しっかり枝の上で安定できたのを吉田は確認できた後、背負っていた大きな星の飾りを、このツリーの天辺に飾り付けた。途端、下の方――地上で、クラッカーが鳴る音や口笛の音がいくつも重なる。それはまるでファンファーレのように聴こえた。
「おーい、ヨシダー!」
 ジャックの声がした。
「そこから飛び降りても、隆彦が受け止めてくれるぞー!」
 冗談なのか本気なのか、どっちにしろ吉田は遠慮した。
「さあ、吉田さん。下に降りましょうか」
 艶子の声がする。艶子も、同じく吉田と木の上にいる……というか、吉田をここまで運んできたのは艶子だった。星の飾りを背負った吉田を、さらに背負ってひょいひょいと実に軽快に昇って行ったのだった。その華奢なスタイルからは、想像もつかない体力である。
 しっかり掴まっててね、と艶子は吉田に言い、小さい吉田の腕がしっかり自分に回った事を満足そうに微笑み、そしてまた淀みないスムーズ動きにて木をするすると降りて行った。最初こそおっかなびっくりな所もあった吉田だが、もうすっかり艶子に身を任せていられる。 
 枝を伝って下りる最中、皆が飾り付けた数々のオーナメントが吉田を出迎えてくれる。モミの葉も綺麗に狩り揃えられていて、ここまでの準備に、吉田は一切関与していない。だというのに、最後の大トリの星飾りをつける大役を担ってしまって、ちょっと申し訳ないように思えた。まあ、それは吉田の意思では無く周りに流されての事だったのだが。
「いやー、やっぱり星がついてこそのクリスマスツリーだな!」
 誰とも無く、完成されたツリーを見て言う。大きさもさる事ながら、飾り付けも豪奢なものだ。何度見ても、圧巻されてしまう。が、同時に見惚れる。地上に着いた吉田は、ツリーを見上げて改めて感嘆の吐息を洩らした。
「凄いツリーだなー。こんな立派なの、初めて見るかも。なあ、佐藤……佐藤?」
 こんな素敵なツリーを前に、佐藤はどうしてだか仏頂面をしていた。はっきり言って、場に合わないのも程がある。
 首を傾げる吉田に、佐藤の不機嫌の理由を教えたのは不意に聴こえた艶子の声だった。
「隆彦ったら、まだ自分が吉田さんを上に運べなくて拗ねているの?」
 咎めると言うより、からかうように艶子が言った。完全に面白がっている。
「俺が運んでやるって言ってるのに」
 ふん、と艶子の揶揄を否定するでも怒るでもなく、まずそれを言う佐藤だった。そんな佐藤に、吉田は唇を尖らせて言う。
「だって、佐藤、絶対変な事するじゃん」
 わざと落っこちそうな真似の1つや2つはしそうだ。この男は、そういうしょうもない悪戯をするのだ。それこそ、付き合う前から。
「でも、艶子さんが運んでくれるなんて吃驚したー。重く無かった?」
「とんでもない。羽のように軽くてよv」
「……いや、さすがにそこまでは……」
 どう対処していいのか、セリフを濁してもじもじするしかなかった吉田だった。そんな吉田を見て、艶子は喜び、佐藤はさらにむっつりした。
 佐藤の助けを拒み、自分で昇る!と意固地になっていた所、艶子が運んで差し上げましょう、とそれは丁寧かつ優雅に申し出たのだ。
 自分のようにただガリガリなだけではなく、スタイルの良さにて細い艶子の肢体にそんな無体な事は出来ない、と断ろうとしたのだが、周りの全員が「そうだな、それがいい」と口々に言うので、吉田も何となく艶子に乗せられてしまった。それはもう、文字通りに。
 まあ、自分よりも、周りの方が艶子の事を良く知っている。そんな彼らが大丈夫だと言うのだから、大丈夫なのだろう……とは頭の中で整理出来たが、艶子に無理をさせてやいないか、その軽々とした動きを見て周りの言い分を納得するまでは、気が気では無かった。こうして、無事に地上に戻れて本当に良かった……と、艶子の無事を確認するように、その姿を眺めていた吉田は、何となく艶子を見続けている。
「? 吉田さん?」
