*前からの続きです♪



 レースのカーテンが周りを囲う、天蓋つきのふかふかのベッド。
 そんな夢見がちな乙女たちが憧れるようなベッドで、吉田は目を覚ました。
 この屋敷内の部屋はどれもこれも素晴らしく、部屋から射し込む日差しまで計算尽くされたオブジェのように思える。
 その中で迎えた朝は、とっても快適な目覚め……とはあまり言えなかった。どうも寝過ぎたようで、軽い頭痛のようなだるさすら感じる。
「…………」
 吉田は、ぼーっと室内を見渡した。
(ホントなら、伊豆で美味しいもの食べてた筈なんだけどなー)
 しかし実際は、偶然出会った(と吉田は信じている)艶子から、彼女の昔の同窓、つまり佐藤にとってもそうである面子が今来日していると告げられた。そこで、佐藤を出迎えるサプライズの要因として、吉田に参加を願いたいとも。
 もちろん、そこにホイホイ頷く吉田では無かったが(何せこの後海の幸を堪能するコースだったので)しかし聞けば、彼らは昔佐藤が苛められていた事実を知っていて、帰国の際に凄く心配していたのだと言う。それなのにろくすっぽ連絡を寄越さず、可愛い恋人(勿論吉田の事である)(それを聞いて思いっきり赤面する吉田)をちゃっかり作って毎日エンジョイしている隆彦にひと泡吹かせちゃおうぜ!という計画が持ち上がってのこの来日だという。
 そこまでの話を聞いて、吉田は頷く事にした。ちっとも本人の口から話してくれない中学生活の一部が垣間見れる訳だし、何よりその友達も見てみたい。それにどうやら佐藤の筆不精に自分も一役買ってしまっているみたいなので、その責任も含め。
 久々の家族旅行はとても名残り惜しいだけど、今回はこちらを取らせて貰おう。
 艶子を同伴し、恋人の存在はちょっと誤魔化しつつ事情を話すと、母親は二つ返事でオッケーしてくれた。
「今の頃なら、友達との思い出作った方が後できっと財産になるわよ。それに、お父さんと2人きりで旅行したいしvvvv」
 多分後者が主な理由だな、と思いつつも自分のお土産確保を頼み、吉田は艶子と連れだって彼女が今回の為拵えたという別荘に向かった。まさかヘリで行くとは思って無かったが。
 しかもこの別荘にしたって、余所で見たのを結構いいな、と思って買って移築させたのだそうだ。家を「結構いいな」感覚で買う事なんて、自分には永遠にない事だな、と吉田は思った。
 別荘には人が集まっていた。全てではないが、佐藤と主な友好があった者は一通りやって来ていると艶子が言う。そして例の施設で知り合ったとなると、彼らは昔所謂肥満児だったと言う訳だ。しかし彼らはタイプは違えど、誰もかれも一般標準を超える格好良さの持ち主に見える。思わず目をパチクリさせた吉田だった。それを思わず艶子に口にすると、ご丁寧に彼女は皆に伝えてしまい、メンバーの中から体格のいい短髪の男性に、吉田は髪をわしゃわしゃっと撫でられた。まあ、多分感激の形なのだろう。
 そこで、今回の計画について、吉田の役割が言い渡される。
「私の用意したドレスに着替えて、隆彦を出迎えて欲しいの。普段から可愛い吉田さんがもっと可愛くなったら、隆彦絶対驚くと思いましてよv」
 それを聴いた吉田は引き攣った顔で固まり、着いて来てしまったのを後悔したのだが、全ては遅かった。
 それから暫くの間、吉田が艶子の着せ替え人形になったのは言うまでもない。


 堪りかねた吉田が、佐藤の口から皆を止めて貰おうと、一度の脱走を試みたが呆気なく見つかって終わった。どうやらここは電波状況が悪いらしく、吉田の持っている携帯は繋がらなかった。一度だけ繋がったけども、相手の声がセリフに聴こえなかったくらいだ。自分の必死の説明も、きっと10分の1程も伝わって無いだろう。
 部屋に連れ戻され、再び着せ替え人形タイムを迎え、ようやっとドレスも決まったかと思えば、吉田に最後の関門が待っていた。ジャックと呼ばれていた彼曰く(ちなみに彼は吉田の頭をわしゃわしゃと撫でた人物だ)張りぼてのケーキの中にスタンバイして、佐藤が開けると同時に飛び出して抱きついてくれ、との事だそうだ。
「……む……無理―――――!!!」
「あっ、ヨシダ!」
 今度は皆の意表を突く事に成功し、部屋から吉田は飛び出した。今でさえ恥ずかしいのに、これ以上恥ずかしい真似なんて出来ない!そんなアメリカのサプライズパーティーみたいなの、出来ない!だって生粋の日本人だもの!
