*未来パロ?な話です。



 晴れて学業を卒業し、就職を果たし社会人として親元を離れて暮らす際に、吉田は高橋とシェア生活を送る事にした。
 1人なら気が滅入る日々の雑務も、2人なら助け合うような形で行えるし、金銭面での負担も軽減する。その分、家のパーソナルスペースがやや狭いかもしれないが、2人ともそういう事は苦にしない性格だった。
 そうして順調に送って居たシェア生活だったが、しかし事件は起きた。
 吉田は、呆然と高橋を見る。高橋は、その罪悪感からか肩をすっかり落としている。
 言われた内容はあまりに突拍子の無いもので、今までの事を振りかえっても、吉田には今の事態に繋がる原因が見つけられなかった。
 高橋から言われた事を、今度は自分からの質問として吉田は口にした。
「い……一緒に暮らせなくなったって……どういう事なんだよ、とらちん!!!!」
 吉田にとって、まさに青天の霹靂だった。
 今まで、仲良く暮らせていたと思っていたのは、自分の一人善がりだったのか。やっぱり昨日、風呂上がりに高橋の分のアイスを勝手に食べちゃったのを怒ってるのか……でも明日買おうと思ってたもん!
 いや、とりあえず凹む前に、だ。
「っていうか何で山中が来てんだよッ!!!」
 すぐさま突っ込みたかった事だが、それより前にまさかの高橋の発言でちょっと保留されていた。
 そう、どういう訳か、買い物から帰ってみると、そこには同居人の高橋の横に、山中がいかにもちゃっかり!という感じで居座って居た。しかも、突然のシェア生活撤回発言で、今にも申し訳なさで消え入りそうな高橋とは対照的に、山中は頭の中で大規模な花畑が設立したか、というくらいにやけている。何だかもう、色々その顔殴ってやりたい!
 しかし吉田がその欲求を叶える事は無かった。山中の同席について、高橋がもごもごと何とか説明しようとしたらしいが、それを山中が彼女の肩をぐい、と自分に引き寄せた事で止めさせる。その、高橋の顔はこれ以上は無理、っていうくらい真っ赤だった。
 極限までにやけきった山中は、吉田に言う。それはまるで、もの解りの悪い生徒に、理解を促すような言い方で。
「バカだな、お前。察しろよな〜」
「察するって、何………、………………………………」
 それで、ふと。
 吉田は、高橋が何気に、腹部を気にするような素振りでいるのに気付いた。
 それって。
 つまり………。
「……え、え、……え、え、え、ええええええええええええええええええええ!!!!!!」
 この日、とある一室に吉田の絶叫が響いた。


「……今三か月って事は、大体……」
「……そんな逆算すんなよ」
 真面目だったのか、ただのジョークだったのかは定かでないが、吉田にそう言われ、佐藤は指折るのを止めた。
 吉田は紅茶を含み、ふぅ、と息を吐いた。口内を熱くする紅茶の湯気を吐きだした訳じゃない。
「……全然気付かなかった……てか、とらちん、先に山中に相談してたんだな……」
 あの場に山中が自分より先に居たと言うのは、つまりそういう事だ。ちょっとしょんぼりしてしまう。中学の時からの親友なのに。
「いや、この場合そうじゃなきゃダメだろ」
 冷静に諭す佐藤に、そうだけど、と吉田は呟く。
 別にのけ者にされた訳じゃないけど、何だか寂しい。中学校の頃、一緒にトラブルに巻き込まれた仲だというのに、あの頃の彼女はもう、居なくなってしまったのだろう。……山中のせいで。ほろりと吉田は感傷に浸る。
「……ごめん。何だか愚痴っぽくなっちゃって……久しぶりに会うのにさ」
 昨日の衝撃が未だ尾を引く吉田だが、この日佐藤の家に遊びに行くのは予定に組み込まれていた事だ。昨日とんでもない事があったと言え、吉田には実質何も起きて無いのだから、今日の約束を反故するに至らない。だから、やって来たのだが、意識はどうしても親友と、そのとてつもなく困った恋人――近いうちに伴侶になるのだろう。その男に移ってしまう。
