ゴールデンウィークも終わり、次に長い休みは夏休みを待つだけだ。その前には期末テスト等、それなりの試練も待っているが、一時意図的に忘れた所でバチは当たらないだろう。
 梅雨に差し掛かる前の、一年で最も長閑な時期を、吉田は満喫していた。そして、佐藤も。心地よさそうに5月の風を浴びている吉田を見ると、それだけで佐藤の心も柔いで行く。
「次の休み、どっか行く?」
 2人で過ごす休日となると、特に予定を立てなければ佐藤の自室でのんびりごろごろと、所謂お部屋デートをするのが通例となりつつある。勿論それも良いのだが、天候に恵まれた頃ならば、外に出かけるのも一興だ。自分の部屋に居ても可愛い吉田は、外出しても勿論可愛いのだ。佐藤の提案に、吉田は答える。
「んー、でも、日曜はダメかも。母の日だし、どっかに行くかもしんない」
 そう、と返事した佐藤は、吉田のその台詞で次の日曜が母の日だと知った。一応、カードと花でも贈っておくか、と自分の中で算段を立てる。感謝の気持ちというよりは、吉田と過ごすのに便利な今の暮らしを持続させたい根回しの為だ。姉とならば、まだ吉田と2人きりで過ごす隙があるが、さすがに実家暮らしとなるとそうはいかない。
「じゃあ、土曜日……ああ、でも、2日連続で出かけると疲れるか?」
 曲がりなりにも休日なのだから、それで疲れを溜めてしまっては本末転倒だ。吉田と過ごす時間は何より至福であるが、負担になってはいけない。佐藤がそう言うと、吉田は風呂上がりの犬のように、ぷるぷると首を振った。
「ううん、全然疲れ無いし! 土曜は佐藤の部屋に行く!」
 佐藤が少し引くような素振りを見せたからか、吉田の発言は何やら積極的だ。佐藤の顔の熱が思わず上がる。
 最近、女子が腕を上げたようで、帰る時は必ずしも吉田と一緒、という訳にもいかない。集団生活においては周りとの兼ね合いも勉強の1つと言えるが、それでも他を全て捨てて吉田だけにしたい、と思う時が佐藤には多い。そんな排他的で物騒な思考を一蹴するのは、他ならぬ吉田の笑顔だ。この笑顔を曇らせる事は、何をしても佐藤の中で赦されることは無い。
「じゃ、土曜に。昼も一緒に食べよう」
「うん!」
 そう言って頷く吉田は、本当に可愛い笑顔で。
 食べちゃいたいって、こういう気持ちなんだろうな、と堪えくれなくなった佐藤は、禁止されている校内にも関わらず、可愛らしい吉田の唇にちゅ、と軽くキスを落とした。


 しかしその予定が覆ったのは、金曜日の夜の事だった。楽しい明日を控え、自室で読書を楽しんでいた所、携帯は吉田の着信を報せた。まさか明日の予定が無くなってしまうのでは、と嫌な予感に苛まれつつ、電話に出た。その佐藤の予感は、半分当たって半分外れた。
『もしもし、佐藤! 日曜ってもう予定入れちゃった!?』
 声の大きい理由は、その声質からして何かに怒っているかららしい。自分には身に覚えが無いのだから、吉田側で何かがあったのだろう。
「無いけど、どうかした?」
『…………、それがさ~~~』
 そうぼやいてから吉田の説明にする所によると、日曜日の母の日、両親は仲良く連れ立ってホテルのディナーと洒落込むのだそうだ。
 が、しかし。
 それは夫婦水入らずなので、吉田はお留守番、との事で。
『もう高校生なんだから、お留守番くらい出来るでしょって……そりゃそうだけどさ、もっと早く言って欲しかったっていうか』
 ぶつぶつ、という音が聴こえそうな程、不満たらたらな吉田だった。吉田には悪いが、むしろ家族内の仲の良さが伺えたようで、佐藤はほっこりとした笑みを浮かべる。
