*単行本未収録作品ネタ含みます~~


 冬の廊下はいっそ凶器になりそうに寒い。今日は制服の下にもセーターを着たのだが、それでも追い付かなくなるくらい寒かった。
 それでも教室に戻ればストーブが待っている。まさに暖を求め、廊下を小走りで進んでいくと。
「あ、ちょっと吉田」
 クラスメイトであるサキから声を掛けられた。女子から声が掛かるとギクッとしてしまうのは、過去の経験でもあるし現在の状況のせいでもある。かつて佐藤と仲が良すぎると謂れの無い事で糾弾された吉田だが、その後本当にお付き合いしているのだ。今の所ばれていないが、知れた時は以前の比ではないだろうな、という覚悟はそれとなくしている。
 それでも今は、佐藤は女子達と帰っているから独占しているという怒りの矛先は吉田には向かわないと思うのだが。それとも意識していない所で何かあっただろうか。気温の低さとは別にひやひやしながら「な、何かな」と彼女の元へ赴くと、ある意味意外な展開が待っていた。
「実はね、っていうか、クラスの男子達に義理チョコ上げようって皆で言ってて」
「え? バレンタインに?」
「そりゃそうよ。他にいつあげるっていうの?」
 吉田の愚問に突っ込みを入れ、そうなった経緯を言う。
「まあ、写生大会とかマラソンとかで男子達には迷惑かけてるからね。日頃のお詫びみたいな?」
 ここで吉田が驚いたのは彼女たちにそんな殊勝な気持ちがあった事と、迷惑を掛けている自覚があった事だ。一瞬凄いなぁ、と思ったが、自覚ある上での行動だと踏まえるとむしろ別の意味で凄い。
「それにね、」
 と、彼女は続ける。
「佐藤くん、照れ屋だからクラスで貰えるのが1人だけってなると、受け取って貰えなくなるじゃない?」
「……………あー……」
 結局はそこなのか、と吉田からは脱力した声しか出ない。この反応は佐藤に懸想をしているサキとしては、芳しくはなかった。
「何よ、その態度。アンタはいいかもしれないけど、こっちは必死なんだからね」
「う、うん」
 その剣幕に思わず頷いてしまった吉田だった。予てよりそれこそ命がけで「佐藤とはそんなんじゃない」と主張し続けた甲斐あったか、女子たちもその認識を認めて貰えたようだ。最も、そうやって声を張り上げていた後に、本当にそういうのになってしまった訳だが。思えば本当に付き合ってからは、佐藤は執拗なちょっかいや揶揄はあまりして来なくなった。あくまであまり、であり、今でもしてくるのだが。変なチョコ食べさせたりと。それを踏まえるとあの悪戯の数々は佐藤としてのアプローチか何かだったのだろうか。好感を持たすという点ではさっぱりであるが、始終意識させるという点ではまんまと上手く行っていた。
「そういう訳で、1人1個義理チョコあげるって事になったの。あげる男子は適当にくじ引きでね。そんな高いもんじゃなくても良いから」
 どうせ義理だものね、と言う。
「……って、それってもう決まっちゃってるの!?」
 あっさりとした口調に、ついつい頷いていたが、自分はやるともやらないともまだ言っていないし、出来れば参加したくない。今年は恋人が出来て、そっちに集中したい所だ。本命チョコに加えて義理チョコとなると、買えない金額ではないが自分の買い物(漫画とか買い食いとか)が出来なくなってしまう。
 それに何より!他の男子にあげるとなると絶対佐藤が黙っちゃいない!!今からあわわ、と狼狽える。
「そーよ。じゃないとクラスの男子全員に行き渡らないもの」
「え、えー、でも……」
「別に吉田、好きな人とか居ないんでしょ?」
 付き合いを内緒にしていると、困るのはこんな時である。そう言われると吉田としてはどうも切り返せない。佐藤は上手く切り抜けられるのだろうけど……そもそも佐藤は正体不明のままに彼女の存在だけは公言している。ずるいよなー、と内心唇を尖らす吉田だった。
「ま、予行練習のつもりででもあげときなよ。それに、誰にもチョコレート上げないバレンタインなんて詰まんないでしょ?」
 勿論、男子には内緒だからねー、とそれだけ言うと、サキも教室へと戻って行った。
 残された吉田はとんでもない事になってしまった、と頭を抱えると共に、寸でまで出かかった「あげる人居るもん」という台詞を飲み込んだ。


