「佐藤!」
 と、今日の昼休み、吉田の機嫌は良かった。というかこれから良い思い出を作ろうとしているような、そんな笑顔だ。
「あのさ、今度の土曜日、開いてる?」
「勿論」
 何の為に嘘までついて女子の誘いを断っていると思っているのか。自分の煩わしさよりも何よりも、吉田との時間を設ける為だというのに。
 そんな内情は潜め、佐藤は吉田の誘いに快く頷いた。吉田の顔がぱぁっと輝く。
「井上さんに、美味しいお店教えて貰って……えっと、何か台湾のかき氷、とかいうの」
 実にあやふやな吉田の説明だったが、佐藤は何となしに掴めた。吉田の言っているのは雪片氷(パオパオピン)という、かき氷とアイスの中間みたいなものだ。ジェラードやシャーベットとも、ちょっと違う、と佐藤の中の情報にはある。何年か前に取り上げられ、それからも一過性で終わるでも無く夏の度に話題として昇っている。
 日本のかき氷と大きく違い点は、そもそもが水を凍らせただけの氷では無い所だろう。本場や各店でそれぞれに作り方には差異はあるだろうが、とりあえず日本内で台湾式かき氷と銘打つものは、練乳や氷を凍らせたものを削ったものが一般的だろう。そして平皿に山のように盛り付け、その周りに果物やら白玉を飾りつける。
「んで、そこに食べに行きたいなって」
 まだ見知らぬ美味しい甘味に思いを馳せている吉田は、見ていて無邪気だ。自分との快楽よりも食欲に対してがまだまだ素直な吉田に、可愛いと思うがそんな吉田に手を出している自分がやたら後ろめたくもなる。まあ、今さらだが。
 メールで教えて貰った店舗案内を、そのまま佐藤に転送する。大きなターミナル駅から乗り換える地下鉄で、4つ程行った所か。やや距離があるが、その方が秘密裏に付き合っている自分達には都合が良い。顔見知りに会わなくて済む。
「じゃあ、土曜日にな」
 まずは日程を決める。詳細はこれから決めれば良い。うん、と頷く吉田があまりに可愛くて、校内はご法度だと言われていても、キスをするのが堪えられない佐藤だった。


 目的とする食べ物はデザートの類だから、その前に何か腹に入れてこう、というプランになった。昼食も吉田と一緒に食べる事になって、佐藤としては万々歳だ。
 店があるという場所は最寄りの駅から出てすぐの商店街で、食べる場所には事欠かなかった。しかし、何せあまり行った所の無い場所で、どこで食べるかを決めるかはひと作業だった。部屋に引き連れてその予定を立てたのは、楽しい思い出であるが。
「吉田、美味しい?」
「うん!」
 と言って頷く吉田の手にはエッグ・サンドイッチがある。あくまでメインがかき氷、というので昼飯は軽くを目指した。満腹にはしない分、かき氷の感動を際立たせようという算段である。軽食を取れる場所として佐藤が選んだのは喫茶店だった。レトロな内装に、奇抜さを狙わない安定したメニューはしっかりとした皮で装丁が施されていた。皮の感触が手に馴染む。
 その中にはカレーやオムライスなどと言った空腹を満たすメニューもあったが、吉田は上記の目的の為、サンドイッチに決めた。それでも、この時間帯は必然的にランチメニューとなり、マグカップと小鉢であるが、スープとサラダも着いてきた。さらに代金をプラスすれば、ショーケースの中のケーキをデザートとして付ける事も出来たのだが、吉田は勿論そこは堪えた。それでも結構気にしていたから、またこっちの方面に来るような機会があれば、今度はここでお茶でもしていこうと思う。お茶というか、ケーキであるが。
 佐藤はここでナポリタンを頼んだ。メニューで見て、何となく食べようと言う気が起きたのだ。吉田も佐藤の注文を聞いて「たまに無性に食べたくなる」と言った。同じ感覚なのが嬉しい。食べてる最中、何度か視線を投げ寄越してきて、2回はスルーして3回目に一口上げた。ケチャップが口の端に着いた吉田を見て、小さく吹き出したのは些細な思い出である。
「わー、結構並んでるー」
 昼食も済まし、いざ参戦!とばかりに佐藤に先達て吉田が進むと、すぐにその場所が判明した。吉田の言う通り、列と解る程の人が集まっていたからだ。当然と言うべきなのか、女子ばかりである。作っているのは男性みたいだが。