 逃げた所で、吉田にはノープランだ。完全な離島であるここから逃げ出す手段なんて持ち合わせている筈もない。でも、あの場に居る訳にはいかなくて、とりあえず部屋を出て、一応玄関に向かってみる。
 後ろから追いかける声がして、吉田は涙目になって逃げた。初めて履いたハイヒールは、足だけ監獄に閉じ込めているように痛いし。
 なんでこんな目に〜!と思いつつ廊下をダッシュし、ロビーから2階に繋がる大階段に来た所だ。
「吉田!!」
 追いかけて来る後ろでは無く、向かおうとしている前から声がした。
 見れば、此処に居る筈もない佐藤で、酷く面食らったような呆けた顔をしている。
「あ、あれ、佐藤……あわ、わッ!!」
 佐藤は吉田に驚いたが、吉田も佐藤の出現に驚いた。その為、必死に安定を取っていた足がもつれ、あわや転倒――という所で、佐藤に抱きとめられた。
 自分の体に回る腕や、凭れている胸の逞しさに、吉田は状況の何もかも頭からすっぽ抜けて、佐藤にドキドキしていた。すぐに後ろから、艶子達の一団がやって来て、すぐに我に戻ったけども。


 その後、1人でじっくり吉田を堪能するんだvという佐藤に、彼用にと用意された部屋に連れ込まれ、まあ、所謂恋人的な事をちょっとして。
 その間に、皆は食堂で立食パーティーのような支度を整えていた。彼らがその準備をしていた時、自分達のしていた事を考えると顔どころか体まで真っ赤になる吉田だった。
 ――この場での中心は、やはりというか佐藤だった。皆、施設を離れて行った2人をずっと気がかりにしていたようで、無事に元気にしている所を見て安心したように大いにはしゃいだ。特に佐藤は皆から離して貰えず、がっちりホールドされた肩をちょっと忌々しそうに見ていた。佐藤がそういう表情を学校で(というか女子の前で)取るのは珍しく、逆に本当に気心の知れた仲間だと吉田にも理解出来た。
 昔の話に花が咲くと、吉田は必然的に蚊帳の外になる。それに彼らは国籍がバラバラらしく、とりあえず施設内での共有語であった英語で会話をするのだから、2重の意味で話に入れない。
 佐藤や艶子が吉田を気にかけて、ちょいちょい会話を説明をしてくれるけど、何だか話の流れを邪魔しているようで申し訳ない。
 そこで吉田は、旅行が楽しみで前日寝るのが遅くなったから、と言って早々に寝床に入りこむ事にした。
 吉田が広間から出る途中、若干遠くで皆に囲まれていた佐藤が、俺の部屋に、とか何とか言ってたような気がするが、誰かの声でかきけされた。吉田は聴こえなかったという事にして、佐藤の横に宛がわれた自分の部屋に入り、シャワーを浴びてベットに潜り込んだのだった。


(別に仲間外れにされたなんて思って無いし……)
 ベッドの上で膝を抱える。
 皆がとても良い人なのは、解っているし。この来日の目的は佐藤に会う為なのだから、そっちに意識が集中するのも当然の事だ。佐藤にしても、彼らは親元離れた所で一緒に苦難を乗り越えた仲間たちだ。その思い出の分、吉田には見せない顔を見せたって何も不思議じゃない。
 でもやっぱり――胸の奥がチクチクしてしまって。
 吉田にも恋情にどうしても付随してしまう、独占欲や嫉妬を持ち合わせている。だからそれは仕方ない事なのかもしれないけど。
 以前に、すでに艶子と会っていて、良かったのかもしれない。いきなりあの場に居合わせたら、もっと酷い醜態を晒していたかもしれないから。昨夜だって十分、佐藤を置いて自室に籠る、という大人げない真似をした。皆にもみくちゃされてた佐藤が呼びにくる事は無かったけど、来た所で応じたかと言えば、怪しい所だ。頑なな態度で拒んだかもしれない。
 昨夜、佐藤が眠る自分の額にキスをしてくれたような気がしたが、きっと夢なのだろう。そうに違いない。
「…………」
