「へえー、洋子ちゃんの学校の」
「うん、次の土日が学園祭なんだ」
 そう言って秋本から手渡されたチケットは、手触りからして手作り感ただようものだった。さすがに女子高なだけあって、ほんわかというか、ふんわりとしたイメージが、チケットの時点から漂う。
「良かったら、来てみてね」
「うん、行くよ」
 快い返事をしてみせた吉田に、秋本はちょっと安堵したような表情を浮かべた。おそらく、このチケットは余りモノではなく、人を収集するようにと配布を頼まれたのだろう。あの可愛い幼馴染から。元から人の良い秋本だ。2つ返事で引き受けたのだろう。
 そういう役割でなら、吉田は自分が打ってつけだな、と思った。ちょっと気になる女の子が居る学校、しかも女子高に男子をホイホイ入れるのは躊躇われるし、女子だとしても自分なら洋子にも顔が割れているので、変に勘ぐられたりする事も無いだろう。まさにベストなチョイスだ。
 チケット1枚で3人まで入れるらしい。当日の注意事項が箇条書きで連なっているチケットの裏面を見て気付く。まあ、こういう所で1人で行くのは稀だしね、と吉田はなんとなしに胸中で呟く。
(……佐藤、どうかな)
 なんだかんだで、こういった場面ではすぐにその顔が浮かんでしまう。相手の予定も知らない内から。
(まあ、とりあえず、聞いてみるだけ聞いてみよう)
 てこてこと佐藤目指して、吉田は足を進めた。


 それまでは、風船なんか片手に持ちながら、もう片方は佐藤と繋いで他校の学園祭を満喫する自分の姿を思い描いていた吉田だが、その週末は実家に帰ってしまう、という佐藤の返事を聞いた時に、そんなイメージはそれこそ針でつついた風船のようにぱちんと割れた。いっそ儚いくらいに。
「昨日、っていうか昨夜連絡が来てさ……今日言おうと思ってた」
 ただえさえ、吉田と離れてしまう事で気分は憂鬱なのに、そんな素敵イベントが待っていたとなれば、残念さも一入というものだ。そっか、と頷きながらもしょんぼりしている吉田も可愛くていいけど、やっぱり一緒に遊びに行きたかった。
「ごめんな、吉田」
「っ! べ、別に謝る事じゃないって!そんな!」
 佐藤に謝罪させるまでに、態度に表れていたのかと思い、吉田は慌てて取り繕った。その慌てプリが可愛くて、佐藤はクスクスと笑う。からかわれている笑いとは言え、綺麗に微笑む佐藤に、吉田の顔も熱くなる。
 実家に戻ってしまうのは寂しいけど、その分部屋で2人きりになる機会に恵まれている。愛し合う場所に困る高校生としては、むしろ恵まれている身分なのだろう。とはいえ、やっぱり寂しいのだけど。
「んー、まあ、そういう事なら1人で行って来るよ。一応洋子ちゃんに顔出しとくかなきゃ」
 義理というか秋本への顔立てというか。勿論純粋に楽しみな部分が多いけど。
「俺も行きたかったなー。女子高の学園祭って、どんなもんだろうな」
「…………佐藤も、興味あるんだ」
 何気なく呟いただけのセリフだったが、その後、吉田からややじっとりとした視線を感じ取った。自分の発言を思い返し、ああ、と佐藤は納得する。そして、微笑む。
「何、妬いた?」
「なっ!なななな、そんなんじゃ!!!!」
「普通に気になっただけだよ。吉田が行く場所だし。
 まあ、秋本の幼馴染が居る所なら、そうそう可笑しな場所じゃないと思うけど」
 さりげなく秋本への信頼が窺えそうなセリフに、吉田はちょっと嬉しく思う。
 佐藤が秋本と顔を合わすのは、吉田の付き合いが始まった前後からだろうが、これまでの付き合いで人となりは互いに知りえた仲になっているようだ。普通の男子と普通に仲の良い佐藤は、見ていて和むというか、少なくとも女子と話しているよりかは平和的でいい。
 そういえば、洋子は彼女の友達から佐藤の写メを見せて貰った、と以前話していた。行けないのは勿論残念だけども、ある意味来れなくなって良かったのかも、なんて思う吉田だった。


 さて、学園祭当日。土日開催の中で、吉田は日曜日に行く事にした。