『そんでさ、一人で留守番してるのも詰まらないし……佐藤ん家、行っても大丈夫?』
 ディナーに出かけるというのだから、時間帯もそれなりなのだろう。そこを気にしてか、吉田の声は幾分控えめだった。
 そんな遠慮しなくて良いのにな、と胸中で佐藤はそっと呟く。例え事前に連絡も無に押しかけたとしても歓迎するのに。最も、そんな事は余程の事が無ければしない吉田なのだが。
 いいよ、と快く頷こうとして、佐藤はふと気づく。両親がディナーに出かけてしまい、吉田は一人で留守番……と、言う事は。
 佐藤は言う。
「ねえ、俺が吉田の家に行ったらダメかな?」
『…………えっ?』


 吉田が佐藤の家に行くのはしょっちゅうだが、その逆は滅多に無い。意識の問題では無く、お互いの家庭環境がそうさせるのである。大体の場合、吉田の母親がパートから帰ってくるのは、吉田の帰宅時間より早い。余程オープンな関係なら良いが、佐藤との仲は隠されたものだ。なので、おいそれとは家には上げられない。
 だから佐藤も、その滅多に無い機会を見過ごす事は出来ないのだろう。その気持ちは吉田も解らなくはない。だから、滅多にしない自発的な掃除をしているのだ。母親に散々言われてからの強制的な掃除が常の所を。
(うーん、大丈夫かな)
 居間は母親がいつも掃除をしている。だから吉田がする事は四散する雑誌をまとめるくらいで、あとはそれの仕上げとばかりに通称コロコロを転がすばかりだ。問題は自分の部屋で、これは単に片づければ良いというものではない。ちゃんと、見栄えのする部屋になるよう、インテリアにも気遣わねば。とりあえず、購読している漫画雑誌はベッドの下にまとめて突っ込んだ。箪笥に仕舞い損ねている衣服もきちんと収め、寝て起きたままのベッドもちゃんと揃えておく。花とか飾っちゃうのはやり過ぎかな~とやきもきしていると、佐藤が今から自宅を出るとのメールを寄越して来た。あわわ、と吉田は迎える準備をすべく、自室の片付けに見切りをつけ、居間に戻る。
 程なくして、玄関のチャイムが鳴る。何となく、佐藤のような気がして向かえば、開いたドアの向こうに居たのはやっぱり佐藤だった。
「あんまり、あっさり開けない方が良いよ」
 自分を出迎えてくれた吉田に和みつつ、吉田がそうするようにおじゃましますと一声掛けて上がった後、佐藤は吉田にそう言った。
 どういう意味なのかと、きょとんとする吉田に佐藤が危機意識を促す。
「レンズで人物確認するとかしないと」
 不審者だったらどうする、という佐藤の言分に、吉田もようやっと頷けた。
「うん、普段ならそうしてるって。ただ、さっきは来たのが佐藤だと思ったから」
 だからすぐ開けたんだ、と吉田はあっけらかんと言う。
「……………」
「ん?どうかした?」
 その沈黙は何?と顔を覗き込もうとすると、その動きを察しられて微妙に顔を背けられる。
「……それでも、次からは確認するように」
 そう言う佐藤の台詞は、収まりの悪い発音だった。それもその筈、佐藤は緩みそうな口元を、必死に整えている最中なのであった。


「9時ごろに父ちゃんたち戻るって言ってた」
 居間に通し、お茶の準備を整えた所で吉田が言った。
 ディナーを楽しんでからというのなら、その時間で妥当だろうか。いや、むしろ早いような気もする。それならば、普通に夕食を迎えても問題なさそうだ。あれこれ細工して、わざと鉢合わせしてみせても面白い事になりそうだが、その後の吉田が可哀想なのでとりあえず今日の所は止めておこう。
 吉田は今日、友達が来るというのを母親に告げていた。自分達だけでディナーに行くのに、ちょっとだけ気が引けていたのだろうか。昼食代として5千円を置いて行ってくれたそうだ。けれど、外食には出掛けず、家で自炊して昼は焼きソバを作る事にした。