 視線に気づいた艶子が尋ねる。見ていたのを気付かれた吉田は、ちょっとバツが悪そうに言う。
「え、あの、艶子さんのそういう格好って初めて見るから」
 普段はスーツドレス調な服が多く、そしてまたそれが素晴らしく似合っている艶子だが、今は吉田を背負って木に登る為、スポーツウェアに着替えている。そして、緩くウェーブした艶やかな髪も、後ろで1つに括ってある。吉田の見知った艶子とは、逆の格好だ。
「でも、その格好も似合ってるなーって。スポーティーっていうのかなぁ。ワイルドっていうか、格好いい」
「まあ、吉田さんったら……vvv」
 素朴な言葉で吉田からの称賛を貰った艶子は、感激の衝動のまま、吉田を抱きしめていた。あわわ、と同性とはいえとびきりの美形に抱きしめられ、吉田の顔が赤くなる。
「……ワイルド、だって」
「そりゃあ、アナコンダをぶん回すくらいにな……」
 ゴリラやグリズリーを叩きのめす事がスポーツならば、艶子は確かにスポーツ堪能なのだろう。ちょっと前を思い出し、遠い目をする面々。その前で、艶子は吉田をぎゅうぎゅうと抱きしめている。あわわ、と慌てる吉田。
 ベリッ!という音がしたような気がしたのは、おそらく気のせいだろうが、とにかくそれくらい密着していた2人を引き剥がしたのは佐藤だ。
「おい艶子。いい加減にしろ」
 艶子から引き剥がした吉田を、佐藤は腕に閉じ込める。艶子に抱きしめられていた時以上に、吉田の顔は真っ赤っかになった。しかし、腕に閉じ込めてしまったせいで、佐藤からは死角になっていた。佐藤は、こういうタイミングをよく逃がす男であった。
「もう、隆彦ったらケチね。いつもは貴方がしているんだから、たまには私にも分けて貰いたいわ」
「分ける分け無いの問題じゃないだろ。吉田にこういう事をしていいのは、俺だけだ」
 吉田に苦痛を与えない程度に、腕に力を込める佐藤。
「ちょ、ちょっと、佐藤っ……!」
 まさかここでキスなんてするんじゃないだろうな、とその危機感を覚え始めた吉田が、少し焦って言う。あるいは艶子の返答如何で、そんな場合もありえただろうが、ここは艶子が引きさがる形で終焉を迎えた為、被害拡大はしないですんだ。こういう時の艶子には、「大人の余裕」という言葉が良く似合う。そのせいか、佐藤が何だか子供っぽく見える吉田だ。
「――ほら吉田。早く中に入ろう。風邪引くぞ」
 飾り付けは済んだだろ、と吉田を連れて行く。抱きしめていた身体は一旦介抱して、手を握った。大きな掌に包まれる感覚に、吉田は肩を少し戦かせ、真っ赤になる。その吉田の反応は手をつなぐだけなのに初心だな〜、と見ていた周りの心を和やかにする。
「あ、ちょっと待って。ツリー、写メしたい」
 電波の都合で送信は出来ないが、デジカメの代わりにはなる。画像を取っておきたい、と引きとめる吉田に、佐藤はじれったくなってしまう。風邪をひくから、というのは口実で、早く部屋で2人きりになりたいのに。
 ここに居る皆は友達で、仲間であり半ば家族のような存在だから、自分から吉田を取り上げるような真似はきっとしない。が、とにかく一筋縄ではいかないので、学校の女子達にするようなスルースキルも通用しない。故に、吉田を独占するのは困難と言っていいだろう。
「吉田さん」
 携帯に撮り終え、立ち去ろうとする2人に、艶子が言う。
「丁度いい時間だから、お茶にしましょうか。ケーキは勿論、チョコレートもあってよv」 
 甘いものが好きな吉田としては、色々聞き捨てならないセリフだ。
「わー!うん、しようしよう!急いで着替えて行くからね!」
「……………」
 物言いたげな佐藤の視線を、艶子は優雅な微笑み1つで受け流した。
 ほら佐藤、行くよ!とさっきとは逆に、吉田が佐藤の腕を引きずるように屋敷に向かう。吉田と2人きりというメリットが無くなった今では、屋敷に戻る事に何の意義も見いだせない佐藤だった。