 台湾の屋台をイメージしているのか、建物自体は簡素な造りだ。最も、ここの商店街はアーケードで覆われている為、雨水による劣化は考えなくても良いのだろう。素朴で、ざっくばらんで、ちょっと立ち寄ってちょっと食べて行く。そんなイメージだ。さっきの喫茶店のような店とは、対極と言って良いかもしれない。
 こうした列に並ぶのは、佐藤にとって苦難でもあれば楽な面もある。居合わせた人数分の視線も感じるが、彼女達の目的はちゃんとあるので、それを覆してまで佐藤に声を掛けようとはしない。日本人の良い所は行列に対して絶対的なエチケットを持ち合わせている所だ。勿論行列を無視する無法者も居るが、女性の軍団の中にそんな真似をしようとする輩も居ないだろう。
 列に並んで少し経つと、店員と思しき男性がどうぞ、とチラシを手渡してきた。メニューの一覧だった。一番上で写真を飾るのは、勿論台湾式かき氷の雪欠氷であるが他にもあるようだ。
「あ、何だろう、これ」
 その中で吉田が興味を持ったのは、一見すれば醤油をかけたおぼろ豆腐のような代物だった。名前は豆花と言い、実際に豆腐だが掛かっているのは黒蜜だ。それに、豆や白玉がトッピングされる。スイーツであるがカロリーがぐんと控えめなので、そういう点で人気がある、らしい。チラシの煽り文句にはそうある。
「家で買った豆腐に黒蜜掛けても美味しいかな?」
 すぐに浮かんだらしい吉田の疑問に、中々答えられずに首を傾げる佐藤だった。3年間日本食から離れていたが、やはり豆腐に醤油以外をかけるイメーゾは沸かない。
 試してみようっと!とチャレンジャー精神を滾らせた吉田に、どうか良い結果になりますようにと思う佐藤である。


 屋台がコンセプトであるこの店は、周りの用品も全てがチープな雰囲気で統一してある。屋台の横には、そこで食べられるようにとビーチパラソルにプラスチックで出来た丸テーブルと椅子の一式が数個置いてあった。けれど、安っぽく見えてはただ貧乏なだけだ。テーブルには水中花がインテリアとして添えられているし、大振りの花の模様が描かれたホーローの皿は食べ進むと模様の全貌が伺えて目にも楽しい。目当てのかき氷を入手出来た吉田は、さっそくとやはりプラスチックのスプーンで一口を含んだ。ぱっと輝いた顔が実質味の感想のようなものだ。
「美味しい!とっても美味しい!初めて食べる!!!」
 イタンビュアーとしてもコラムニストとしても失格な味の感想だが、吉田は一介の高校生なのだから、そんなものに凝る必要は無いのだ。むしろ実際に居合わせて聞く分には、美味しいを連呼された方が自分も美味しく感じられる。ミルクと練乳の配分がどうとか、果物のカットの仕方や組み合わせがどうとか、そんなものはどうでも良いのだ。美味しければそれで正義だ。
 初めて食べた美味に顔中を綻ばせていると、急に何か思い立ったのか、鞄からごそごそと携帯を取り出した。3つ程着いたストラップがちゃらりと揺れる。その中の1つはこうしたデートの中で買った物で、佐藤は吉田の携帯を見るとその度ににやついてしまう。
「井上さんに写メ送ろうと思って」
 佐藤に言いながら、辛うじて食べた分は半分は越していないかき氷をぱしゃりと取る。その後、何やら文字を付足して送信する。吉田の傍らに携帯が置かれた。
 かき氷と一緒に吉田は酸梅湯というものも注文していた。湯と付くが、ハイビスカスやサンザシなどで出来たアイス・ハーブティーだ。しかし名前通りに梅肉がちょっとだけ入れられている。砂糖も入っていて、酸味と甘味を同時に感じる飲み物だ。吉田の口に合ったらしい。見て解る。そして佐藤はパパイヤと牛乳を混ぜたフルーツ牛乳のようなものを飲んでいた。実質オープン過ぎるオープンテラスの所では、はい、あーんvとした所で吉田は食べてはくれないだろう。さっきの喫茶店ではやってくれたけども。
 と、吉田の携帯が鳴る。さっきの返信だろう。殆どと食べつくしていた吉田は一旦スプーンを置いてから携帯を取り上げる。同時のながら作業をしない所は、母親の躾が行き届いているからだろうか。
 何回かボタンを操作していた吉田の顔色が変わる。平素から赤色に。かき氷に入っているさくらんぼみたいだ、と佐藤は思った。
「どうしたの?」
 そのまま尋ねる。さすがに推測をするには材料が少なすぎた。多分、そのメールの相手は井上だろうというのは何となく掴んでいるが。