 吉田にとって、せめてもの慰めは、山中がこの現状を心から歓迎している事だ。あの花畑っぷりを見れば、あえて問いたださなくても解る。
 しかしそれだから、大事な友達の事なのに、当事者になりえない複雑な吉田を慮り、佐藤は紅茶のお代りを注いでやった。
「別にそれはいいんだけど……吉田はこれからどうするんだ?」
「……そうなんだよなー……」
 佐藤に言われ、吉田は頭を抱えたくなった。あの2人の将来も激しく気になるが、自分のこれからの方が吉田には問題と言えば問題だ。
 何せ、2人である事が現在の生活の前提であり、基盤なのだ。それがまるっきり覆る事になる。
 山中はすぐにでも、身重の彼女を傍に置きたいと言っていた。それに吉田は反対しないが、そうすれば必然的に吉田はあの部屋で1人だ。
「……とらちんはさ、完全に自分の都合だから、家賃は今まで通り払う、って言ってくれてるんだけど……これから金かかるの、とらちんの方だしさ」
 そういう事で、高橋からのその提案は謹んで断っておいた。
 吉田だって、この先ずっと高橋とシェア生活を送ろうという人生設計では無いのだ。それがちょっと早まっただけだから、と高橋を納得させて。
 しかし、確かに、ずっとシェア生活をするつもりではなかったが、それには事前の話し合いでの形を取る筈だった。まさかこんな、既成事実を突き付けられて終止符が打てられるなんて、夢にも思って無かったが。
 高橋の説得上、プランが無い訳でも無い、と言っておいたが、そんなのは嘘だ。まるっきり、無計画である。見通しなんてさっぱり無い。
「じゃあ、あの部屋は出るのか?」
 佐藤が聞く。吉田は、すぐには答えられなかった。
 高橋が居なくなる事で、単純に考えて家賃は倍になる。払えない訳でもないが、生活はかなりキツくなる。
 しかもタイミングが良いのか悪いのか、部屋の更新が来月に差し迫って居た。考える時間があまり無い。
 事情が事情だから、実家に戻っても許されるかもしれないが、今度は通勤時間がネックになる。今住んでいる所なら自転車で行けるが、実家からだと電車とバスを使う羽目になるだろう。
(それに……佐藤の家からも、遠くなっちゃうし)
 吉田は胸中で呟く。
 佐藤も、高校卒業直後から姉と住んでいたあの部屋を離れ、大学や社の寮に入って居たが、その後数年で思い切りよくマンションを購入した。どうやら給与の他に、株やら投資やらで副収入があるらしい。ちょっと佐藤から説明を受けたが、吉田は理解するのを早々に諦めた。自分には縁のない話だし。
 今の居住地を離れると、佐藤からもあくまで物理的にだが離れる事になってしまう。今だって頻繁に会える訳じゃないのに、もっと機会が減ってしまうかもしれない。
 そんな事を思うと、吉田は昔の事を思い出す。昔というか、高校時代の時だけど。
 あの時は、何の約束もしないで、学校に行けばそこに佐藤が居た。一緒の教室で過ごし、帰る時も一緒だった。その時も思っていたけれど、今でこそまた別の意味で幸せな時間だったと思う。
 最初から揺ぎ無い思慕を持って吉田に近づいた佐藤とは違い、吉田は自分の想いに向き合わなければならなかった。その間は、照れや羞恥で佐藤を少し避けていた。勿体ない事をしたもんだ、と今の吉田は思う。
 しかし、懐古するのは後にしよう。今は、現実と向き合わなければ。
「……とりあえず、ギリギリまで安い所探してみて……無かったら実家に戻る……かな」
 それが一番の得策のように思えた。今まで住んで来たあの部屋は名残り惜しいが、吉田は出来れば貯蓄したいという気持ちがある。
 それに事を急いて選んだせいで、変な所を選ぶよりは、実家に身を置いて改めて部屋を探した方がいいと思うし。住む所は一大事なのだから。
 しかし、家を離れる際、高橋と一緒だから、と許されていた部分もある。まあ、あの時よりは多少大人になったとは言え、親と懇意に話合う必要が出るかもしれない。なんて思ったら、吉田はちょっとげんなりした。あの2人を説得するのはかなり難しいだろう。理屈ではなく、迫力の問題だ。