 ちっとも帰国後の様子を報告しない筆無精な佐藤を迎え撃つ為、ドッキリサプライズでの来日の場として設けられたこの屋敷に、佐藤と吉田は冬休み初日から訪れた。クリスマスイブに合わせる為、すぐにでも向かう必要があった。
 前と同様、好きな部屋を適当に選んでね、という事で、適当に選んだ好きな部屋に戻り、吉田はベッドの上に腰掛けて一休み……と、いかないのはこの場に居るもう1人のせいだ。折角の美味しいお茶もケーキも、チョコレートも、心底楽しめなかったのも、佐藤がその席で面白くなさそうにしていたから。機嫌を直そうと、吉田がしきりに話しかけても、とうとうその眉間から皺が無くなる事は無かった。まあ、退席しないだけ、本気で怒っているというのではないのも、解るけども。
「もー、佐藤、何?」
 耐えかねた吉田が、自分のすぐ横に腰掛ける佐藤に言った。しかしまるで、解らない吉田が悪い、とばかりにジトっとした眼で見られる。
 この屋敷に初めて訪れたのは、いつぞやの3連休の事だ。その時、一応2人は別室だったが、過ごした時間を思うと同室であったと言っても過言ではないだろう。と、いうことで今回は最初から同室にしてあった。同室の提案は佐藤からで、確かに無駄に部屋を使うのもどうかと思うしね、と吉田は快く返事をしたが、それは佐藤の望んだ答えでは無かったようで、ツリーの一件がなくても佐藤の機嫌は初めからやや斜め気味だった。
 いや、吉田は佐藤の待っていたセリフを解っている。佐藤と同室でずっと一緒なのが嬉しい、と、佐藤は吉田に言って欲しかったのだ。それが解ったから、吉田は逆に言えなくなってしまう。恥ずかしいというか居た堪れないというか、自分の中からの気持ちも上手く処理出来ない事がある現状、佐藤からの気持ちも上手に返せない時もあるのだ。佐藤も、そんな微妙な機敏を解っているから、これくらいでは大きな喧嘩にはならない。……が、面白くないのも事実。
「吉田が足りない」
 ぶすっとした感じで佐藤が言う。どういう意味?と吉田が尋ね直す前、その腕を引き、吉田を巻き込んで佐藤はベッドに横になった。キングサイズのベッドに、大人の一人前と決して呼べない体躯の吉田と寝そべると、何だか笑えるくらい広い。
 やっと近くになった吉田に、佐藤は満足そうに息を吐いた。その様子で、吉田も佐藤の言わんとした事を、何となく把握する。吉田の顔が赤らんでいるのは、密着した身体の熱が上がって行く事で解る。寝転がったまま、という姿勢で、困難ながらも、触れたいと訴える佐藤に応えるよう、吉田も手を回した。
 互いの凹凸を埋めるよう、少しばかりごそごそとした後、落ちつける場所を見つけたように動きを静める。
「全くアイツらは、人のものにベタベタしやがって」
「ひ、人のものって……」
 吉田は顔を赤くし、ちょっと物言いたげに呟いた。そして思い返してみれば、確かにここでは学校で、特にファンの女子に対するようなフットワークの軽いスマートな対処が通用しない場面をよく見た。それを思い出して、ややしてから小さく吹きだすような表情になる。何だよ、と不貞腐れた佐藤の顔。
「俺が皆にからかわれてるのが、そんなに面白い?」
 酷いヤツ、と顔を一層ひどくするが、吉田はそんな佐藤が可愛く見えて仕方ない。
「佐藤も、艶子さん達と一緒だと普通に見えるなー」
 笑いを堪えながら吉田が言う。
「何だそれ。俺はいつでも普通だろ?」
「”普通”の男子のせいで女子が他校とタイマンなんかしませんー」
 最後、唇を尖らせて吉田が言う。今度は、吉田が拗ねる番だった。はっきり言って、当日を迎えるまで本当に佐藤とクリスマスを過ごせるか、気が気では無かった。誘おうとしている女子は何人も居るし、常識が通用しないという面では彼女らも中々のものだと思う。まあ、結局佐藤を脅かす程でも無かった訳だが。
