「吉田、今度の日曜においで」
 そう言った佐藤の台詞は、まさしく甘い誘いだった。その日は当日ではないが、ホワイトデーのお返しがしたいのだと。
 校内じゃないとなると、手渡しでは難しい品物なのだろうか。なんて事をおぼろげに予想立てていて、それは的中した。
「あっっ、チョコレートフォンデュ!!!」
 佐藤の部屋のローテーブルにはその一式が並んでいた。まだ溶かされたチョコは無いが、そでにその香りで包まれたかのような心地だ。
 チョコ好きの吉田にとって、チョコレートフォンデュは堪らない。全てのものがもれなくチョコ味になるという、それはそれは素敵な魔法のような食べ方なのだ。
 うわーうわー、とすでに夢心地のような顔でテーブルに付く吉田。その前には、フォンデュの器具と、チョコに付ける食材の数々。各種フルーツにキューブ状に着られたスポンジ。小さいマドレーヌやフィナンシェ、クッキーやサブレのような焼き菓子もあった。見ているだけでわくわくする。
 そんな吉田を見て楽しんだ後、佐藤は最後の食材を取りにキッチンに向かう。それは勿論、肝心要なチョコレートである。
 しかし、吉田の頭からはとうに吹き飛んでいるようだが、今日呼んだのはホワイトデーの為。吉田を出迎えるに、普通のチョコレートフォンデュだと思われたら、それは佐藤隆彦が廃るというものだ。
 あっ、と最初部屋に入った時に上げたものより、さらに弾ませた声を吉田が上げたのは、佐藤が持って来たチョコレートを見たからだ。それは、普通の褐色のものではなくて。
「イチゴのチョコだ!」
 仄かなピンク色の掛かった、けれど香りはしっかりとチョコレートのそれ。普通のミルクチョコのフォンデュなら、今までにも何度か吉田に振る舞った事もあるし、店で頼んだ事もある。が、ストロベリー味のはおそらく吉田は初めてだろう。その証拠に、目の輝きが一層に増している。何となく、佐藤はラピスラズリを思い出す。
 融点が高くないチョコレートは、一心に注がれた吉田の目の先、すぐにとろりと溶けて行く。
「もう、いい?」
 わくわくとした期待感が、佐藤にまで伝わる。うん、と佐藤が頷くと、早速吉田は細長いフォークにスポンジを突き刺し、チョコレートの海に潜らせた。
 口に入れる前、一度じっくりと眺めた後、吉田は満を持したように食べる。
「!!! おいしい~~~~!!!」
 まだチョコレートの味が口に残る中、吉田が染入るように言う。それだけ喜んで貰えたとなると、手間をかけた甲斐もある。いや、そもそも手間なんていう手間も無いのだが。
 吉田の為を思ってする事は、佐藤の楽しみであり、悦びなのだから。
「うう、次は何にしよう……!!」
 数々の美味しそうな物を前に、吉田の判断力はすっかり低下してしまったようだ。どれを先にすべきか後にすべきか、その頭の中では必死に考えているのだろうけど。
「ゆっくり、考えなよ」
 そしてその分、自分の所に長くいてくれたら良い。そんな願いを密やかに込めながら、蒸らし時間の過ぎた紅茶を、ポットからカップへと注ぐのだった。


 次に吉田が取ったのは、チョコレートだった。ちょっとビターなチョコレートを、ストロベリーチョコレートの中に潜らす。別の味のチョコレートだから出来る事だ。
 口の中に入れると、表面の溶けて混じった部分と中心のまだ固体のままの部分の差があって、美味しい。
「あー、美味しい~、ホントに美味しい!」
 ご機嫌な吉田は、普段はちょっと固いガードもかなり緩んでいる。食べる作業を邪魔したら怒るだろうが、それに支障が無ければ全てを許している。佐藤が吉田の髪を撫でたり、頭に頬を寄せたりと、普段より過密なスキンシップを求めても、何も言わない。それはちょっと詰まらないかも、なんて贅沢を思いながら、佐藤は佐藤でしっかり吉田を満喫した。チョコレートフォンデュの形式上、フォークに差した食材をチョコレートに潜らせて吉田の口元に運ぶと、ぱくっと食べてくれる。他の誰にも見せられない、締まりのない顔をして佐藤は至福の時を過ごした。
 と、最初の頃はそれで良かったのだが。
「………………」
「イチゴのイチゴのチョコレートって合うな~vv」
 今度はキウイにしよう、とフォークで刺す。その時、唇に少しついたチョコレートをぺろりと舐め取って。
 チョコレートが液体状だからだろうか。そんな仕草は頻繁に見られた。何度目かのそれを見た時、佐藤がざわりとしたものを自分の中から感じた。