 バスを乗って初めて訪れた高校に、吉田は足を踏み入れた。女子高と聞いたから、何となく勝手に女子ばかりをイメージしたていたが、実際に来てみるとそうでもない。男子も結構いる。それこそ、共学かと思えるほどに。
 この場所に居る男子は、もれなく全て招待客、という事か。つまりは、ボーイフレンドとか彼氏な訳で、何だか訳も解らず顔を赤らめる吉田だった。あるいは家族かもしれないというのに。
 黒うさの制服が可愛いのは知っていたが、それを身にまとう生徒もまた可愛らしい女子ばかり。
 一般開放ではなくチケット制にした理由が、何となく解る気がした吉田だった。
 模擬店は教室を利用して作られている。クラス表示板が、今日だけは店名の看板になっていた。洋子の所も然り。
「ああー!豊作ちゃんのお友達!来てくれたんだー!」
「うん、チケットありがとね」
 洋子は自分の姿を見つけるなり、歓迎してくれた。上着を脱いだ制服に、フリルが可愛いエプロンをしている。彼女のクラスはカフェを催していた。
 席に案内して貰い、パンケーキセットを御馳走になってしまった。パンケーキにはハーブが入れられていて、一風変わった風味を味わえた。セットに貰ったドリンクはいちごミルクで、仄かなピンク色が見ていて和む。
「秋本はもう来たの?」
「うん、昨日来てくれたよーv」
 頬に手を当てて、えへへと笑う洋子は吉田から見てもとても可愛らしかった。これほど、傍目見て解る程の好意を寄せられているのに、幼馴染の関係から一歩踏み込めない秋本が解らない……と言いたい所だが、吉田は秋本の気持ちの方が解ってしまう。あんまり相手の容姿が優れていると(そして自分の方がいまいちだと)気遅れするというか、申し訳ないというか。それに、折角今現在、幼馴染という関係で結ばれているのだ。それを壊してまで、違う関係を築くのは躊躇する所だろう。
 吉田の場合、関係が停滞していたら、おちょくられてからかわれる日々が続くだけなので、ある種頷きざるを得ないと言うか、そっちの方がマシかな的な感じがあったかもしれないが。しかしお付き合いをしている現在でも、おちょくられたりしているのを思うと、どっちもどっちだったのかもしれない。
 まあ、こういう関係は損得で結ぶものじゃないのだ。そうだと言う人も居るかもしれないが、吉田は思わない。
 頭で考えるよりも、勝手にそうなっていた。そんなもんじゃないだろうか。良くも悪くも。
 昨日、秋本と遊び回った洋子は、今日が店番のローテーションだそうだ。案内出来なくてごめんね、との旨を貰う。
「その代り、って訳でもないけど、これあげるね」
 そう言って手渡せたのは、所謂無料券。バザーを覗いた模擬店全てが対象なのだそうだ。わあ、と吉田が嬉しそうな声を上げる。
「ありがとう!」
 両手で受け取った吉田に、洋子もにこにこする。そして、在校生ならではの裏情報を教えてくれた。
「1年はスイーツ系が多いけどね、2,3年になると軽食出してる所もあるよ。生パスタ出してる所がお勧めかな〜
 あと、体育館全部使った巨大迷路。難しいけど、出れたらその分楽しいよー。記録更新したら記念品も出ちゃうんだから」
 洋子の言うそれらは、おそらく昨日秋本と一緒に回った所なのだろうと思う。凄く嬉しそうな表情が物語っている。
 心から好きな人の事を話している顔は、どんな人でも可愛くなれる。……若干の例外は居るけど、と思った吉田の頭に某ダメ人間がちらついはのは言うまでも無い。ぞこどの癖っ毛の。
 パンケーキは食べ終わったし、人が混んで来た。そろそろお暇しようと、吉田は立ち上がる。
「それじゃ、洋子ちゃん………」
「――きゃあッ!!」
 驚いた声の少し後、パシャっと何か落ちたような音。そして、胸から腹に掛けて濡れた感触に、吉田は目を向けた。みれば、解けた氷で水っぽくなったジュースが、腹の上あたりにぶちまけられていた。 
 本人よりも周囲の方が理解に早く、ちょっとしたざわめきが走る。
 状況を整理すると、ウエイトレス役の生徒が、ほぼ目の前で立ちあがった吉田に驚いて、運ぼうとしていた食器を落としてしまったのだ。食器はプラスチックだから、割れるという事は無かったが。