「……吉田としては、この辺りに住んで居たいんだよな?」
 いつの間にか佐藤が隣に座り、確認のように顔を覗きこんで尋ねる。
 そう言えば、ここに訪れてこんなに間近の佐藤を見たのは、これが初めてだ。紅茶を淹れたりと、何やら色々忙しい動きをしていたようだけど。
(探し物でもしていたのかな)
 まあ、そんな事はさておき、この辺りに居たいのか、という佐藤の問いには、吉田は素直に頷いた。仕事の面でも、プライベートの面でも、離れがたい。
 吉田の頷きに、そうか、と返事をした後、佐藤は何か考えるように、視線をやや俯き加減にする。何やら深刻そうな表情に、沈黙が重く硬く感じられた。何だか吉田は落ちつかない。
 何だかただならぬ気配のこの佐藤は、自分を案じての態度なのだろう。大丈夫だって!と吉田が言う前に、佐藤が言う。
「なあ、――ここで暮さないか」
「――――えっ?」
 紅茶のカップを手にしたまま、吉田は佐藤と目を合わせた。端正な顔が、すぐ傍にあった。
 きっと会社でも、前みたいに、いや前以上にモテてるんだろうな、と思う。勤めている場所が違うから、その現場を見る事は吉田には無いけど、なまじ現実を知らない為にしたくない想像ばかりが膨らんでしまう。佐藤の携帯を覗き見したい欲求を、何度抑えた事か。
「ダメか?」
 佐藤が言う。何だか、こうやって顔を覗きこまれて何かを強請れたのは、以前にもあったような気がする。思い出せないくらいの、ちょっと過去に。
「ダ、ダダダ、ダメっていうか……!」
 手をわたわたと振って、近づいた綺麗な顔にドキマギしながら、しかし吉田の懸念はもっと現実的だった。
「こ、この部屋じゃ、多分半分でも足が出るかと……」
 現在の佐藤の部屋は、前に姉と住んでいた所よりちょっと広いくらいだ。高橋と家賃折半だったとは言え、吉田も部屋を借りている身分だ。大ざっぱながらでも、部屋の広さでその金額を計る事は出来る。
「だからさ、」
 昔には決して浮かべれなかった、優しい笑みを燈して、佐藤は吉田の手を優しく握った。掌の温かさに、吉田の胸が撥ねる。
「そういうの、要らない関係にならない?――って言ってるんだけど」
「ふ、ぇ?」
 佐藤の、笑顔は優しいし手は温かいし、と何やら自分でも何に動揺しているのか、吉田も解らなくなっている。
 いや、吉田も、無意識にこれからの展開を予想していたのかもしれない。相手の雰囲気で、言いたい事が解るような、そんな関係を築いてきたから。ドクンドクン、と大きく弾む心音は、カウントダウンのようだった。
 満を持したように、佐藤は言う。
「結婚しよ、吉田」
「!!!!!!!!」
 今まで、――佐藤と付き合うようになって、何度も頭の中が爆発したけれど。
 多分、これが最大最高。これ以上なんて、無い。
「……吉田、吉田」
 佐藤に肩を掴まれている事で、ソファに坐ったままよろめいたのが解った。
「大丈夫か?」
 気づかうこの言葉に、うん、とは頷けない。
 顔も頭も、沸騰したように熱いし、胸の鼓動は元のリズムを忘れたように荒れ狂っているし。
「なんかもう……凄い衝撃……」
 うわ言のように吉田は呟く。はっきり言ってこれに比べたら、昨日の報告なんて全く生ぬるい程だった。
 きっとフラフラして、酷い顔をしているだろうに、佐藤はとびきりの笑顔で慈しむように眼差しを向けている。吉田は、何だか改めて思ってしまう。
(佐藤って、こんなに格好良かったんだ……)
 何をいまさら、と冷静に言う自分の声も聞こえるが、だってそう思ってしまうものは仕方ない。
 よろめいた身体を佐藤の手が戻す。しっかり座り直し、ちゃんとお互いの顔を見た。
 何だか、この場から逃げ出したいような、ずっと居続けたいような……
(あぅぅぅ…………)
 ここまでぐるぐるするのは久しぶりで、吉田は何だか乗り物酔いのようになる。
「……さ、さ、さとぅ………」
「ん?」
「い、いいい、いぃ、の………?」
 自分なんかでいいのか、と言う事だけなのに、上手く言えない。