「……………………」
 最初はホワイトデーだから、ホワイトチョコにしようかとも思った。けれど、ホワイトチョコレートはミルクの味が際立って、組み合す食材に差が出るかもしれないとストロベリーにしたのだ。色も白だと、映えるものも少ないだろうし。
 ただ今は、別の意味でストロベリーにして良かったと思っている。薄桃色だから、まだもう少し冷静なのだ。これが白色だったら、もっとヤバかったかもしれない。
「佐藤?」
 口元を隠すような頬杖をつき、佐藤は脳内で難しい数式の解を求めて平静を保とうとしていた。が、そこに吉田から声が掛かる。
「食べないの?」
 さっきまでは、むしろ吉田に食べさすついでに佐藤も食べていたのだが、その手もすっかり止まっている。理由は勿論……である。
 佐藤は吉田の前だとボロが出やすい。それは取りも直さず、吉田に心を開いている証だからだろうが、こんな時は少しばかり困った。そういう事は勿論するししたいけれど、それしか頭にないと思われるのは困る。
 テーブルに並べられたものは、すでに3分の1も無かった。終盤に差し掛かり、吉田もだから気にしたのだろう。
「吉田はもう要らない?」
 満腹になったのだろうか、とも思ったのだが違うらしい。
「今日は吉田の為の物なんだから、吉田が一杯食べて」
 そう言って促す。吉田はちょっと考えるようなそぶりを見せて、それからイチゴをぷすりと刺した。全ての物は同じ分量持って来て、イチゴがそれが最後だった。さっき吉田が口に出して言ったように、この取り合わせが気に入ったのだろう。
 チョコレートの中を潜らせて、ピンク色と赤色のコントラストが可愛らしい。そのまま嬉々として自分の口に運ぶかと思いきや、吉田はむしろ前へと突き出した。佐藤の顔の前へと。
「ほら、佐藤も」
「……………」
 美味しい物は一緒に食べた方がもっと美味しい、という持論を持って、吉田は自分が一番のお気に入りを佐藤に差し出す。その気持ちと滅多にない吉田からのあーんに、佐藤の中の何かがぷちん、と切れる。
 まずは差し出されたチョコレートの掛かったイチゴを口に入れる。その時、どうあっても口の周りについてしまったチョコレートを舐め取る。自分のその仕草で思い出すのは、吉田がそうした時の光景だった。
 佐藤がいつものようにもげもげと咀嚼するのを、楽しそうに眺める吉田。
「な、美味しい―――っ?」
 不意に伸びた佐藤の手が、後頭部に回ったかと思えば口付けられた。仕草の優雅さとは裏腹に、深く濃いものだった。
 同じストロベリーチョコレートの味がする吉田の口内を弄り、ふと新鮮味のある果実の酸味を感じる。もう自分のと混ざり合って区別が付かなくなっていた。
 キス自体より、突然な事に抵抗していた吉田だが、それも徐々に弱まり佐藤に支えられているだけの状態になってしまう。座っているだけなのに、それすら出来ない程に。
 唇を離した後、呼吸の為に息を吐く姿が佐藤にはとても艶めかしく見える。
「ぅわ? え、ちょ、??」
 吉田なりに精いっぱいのコーディネイトしてきた服は、勿体ないが脱がさないと事が進められない。明らかに脱がす為に服の下に滑り込んだ佐藤の手の平に、吉田の抵抗が再開される。が、さっきよりもとても弱々しい手つきだった。
「吉田が煽るから悪い」
 困惑している吉田に、せめて理由だけは告げてやった。佐藤としてははっきりした因果関係なのだが、吉田には唐突過ぎてきょとんとしてしまう。
「は、え?な、何でそうなる!?? わ、やめっっ!!」
 するり、と喉元まで衣服をたくし上げられ、寒くは無いが空気を感じる素肌に戦く。ひゃあああ、と声の無い悲鳴を上げながらも、主張する所ははっきりと言った。
「やだ――――!まだ全部食べてない―――――!!!」
 抵抗する理由がそれで、佐藤としてはむしろ微笑ましくなってしまう。
「後でまたチョコ温めてあげるよ」
「え、ホント?? ……じゃなくて!何で急なの!!!」
「それは、吉田のせい」
「何か納得できない―――――!」
 そんな吉田の喚きも虚しく、佐藤の体温に包まれで次第にふにゃりと蕩けて行く。
 まさに自分が、あのフォンデュするチョコレートのように、蕩けて甘くなってしまったような。
 そんな心地で迎える、今日のホワイトデーだった。



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