 気持ちを整理させる為、暫くベッドの上でぼーっとしていた吉田だが、やがて渇きと飢えを感じ始めたので、のろのろとベッドから降りた。


 ここは別荘であり、ホテルでは無いので個室内に備え付けの冷蔵庫等は無い。シャワールームはあるけれど。
 だから、何か飲食物が欲しければ調理場に赴く必要がある。そしてゲストルームからそこまでの道のりはそこそこの距離があり、そこへ向かう最中、広いってのもちょっと不便だな〜なんて吉田は思ったが、そもそもこのレベルの別荘を持つ者は使用人を従わせるものだから、吉田の今感じている不便とは、全く無縁なのだった。
 調理場や食堂は、入ってすぐのロビーにある多階段の裏にある通路から繋がる。だから、一度あの大階段を下る必要があるのだった。そして、吉田がスリッパをペタペタさせて降りて行くと。
「……あれ、佐藤?」
 ロビーの片隅に設けられた、ソファが並ぶ一角。窓の外が見える位置で、コーヒーが入っているカップを携え、佐藤が坐っていた。本人はまるで意識してないだろうが、その姿がやけに格好良くて、吉田には困る事だ。
 この場所で吉田を待っていたのかそうではないのか。まあとにかく、吉田を出迎えるように佐藤は微笑みかける。
「吉田、おはよう。今日はよく眠れたか?」
「え。……あ、あー、うん……」
 ”今日は”の意味は、昨日の早い就寝から佐藤はそう言ったのだろう。嘘ではないが、言い訳として利用した分、罪悪感を感じる。
 佐藤がこっちに来てほしい、みたいに見つめるものだから、吉田はソファについた。ソファは柔らかくて、大きくて広いし、ここでも十分に眠れそうだ。
「他の皆は?」
 昨日とは打って変わって、シンと静まり返った屋敷内を、吉田は今更気付いた。
「ああ、観光に行ってるよ。渋谷とか秋葉原とか。京都にも行くって行ってたかな」
 ナンパはほどほどにしとけよ、とは一応言ったが、守れていると思う事はすでに放棄してある。あんまり羽目を外してないといいのだが。
「そ、そうなんだ。」
 昨日、あれだけ佐藤に纏わりついていた割には、その佐藤をほっといて観光とは、淡白というかあっさりしているというか。この切り替わりの早さは何となく佐藤や艶子に通じる物がある、と吉田は思った。同じ暮らしをしていると、考え方も似通うものなのだろうか。
「あと、皆気を利かせたかな」
「へ? どういう意味――………」
 横にちょこんと坐った吉田を眺める佐藤が、不意に口角をあげて微笑んだ。この笑い方は、大抵の場合彼のドS気質が顔を覗かせた時だ。ヤバい、と思って逃げようとしたが、その前に腕をしっかり抱きとめられる。背後から圧し掛かれるような形で、佐藤に捕われた。
「ちょ、離し………――――!!!」
 ちゅぅ、と首元に感じた佐藤の唇に、体内が沸騰する。
「……お前、自分の格好解ってて出歩いてる?」
 背中にくっついた佐藤に言われ、はた、と気付く。
 本来旅行の予定だったのだから着替えはしっかり持っているが、旅行に泊まるつもりだったので寝間着は持っていない。しかし万端な艶子がちゃんと用意してくれていて、それはいいのだが、なんか生地が薄いんじゃない?見えちゃうんじゃない?というものばかりだった。その中で、とりあえず吉田は普通の布に近い様な物を選んだ訳だが。
 見た目の薄そうな仕立てとは裏腹に、頼りない感じは一切なく、変な話かもしれないが裸で居るよりも解放感が心地いいような寝間着だった。落ちついた精神状態では無かったものの、しっかり寝つけてしまったのは、この寝間着とふかふかした寝具のおかげ他ならない。
 すっかり着ている事に慣れてしまった吉田は、普段家でもしているように、寝間着のまま闊歩してしまった。普段の服ならそれでもまだいいが、何せ今は艶子の用意した物だ。着ていてリラックスは出来るが、露出の面ではガードがとても甘い。むしろ脱がされる事を歓迎しているような仕立てにすら、見える。
