んー、と春の嵐と呼ぶにもまだ激しい外の様子を見て、吉田が不満そうに顔を顰めた。
「あーあ、今年は花見出来なかったなぁ……」
 窓際からソファまで、とぼとぼとした足取りで歩き、ぽすん、と力無く座った。そんな吉田を慰めるように、佐藤は大きな手で髪をくしゃりと撫でてやる。その感触の分だけ、吉田の表情が少しだけ柔いだ。
 通勤途中の桜並木でおおよその開花具合をチェックし、今週末がまさに盛りという時に、とんでもない暴風雨が日本を襲った。行楽どころか滅多な事以外では出ないようにと、もはや災害レベルでの呼びかけである。全くなんて日だ、と吉田は胸中でぼやく。
 佐藤との花見は別に今年が初めてという訳では無い。近所に散歩がてらのように眺める事が常だった。だから今年は、もう一緒に住んでいるからという訳でも無いが、花見を兼ねた旅行にでも行こうか、という計画を立てていた。旅行と言っても、宿を取るまではいかず、日帰りくらいのものであったが。その為、キャンセル等の手続きが無くて良かったが、折角満開の時期を選んだ計画がおじゃんである。これなら、先週にしておけば良かったかもと、まさに後悔は後に立たない。
 まさに台風のような気圧に、吉田の気分も沈む。溜息でもつきたいような顔で背凭れ、実を預けていると、それが傾く。佐藤の手が吉田の肩に掛けられていた。
「また来年、な」
 そう言った佐藤は実年齢より、つまり吉田より年上に見えた。まるで宥められているようで、少し悔しくてでもちょっと嬉しくて。
 こんな日だから、と適当な理由をつけて、佐藤に存分に甘える事にした吉田は飛びつくように抱きついた。


 家事は分担制と当番制で一応成り立っている。一応、というのは、大体の事は2人で一緒にやってしまうからだ。そして、その大体の事から少し外れるのが夕食の支度。別々の会社に勤めているだけあり、帰宅時間も帰路もバラバラだ。揃って同時に帰る事は、示し合せたりしなければまずない。その為、早く帰れる方が遅くなる方に今晩の夕食を作る連絡を入れるのである。言ってみれば、早いもの勝ちとでも言おうか。佐藤としては、吉田が待ってくれるのなら毎日の食事を作っても良い、というかそれを率先したいのだが、そこは同じ理由で吉田もあまり譲りたくはない。佐藤程上手じゃないけど、と言うけども、佐藤は自分のより吉田の作った食事の方が何倍も美味しい。それはきっと、本で知ったのと親から習ったものの差なのだろう。
 今日は佐藤の方が早い帰宅になりそうだ。メールをするのは、自分こそがという意識が被らない為でもある。早速携帯を開くと、そこは吉田からのメールが来ていた。すぐさま開いて内容を確認する。
 吉田からのメールは、文面だけでその表情が見えるのが不思議だ。
《筍いっぱい貰った!これを食べよう!》
 これだけで、筍を持ってにこにこしている吉田の姿が容易く思い浮かべられるのだった。