 吉田にとっては言いにくい事なのか、えーとか、うーとか、声には出ているが全く台詞にはなっていない。何なの?とその様子を可笑しく思いながらもう一度聞いてみると、吉田が観念したように話し出す。
「井上さんがさ……」
「うん」
 やはり送信者は井上だったか。中学時代を共に過ごしたという彼女は実は佐藤にとっては羨望の的である。本人がそれを知る事はまだ無いだろうが。
「……デート?とか言って来て……」
 案外、井上自身もここには友達では無くて彼氏と来たのかもしれない。あるいは単に、吉田をからかいたいだけなのか。
 ミーハーくらいには佐藤に焦がれている井上だが、弁える所は弁えている。他校の女子に牽制するのに、タイマンを張ったりもしない。そんな聡明な彼女はもしかすると、吉田に付き合っている相手が居るのでは、くらい勘繰っているかもしれない。というか山中や牧村程度が看破出来たのだから、出来るだろうと最終的に2人の酷評で終わった。
「で、なんて返事するの?」
 正面に座る佐藤は綺麗な顔で綺麗に笑っているが、その分底意地が悪い様に見える。自分達が付き合っている事を知っているのは本当に少数で、手で数えきれるくらいしか居ない。井上にも教えてない。生涯かけて固く守り通す秘密ではないが、メールで明かす事でも無いのだ。本当のままを言える事が無い。
「そんなん、友達と一緒って返事するよ」
 その答えに、吉田自身がちょっと面白く無さそうに言っている。吉田だって、本当は、たまにだけども佐藤と付き合っているのだと明言したい事もある。佐藤が女子に囲まれている時とか、佐藤の事で悩んでいる時とか。そうして、今みたいな親友からの返事の時も。
 入学当初から凄かった佐藤の人気は衰える所かむしろ拡大していって、すでに彼女が居ると本人の口から公表してもこうなのだ。その相手は適度にぼかされているが、同じ校内の吉田と知られた日にはどうなるか。火に油を注ぐどころか、タンクローリーがガソリンスタンドに突入するようなものだ。
 井上はこういう事をぺらぺらと言いふらすようには見えないが、人の耳はどこで澄まされているかも解らない。今は何より安全を第一にすべきだ。
「どんな友達?って聞かれたらどうする?」
 またも意地悪い佐藤の質問に、吉田は唸った。すでにさっきの内容で返信してしまったので、撤回しようにもどうにもならない。それを解って言ってくるのだ。吉田の困った顔や拗ねた顔を見たいが為に。
 しかしその後、佐藤の言ったような内容の返信は来なかったようだ。となると、佐藤としてはむしろ怪しいと思う。けれど井上が吉田に相手が居ると思っているのを訂正する気にはさらさらならない。例えその相手が誰かまで解らなくても良い。ただ、吉田に恋人が居て、それで一緒に居て楽しくしているのだと、誰かが知っていれば。
 要するに佐藤は自慢したいのである。今、自分が幸せなんだと、世界中に。


「ホントに美味しかったな~~とらちんにも教えてあげよう」
 あんな強面でも、高橋もそれなりに甘いものを嗜むらしい。帰りの地下鉄、吉田は上機嫌だった。
 そして言った後、何かに気付く。
「もしかして、山中と行くかな?」
「行くんじゃないのか?っていうか付いてくるだろ、向こうが」
 とらちんとらちん、と刷り込みされた雛の如く、高橋の後ろを付いて回るのは山中のもはや習性だと言って良い。それは例え校内だろうが校外だろうが、放課後だろうか有効だった。あいつもか、と吉田がげんなりするのはこういった飲食代を高橋が出してしまう所だ。出してやる必要は無いと井上含めて言ってはいるが、奢ってしまうのが高橋の業だった。当人たちが納得しているのだから好きにすれば良いと思う佐藤だが、やはり親友としては捨て置けられない所なのだろう。
「あいつもなー、せめて、………」
「?」
 不意に途切れた台詞に佐藤が怪訝そうにしていると、「せめてもうっちょっとマシになれば良いのにな!!」といかにも取ってつけたような事を言う吉田。何かがありそうだが、場所が地下鉄だし、さっき散々意地悪した所だからまあいいか、と佐藤は敢えて見送った。
 実は逃がして貰ったのだと知らない吉田は、上手く切り抜けた喜びと焦りに鼓動を早くしていた。
(あ、危ない……!)
