羞恥や意地が抜け落ちている、こっちが吉田の素なのだと、佐藤はちょっと思いたい。そんな吉田の様子を見て、ふと考える。人の素の状態と言うのは、1人きりで居る時なのか、それとも信頼の出来る人と一緒に居る時の事なのか。
 この疑問を口にすれば、きっと吉田は言うのだろう。どっちも同じ人じゃないか、と。
 そんな吉田を思い、佐藤はもう一度キスをした。さすがに今度は反応があった。拒絶でも怒りでも無く、くすぐったさに身をよじっただけだが。もー、何だよぅ、と抵抗ではない抵抗をする。
 それから。
「ね、佐藤は、どっちの日にプレゼント貰ってた?」
 吉田にそう訊かれ、佐藤は自分の身体が強張ってはいないか、気になった。吉田の反応だけで判断すると、出て居ないようだが。
「……バラバラ……かな。イブか当日か、居る方に、ていう感じ」
 佐藤は胸中の動揺を悟られない様に、酷く慎重に言う。
「そっか」
「……吉田は?」
 ここぞとばかりに、佐藤はさっき聞けなかった質問をぶつけてみる。吉田の方が先に言いだしたから、好きなくとも質問で返される心配はもう無い。
「うーん、ウチもそんな感じだったかな。でも、昔は父ちゃん、結構家に居るのが多かったから、どっちかになるのは、多分ただの気まぐれだったと思う」
 そして、吉田はふにゃり、と笑いながら言う。
「今は普通に手渡しだけどさ。やっぱり起きて枕元にあると、嬉しかったなー」
 プレゼント、と吉田はとっておきのように言った。
「……うん、その気持ち俺も解る」
 佐藤もまた、同じように大切に言った。
「佐藤のお父さんも、サンタのふりしたんだ?」
「そうじゃないけど……別の人の話し。朝起きたら、大事なものが眼が覚めてすぐの場所にあるの」
「ふーん」
 おじさんとかおばさんかな?なんて吉田は無邪気に言っている。自分の事を言われているなんて、露にも思ってないようだ。今、こうした状況で眠れば、明日の朝、佐藤の元にあるのは他ならない吉田自身だ。佐藤も、ちょっとだけ苦笑する。
「――さて、そろそろ寝るぞ」
「んー」
 佐藤がベッドサイドのリモコンを取って、室内の明かりを消して行く。全てを消し終えた後、佐藤はベッドに潜り――吉田の身体を、ぎゅう、と抱きしめる。うわっっ!とその行動に吉田は驚いた。
「ちょ、佐藤!!」
「あー、吉田は、本当に良いなぁvv 大きさが丁度良いv 何でこんなに良い大きさなんだろvv」
 いかにもすっぽり、という具合に佐藤の腕の中、吉田は収まっている。
「な、何言って……こんなに抱きしめれられてたら、眠れない!!!」
「大丈夫だろ」
「大丈夫って、何がだよ!!!」
 ギャンギャンと吉田が吠える。寝る前のひと時とは思えない騒々しさだった。佐藤は、面白くて笑う。
 全くもー、佐藤ってば。とぐちぐち言っていた吉田だが、その口数が段々と少なくなっていく。それから、腕の中の吉田が寝息をあげるのは、さほど時間がかからなかった。眠れないんじゃなかったのか、と眠っている吉田にそっと胸中で言ってみる。
「吉田、おやすみ」
 それを言って、佐藤もようやっと眠りに着いた。室内は適温に保たれていて、時に寒いと言う事も無かったけど、吉田を胸の中にしっかりと抱き留める。
 自分にとってプレゼントのように特別で、そしてサンタのように欲しいものをくれる、そのとても愛しい存在を寝ている間も感じて居たいから。




*クリスマス話しはこれで終わりですが、もうちょっと吉田と皆がだらだらワイワイする話し書きます(笑)
 施設メンバーズとの絡み楽しいわぁ……