 肩の紐で吊るような服は、それを外すとあっさり落ちる。すでに胸元がばっさりと肌蹴られてしまった。下はともかく、胸への下着は寝るときにはつけない。
「や、や、止めてって!朝っぱらから何しようとしてんだ―――!!!!」
 外された肩紐を再びかけようと奮闘しながら、吉田は言う。
「だって、何だか退廃的でいいじゃん。誰も居ない屋敷のロビーで、陽も高い内からなんてさ……」
「!!!」
 ちゅう、と背中にキスをされ、身体を撓らせて言葉に詰まる。
「折角だから、状況を楽しもうよ。吉田vv」
「たっ、たっ、楽しめないっ……ひゃ、あっ!」
 ただえさえ、背中なんて人のウィークポイントだというのに、佐藤はそこをねっとり舌を這わすものだから、吉田には堪ったもんじゃない。変な感じはするし、変な声も出るし。
「んっ……ダメ、やっ、さと……!」
 抵抗をする吉田を押さえつけての行為は、Sっ気のある佐藤としては燃えるものがある。テンションがすっかりハイになり、手の動きも大胆さを増していった。
 動くたびに聴こえる布擦れの音が、吉田の羞恥を煽って行く。実質玄関口であるこんな所で及ぶのも問題だが、吉田にはそれよりも気になる事が。
「ダ、ダメてばぁっ!ね、さとう、ちょっと待って!今は、だめ……!」
「……そんな顔でだめって言われても、なあ」
 吉田の身体をくるりと反転させ、真正面から佐藤の手で熟れつつある肢体を眺める。ほんのりと色づき始めた肌が、午前の陽に照らされやたら煽情的に見えた。
 困ったように眉を潜めている吉田の表情も、佐藤から見れば強請ってるようにしか見えない。痕をつけないように気を着けながら、首筋の肌を唇で戯れるように触れつつ、手で吉田の柔らかい所を弄って行く。吉田の弱い所は、佐藤が知り尽くしている。その手に喘ぎながらも、吉田は訴える。
「〜〜〜っ!! だ、ダメだって、でちゃう、出ちゃうからぁ……っ!」
「んー?」
 何が出るの、と佐藤が訊く前だった。
 ――ぐぅ〜……きゅるる……ぐぅ……
「……………………」
 丁度、掌で撫でていた腹が微かに蠢く。そして、そんな音が。
 思わず面食らったようにきょとんとしてしまった佐藤の顔に、吉田が火でもつけられたかというくらい顔を真っ赤にさせた。
「だ、だから待ってって言ってるのに〜〜!!いつも無視するんだから!もう佐藤のバカ!バカバカバカ!!!!」
 粗相を見られた恥ずかしさから、暴言を吐く吉田。しかし吉田の暴言なんて、佐藤には可愛い戯言みたいなものだ。
 何だか正面からの肩叩きみたいに、肩を連打する吉田の手をそっと掴む。ここで浮かべる笑みは全てが逆効果と解っていながらも、微笑ましさに佐藤の口元はどうしても緩んでしまうのだった。
「ごめん、ごめんって。まあ、確かに今起きたなら腹は減ってるよなー」
「うぅぅぅぅー」
 手を封じられた吉田は、佐藤を目一杯睨んだ。やはりその顔も佐藤にはとても可愛い。
 佐藤は吉田の肩紐をかけ直し、自分の着ていたジャケットを被せてやる。サイズが大きい、どころの騒ぎじゃないが、とりあえず肌は隠れるので良しとしよう。
「朝飯、作ってやるよ。食堂行こう」
 今は吉田にご飯を上げなければ、斜めの機嫌も多分直らない。
 最大限にまで険を釣り上げた吉田だけど、朝飯、という単語に吊られるように佐藤の後ろをとことこと歩くのだった。


 休日の朝は寝坊するもの、と決めているような吉田が一番遅くに起床するのは佐藤の予想の内だった。その間に皆が遊びに出掛ける事も。まあ、その辺りはむしろ皆が気を効かせて出払った、という感も強いが。