 佐藤の気持ちを疑うつもりは毛頭無いのに、聞かずにはいられなかった。ただうろたえている心に平穏が欲しい。その為の、確認。
 混乱する吉田に、佐藤は小さく笑ってやる。
「それはこっちのセリフだと思うんだけど……本当に俺でいい?」
「い…っ……ぃ………!」
「聴こえないけど」
 半ば酸欠状態のまま返事をしてみたが、返って来たのはそんな意地の悪い言葉。
(そんな……そんなの………)
 高橋とシェア生活をするけど、それはずっとという訳じゃない。――なら最終的にどうなりたいか。
 無理して1人で生活するより、貯金を蓄えたいと思った。――その金は何に当てるか。
 それらが繋がって行く所は、全部――
「佐藤……と……が……いいッ!!一緒に、居たい!!」
 それだけ言うと、また身体がふらついた。そして再び、佐藤に支えられる。――いや、そのまま胸に抱かれた。
 胸に耳を押し付ける形になり、ドクドクという鼓動が耳に響く。佐藤も、それなりに緊張していたらしい。
「……離れた方がいいのかな?」
 吉田、フラついてるし、と解って言ってるから佐藤という男は本当に性質が悪い。そんなの、離れて欲しくないに決まってるのに。
 ぎゅぅ、と衣服を掴む吉田の手を笑う佐藤に、こんな底意地の悪いヤツ、そうだと解ってても一緒に居られるのは自分だけなんだろうな、とつらつらと吉田は思う。
「それで――いいんだよな?俺で」
「……何度も聞かないでよ……」
 何度も答えるもんじゃないし、と真っ赤な吉田は唸って言う。
 付き合ってからも、まだ片想いみたいな顔をする佐藤は、その感覚からはまだ抜け出せれないのだろう。だから、何度も告白みたいな事を言うのだ。
 吉田のその返事を聞いた後、佐藤は何かポケットから取り出した。そして、吉田の手を取って――取りだしたそれを嵌める。
 指に施された事で、見る前から予想出来た。
「……指輪………」
 吉田は嵌められた物を見て呟く。勿論、場所は薬指。さっきまで部屋をごそごそ動き回って居たのは、これを探していたのが原因だったのだろうか。
「いつ買ったの?」
「うーん、いや、作った」
 作った!?とよしだは仰天した。おそらく素材は銀だろうそのリングは、細かく編み込まれたデザインをしていて、素人の作品とはとても思えない。
「削ったんじゃなくて、最初は粘土みたいで焼くと銀になる素材があるんだよ」
 だから難しく無い、と言いたいのだろうが、そうは思えない吉田だった。まじまじと薬指を見つめてしまう。
 素人が作ったとは思えない細工に、惚れ惚れする。
「作ったって、いつ作ったの?」
 吉田が何となしに訊く。佐藤は、その時を思い出す懐かしさも込めて言った。
「ずっと前だけど――高校生の時。吉田が寝ボケて何だか指輪がどうのこうのって言った時があったろ」
 そうだっけ?と吉田は困った。佐藤の部屋の――ここでいうのはつまり以前の部屋だが――ベッドは自分の布団よりうんと寝心地が良くて、ころんと横になってはつい寝てしまう、という事は何度もあった。そして寝て居る間に詰まらないイタズラされる事も。
「それで、その時じゃないけど、ちょっとしてからその事思い出して、何となく指輪作ってさ。
 その時から、吉田と結婚したいって本気で思ってた。出来れば、高校卒業と同時にしたかったけど、そこまで言っていいのか、その時は自信が無かったし」
 まあ高校生の分際でそんな自信があった方がどうかと思うけど、と吉田は胸中で突っ込む。
 傲慢で傍若無人の塊みたいな佐藤だけど、実は大切な気持ちに対しては凄く臆病だというのを、吉田はよく知っている。そしてそんな所も、吉田の大好きな佐藤を作る部分だ。
「それに高橋と一緒に暮らしてる吉田も楽しそうだし、それを奪うのもどうだろうって思ってて。
 でも、まあ、それが無くなる訳だし、吉田も困ってるし――ならいいかな、っていうのも変だけど。なんか生活苦に付け込むようだし」