「んー、美味しい! ソースの加減とか、凄いばっちり!!」
「それは良かった」
 口一杯頬張って、本当に美味しそうに言う吉田が佐藤は好きだ。それを眺める事が自分の幸せだと、躊躇なく断言できる。
 吉田の家に来る途中、洋菓子店に立ち寄ってプリンを買っていた。これはおやつの時間に出そう。
 蔵書くらいに本が置いてある佐藤の部屋とは違い、吉田の部屋、というか家にはそこまでの本は無い。けれど、佐藤の部屋には無い物はある。家庭用ゲーム機だ。娯楽というよりは、シェイプアップの為にと母親が購入していた。そのお零れに預かるように、吉田は内蔵しているミニゲームや自分でソフトを購入したりして思いっきり活用していた。最も、使用タイミングがかち合うと、母親に譲らなければならないのだが。
 今日の部屋デートは、このゲームに興じる事になった。普段の生活では、こういうテレビゲームの類には縁の薄い佐藤であるが、興味がまるでない訳では無いらしい。説明書を、本来の持ち主である母親よりもじっくりと読んでいる。
「えーっと、これ、PKのゲームなんだ。ボールを受けるの」
 それだけの吉田だが、これが全てでもある。ボードの上に乗り、その上での微かな重心移動でテレビ画面上のキャラクターを動かす。
 ピー、と開始のホイッスル音がすると、すぐにサッカーボールが1つ飛んできた。それをキャッチする。しかし、たまにボール以外のも飛んできて、それをキャッチしてしまうと減点になる。反射神経と共に動体視力も求められるゲームだ。
 プレイするのは佐藤。横で吉田が見ているからか、佐藤はちょっとはりきってしまった。おかげで、初心者にも関わらず、ハイスコアを叩き出してしまったのだ。
「わー!凄いなー!!!」
 その数値はちょっと異常なくらい高いものだったのだが、そんな事は知らない吉田は、ただただ得点の高い佐藤のスコアに歓声を上げた。ちょっと、照れる。
「はい、吉田の番」
「え、やるの?」
「そりゃそうだよ」
 と、何故か佐藤の中では決まりきった事らしく、吉田は大人しくボードの上に乗る。ちょこんと立って居る姿が、何やら置き物ぽくて可愛い。くすくすとその背後を見ていると、ゲームが開始された。
「よっ、はっ……とりゃ、え、わわ、あーっ!あああ………」
 然程声の出さなかった佐藤とは違い、吉田はその声だけで画面の展開が推測できそうな程、解り易い反応だ。見ていて楽しいのはきっと吉田の方だな、と佐藤はにやにやしながらその様子を眺めた。


 吉田も中々の成績を出し、その後違うゲームも2,3楽しんだ後、時間も良いくらいだったので、満を持してプリンの出番となった。
「やっぱり、上にカラメルが乗ってるのが良いな」
 皿に乗せて出されたプリンを見て、吉田がにこにこと言う。生クリームたっぷりの、舌触り重視のものにはカラメルが入っていないのも多い。それはそれで美味しいのだけど、それはプリンと言うより固めたカスタードとも思える。プリンがプリンになる為には、ほんのちょっと苦いカラメルが不可欠だと吉田は思う。見栄えも良い事だし。
 卵と牛乳の優しい味に、吉田の顔も口の中に入れたプリン同様、蕩けて来る。
「こっちも食べる?」
 吉田にあげたのはスタンダードなプリンであるが、佐藤の所にあるのは期間限定の夏みかんのプリンである。佐藤も一口食べたのだが、柑橘系の芳香が後味を何とも爽やかにしてくれている。吉田が拘りたいカラメルは無いが、その分オレンジのコンフィチュールが代わりに飾ってある。