 実はちゃっかりあったアルコールの為、余計にテンションが上がってしまった面々が、部屋に引っ込んでしまった吉田に気付くのが遅れたのを、申し訳なさそうに佐藤に声をかけたから。初対面が大半の場で、知り合いを取られては、誰だって居場所に困ってしまう。
 しかし英語を理解しない吉田には知る由もないだろうが、佐藤が専ら聞かれた事と言えば可愛い彼女、つまり吉田についての事だったのだ。だからあえて英語で話したのだし、吉田をちょっと離なれて皆と会話していたのも、部屋に戻る吉田を強く引き止めなかったのも、直接の矛先が吉田に向かうのを避ける為の佐藤の判断だった。あの強烈な面々に囲まれては、吉田がまだぐるぐるするのは目に見えている。そんな顔を見るのは自分だけでいいのに!(←心せまい)
 とりあえず食堂についた佐藤は、まずオレンジジュースをコップに注ぎ、キウイとバナナをヨーグルトで和えたものをささっと作って吉田に差し出した。それを吉田が食べている間に、パンケーキの準備に取り掛かる。バターで焼くパンケーキは、香りも食べれそうな代物だ。
「吉田はハチミツとメープルシロップ、どっち派?」
「えっと……両方好き、かな」
 迷った挙句に選べなかった吉田に、だと思った、と佐藤は呟きながら両方の小瓶を並べた。ついでにチョコレートソースとイチゴのジャムも見つけたので、それも出す。4つ並んだそれに「わ、豪華!」と言ってはしゃぐ吉田が可愛い。
「どんどん焼いていくから、好きなだけ食べろよ」
「ん、うん」
 焼き立てのパンケーキをはふはふと頬張りながら、吉田は頷く。
「佐藤って凄いな。粉からパンケーキ作れるんだ」
 パンケーキとかホットケーキは、すでに配合されたミックス粉でしか作った覚えのない吉田だ。関心したように呟く。粉を混ぜるだけだろ、とちょっと素っ気なく言う佐藤は、きっと照れているのだ。
 おそらく鉄板焼きを振舞う為のオープンダイニングの台の上で、綺麗なまんまるとしたケーキが次次と焼き上げられて行く。餓えた吉田の為、早く出来るようにと佐藤が生地を薄めにしているからだ。
「ん〜、美味しいv」
 目をきゅっと吊り上げて、猫みたいに笑う吉田。完全に機嫌が直ったようで、佐藤としても喜ばしい。何せさっきの続きを諦めてないから。さすがにこの時間だと戻って来る面子もいるかもしれないし、ならどっちの部屋に行こうかな〜、なんて佐藤が脳内を薔薇色で染めまくっていると。
「良い匂いすると思ったら、ここに居たのか〜!」
 声からして人懐こそうな口調。ジャックが顔をのぞかせていた。どちらかと言えばその大声に驚いて、吉田はんぐ、と口の中を詰まらせた。オレンジジュースをぐいぐいと飲み込む。喉が塞がる被害だけは免れた。
「お前、居たのか」
 いかにも邪魔、といった感じに佐藤が言う。それを気にする訳でもなく、ジャックは当然のように席に着いた。
「お前らと一緒だよ。朝寝坊を満喫してたんだ」
 ちょっと下世話な笑みを浮かべてジャックは言った。佐藤は朝寝坊じゃないと思うけど、と思う吉田とは反対に、佐藤は渋い顔付きになる。ジャックのセリフは、佐藤と吉田の間がすでに出来上がっているという勘違いの元だと佐藤だけが解った。が、その間違いを指摘すると吉田が困った事になる。また部屋に籠られるのはちょっと辛い。佐藤が。
「丁度いいや。俺も腹減ったんだ。何か焼いてくれよ」
 と、言ってジャックの吉田の隣に座る。吉田の事を慮ってか、これまでの発言はすでに日本語だった。皆、すでに日本語は習得していた。佐藤と艶子が帰国するなら、いつか使う場合もあるだろうから、とついでに覚えたのだそうだ。必要に迫られても英語の覚えられない吉田としては、色々頭が上がらない。
 吉田の隣に座ったジャックに、近い、と佐藤がフライ返しを使って注意を促した。近いとは、勿論吉田との位置である。しかしあっさり無視するジャック。良くも悪くも、佐藤の意見をスルーするのは艶子以外で初めて見た。きっとあの場に居た皆も同じなのだろうけど。