 いつになく弁舌な佐藤に、やっぱり緊張しているのだと解って、そこで吉田にもやっと余裕が出てきた。自己弁論のようなセリフを聞いていて、クスクスと笑みが零れる。
「――いや、っていうか………」
 ふと、何かを思い当たったのか、佐藤は壮絶に顔を顰める。どしたの、と吉田が視線だけで尋ねた。
「なんだかさー、これってもしかして山中にきっかけ貰ったって事になるのか?と思ってさー」
 苦々しい表情で佐藤が言う。
 確かに、この現状の大元は山中になるので、そう摂れなくも無くもない。。それが佐藤にはかなり不服のようだ。
 山中が勝手なライバル心で吉田に手を出したのは、もうかなりの前なのに、まだその怒りを引きずっている佐藤が――吉田には、とても可愛い。
「じゃあさー、報告がてらに、今度何か、山中に奢らせちゃおうよ」
 そして山中の方も、佐藤からの仕打ちによるトラウマが忘れられないのか、未だにその存在を仄めかす話題だけで怯えたように顔を引き攣らせる。普段は吉田もそれなりに気づかって、同席なんてまずさせないのだが、まあ事態が事態だし、やっぱり親友に手を出した恨みは晴らしたいし。
 今から山中の反応が楽しみの吉田だが、佐藤は吉田のセリフに別な事を思っていた。そう、報告、というキーワードに。
「……なあ、今日は吉田の両親、2人とも家に居る?」
「え? 居ると思うけど…………――って………」
 これから佐藤の取るだろう行動に、吉田は顔を赤らめた。
「い……言っちゃう……の?」
「言うしかないだろう。ここまで来たら」
 そういう佐藤の顔も、ちょっと赤い。
 そうか、言うのか……と吉田も感慨深くなる。
 何だかんだで、この時まですっかり自分達の関係は秘密のままだった。隠し通したいと思った訳では無く、単にその時のスタンスのままでいた程度の事で、逆によくバレないでいるな、と思わないでも無い。   
 ふと、頭を撫でられた事で、吉田は佐藤を見上げた。吉田の視線がこっちを向いたのを見て、佐藤は指輪だけど、と話し始める。
「まあ、とりあえずそれは仮って事で、今度ちゃんとしたの買う――」
「えっ、や、ヤだッ!」
 佐藤のセリフを皆まで言わせずに、吉田は指輪を庇うように片方の手のひらで包んだ。
「これがいい! 他の何か買わなくていいから、これがいいッ!」
 他の誰が作ったか知らない物より、佐藤が作った方が吉田にとっては何倍も価値がある。それを差し置いて、別のを嵌めるなんて、吉田にはとんでもない事だ。
「他のなんて、絶対つけないからなッ!」
 吉田の剣幕は全く佐藤の想像外だったようで、切れ長の綺麗な双眸を大きく見開いた後、佐藤は思い切り破顔した。佐藤の素直な笑顔に、吉田の胸がぎゅぅ、となる。多分ときめいているのだろうな、と思われる。
「うん、いいよ。なら、俺も吉田の手作りがいいなv」
 佐藤は強請る様に吉田に身を寄せる。果たして自分の技量で彼の指に相応しいような物が出来るか不安だが、買うにしても同じ悩みで魘されるだろうし、ならここは相手の要求に従うべきだろう。吉田は小さく頷く。
「さて。――それじゃ、行こうか」
 吉田の両親の元へ、自分達のこれからを報告しに。
 先に立ちあがった佐藤が、ごく自然に吉田に手を差し出す。
 その手を握る事に、吉田はもう、なんの躊躇もしなかった。


「……吉田、吉田」
 佐藤の声が聴こえる。これからずっとこの声を聞けるのか、と思うと何だか胸の中がぽわぽわと温かくなる。口元も綻んで、顔がくすぐったくなる。ふにゃふにゃ、と変な声が出た。
「まだいいのか? そろそろ家に行かないと、不味いんじゃないか」
「んぇ?」
 寝ボケた声で、吉田は起きた。
 起き上がる為に身体の脇に置いた左手に、何やら違和感を覚える。
「……あれ?指輪はー?」
 しっかりはめた筈の指輪が、影も形も無い。何処に行ってしまったんだろう、ときょろきょろとした。
「指輪? そんなもんしてたか?」
「そ、そんなもんって……!」
 佐藤がくれたんじゃん!と、吉田は言おうとして―――
(あれ?)