 危うく、少しくらい佐藤を見習えば良いのに、と言う所だった。山中の批評をする時、胸中ではいつも呟いている事なので、つい言いそうになってしまった。
 佐藤と出掛けるのは、楽しい。女性に注目されてしまうのが唯一で最大の欠点であるが、それ以外は十分すぎるほどだ。吉田の興味がありそうなものを見つければ口に出して報せてやるし、何より歩幅を合わせてくれる。こんなに身長差があるのだから、足の幅だって差も生まれるだろうに。けれど、これまで一度として佐藤に置いて行かれた覚えのない吉田なのだった。あまりに自然に佐藤がそう歩くものだから、吉田がその事実に気付いたのは大分経ってからだ。それに気付いた時の吉田は、胸の内側から何かがぐーっと込み上げて来て、顔が熱くなってじたばたしたいような気持りになった。いわゆる、ときめいた、というやつなのだが、恋愛初心者の吉田にはまだ解らない事だった。


 そんな吉田を知ってか知らずでか、並んで歩く佐藤のペースは吉田と変わらない。毎回意識する訳でも無いが、失念している訳でも無い。その事実は宝物としていつでも胸に仕舞ってある。
「じゃ、吉田、またな」
「うん」
 駅から出て、いつもの通学路を渡って例の岐路に差し掛かった。まるで放課後の時のように別れる。この瞬間がいつもちょっとだけ名残惜しいんだよな、という吉田の心の声でも届いたのか、またなと言った後に佐藤は吉田に方に寄った。何?と吉田が見上げる先で佐藤が言う。
「いつか、本場の食べに行こうか」
「え?」
「台湾式かき氷」
 本場は本場でまた一味違うかもしれないよ、と佐藤。
 勿論今すぐに叶う約束では無い。期限の解らない約束は、こんな場面だととても嬉しいものに感じられる。その先まで一緒に居る事が前提になっているからだ。
「うん、そうだね」
 吉田が笑って言い、佐藤も微笑んで頷く。
 吉田は美味しい物が好きだ。
 そして、美味しい物を佐藤と一緒に食べるのが、もっと好きなのだ。


 後日、朝の登校時間で吉田は井上に声を掛けられた。
「美味しかったって?良かったねー」
 何せ味の好みには個人差が付き物だから、自分が太鼓判を押した所で意味を成さない場合もある。そして、同じく美味しいと思って貰えた時はとても喜ばしい。
「うん、すんごく美味しかった! ホントに、かき氷とアイスとも違うって言うか、その両方っていうか!」
 力説する吉田に、うんうん、と頷く井上。そんな光景を見て。
(あ~……これはバレてるんじゃないか?)
 背後から2人の様子を見て、佐藤はそんな判断を持った。あの井上の笑みを見る分には、そんな感じがする。
 吉田に相手がいると解った井上を佐藤が解ったと、校内の一角でそんなややこしい図式が出来ていた。



<END>