「…………」
「今、吉田の分作ってんだよ。何か食いたきゃ自分で勝手に焼け」
 突き放すみたいな佐藤のセリフだが、遠慮のない声は相手を甘受してるからこそのものだと思える。最近牧村や秋本にも素を見せ始めた佐藤だけど、この比では無い。
 言われた方も、まるで気を悪くした素振りもなく、ただ大げさに苦笑して見せている。
「うわ、ひでぇ!そんなら……」
「あ、あの!」
 と、言って吉田は席を立つ。
「も、もうお腹一杯だから!佐藤、ありがと!」
 だからお友達の分やってあげて、とだけ声を残し、そそくさと部屋を去って行く。まるで昨日の再現だった。
「……………」
 食事している時より、眉間に皹を浮かべてドアを見つめる佐藤。
「あーあ、逃げちゃった……」
 もっと話しかったのに、とがっかりした声はジャックだった。逃げたってなんだ。吉田は猫か。まあ猫だけどな、俺だけの(by佐藤)。
「……言っとくけど、お前のせいだからな」
 ぎろり、とジャックを睨む。その物騒な視線にははは、と笑っただけで済ますジャックを見たら、吉田はまだ驚くだろう。
「彼女、照れ屋なのかなー。昨日もずっと顔が真っ赤だったし」
「それもあるけど、一番の理由は昔の友達の邪魔しちゃいけない、って所だろうな。あとはヤキモチか」
 そんな吉田の心境を察するに、もはや推理すら必要ない。
「へえ!佐藤の恋人に妬かれるって、気分いいじゃねえか」
 過去、彼が狙いを着けた女が佐藤に執着だった事を揶揄してか、ジャックがしたり顔で言う。顰めた表情でそれに返す佐藤。
「頼むから、あまり引っ掻き回すなよ。こんな形だけど、一応旅行だし、あわよくば……とか思ってるんだからな」
 佐藤のセリフに、ジャックはまた大きな声で笑う。詰まらないジョークが一回りして逆に受ける、という感じで。
「あわよくばって、お前!まるでまだしてないみたいじゃないか!」
 佐藤の手の早さを知らない者は多分施設内に存在しない。だからジャックは、佐藤の今の発言が自分をからかったものくらいにしか聴こえなかった。しかし。
「………………」
「……え。オイオイ、マジなのか」
 沈痛な表情で止まったままの佐藤に、ジョークを言った後の軽い感じは見受けられない。むしろ真実の重みだけが増していた。
「マジでか!」
 と、ジャックはもう一度言った。
「嘘だろ〜、あの隆彦がまさかそんな……あ、もしかしてあのこ、そういう事にトラウマがあるとか?」
「バカ言うな。ただ単純に恥ずかしいだけだ」
 完全に手を出していない訳でもないし、それにはちゃんと応えてくれる。それにもし吉田にそんな過去があったら、その相手を即座に見つけ出して直ちにミンチにしている所だ。
「吉田は付き合うとかそういうの、俺が初めてだから。戸惑う事の方がまだ大きいんだろ」
「………」
「何だよ」
「隆彦、顔がニヤついてる」
 彼女にとっての初めてがそんなに嬉しいか、と笑みを押し殺してジャックが言った。煩いな、とだけ佐藤は呟く。
「それに、全然そういうことしてない訳じゃないし、吉田だって触られて嬉しいみたいな所もあるし……
 …………」
「どうした?急に黙って」
 そう言って、ジャックは吉田の残していった分のパンケーキをパクパク食べている。
「……いや、なんでお前にこんな話してんだろうなって思って……」
 もうしない、と口を噤む佐藤と、ジャックはええー!と大げさに嘆く。
「そりゃねえよ!俺は隆彦とそーゆー話したいぜ?もっと言ってくれよー!」
「ええい煩いっ!」
 と、佐藤は縋りつくようなジャックの手を振り払う。
「とにかく、俺は今夜ちょっと期待しているんだから。あんまり吉田をかき回してくれるなよ」