 何もいつも、優しい笑みでもって接していなくてもいいのに。そんな事しなくても、女子の態度はきっと変わらない。相変わらずモテて、本人の意図せずに騒がれるのだ。
 佐藤は気にする事は無いと言うが、そんな中に居て気が休まる筈も無い。
 初めて、佐藤の友人たちの集まる場に来た時は、疎外感に悩まされたりもしたけれど、今はもうそんな懸念は克服出来ている。ここに居る皆は、自分が佐藤の傍に居るのを許しているし、それ以上に祝福している。奪われる不安に駆られる必要が無い、という安息を得ているのは、実は佐藤だけでもなく吉田もだった。ただ、佐藤の方は強い独占欲の故に、多少面白くない面も孕んでいるが。
 学校でのあれこれを思い出す吉田の顔が、無意識に剥れていく。それを見て、逆に佐藤の口元に笑みが宿る。
「吉田」
 さっきまでとは打って変わって、嬉しそうな色すら含んだ声で呼ぶ。吉田からの視線が合ったのを見て、佐藤はそっと額にキスをした。寝転がったままのキスは、何故だか普通の姿勢よりも気恥しい。
「――わぁっ!」
 佐藤が、吉田を抱きしめたまま仰向けになる。吉田は、完全に佐藤の身体の上に乗る形になった。
 重いんじゃないか、苦しいんじゃないか、と吉田が慌てて体勢を考えていると、そんな必要はないと佐藤がごそごそ動く吉田の肢体をしっかりだきしめた。少しだけ身体の位置を動かし、顔の場所を同じにする。そうして、口付け。
 自分が上になっているせいか、吉田はなんだか自分がこのキスを仕掛けているように思えて、やたら恥ずかしくなった。いつもより早い段階で動悸が上がっているのは、気のせいでは無い。
「ん………っっ!!!」
 口内でも繋がりを求めるような熱いキスを受け入れていると、突如佐藤の大きな掌が明らかに抱きしめるとは別の意図で、動き始めたのに吉田が眼を見張る。
 華奢な吉田の身体のラインを辿る様にゆっくり動き、柔らかい所を堪能する。悪い意味で痩せっぽっち、と吉田がコンプレックスを抱く肢体は、けれど佐藤を十分昂らせてくれる。
 吉田が手の動きで感じているのは、些細な震えで佐藤も気付いた。このまま流されてくれたら、と思ったが、それは甘い考えの様だった。首を動かし、佐藤の唇を振り切る。
「だ、誰か来たら……!!」
「大丈夫だって。皆も気を遣ってここには来ないだろ」
 ここも、学校のように多数の人が点在する場かもしれないが、自分たちの事情を知っていると言う点では大いに異なる。
 吉田もその辺りは解っているようで、身体の熱からわき上がる涙の溜まった眼が訴えるのは、見られる恐怖ではなく、純粋な羞恥だった。
「で、でも……んんっ!」
 簡単に片手で掴まれる吉田の後頭部を引き寄せ、中断されたキスを再開する。さっきよりも激しく、吉田の快楽に直に響く様に。背中を重点に撫でていた手も、そろそろと下肢に伸びる。時々心配になる程細い腰を撫で、太股に移る。まずはスカートの上から撫でて、満を持したようにじれったい動きでスカートの裾から、その中へ手を伸ばす。
 その動きを知りながら、今度は止めるまでの抵抗は吉田からは無い。佐藤の部屋で2人きりというシチュエーション以外で、吉田がこうも素直になるのは結構珍しい。まあ、他の場所と言えばせいぜい教室かオチケン部室なくらいなものだが、その時は抵抗の意思がまだ長い。ここに居る皆が、自分たちを歓迎しているという事が、やっぱり吉田にも影響を及ぼしているのだろう。今更ながらに、良い友達を持ったと思う佐藤だった。
 離れるのが惜しいと、密着したような体勢で佐藤は器用に吉田の胸元のボタンを外して行く。露わになる胸に、吉田は身体を震わすだけで拒みはしない。
 まだ日も高い。この後の事も考えて触れよう、と思っているが、果たしてその歯止めがどこまで効いてくれるか。
 まあ、なるようになるか、と施す側ながらに昂りで息が上がって来た佐藤が、半ば無責任な事を思った時だった。
 ガチャッ!!
