来るべく夏を控え、佐藤も吉田も少し憂鬱だった。そして奇しくも、その対象は同一であったりした。
 プール開きに伴い、体育の授業が水泳に移り変わる事に2人は憂いている。
 原因は吉田が水着になる事で、吉田は周囲よりあまりに未熟な体躯の劣等感に、佐藤は愛しい吉田のボディラインを人目に晒さなければならないという嫉妬で胸中を煩わせていた。
 佐藤にとってのせめてもの救いは、カリキュラム上で男女が同時に同じ課目に取り掛かる事が無い為、男子の目には触れない事だが、吉田はとても可愛いのだ。うっかり女性にも可愛がられてしまうかもしれない。例をあげれば艶子とか艶子とか艶子とか。
 それに、他の男子の目に入らないという事は、当然佐藤の視界の中にも写らない、という事だ。折角の吉田の水着姿、何としても拝みたい。
 これについての回答はシンプルだ。授業でダメならプライベートで見ればいい。
 と、言う訳で。
「吉田、今度の休みプールにいかないか?」
 昼休み、早速佐藤は自分の欲望を成就させに行く。じっと待っていても事態は何も好転しないのは体験済みだ。
 最近、この時期にしては真夏並みの気温が続いた。この提案に、すぐにでも乗ってくれる筈だ、と佐藤は睨んでいたのだが――
「……………。いかない」
 たっぷり開いた間は心が傾いた証拠だろうが、結果として吉田は拒否した。
 吉田は、行かないその理由もちゃんと言ってくれた。
「だって水着、持ってないから。水着っていうか、可愛い水着っていうか……」
 紙パックのストローを弄りながら吉田は言う。
 遊びでプールや海に行く事は勿論ある。でもその時も学校指定のものか、そうでなくても市販している競泳用みたいなシンプルというより素っ気ない水着だ。とても、デートに着て行く代物ではない。
 着て行くものが無いのだから、佐藤も引きさがってくれるだろう。なんて思っている吉田は甘い。今飲んでいる濃縮還元100%のオレンジジュースより甘かった。
「ふーん、そっか。なら、買いに行こうか」
「――へっ!?」
 佐藤の言い方があまりに自然で、吉田も咄嗟に突っ込む事が出来なかった。
「嬉しいなぁーv 吉田が着る水着選べるなんてv」
 すっかり佐藤はその気のようで、早速携帯を持ち出し、どこかのデパートで水着のフェアでもしてないかと情報収集に乗り出している。ノリノリで乗り出している。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってって佐藤!!」
「ん? 水着が無いから行けないんだろ?」
 口調としては「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」みたいなアントワネットみたいに優雅で傲慢な佐藤だ。
「そ、そうだけど、でも、あの、」
「金の事なら気にするなよ。俺の買ったのを着た吉田の姿が見たいっていう、ただの我儘なんだからな」
「え、あの、そうじゃなくて、あの、」
 素直に頷かない吉田は、別に佐藤のセリフを疑った訳ではない。
 着て行く水着がないなんて、それも事実ではあるけど言ってみれば体の良い良い訳で、本当は他の人と体躯を見比べて欲しくないからだ。ある程度誤魔化しのきく衣服ならともかく、水着なんて身体の線がそのまま出てしまう。その点では裸も同然だ。
 しかし体躯の事でコンプレックスを持つ吉田は、それを意識している事を知られる事すら恥ずかしい。
 結局、本当の理由を言えないが為に、半ば押し切られるように、次の週末は水着を買いに行く約束を取り付けられてしまった。まあ、応じないとこの場で佐藤にあんな事やそんな事をされそうだったから、というのが大きいのだが。
 吉田は今から、その日がとても長く感じるだろう事を予想した。


 吉田の恋人を自負するだけあり、佐藤は吉田が乗り気でない理由をいち早く察知していた。本当に嫌がる理由が、水着が無い事ではなく、他人と比べられる事も。
 無ければ買えばいいし、元から自分は吉田しか見てない。だから当日は、 吉田ばかり見て、吉田も他者へ目を向けないようにしようと佐藤はもう決めている。吉田の悩みは、佐藤にとって問題ですらならなかった。むしろ楽しみのひとつだ。
 金額なんて佐藤には二の次だが、それで吉田が委縮してしまうのは困る。幸い、季節を先取る傾向の中、初夏の触りだというのにすでに水着のセール会場が設けられていた。そこへ2人は向かう。
(わぁ………!)