「そんなの、隆彦に甲斐性があれば済む話なんじゃねーの?」
「………………」
「解った。俺が悪かったから、とりあえずその刃の鋭いナイフを持って構えるのは止めてくれ」
 本気の殺意を感じ、ジャックは少し焦った。


 この島は屋敷とヘリや船の発着所くらいしか人工物が無い。渡り鳥達の中継所でもある場所だから、極力人の手は加えていないのだそうだ。
 屋敷の裏口を潜ると、目の前にはもう森がある。昨日、窓から見えて気になっていたから、ついでとばかりに吉田はそこを探検しようと思った。
 屋敷の中に居ると、また誰かと会ってしまうかもしれないし。
「……………」
 逃げたい……という訳じゃないから、逃げてる……という訳でもないと思う。思いたい。
 友達同士の会話で、部外者が居たら気遣う必要が出てしまうだろうから、そっと席を外しただけで。
 でも、場を離れたという意味では、逃げたも同然だろう。
 佐藤みたいに上手な言い回しが出来たらいいのだけど、吉田は自分がそういうのが決して得意な性質ではないと解っている。きっとこんな場面が増えそうな気がするから、これから頑張ろう、と思う吉田だが話して結果が着いて来てくれるだろうか。
 ふぅ、と吉田が溜息をつくと。
「おっ、ヨシダ。こっちに居たのか」
「!」
 いきなり人の声がして、吉田の身体が飛び上がりそうに驚く。見れば、ジャックだった。手には何か網みたいなのを持っている。
「隆彦、外したなー。残念」
 ジャックの口ぶりから察するに、佐藤は吉田を探しているらしい。
「あ、あの……佐藤、何処に……?」
「俺とは逆に行った。つまり、下手に動くと会うのが遅くなるって事だ」
 そしてジャックはウインクした。さすがに外国人なだけあって、決まってるな、と吉田は思った。まあ、佐藤もそういう仕草が似合うのだけど。
「ハンモックを持って来たんだ。佐藤を待ってるついでに乗ってみないか?」
 佐藤が、実質吉田の居る位置から反対に向かったのなら、ジャックの言う通り追いかけるだけ出会うのが遅れるのだろう。ハンモックというものにも興味のあった吉田は、その申し出に頷く事にした。
 早速2人は手ごろな木を手近な所で探し出す。その最中に、吉田がおずおずと言う。
「えっと……さっきは、なんか……昨日もだけど何か、逃げるみたいになっちゃって」
「ん?」
 上手い説明が浮かばないままに言い出さない方が良かったかも、とは思ったが、こういうのを後にまで引きずるのもすっきりしない。そう思って、思い切って吉田は言ってみた。
「避けてる訳じゃないんだけど……」
 段々と俯いてしまった吉田の頭を、ジャックの手がくしゃりと撫でる。
「解ってるよ。自分の知らない隆彦が居て、ちょっと悲しくなっちゃったんだろ」
「……………」
「俺らだって、帰国するって聞いた時は凄く寂しかったもんな。その後、ちっとも戻って来てくれないし。
 まあ、戻ってこないって事は上手くやってるって事だから、その方がいいのは解ってるんだけどな」
 やれやれ、と呟いて肩をすくめてみせたジャックに、吉田はちょっと笑った。
「佐藤さ、昔の事ちっとも話してくれないの。凄い辛い目に遭ったのかな〜って思ってたら、友達は居るし、皆いい人だし。
 それで、遠慮して損した!みたいな所もちょっとあるかな」
 でもだったら何で話してくれないんだろ、と首を捻る吉田だが、ジャックには心当たりがある。
(さすがに恋人相手に、女食い散らかしてた時の事は言えないよな〜)
 あるいはまだ時が経てば言えるかもしれないが、佐藤のそんな時期はまだ1,2年前の事だ。昔の事、と切り捨てるのはあまりに早すぎる。
 ここでその事実を暴露したら確実に殺される……とジャックは内心冷や汗ダラダラだった。吉田が自分に尋ねる前に別の事で気を逸らそう!