「おーい!ジャックが皆集まれって呼んで……
 ………………………………………………………………………………
 ………………申し訳ございません」
 バタン。
 突然の来訪者のショックに、さすがの佐藤も膠着したという。



「……なあ、お前、見ただろ」
「み、見てないってば」
「本当か?実はそう言って見たんじゃないのか。バレた時、どうなるか解ってんだろうな……」
「う、わ、解ってるよ!だから、見て無いって言ってるだろ!もう勘弁してくれよー!!」
 納豆より粘着に質問しているのは佐藤で、質問されているのは先ほど思いっきり野暮な真似をしてしまった人物だった。ちなみに何を見た見て無いのやり取りをしているのかと言えば、可愛い吉田の可愛い下着についてである。ドアが開いた時、佐藤はスカートを結構たくし上げていたのだった。
 佐藤の心の狭さをとてもよく解っている吉田は、その後の彼の運命を瞬時に予感し、佐藤に対し絶対に蹴ったり殴ったり首を絞めない様に(←山中の時に学習)約束させた為、とりあえず命拾いは出来ている。さすが天使だ、とこっそりなだらも盛大に讃えた。とはいえ、直接的な命の危険は無いかもしれないが、さっきから延々こんな感じで佐藤に質問攻めされていると、別の何かが削り取られているような気がしなくもなくも。やっと解放された時、5キロくらい痩せた様な気がした。いや違う、痩せたと言うより、やつれたなのだろう。
「よし!皆集まったようだな!」
 その様子如何はすっ飛ばして、そこだけを見てジャックは言った。
 みんなを集合させて何をするんだろう。ゲームでもするのかな、と楽しい予想を立てていた吉田の耳に、かなり、とんでもない衝撃的な内容のセリフが飛び込む。
 ジャックは、朗々とこう言った。
「よーし!じゃあ、肝試しをするか!!」
 と。


「や………だ!やだやだやだ―――!!絶対しないから!っていうか、何でクリスマスに肝試しなんかやるの!!?」
 一瞬、クリスマスと肝試しが結びつかなくて、聞き間違いかと思ったが、現実逃避よりもそれを受け入れる能力が勝ったらしい。
 必死に中止を訴える吉田に、しかしジャックは怪訝そうだった。
「ん? 嫌なのか? だって、日本人は皆が集まる場では夜になったら肝試しをするもんだろ?」
「違うとは言わないけど、それは夏の事で……!
 あっ!佐藤!佐藤だな!こんな適当な事を言ったのは!!!」
 どうも今の言い方からして、ジャックの独断というよりは誰かが意図的に吹き込んだ事のように思えた。そして、そんな事をするのは、佐藤くらいしか知らない。
 吉田の猛抗議に、しかし佐藤はしれっと「あ、バレた?」と軽いものだ。
「? ねえ、きもだめし、って何なのかな?」
 ヨハンがちょっと首を捻り、誰とも無く尋ねる。確かに、それに該当するような他国語はあまり無いかもな、なんて事を、吉田の猛抗議を子猫の悪戯程度に受け取りながら佐藤はつらつらと思っていた。
 ヨハンの疑問に、力いっぱい答えてあげたのは、吉田だった。
「怖い話とかした後に怖い事して怖い思いする事なんだよ!」
 吉田が、さも一大事のように説明する。その必死さはいっそほのぼのとして見えたが、ヨハンもまた吉田と多少種類は違うかもしれないが、恐怖や危険は避けて通りたい性格だ。「きもだめし」の内容を聴いて、顔を青ざめた。
「ほ、本当?ジャック!?」
「おうともよ。この為に集めた、ヤバくて上映できなかった発禁モノが山ほど」
 ジャックが得意げに言う。
 テーブルの上にあるDVDは、そんな禍々しいものだったのか。吉田は、知らず距離を取る。
「え――!やだよ、そんなの!どうしてわざわざ怖い事しなくちゃいけないの!?」
「だよね!だよね!そうだよね!!」
 理解が出来ない、と言った風のヨハンに、吉田が全力で頷いた。そんな様子を眺めて、佐藤がそっとジャックに言う。
「ああいう奴を無理やり参加させて楽しむのが、肝試しの醍醐味なんだ」
「おお、それはクールだな」
 ジャックが言う。まあ、確かに肝を冷やすだろうけど。
 佐藤のセリフはしっかり吉田の耳に届いていたようで、冗談じゃない!!と憤った。