「へえ、これは見事だな」
「うん、昨日の取れたてだって」
 貰ったという筍は、贈物用ではなくビニール袋に突っ込まれて部屋にやって来た。その包装は勿論、買った品物では無く掘って来たものだという。吉田はよく、パートのおばちゃんやらにこう言うものを良く貰ってくる。その気持ちは、佐藤にはとてもよく解るものだった。
 折角の筍だが、あく抜き作業の都合上、味わうのは明日への持ち越しだ。今からでもやれない事は無いが、かなり遅い夕食になってしまうだろう。吉田は少しがっかりしたが、食卓に料理が並ぶとたちまちそんな表情は消し飛んだ。
 それでも、一緒に並んで洗い物をしている時、「どんな筍料理作る?」と尋ねてきたりして、ああ吉田は可愛い、としみじみ癒される佐藤である。
 筍の行方については、ソファに腰を下ろして落ち着いてからも繰り広げられた。これだけ熱烈に所望されて、あの筍もさぞかし本望だろう。
「やっぱり、筍ご飯は絶対食べたい!あと、田楽とか良いかも」
「ピクルスにして、パスタとかに入れても良いかな」
「わ!それ、食べたい!」
 俄然はしゃぐ吉田に、佐藤もその時が待ち遠しかった。きっと、今以上の笑顔を見せてくれるだろうから。
「筍ご飯は大目に炊いて、お義父さんとお義母さんにもおすそ分けしようか」
「ん~……」
 大体の料理、そして炊き込みご飯は量が多いと美味しく出来上がるものだ。2人暮らしの状態でその恩恵を授かるのは難しそうだが、実質4人暮らしと言って良い。吉田の実家までは車で10分くらいだ。
 筍ご飯には大賛成の吉田だが、実家に行くとなると難色を示した。勿論、自分の取り分が減るからというケチな領分ではなく、実家に行けば吉田は今だって完全に子供扱いなのだ。もう成人しているし、仕事にも就いている吉田の矜持はそれを由としたくないようだ。けれど、佐藤も吉田のような子供が出来たら、ずっと子供として可愛がってしまうだろうと思う。
「そろそろ行かないと、呼び出しがかかるかもよ?」
 少し意地悪するように佐藤が言うと、吉田もうう、とますます唸る。自発的に言った場合と、呼び出して赴いた場合では母親の対応は大分違う。どっちがマシかと言えば、明らかだろう。
 じゃあそうする、と小さな声での返事に、佐藤は可笑しくなって笑った。


 当初は筍ご飯のお裾分けという話で始まったが、どうせなら筍尽くしの料理も吉田の両親に振る舞いたいと佐藤はふと思って見た。食事は人数が多い方が楽しいという事象を、吉田の家族と交えての事で佐藤は初めて知ったのだった。
 調味料の類は向こうにもある。2人はメイン食材となるあく抜きを済ませた筍を持参した。
「実はね、」
 と、家に入って早々、佐藤の歓迎と娘の小言を済まし、母親が口を開く。
「こっちもね、菜の花一杯貰ったの。他にも山菜とかね。持って行こうと思っていた所だったから、ホントに丁度良かったわ」
 こういうタイミングは、重なる時は重なるものだ。本当のランダムは偏るものだと解っているが、幸運に恵まれたような気になる。
 そして、主に佐藤と母親が台所に立ち、吉田は細々と途中途中に言いつけられる雑用みたいな事をこなしていった。塩を取ってとか、小麦粉取ってとか、そんな事を。
 もっぱら和食中心だが、佐藤が洋風のアレンジを加えて作ったセンスある料理もある。ご飯は勿論、吉田の願い叶っての筍ご飯である。炊飯器でも良いが、ここは土鍋で炊いてみた。炊飯器を違ってボタン一つでほったらかし、という訳にはいかないが、一度やり方を覚えれば案外簡単なものである。
 着々と埋まって行く食卓に、吉田の食欲は刺激されて堪らない。春の息吹が料理を象り、まさに爛漫と並んでいる。食後のデザートには桜餅が待っている。これは父親が買って来たものだ。
「花見は出来なかったけど――」
 と、吉田の横に来て、佐藤が言う。
「春はしっかり味わった、って感じだな」
「――うん!」
 丁度、同じ事を思っていた所だ。吉田は喜びが全開の、惜しみない顔でにっこりとした笑顔を佐藤へと贈る。
 それを受けて、佐藤は。
「……………」
「あ、変な顔~」
 愉快そうに言う吉田に、指を指すなよ、と顔を逸らして訴える。佐藤は自分に成長が無いと言って軽く落ち込むが、こんな時とか食事中に見せる顰めた顔も、吉田はとても好きだ。今でも好き――というか、絶対に前以上に好きだ。
 来年の桜を見る頃には、きっと今より佐藤の事が好きになっているのだろう。
 母親と佐藤の手料理を堪能した後、桜餅をもぐもぐ食べながら、吉田はそんな思いを馳せていた。




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