「わああ、大変ー!」
 というのは、洋子の声だった。すぐさま、エプロンに入っていた布巾で吉田にかかったジュースを拭きとる。しかし、掛った量は結構あったらしく、布でふいた程度では収まってくれなかった。少なくとも、このままで歩き回るのは無理だろう。
 どうしよう、どうしよう、とジュースをかけてしまった女子の声に、吉田も何となくおろおろしてしまう。何だか、自分の方が悪い事をしたような気になって来た。
「今から洗って乾かせば、帰る頃には乾いてると思うよ」
 冷静な別の女子が言った。
「そ、そ、そっか、それじゃ………」
「こっち、こっちよ!」
 この場で脱ぎそうな吉田の手を取り、洋子は別室へと向かう。おっとりした喋り方の洋子だが、動くべき時は動く。秋本の可愛い幼馴染は、しっかりものだった。


 吉田の着ていたパーカーは白色だったが、かけられたものが薄まったジュースなので、深刻な染みが残る事は無いだろう。
 だからこの場で考えるべきは、タンクトップになってしまった吉田の衣服についてである。
「平気だよー。そこまでまだ寒くないし……へっくしょ!」
 いいタイミングをはかって、くしゃみは出る物である。たちまち、吉田のセリフの説得力をゼロにした。
「どうしよ。エプロンじゃ意味無いよね」
 吉田にジュースを浴びせてしまった女子が言う。
 意味がある無いの前に、実質裸エプロン調の姿を自分を差し置いて他の人が見たと佐藤が知ったら、暴れたその後は荒れ地と化し、御近所に地獄谷が1つ2つ増える事だろう。
「そうだ。洋子の制服を貸してあげるよ」
 良い事を思い付いた!というように、洋子が言う。
「どうせ今日はみっしり店番だしね」
 そうして、言うやいなや、洋子は自分の制服を持って来た。黒くてシックな感じの、可愛い上着だ。
 洋子の背丈は秋本より高い。しかし体躯は華奢で、吉田が来てみても過度に裾や袖が余る事は無かった。佐藤の服を着た時なんて、服じゃなくてシーツに頭を突っ込んでいるような感じだった。大袈裟に言って。いや大げさでも無いかも(どっちだ)
「ごめんね、何もかも……」
 上着を貸して貰い、吉田はペコペコと謝った。
「ううん。こっちが悪いんだもの。
 それより、上着が擦れて痛い事は無い?」
 下にシャツを着こんでいるのを想定としている上着は、その分生地が厚い。その辺りを懸念する洋子は、可愛いし何より優しい。
 踏め込めないのは解るけど、踏み込んだ方が素敵な未来が待ってるかもよ。
 洋子の笑みを受けて、吉田は今度秋本にそう言ってやろうと、ちょっと思った。


 今日、スカートで来て良かった。ズボンだったら、ちょっと可笑しな事になってたな、と他校の制服に身を包んだ吉田は、胸中で呟いている。
 それはそれとして、他校の制服を着る機会なんてそんなにあるものじゃない。吉田は窓ガラスに映った自分を見て、何だか悪戯をしているような気持ちになった。なりすましているというか。
 そこで吉田はふと思う。佐藤と再会出来たのは、当然ながら高校が一緒だった訳だからだが、仮にどっちかが別の学校に通っていたら、今はどうなっていただろう。
 佐藤の家の位置を考えれば、生活圏内が被る所もあるだろうけどばったり出会う確率は随分低いと思う。最もそれを言えば、示し合わせて訳でも無く同じ学校に通っている方が、ずっと奇跡的なのだろうけど。
 もし学校が別だったら、お互い別の恋人を作っていたりするのかな、と吉田は思う。
 そんな事はないけど。ないといいけど。
「…………」
 周囲にカップルというかアベックがよく目につくから、そんな詰まらない事を考えてしまうのかもしれない。
 気持ちを切り替える為にも、洋子推薦の巨大迷路にでも挑戦してみようかな。
 そう思った時だった。
「んー? 君、1人なの? だったら、俺と回らない?」
 声をかけられ、吉田は仰天した。つまりナンパに遭った事も吃驚だが、何よりその声が!!!