「そんなのやりたいなら、勝手にやればいいだろ!絶対、出ないから!」
「僕も嫌だ!出たくない!!」
 この場で互いが唯一の同胞となった吉田とヨハンは、どちらともなく、視線を合わせ、合意を確認した上で頷く。そして断固拒否の姿勢として、この場からの撤退を選んだ。
「もう、ヨハンの部屋に行くから!バイバイ!」
 佐藤のバーカ!とばかりに舌を出して、ヨハンと共にてとてとと歩いて広間から去っていく。
 ヨハンがここまで吉田と同調するのは、佐藤にとって少なからずの計算外だった。味方を手にした事で、吉田の態度が強固になってしまった。まあ、晩飯の時にでも呼びかければ、餌効果も手伝って、その頃には怒りも収まっているだろう。
「よろしかったの?引き留めなくて」
「まあ、あそこで留めても、ヨハンを巻き込んで余計にややしくなるだけだからな」
 それに、どちらかと言えばからかわれる側にあるヨハンとなら、2人きりにしても大丈夫だろうし。……多分。
 いやしかしどうだろう、何せ吉田は天使のように可愛いからな……と、やや遅れてやってきた危惧を佐藤が抱いている時、ジャックが何気に尋ねる。
「なあ、隆彦。後のためにちと聞いておきたいんだが」
 なんだよ、とそっけなく返す佐藤。
「元カレと現カノが一緒に居る時、どういう顔すればいいんだ?」
「……何だ、元カレって」
 薄々、というか解っている事だが、言わずには居られなかった。
「そりゃヨハンの事だよ!お前の事好きだったの、知らないとは言わせねえぞ」
「そういや、帰国寸前の時、ヨハンと良い感じだったよなー」
 別の誰かが声を上げる。
「あのなぁ……ヨハンとは良い友達だって。それ以上でも以下でも、以外でも無い」
「でも強ちまるで何も無かったとは言えないだろ?」
「………………」
 そう言われて脳裏を過ぎるのは、靴を舐めろと命令したかつての自分だった。ある種疾しい事と言えなくもない。
 あの頃の事を、本当に包み隠さず吉田の知る所になったら、軽蔑され侮蔑を食らった挙句に捨てられても文句は言えないと思う。そんな風にブルーになってる佐藤の傍ら、「あー!俺もモテてぇなー!」とジャックが無邪気に喚いていた。


「もー!佐藤ってば、ホントにいつも詰まらない事ばっかりするんだから!」
 一方、ヨハンの部屋に辿りついた吉田は、椅子に着くなり早々、盛大に佐藤に文句を言う。
「いつも?」
 ヨハンが気になった所を反芻する。うん、と吉田はその通りだと断言するように頷く。
「ちょっとこっちが油断してると、いっつも変なチョコ食わせてくるの!辛いのとか、この前は変なガムまで!!」
 どこで見つけて来るんだ!と若干怒りの方向がズレる吉田だった。
「へえー、そうなんだ……」
 いっそ感心したような口ぶりになってしまったのは、新しく知った事だからだろう。
「ヨハン達と居た時は、そういう事しなかったの?」
 吉田に尋ねられ、ヨハンはうかつな自分の発言を悔いた。女を食い散らかしていたあの頃の佐藤を暴露するのは、吉田との関係に核爆弾並の破壊力を齎すに等しい。
 うっと言葉を詰まらせたヨハンだが、吉田からの昔の佐藤を知りたいと言う純粋な願いを見えてしまった後では、誤魔化したりはぐらかしたりするのは気が引ける。佐藤が、施設に居た頃を冷静に打明けられるようになるのには、まだまだ時間を要するだろう。その間、ずっとヤキモキしなければならない吉田の事を思うと、まだ他人事で言い易い立場の自分が、ある程度告げるくらいは許されると思いたい。
「う〜んとね、あまり周りに関わらないようにしてたというか……まあ、話しかければ、普通に答えてくれるんだけどね」
 そうなんだ、と呟いて思い出すのは、小学校の時の、肥満体形だった佐藤だ。吉田とヨハンの記憶にある佐藤の姿は、現在を覗くと重なる事が無い。
 あの頃の佐藤も、周囲との接触を拒んでいた。最も、その時は周囲も佐藤を拒んでいたというか、苛めていた訳だが。それが無かったら、佐藤はどういう態度だっただろうか。変わらないか、あるいは打ち解けていたか。
 しかし苛めの事実が無い場合、吉田も佐藤と関わる機会も無かったと思うと、複雑な気持ちになる。なんだかんだで、2人の関係の馴れ初めなのだから。