 見渡すと、ここは佐藤の部屋だ。
 そう。
 佐藤と姉が住んでいる部屋の、佐藤の自室だ。
 さらにふと見渡すと、ハンガーには見慣れた高校の制服が掛って居る。あれ、あれ、と吉田は再度思考を彷徨わす。
 ほっぺたを抓ってみる。ぎゅぅ。痛い。
 夢と現実を確かめる吉田を見て、佐藤は楽しそうに笑う。
「それで、指輪がどうしたんだ?」
「えっ!ええええ、それは――」
「何、欲しいの?全然構わないけどv」
 むしろ強請ってくれ、と言わんばかりの笑顔の佐藤だった。
「ち、違うけど――」
 でも本当の事なんて言えない。絶対、言いっこない!
 山中と高橋が出来ちゃった結婚する事になって、その流れで自分達も結婚する事になった夢だなんて!!
 夢は無意識の願望が現れるとか夢占いで言うけど、だったら今の夢もその事例に当てはまるというのだろうか。何だかんだで、山中達にくっついて貰いたいと願っていて、それ以上に佐藤と添い遂げたいと望んでいるのか!自分は!!!
(そ、そそそそ、そんな!まさか!)
 しかし極限まで驚きはするが、否定の念が湧いて来ないのに、吉田は気付いていた。あー、もう、何て夢見たんだー!!と吉田は佐藤が居るのを忘れて頭を掻き毟った。1人で愉快な吉田に、佐藤はまた笑う。
 夢の内容の件については、佐藤は特に追求しようと思わないのか、改めて吉田に帰り支度を進める。ハンガーにかかっていた上着に、袖を通す吉田。
(……あれ、ちょっと待てよ?)
 ある程度冷静になり、もう一度(とても恥ずかしいけど)夢の内容を反芻した時、引っかかる事がある。それは佐藤のセリフで、夢の中の彼はこう言った。

  ――ずっと前だけど――高校生の時。吉田が寝ボケて何だか指輪がどうのこうのって言った時があったろ――

 そう、まさに今さっき、吉田は寝ぼけて指輪の事を口走った。
 夢の佐藤はそれを受けて指輪を作ったのだと言う。
 これは、ただの偶然なのか。
 あるいは――
「暗いから、自転車で送ってく」
 吉田の思考を遮る様に、佐藤の声がした。
「え?い、いいよ、まだ明るいよ」
「帰る途中で絶対暗くなるって。そしてお前は近道して人気のない裏道通るんだろ?大人しく送られとけって」
 家の前でちゃんと降ろしてやるから、と言って吉田の腕を引っ張る。それは急な動きで、バランスを崩した吉田はもろに佐藤の胸に倒れこんでしまった。全く動じない、逞しい胸板に顔がかーっと赤くなる。
 慌てて離れようと少し身を離すと、肩を掴まれその距離に固定される。そして当たり前のように重なる唇。何度もしてるのに、ちっとも慣れてくれない吉田の心臓は、ドクドクと波打って体温を上昇させる。
(もー、これから家に帰るってのに!!)
 自転車に乗った時の風で、顔の熱が治まってくれたらいいけど、と吉田は思わずに居られない。
 佐藤はとっても意地悪で、それに付き合わされる毎日の中で吉田は今日見た夢の内容も、次第に忘れていった。だからもう、照らし合わせて確かめる術も無い。
 あれはただの夢だったかもしれないし――あるいは、神様のイタズラで垣間見えた未来の事だったかも、しれないのだった。



<END>