吉田はそれをマジマジと見た後、手に持って思わず感嘆の声を上げる。
「凄ーい! こんなに大きくなるんだ! これじゃ、口に入らないかも!」
「………………」
「ん? どしたの、佐藤。何だか微妙な顔して」
「別に」
 と、佐藤は素知らぬ顔ですっ呆けてみせた。
 そんな佐藤の横で、吉田が手にしているのはそれはそれは大きな――メロンパンである。メロンパンである(念の為2回目)
 そのメロンパンは巨大さをウリにしたもので、吉田の顔の大きさにすら匹敵しようかという勢いだった。どうやって作ったんだろう〜、と吉田は関心しつつ、感心もしていた。
(……今の吉田のセリフ……録音しておきたかったな)
 夜用に、と大変下世話な事を佐藤が考えているとは露知らず、吉田はにこにことメロンパンに喜んでいる。実に無邪気だ。
「食べて良い?」
 勿論、と佐藤が頷くと同時に、吉田ははぐぅ!とメロンパンに食い付いた。幸せを噛み締めるように齧り付く吉田を見ると、佐藤もこのメロンパンを朝イチで買いに行った甲斐があろうというものだ。むしろ、お釣りが来るかも。
「ん〜、おっきいし、美味しい〜vvv」
 パンくずを口の端につけながら、吉田はご満悦な具合に言った。
「……………」
「あっ、佐藤も食べる?」
「いや……」
 佐藤からの視線を感じた吉田が言う。しかし、佐藤が食べたいのはメロンパンでは無く、吉田の方なのだった。ああ、今のも録音すべきだった……なんていう取るに足りない後悔をしながら、特製巨大メロンパンを齧り付く吉田を、佐藤は幸せそうに眺めたのだった。


 そんな事があってから、暫く。
 その日の佐藤は、ロールパンを用意しておいた。ロールパンはチョコレートの生地がマーブルに混ざったものだ。そのままで十分おやつになる。これとミルクたっぷりのコーヒーを、英語との戦いにぐったりしている吉田へと差し出した。パンに気付いてか、すぐにがばりと起き上がる吉田。相変わらず、手を付ける前に「食べていいの?」と聞いて来る。母親から口うるさく言われてるのかな、と佐藤は思った。
「いただきまーす」
 吉田は嬉々としてパンを手に取った。そして、そのまま口に運ぶのかと思いきや――いや、途中までは確かにそのつもりのように、口元までパンを持って来たのだが。
「……………」
 何かを思ってか、吉田は口を付けず、ロールパンをぶちっ、と毟った。それから、もそもそと口に運ぶ。明らかにいつもと食べ方が違った。
「ん? 何かあった?」
 パンに気になる事でもあったのかと尋ねると、「そ、そうじゃなくて!」と何だか慌てた風に吉田が答えた。
「べ、別に、もう高校生なんだから、直接パクついたりはしないの!佐藤だって、ちぎって食べてるじゃん」
「まあ、そうだけど……別に、あまり気にしなくていいと思うけどな、俺は」
 今の吉田を見てると、目に見えて慣れていなくて、一口立ちにちぎる事に気を取られ過ぎて食事を楽しめていない感じがする。食事のマナーなんて、要は同席者が不快に思わない為の気遣いなのだ。その範囲に留まるなら、多少の作法なんて無視していいとすら佐藤は思っている。ここは、正式な会食の場でも無いのだし。
 直接パンに齧り付くのはマナー違反かもしれないけど、吉田の食べ方はむしろ小気味いいくらいだ。最もそれは惚れたものの欲目なのかもしれないが。
「でも……うーん………」
「何だ、誰かにバカにされたのか?」
 佐藤が言ってみると、バカにされたのとは違う、と吉田は言う。
「……母ちゃんがさー」
 と、言いつつ食べかけのパンを手で弄ぶ。
「そんな、直接齧り付くような食べ方だと……」
 食べ方だと?と佐藤は胸中で反芻した。
「……いつか恋人が出来た時、デートで恥かくって……」
 言葉が進むにつれ、吉田の顔の赤みが増して行った。
(成程な)
 と顔に笑みを灯した佐藤は、得心した。母親がどういうつもりで言ったかはさておき、いつかではなく、すでに恋人がいる吉田としては、のっぴきならない問題と受け取ったのだろう。そして、こうして練習しているという事だ。今もぶちぶちとパンをちぎっているが、それは練習とはまた違うようだが。
「まあ、俺は別に、いつもの吉田の食べ方、いいと思うけどね」
 もしも吉田が取り違えていた可能性を思い、佐藤は言った。吉田と外食して、気分を害した時なんて一度も無い。顔を顰めてしまうのは癖だし、むしろ自分と同席する事で迷惑を被っているのは吉田は無いだろうか。隙あらばと、しょっちゅう従業員が自分達のテーブルに立ち寄るのだから、ゆっくり食事をしている気分に浸れない。
「んー……でも、井上さんもとらちんも、こうしてちゃんとちぎって食べてるし……
 すぐに慣れないなら、やっぱり今の内からしておこうかなって」
「そっか」
 母親に言われたのはあくまできっかけで、吉田の中でそういう意識がすでに芽生えていたという事か。こうして家の中なら構わないかもしれないが、正式で厳かなマナーを守るべき場に着くのだろうし。今後――大人になるにつれ。
 その時、自分は吉田と共にいるのだろうか。将来の事を考えると、漠然とした不安が先立ってしまう佐藤は、無意識に思うのを避けている。が、やはり考える必要は現れては覗く。
「手つきが慣れてないからって、からかうなよな」
 むぅ、と少し剥れるように、吉田が言った。どうも吉田は丁度良い大きさが掴め兼ねているようで、その辺りがおぼつかない手元の原因となっているようだった。
「からかわないよ」
 佐藤は微笑んで言う。それから、でも、と続けて。
「練習ばっかりでも疲れるだろ? ほどほどにしておけよ」
 とりあえず、今日はこれまで、とばかりに、佐藤は吉田の手から半分になったロールパンを、直接口に突っ込んでやる。元からさほど大きくないパンは、半分となった大きさなら無理やり詰められた所で重大になる事も無かった。それでも、むぐぐ、と若干口の中を詰まらせる吉田。そんな様子を見て、あはは、と佐藤はいっそ無邪気に笑う。
 ――今は慣れないけれど、きっとその内慣れるのだろう。自分にも覚えがある事だ。
 こうして、段々と吉田は大人になっていくのだと思う。対し、自分はどうだろうか。ちゃんと成長してくれるのだろうか。
 置いて行かれるというのなら、今の時間を止めてしまいたい。そんな契約書を携えた悪魔が現れたら、サインしてしまうのだろうか。佐藤はふと思った。
「佐藤は?食べないの?」
 むぐむぐ、と2つ目をいつものように直接齧って食べながら吉田は佐藤に言った。
「美味しいから、ほら」
 そもそも佐藤が買ったものなのだし、と吉田は勧める。
「俺はいいよ……、」
 言いかけ、何かに気付いた佐藤は、にぃ、と意地悪そうな笑みを浮かべる。吉田はちょっと嫌な予感を感じ取り、間を開けようとするが無駄なあがきだった。手を引かれ、頬に口付かれてしまう。そして、ペロリとした感触。パン屑がついていたらしい。
 手で取れ!その前に、口で注意しろ!真っ赤になって喚く吉田は、佐藤の腕の中なので、迫力には欠けた。
 いつか人前で綺麗に食べれるようになっても、自分の前だけではこんな無防備な姿を見せて欲しい。
 そんな思いを込めて、佐藤はもう一度吉田に口付けた。唇に――



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