「や、山中!!?」
 声がした後ろを振り返ると、これだ!とばかりに決めた顔になった山中が居た。その顔を見て、いきなりだが、もう殴りたい。
「げぇっ!吉田!!? お前こんな所で何してんだよ!?」
「それはこっちのセリフだ!っていうか、今のナンパか!?ナンパなんだな!!」
「馬鹿を言え!吉田だと知ってたら声をかけなかったよ!」
「なら他の子ならかけてたって事かこの――――ッッ!!!」
 ボグシャ!!!
 これまでのやり取りで揺ぎ無い有罪判決を下した吉田は、とりあえず山中の顔の中心に拳を叩きこんだ。身体は小さいけど威力がある吉田のパンチである。実際、山中が顔を押さえて喚いて呻いている。
「お前ぇ……とらちんはどうした……!!」
 怒髪天を突き、吉田は地を這うような声で山中に凄んだ。
 佐藤の謀略により虫けら以下の存在になった時、優しい性格が災いして(本当に災いして)うっかり声をかけた高橋に、山中は今、夢うつつなまでにくびったけで骨抜きでぞっこんの筈だ。いっそ悪夢で終わって欲しいと思うくらい。吉田の頭痛の種をさらに増やすのは、高橋の方も山中に気持ちが向いているという事だ。本当に全く、この世は悪い夢か!
 今の所、山中が一方的に高橋に纏わりつく感じで(あれは性質の悪いストーカー行為だと吉田は思って止まない)、明確に付き合い始めたという最終通告は受けていないが、最近の高橋見てると何か……何だか……な、ものを感じる。
「とらちんは今日は別用があるって。俺だって好きな子との用事蹴ってまでナンパするような男じゃないよ」
 と、言う事は、こうして空き時間が生まれたら隙あらばとばかりに女子に声をかけるような男ではらしい。吉田の中で、ただえさえ、0からの出発点である山中への信頼メーターがどんどんマイナス値を刻んで行くのが解る。いっそ、その辺に埋めてやろうか。
「……っていうか……そもそも、どうして此処に来れてんの。チケットは?」
 厳重、とまではいかないかもしれないが、チケットが無ければ入れない筈だ。実際、正門の所では来場者のチケットの確認――というか、受理の場が設けられているし。
「ああ、町中で引っかけた女の子がここの学校だったんたよ。それで、チケット貰ってさー」
「……………」
 いや〜、良い時期に声かけたな!と浮かれている山中の腹に、吉田は思いっきり蹴りを決めた。


 長い脚を颯爽と繰り出し、山中は廊下を歩く。
 その後ろぴったりに、身長に見合った小さいコンパスながらも、ちょこちょこと懸命に歩く吉田が居た。はたから見ると、カルガモの親子に見えなくもない。
「……あのな」
 珍しく、苛立ちの表情を見せ、山中が吉田を振り向く。
「ついてくんなよ!俺はハンデ戦とかしたくないんだよ!」
 つまりナンパするのにお前邪魔って事だ。そりゃそうだ、邪魔してるんだもの!!!
「だってお前!女の子をナンパしようとしてるんだろーが!!」
 犯人はお前だ!並にずばーっと人差し指突きつけて言う吉田。
「いーだろ、そのくらい!俺は恋人を探しに来たんじゃなくて、ただ女の子と遊びたいだけなの!