「……ねえ、隆彦との事、聞いても良いかな」
 あくまでそっと、簡単に断れるような口調で、ヨハンが言いだす。
「えっ?佐藤との事って…… ………… …………………」
 みるみる真っ赤になっていく吉田に、ヨハンは質問してしまった事自体を謝りたくなった。
「いやあの、そう踏み込んだ事じゃなくて、デートするならどこに行ってるのかなーってくらいで!!」
 日本にどんな所があるのか、良く知らないから!とヨハンはさらに付けた足した。が、吉田の表情は依然と困ったまま。
「……デートっていうか……佐藤の部屋でごろごろしてるのが多いかな」
「えっ、そうなんだ?」
 さも意外だ、という声でヨハンが言った。
 施設に居た頃の佐藤は、ジャック達の「外出」は早々に飽きたようで、部屋に籠りがちだった。だから、佐藤がごろごろしているというのは解るが、それに吉田が付随しているのは少し意外だった。
 だって、と吉田はやや不貞腐れたように言う。
「外に出ると、スカウトの人とか、女の人がナンパしてきて、ゆっくり話せないから……」
「……ああ」
 思いっきり納得できたヨハンだった。
「なんていうか……大変だね、って言うべきなのかな」
 少し苦笑してヨハンが言う。
「うん……でもね、遊びに行くならまだ良い方で、学校に居る時とかもっと酷いの!女子が他の学校の人とタイマンするし、美術の時間には独占権とか出るし、でも、何が腹立つって、佐藤が女子に良い顔ばかりしてちゃんと断らない事!!」
「そ、そうなんだ」
 あの隆彦が他人に良い顔?と意表を突く事実にも驚いたが、それ以上に吉田の剣幕に圧されるヨハン。
 それでね!と吉田は続ける。
「自分がそんなのな癖に、こっちがちょっと絵のモデルを引き受けたくらいで、もう凄いヤキモチしてきて……」
 その時の気持ちをそのまま鮮やかに再現しているように、吉田は感情も露わに切々とヨハンに語った。
 怒りの顔を浮かべ、声を荒げて言いながらも、その裏にちゃんと見える佐藤への気持ち。こんなに色々覚えているという事は、それだけ佐藤の事で頭が一杯と言う事なのだろう。果たしてその自覚があるのかどうか。
「それから……って、佐藤の事はいいよね。あ、ゲームやろう!やりたい!」
 ある程度話した後、佐藤の事ばかり話している自分に恥ずかしくなったのか、部屋にあったゲームをやろうと吉田が誘う。
「沢山あるねー。ヨハンの?」
 国内にある主なハードは全部揃っている、と言って良かった。
「うん、僕、ゲームが結構好きだからって、艶子が揃えてくれたんだ。プレゼントだって」
 その嬉しさからか、ヨハンは照れくさそうに言う。嬉しそうなヨハンを見ると、吉田もなんだか嬉しくなる。佐藤はたまに、まるで他に縋る場所が無いとばかりに、吉田を見つめるから。それはきっと、昔助けたのが吉田しかいなかったとう記憶が、そうさせているのだろう。艶子やヨハン達を見ると、佐藤に差し伸ばされる手がいくつもあるのだと、吉田は安堵出来る。
 そして勿論、吉田も佐藤の手を掴んで居たいと思っている。これからも、ずっと。


「……何度も言うけど、肝試ししないから。絶対」
 夕食の支度が整った、と呼びに行けば、案の定というくらいに吉田はすんなり出て来てくれた。ゲームをしていて、腹が減ったのもあるだろう。
 夕食は、バイキング形式。それぞれ、大皿に盛られた料理を、自分の好きな様にとっていく。そしてまた、作る方も好きなように作っている。
 ジャックも佐藤と同じように、悪乗りする傾向がある、と睨んだ吉田は、くどいくらいにジャックに繰り返した。こんなに美味しいものばかりの場所から、さっきみたいに立ち去るのは出来れば避けたい。
「解った解った。吉田はホントに肝試しが嫌なんだな〜」
 可愛らしい、とジャックが笑って言う。
「っていうか、あれを面白いって思えるのが解らない!」
「そうかー?話し聞いただけでも、ちょと楽しそうに思えたけどな」
「どこが!!?」
 こんな風に吉田が誰かと楽しく話していると、必ずと言って良い程佐藤の姿がしゃしゃり出るのだが、その場に佐藤は居ない。何故なら、今はヨハンの近くに居たからだ。