 まさに色取り取りの会場に、吉田は胸中で感嘆の声を上げる。いつもは素通りしていた場所の真っ只中に身を置いているのだ。それだけで胸が高鳴る。似合う似合わないは別として、可愛いものを見れば心浮き立つのだ。
「吉田、どんなのが着たい?」
 佐藤に声をかけられ、しばし水着に見惚れていた吉田が我に返る。
「え、えっと……泳ぎやすいのが良いな」
 暗にシンプルなデザインを望む吉田。目の前に陳列する水着は、見て楽しむのはいいけど、自分で着るのは不相応だと思うから。しかし事もあろうに、佐藤はその中から数着選んでいく。
「ちょっ……泳ぎやすいのって言ってるんだけど!」
「ん? 勿論。ほら、これとか飾りが取れるから」
 吉田の目の前で、佐藤が水着の作りを説明する。
「でも! こんな可愛いの似合わないし……」
 俯く吉田の頭に、何か大きなものが乗る。佐藤の掌だ。
「似合うよ。可愛いよ。俺が選んだんだから」
 俺の事信じないの? と遠まわしに言う佐藤。ずるい、と吉田は真っ赤になって唸る。そんな風に言われたら、吉田も従うしかないではないか。
 まあ、例え周囲の誰もが似合わないと言っていても、目の前のこの男だけが喜んでくれればいいのかもしれない。腹をくくった吉田は、水着を手に試着室へと乗り込んだ。
 そして。
「………」
 着替えた自分の姿を、吉田はなんとも言えない顔で見つめた。凄く子供の頃は、こんな可愛い水着も父親の趣味で着せられてたけど、小学に上がってからは久しく身に着けていない。
 決していい意味では無く、鏡に映る姿が自分とは思えない吉田だった。
「吉田、着た?」
 カーテンの向こうから、佐藤の声がした。
「あ、う、うん」
 吉田の声を聞き、佐藤は一言「覗くよ」と断って顔を覗かせる。にゅっとカーテンの合間から、佐藤の顔だけが突出される。結構シュールな光景だ。
「………おっ。可愛いv」
 全身組隈なく見てからの佐藤の呟きに、吉田は真っ赤になる。それを見て、さらに笑みを浮かべる佐藤。
「サイズはどう?」
「うん、大丈夫。丁度いいよ」
 おそらく佐藤の目分量で選んだものではあるが、まさに吉田にぴったりだった。まあ、佐藤は吉田のサイズを、何から何まで把握しているのだろうけど。
 水着が無事決まった安堵に、吉田は胸を撫で下ろす。しかし、そういう考えはつくづく甘いのだった。
 すっかり終わったつもりの吉田に、別の水着が目の前に着きだされる。
「じゃ、次はこれな」
「え……こ、これに決まったんじゃないの!?」
「候補その1、って所かな。こんなに一杯あるんだから、一番似合うの決めないと」
 慌てる吉田に、佐藤は落ち着いた声で言う。それは決して冗談で言ってるのではないと、吉田に解らせた。
「で、でも………」
「じゃ、着替えたら呼んでねv」
 これで十分、という吉田のセリフを避ける為か、さっさと佐藤は顔を引っ込めてしまった。次なる水着を握りしめ、半ば呆然となる吉田。
(一体、どれだけ試着させるつもりなんだろう………)
 その不安に見合うだけの量を試着させられ、後半にはただただ佐藤が決めてくれる事だけを待ち、羞恥すら吹っ飛んだ吉田だった。それも佐藤の策略のひとつかどうかは、定かではない。


 例え外出デートでも、結局は佐藤の部屋から吉田は帰る事になる。