 解るか!?この違い!」
「解らないし解りたくも無いし、ああもう山中くたばれ!!」
 色々面倒になった吉田だ。セリフの内容が実に雑だ。ムキー!と怒りでヒートアップした吉田は、この場では脈絡も無い怒りも山中にぶつけてみる。
「てうか、お前何か臭いんだけど!一体何つけてんの!?」
 すぐ後ろを歩いていて、ずっと気になっていた。何だか、鼻にツンとくるような、明らかにシャンプー等では発せられない類の匂いを感じる。
「臭いって……香水つけてんだよ、香水」
 その魅力が解らないのか。これだから吉田はみたいな表情をされ、吉田がさらにカッカする。
「自分を売り込む為には、五感フルに使ってアピールしなくちゃ。特に嗅覚なんて、一番鋭い器官っていうか、脳にダイレクトに響く部分だからな。そこを突かない手は無いだろ?」
 得意げに山中は講釈垂れているが、目の前の吉田が噴火寸前であるのに気付いてるかどうか。
「佐藤は? お前と出掛ける時なんか、つけてねぇの?」
「へっ?……別に、つけてないと思うけど……」
 臨界点が見えそうになった時、山中からそんな事を言われ、一旦は沈下する吉田。
 佐藤との時間は、専ら自室でが多いし、遊びに行く時でも今の山中みたいな匂いはしていない。
「まあ、でも……良い香りはする、かな?」
 曖昧な吉田の言葉に、しかし山中はやっぱり、という顔をした。
「なあ、今度何つけてるか、聞きだして来いよ。で、教えて」
「……聞いて、そこでどうするつもりだお前は」
 尋ねながらも、吉田の中で想像する山中脳内図では「校内で一番のモテ男の香水つけて俺もモテてやろう!!」とフィーバーしている。多分、間違って無いと思う。
 と、その時、時計塔からクラシックなメロディーが奏でられた。何気に見てみると、時間は3時を指していた。洋子に自分の衣服を預けてから、1時間は経っている。そろそろ、良い頃だろう。
 吉田は山中の手首を掴み、強引に自分の進行方向に引きずって行く。
「おい、どこ行くんだよ?」
 吉田の事を、女性として意識する事は全くないが、認識だけはちゃんとあるらしく、手荒にその手を振り解いたりはしない。その辺りは立派だと言ってやっても良い。僅かながらに。まあ、佐藤の影がちらつく吉田だから、という影響の方が強いのだろうけど。
「さっき、服汚しちゃって。そろそろ乾いてるだろうから、貰いに行く。んで、お前を野放しにしたくないから、連れて行く」
 説明をしないと延々と尋ねられそうで、吉田はざっくりと答えた。
「あー、だからお前、そんな似合わない黒うさの制服来てた訳」
「うるさいな」
 似合わないのは解ってる!とばかりに吉田は不機嫌に言った。
「ねえ、これから行くクラス、可愛い子が居る?お前、行ったんだろ?ん?」
 ワクワクしているような山中に、吉田はじっとりとした目と声で言ってやった。
「……言っとくけど、山中……目の前で女の子に手を出してみろ……?
 その時は、佐藤を呼びつけるから」
 このワイルドカードはかなり強力だったらしく、それからの山中は寒い場所に居る短毛チワワみたいにずっと震えていた。
 言いだした本人がらもそこまで触れなくていいじゃないか、と吉田がちょっと思ったのはここだけの話だ。


「あっ、乾いてるよ!今持って来るねー」
 洋子ちゃんはどこかな、とひょっこり顔を覗かせた吉田に、向こうがいち早く気付いた。まあ、吉田の顔は言ってみれば特徴ある顔だし。探しやすいというか見つけやすいというか。
 自分や母親が畳むよりも、ずいぶんきちんと畳み込まれたパーカーを持って、洋子は前に現れた。
「ハイ!ちゃんと落ちたから、安心してね。……で、そっちの人は……?」
 吉田の後ろに立つにやけた顔をした男性、つまり山中を、不思議そうな眼で見る洋子。
「あー、これは……」
「こんにちわ。可愛いエプロンしてるねぇv君も勿論可愛いけどvvv」
 ゴッ!!!(←洋子に見えない位置で脇腹に肘打ち)
「この人、高熱あって訳わかんない事ばかり言うから、今から保健室に連れて行くつもり」
「そうなんだー。確かに、とっても具合悪そう……」
 青い顔をして蹲る山中を見て、洋子が言う。それは吉田が思いっきり的確に脇腹を突いたからなのだが。
「ほら!さっさと立つ!!」
「……お前……どんどん容赦無くなって来てないか……?」
 息をするだけでわき腹が痛い山中だった。
 そんな2人を見ていた洋子が、何かにチーン☆と閃いたように言った。
「もしかして、2人は恋人同士なの?」
『まさかそんなそんなバカなそんな』
 不本意ながら、セリフが同調してしまった2人だったと言う。


 そんな(若干疲れた)日曜日を終えて月曜日。