 食べる!と意気込んで言う吉田に、佐藤は一口スプーンに掬い取り、それを吉田へと差し出した。
「はい、アーンv」
「!」
 しれっと差し出す佐藤の仕草に、吉田の顔が赤くなる。
 これが校内だったら、すぐさま却下されただろう。けれど、ここは吉田の家の中だ。
 むぅ、とそれでも怒ったような顔をして、吉田は口を開けてスプーンまで顔を近寄せた。


 その一口以降も、佐藤のプリンは大半が吉田の胃に収められる事になった。これはもはや定型美なので、何も思わない。
「別に、何も面白いものなんてないけど……」
「良いじゃん、見るだけでも」
 これからが佐藤のメインだと言っても良い。吉田の部屋に入らせて貰うのである。この瞬間の為に、佐藤の足は浮きっぱなしだ。
 どうしても嫌だという訳では無い。けれど、やっぱり恥ずかしくて、入らないならその方が良いと吉田は思う。けれど、佐藤は口調は柔らかいけどどうしても、と強く強請る。
 おそらく佐藤は入りたいというだろうと、それは吉田も予測出来て一生懸命掃除をした。佐藤を入れるのに、そう抵抗は無かった。
「…………」
「じろじろ見んなって」
 一歩踏み入れ、広くは無い室内を眺める佐藤に、その袖を引っ張って吉田が言う。その顔は、ちょっと赤い。
「可愛い部屋だな」
「そうでもないと思うけど……」
 自分の部屋は変でもないが、可愛いとも言えないと思う。フリルのついたカーテンもベッドも無いし、ぬいぐるみだって2,3個が転がっているくらいだ。本棚に並ぶ漫画は少年誌掲載の方が多い。少女漫画は嫌いじゃないが、読んで楽しいと思えるのは主に少年誌のような展開だった。苦難を乗り越え強敵を倒す場面はいつどんな時でも爽快である。その本棚にはゲームソフトも交じっている。
 吉田は可愛く無いという室内だが、佐藤の目から見ればとても可愛らしい。ベッドにある掛け布団の模様も、不均等な水色の水玉模様で何とも愛らしい。枕カバーもお揃いだ。本棚や箪笥の上には細々とした小物が置いてあって、お土産の品々だろうそれは自分の知らない吉田の軌跡を辿る事が出来る。
 吉田としては少し見るだけにしたかったのだが、佐藤が腰を下ろしてしまった。何となく、出て行ってとは言い辛い吉田は佐藤に倣ってその横に座る。別に意識したつもりはないが、ちょっとだけ普段より距離が空いている。
 けれど、それもすぐに意味の無い事になった。佐藤が吉田を抱き寄せ、胡坐を描いた自分の足の上に乗せてしまったから。横座りの形でその上に収まった吉田は、顔を真っ赤にした。両親が戻ってくる事はまずないだろうけど、自分の部屋で佐藤と密着している事実が恥ずかしい。
「ちょ……もー!」
 降りたい、とじたばたする吉田に、佐藤が言う。
「実は、ちょっと夢だったんだ」
「へ?」
「吉田の部屋でキスするの」
 見上げた先には、まるで子供のように無邪気な笑顔を浮かべた佐藤が居た。これからする事を思うと、その無邪気さがいっそあざといくらいなのだが。
 それでも、夢だなんてまで言われてしまい、吉田には抵抗する気も無くなった。ゆっくりと近づく佐藤の顔に備え、ぎゅう、と目を瞑る。やがてくる柔らかい感触。
 何だか、普段よりも随分と時間が長く感じられた。まるで最初の頃みたく、呼吸も上手く出来なくて、唇が離れた時に大きく息を吸った。
 目を開けば、そこには当たり前に自分の部屋が広がっている。
 それがとても恥ずかしくて、吉田は縋ように佐藤の胸に顔を埋めたのだった。



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