 この日も、デパートから出た次の行き先は、佐藤の部屋だった。佐藤の部屋に着くなり、吉田はベッドの上にぱたり、と倒れ込む。
「う〜……もう一生分の水着着た……」
「大げさだな」
 アイスティーを淹れてきた佐藤は、力ない吉田の呟きに笑いながら答える。
「今日は楽しかったなーv 色んな水着着た吉田が見れてv」
 そりゃぁ佐藤はそうだろうよ、と吉田は内心愚痴る。ぶつける相手が居ないのが悩み所だ。
 結局、水着の他にミュールやら揃いのリストバンドやら買われてしまった。口を挟もうにも、その時すでに吉田は水着の試着疲れてただ流されるままになっていたのだった。気付けば自分の手にはアクセサリの入った小さな紙袋が、佐藤の手にはそれなりの大きさの紙袋が3,4つ抱えられていた。
 佐藤は、ベッドの上で寝そべってる(というかぐったりして寝込んでいる)吉田の元へ赴いた。そして同じように佐藤も寝転がる。間近になった佐藤の顔に、吉田はドキリとなった。
 佐藤の手が、髪をゆっくり梳く。その心地よさに、胸の中がくすぐったくなる。
「ホントに、吉田と居ると色んな事が楽しいよ」
「…………」
 少しでも愛情を向けられると、それで胸が一杯になってしまう吉田は、折角嬉しい事を言われても上手い返事が思い付かない。でもそんな表情で、佐藤はとても満ち足りるのだ。
 元からあまり無かったような距離を更に縮め、佐藤は吉田の額にそっとキスをした。寝転がったままのキス。吃驚したように、吉田の髪が揺れる。それから、少し不貞腐れたように剥れるのは定型美だった。いきなりなにすんの、と言わないで居る筈のセリフが聴こえる。
「……で、プールは? 来週行くの?」
 黙ってると色んな事をされそうだと思ったのか、吉田がそんな話を切り出す。佐藤は、ん〜、と呟いて視線を彷徨わせた。
「うーん、どうしようかなぁ……」
「どうしようかなぁ……って、何その気の抜けたよーな返事……」
 そもそもそっちが言いだした事じゃん、と吉田がジト目で詰る。その為に、恥ずかしいファッションショーにも耐えたというのに。
「いやー、もう、吉田の可愛い水着姿一杯見れたし……」
 記憶の中のスクリーンショットでも思い起こしたか、満足そうに笑う佐藤。未購入の品物への撮影は自重したのだった。
「なっ……! 何ソレ! 目的ってもしかしてそっち!?」
 上半身だけガバリと起こし、顔を赤く染めた吉田が抗議に出る。
「まあ、今となってはそう言われたらそうなっちゃうかな?」
 すでに目的は果たしたのだ、とばかりに佐藤はぬくぬくとした顔で怒る吉田を受け流す。
 勿論、それで済まないのは吉田だ。一体、何の為にあんな恥ずかしい思いまでして試着して、挙句の果てに疲労困憊にまでなったというのか!まあ、その後休憩としてお茶して貰ったけど!ケーキセット美味しかった!(←感想)
「やだ!そんなの!折角水着買ったんだから、プール行こうよ!」
「そしたら、他のヤツに吉田の水着姿見せちゃうじゃん」
「そ、そんなの佐藤しか見ないしっ! いーから行くのッ! 来週、行くからね! 決定!!!」
「えー」
「行!く!の!!!」
 今度は乗り気で無くなってしまった佐藤を吉田が必死に誘うという、事の発端とは逆の構図となり、その可笑しさに2人は気付いていないのだった。



<END>