 ちなみに山中は、あの後正門から叩き出してやった。佐藤程の飛距離は出なかったが、彼女の体形を思えば中々のもんである。
 吉田が遊びに行った事は、洋子からのメールで秋本の知る所にもなっていた。行ってくれてありがと、と秋本からも礼を貰う。
「……で、それの画像無いの?」
「? 画像?」
「黒うさの制服着た吉田の、だよ」
 昼休み、報告のような形で文化祭での出来事を一通り伝えると、佐藤からの第一声がそれだった。
「無いよ。っていうか、そんなの撮ってどうすんの……」
 強請る佐藤の心情を見いだせない吉田でも無い。言いながら、顔が赤くなる。誤魔化す為に、パックジュースのストローに口をつけた。
 そんな仕草の吉田をにこにこ眺める佐藤は言う。
「えー?だって、見てみたいもんv」
 やっぱり、と想像通りの返答に呻く吉田の顔は、さっきよりも赤くなりつつある。
「別に、特に似合っても無かったし……それに、…………」
「?それに?」
 不自然に途切れたセリフの続きを求めるように、佐藤は言う。しかし、吉田は。
「い、いやあの、それに、似合って無かったし!」
「それ、同じ事言ってるけど……」
 真っ赤になって慌てふためく吉田に、佐藤は小さく吹きだす。それでこの話は片付いてくれたらしく、ほっと胸を撫で下ろす吉田。
 ……別々の学校だったら会えて無いのかもって思ったら、違う制服の自分の姿なんて嫌だ。佐藤と同じ学校の制服が良い。なんて、うっかり言いそうになってしまった。危ない危ない、と心中で額を拭う吉田。
「……あのさ、いきなりな事訊くけど……
 佐藤って香水とかつけてたりする?」
 山中との遭遇の一件は完全に無かった事にする吉田だが、その時交わされた話の内容はちょっと気になった。いい香りの漂う佐藤について。勿論、本当につけていたと仮定して、教えて貰ったとしても山中になんか絶対教えないが。絶対。
「ん? 別につけてないけど」
「じゃあ、香りがウリのシャンプーとかボディソープとか」
「そういうのもないけど……なんか、匂う?」
「い、いやそうじゃなくて、その、良い香りがするから……時々……」
 赤くなって説明する吉田に、佐藤はへぇ♪と機嫌良さそうに言う。
「俺も吉田は良い香りがするなぁ、っていつも思ってるよv」
「……それとはまた別のような気が……」
「違わないよ」
 と言って佐藤は向かい合わせだった席を、隣に移動する。近くなった時、ふわりとやっぱり良い香りがしてきた。
 香水だったら、山中のように意識してなくてもやたら鼻を突いてくるはずだ。こんな風に、感じるという時点で、香水とは違うのかもしれない。そして、シャンプーともボディソープとも違う。他の何に例えようもないが、良い香りだというのははっきりしている。
「吉田はね、」
 と吉田の耳元で佐藤は囁く。
「なんだか甘くて美味しそうな匂いがするよv ……ねえ、食べて、いい?」
「!!!!!!」
 最後の一言に、吉田の背筋にぞぞぞっと弱い電流のようなものが走る。
「た、食べ、って、そ、それ!それ!!」
 冗談的な意味なのか、性的な意味なのか、と問いかける事も出来ないで、あわあわと目を回す寸前の吉田。
 それを楽しげに笑った後、佐藤は改めて言った。
「好きな人からは良い匂いがするもんじゃないかな。まあ、他に比べようもないんだけど」
 遠まわしに好きになったのは吉田だけ、と告げられてしまい、吉田はなんだかもう、どうしていいか解らなくなる。
 とりあえず、お昼休みだからご飯を食べようと手を伸ばすが、その前に佐藤にぎゅぅ、と抱きすくめられてしまう。身動きが取れなくなる程に。なにすんだよ!!とじたばた暴れても、それごと抱き締められる。
「あー……良い匂い……v」
 ぐりぐりと鼻先を押しつける動作は、いっそ動物的で滑稽でもあるけど、その愉快さに気付く余裕は吉田には無い。
「ちょちょちょちょっと佐藤ぉ〜〜!!!」
 佐藤はこうやってよく抱きしめるから、最近はうんと丁寧に身体を洗っているけども、自分の体臭が気になってしかたない。
 その上、佐藤からはやっぱりいい匂いがしてくるし。
「もう〜〜〜、お腹減った――――!!」
 それでもばたばたとさらに暴れると佐藤の腕の力がいくらか弱まる。まあ、依然として身体に回っているけど。
「解った解った。じゃあ、食後にな」
「なっ……!デザート!?」
「上手い事言うなぁ、吉田vv」
「上手くな―――いッ!!!あと、学校じゃしない――――!!
 そしてご飯食べる―――――!!」
「じゃあ俺も食べるv」
「や――――!! 服の中に手ぇ入れんな―――――!!!!」
 それもこれも全部山中のせいだ―――!と、今度会ったら八つ当たりをしよう、と決めた吉田だった。




<END>