 これが少し前なら、自分の事を気にかけてくれていると、ヨハンはそれこそ天にも昇る気持ちだっただろうが、佐藤の関心は彼の視界の中の自分では無い事が十分すぎる程解っているから。
「隆彦。僕が吉田と何を話したか気になる?」
「……気になると言う程のもんじゃないけどな」
 佐藤はそう答えたが、それは嘘同然だとヨハンにも解った。
 施設の時の頃は、黒歴史を通り越して暗黒時代とも呼べる佐藤は、その辺りを知っている友人とそこを隠している吉田が同じ空間に居ると、同席して何を話すか確認したい衝動にかられる。別に仲間を疑う訳でもないが、吉田も鋭い所は鋭いから、どこで事実を知り得てしまうかが気が気ではないのだ。
「ほんのちょっとだけ。今の隆彦とは大分違うね、って事を話したくらいだよ。
 施設を出る前にジャック達の言った事、佐藤、実践してるんだね」
 帰国の旨を聴いた時、無愛想で仏頂面の佐藤を心配してジャックが帰国したらもうちょっと笑顔を浮かべるようにと進言したのだ。その結果吉田が被害を被ってるとなると、申し訳なく思う。ジャックがあれこれ吉田を構うのは、そこに理由があるのかも、とヨハンは思った。
「後は一緒にゲームをしたくらいかな。とっても楽しかったよ」
「………そうか」
 佐藤としては、恋人と友人の間に良好的な親交があるのは、嬉しい半面、妬けてきてしまう。特に、自分の見えない所でされると。
 そんな佐藤の葛藤は顔に出ていたらしく、ヨハンが小さく笑う。何だかバツの悪い佐藤。
「ふふっ、隆彦に妬かれるなんて、ちょっと光栄かな」
 なんだそれ、と佐藤が突っ込む。それを面白そうに眺めるヨハン。
 こんな風に佐藤と話しあえるなんて、本当にちょっと前までは考えられなかった事だ。
 佐藤を庇って怪我をした一件以来、何となく避けられていて、それは無事に和解は出来たけども、それでも佐藤の中でヨハンが友達以上になる事は無かった。ヨハンは佐藤への気持ちを抱えたまま、ずっと友達としての付き合いを続けていかなければならないのかと思うと、多少憂鬱にもなった。
 ――佐藤が、好きだった。周囲に振り回される性質だから、周りの目を気にせず自分のしたいようにする佐藤に憧れた。でもそれは佐藤の全てでは無かった。佐藤は思いっきり周りに捕われていたのだ。ただ、逃げている自覚をしていなかっただけだ。そんな佐藤に、ちゃんと向き合う事を選ばせたのは、やはり吉田なのだろう。だから、吉田こそ佐藤の隣に居るべきなのだ。そんな風に心から思えるから、ヨハンは友達として佐藤と接する事が出来る。
 佐藤に告白をしたら、そして断られたら、もうそれ以前には戻れないと思った。それなのに、今、こうして何の蟠りも無く、ふざけ合うような会話も出来る。
 それはヨハンにしてみれば奇跡に等しくて――それを起こしてくれたのは、きっと吉田だ。
「ヨシダって、本当に良い子だね。佐藤が選んだ人なら、僕、どんな人でも祝福しようって思ってたけど、でも隆彦と付き合ってるのを自慢するような子だったら、ちょっと嫌だったかも。
 だけど、ヨシダはとても一生懸命に隆彦の事を想っていて……なんだか、応援したくなっちゃう」
「……………」
 ヨハンから告白された事を、勿論佐藤も忘れた訳ではない。立場的には敵対するかもしれないヨハンに、そんなセリフを言わせる吉田の寛容さに、今更のように佐藤は思い知った。
「そうそう、話を聞いて思ったんだけど、誘いを断るのにヨシダを言い訳に使うなんて、酷過ぎるんじゃない?
 あんまりヨシダに酷い事すると、僕が取っちゃうかもよ?」
「―――なっ!!?」
「ふふ、隆彦、凄い顔してるよ」
 慟哭したような佐藤を、ヨハンはそう揶揄した。
 隆彦にこんな顔をさせるなんて、ヨシダは本当に凄い。
 改めてその念を強くし、今の佐藤の声で振り返った吉田の姿を見る。佐藤の姿を見つけ、吉田の表情が輝く。佐藤も、こちらに近寄る吉田の姿を眼に止めて、口元を優しく緩ます。
 馬に蹴られたくないからね、とヨハンは不自然にならないように、そっとその場を離れた。



*次の日(クリスマス)に続きます〜