「……う〜ん、俺からは何とも言えないけど。思い出ってのはいいものばかりじゃないしな、って事でちょっと見守っててあげてくれよ。
 そうだ、今夜は庭でバーベキューするんだぜ」
 新月だから星がよく見えるぞ、とジャックは付け加えたが、吉田としてはバーベキューの方に関心を持った。何か話を逸らさなくては、と適当に取り上げた話題だが、思いのほか効果があった。
 楽しみ!とはしゃぐ吉田を見ると、男女の関係ではなく可愛がりたくなる。
「ヨシダ、沢山食べろよ。隆彦の相手しなきゃならないんだからな」
「え?……。…………。…………。……………」
(………ありゃりゃ……)
 みるみる内に真っ赤になっていく吉田。ジャックとしては(この時は)そういう意味を含めて言った訳でもなかったが、それを言うと別の意味で吉田を涙目にさせそうだ。
(手を出せない隆彦の気持ちがちょっと解る……かな)
 ここまで委縮してしまうと、例え恋人同士と言えども躊躇ってしまう。あまりに初心な態度が、最後の防波堤のように立ちふさがっているようだ。両想いだからこそ、立ちふさがる壁なのだろう。その壁を壊すきっかけのようなものが、まだ2人には訪れないのかもしれない。
(意外と、佐藤の方が怖気づいて踏み込めないって感じなのかもしれんな)
 確かに吉田はとてつもなく真っ赤で、率先するタイプではないだろう。でも受け入れるつもりであるのは、むしろ赤面する事で解りそうなものなのに。
 とりあえず今の自分に出来る事はハンモックを括りつける事だな、と自分の使命を改めたジャックは、丁度手頃な木々を発見した。


「い、意外とハンモックって揺れるんだ……」
 しがみ付こうにも紐状の物では安定に乏しい。ちょっと危険を感じて顔が引き攣る吉田だ。取りつけられたハンモックは、左右のバランスを優先した為、地面からの距離が吉田から見れば高さが結構ある。ハンモックに乗るのも、ジャックに持ち上げて貰っての事だ。
「ああ、でも、一度場所を決めたら結構落ちつくから。ほら、俺が持ってやるから」
 だから大丈夫、と怯えてる吉田にジャックが言う。
 初めて乗るハンモックに、恐る恐ると蠢く様に吉田は定位置を探す。体勢が整うと、確かにジャックの言うとおり不要な揺れは無くなった。
「そういやヨシダ。その服、艶子が用意したヤツか?」
 ジャックが思い出したように言う。対佐藤サプライズ用のドレスとは別に、クローゼットが軽く埋まるくらいの服がヨシダに用意されていた筈だが。それを見て呆気に取られた吉田を見たからよく覚えている。
「う……だ、だってどれも可愛いのばっかりで……」
 だから本来自分が持って来た服に着替えたのだった。ちなみにハーフパンツとTシャツである。お気に入りのヤツだ。
「えー? でもあの白いのはヨシダに似合うと思うぜ?袖が丸っこくなってたの」
「あ、あれはちょっとスカートが短い様な……」
「ヨシダは足が綺麗だから、もっと出した方がいいって!
 用意した服を着たら、艶子喜ぶと思うぜ。あとそれと隆彦もな」
 それとってなんだそれとって、とジャックの脳内での佐藤が声を上げた。
「そ、そうかな」
「絶対そうだって!」
 ジャックの力強い押しもあって、後で着替えてみようかな、と吉田は考えを改めた。夕食にはまた来ると昨日艶子は言っていたし。
「慣れると、ハンモックって楽しいね」
 すっかり乗る事に慣れた吉田が言う。だろ?とジャックも嬉しそうに答えた。
「寝転がってみな。雲に乗った気分になれるぜ」
 ジャックの意見に従い、吉田は横たわってみる。
 枝葉のおかげで、直射日光は目に当たらない。
(なんか、不思議な感じ)
 しっかり横たわっているのは解るのに、宙に浮いているような感覚もある。確かに、雲に乗っていたら、こんな感じになるのかもしれない。
 横になったからだろうか。双眸の瞼が、とろんと降りて来る。
(……まだ眠るの?)
 誰ともなく、自分に問いかけてみる。あまりすっきりした目覚めじゃなかったから、それを引きずっているのかもしれない。
(うーん、でもジャックも居るんだから。ハンモック乗るの交代しなきゃだし……)
 そうは思っていても、それとは裏腹に吉田の意識はどんどん心地よい眠りの元に落ちていってしまった。


 吉田が眠りそうなのを、多分ジャックは吉田より先に気付いていた。しかしそれを促すように、ジャックは声をかけるのを止め、気配を消すように息を潜めていた。静かになった空間に、吉田が眠りに着くのは時間をさほど要さなかった。
(……島を一周したとなると、ぼちぼちって所かな)
 時計は見ず、陽の高さでジャックは時間を図った。意識を網のように周囲に巡らすと、猛然とした勢いで近づいてくる存在をキャッチした。それが誰か、なんて考えるまでもない。眠ったお姫様の所に向かうのは彼女にとっての王子だと昔から決められている。
 可愛い恋人の可愛い寝顔をよくも盗み見たと因縁つけられた堪ったもんじゃない。ジャックは足音を立てないよう、そっと吉田の元から離れた。




*夜に続きます〜
 お、終わらない…!!;;