 商店街内のアーケードに入ると、そこらかしらのポスターで否応なしにバレンタインの文字が飛び込む。まだ義理チョコを誰にあげるか等は決まっていないが、確実にその時は来る。
 その時に、どう佐藤に隠し通せば良いのか……珍しく今日は一緒に帰れるようで、一人で帰路を歩いていると不意に背後から「一緒に帰ろう」と佐藤が現れた。少し疲れた様子なのは、敢えて言わないでおいた。
 けれど、折角の久々の帰り道だというのに、吉田の頭の中は義理チョコの事で一杯だった。安いので良いとは言われたけども、あげるとなるとそれなりに見栄えのあるものじゃないとな~と今までこの手のイベントにはとんと疎く過ぎていたので、必要な情報が圧倒に足りていない。
 そしてそんな風に思い悩む吉田に、並んで歩く佐藤が気付かない筈も無かった。というより、今日の学校生活の中、ある時から吉田の様子がおかしかったのを佐藤は見抜いた。そのある時というのは、サキから義理チョコの件を言われた時に他ならない。
 また以前のように女子に詰め寄られたかと思ったが、とりあえずクラス内を見渡してもそんな雰囲気は感じられない。洞察力云々の前に、佐藤自身がかつて苛められていた立場だからか、そういう事をした人物は、なんというか匂いと言うか色と言うか、空気が違うのだ。吉田の方も、そこまで深刻さは感じられない。
 でもやっぱり何があったか気掛かりで、今日は必死に女子たちを出し抜いてきたのである。全てを束縛したい訳じゃないのだが、何せ校内はジャックからの指南のせいで(責任転換)自分の人気が途方も無い事になっている。不本意なその飛び火が吉田に掛かってしまう事はあってはならないと、佐藤は日々の観察には欠かせないのだ。自分が意図してやる分には良いのだが(よくない)。
 女子絡みの事じゃないと良いけれど、とうんうん悩んでいるような吉田をそっと見下ろし、佐藤は思う。
「なあ、これからどこか行こうか?そこの喫茶店で期間限定のチョコレートケーキのプレート出してるって」
 そことはまた別に、単純に吉田と長く居たいという欲求を叶える為、佐藤は彼女の好物でもって釣ろうとしている。
 が、しかし。
 チョコレートという単語を聞いた時、僅かに吉田の表情に変化があったのを佐藤は見逃さなかった。
 この時期、チョコレートと言えばバレンタインと同義と言って良い。
 その日に向けて、女子たちが何か画策するだろうな、と様子見で居たのだが……すでに吉田も巻き込まれたというのだろうか。
 早速明日、ちょっと本腰入れて探ってみようと、それでもチョコレートケーキを嬉しそうに頬張る吉田に癒されながら決意した。


 そしてあっさり事実は判明した。女子たちが秘密裏で進めるクラス内での取り決めくらい、敢えて聴き込むまでもなく佐藤には看破できる。
 あまり深刻ではないと言えば深刻ではないが、忌々しき事態だと言えば忌々しき事態だ。例え義理だろうが何だろうが、吉田が自分以外にチョコを贈るだなんて!!
 うっかり男子を殲滅してやろうかと血迷ったが、彼らには罪は無いのだと留まる。今のところは。
 女子たちのチョコを受け取らずに済ませる手筈はすでに村上に打ってある。こっちで万全だと構えていた分、この不意打ちは堪らない。
 一応佐藤も手を打つが、最善は最も害の無い男子へ吉田の分が配当される事だ。何せ女子はクラスの男子なんてほぼ見向きもしない。その中で特に佐藤に靡いてでも無い吉田に義理とは言えチョコを貰おうものなら!その瞬間でフラグが立ってしまうじゃないか!!
 せめて吉田を女子と認識しつつ異性とは意識していない秋本か牧村……いや、牧村は女子からのチョコというだけて舞い上がりそうだから、そんな姿を見るのははらわた煮えくり返るから秋本だ!秋本が良い!!秋本になれ!秋本に当たれ!!と佐藤は呪う勢いで念じた。


(やった、秋本だー)
 手にした紙を開いてみれば、秋本の名前が書いてあって吉田は大っぴらには出来ないガッツポーズを心の中でした。佐藤がそう決めたように、吉田も同じ理由で秋本が良いなぁ、と思っていた。秋本には可愛い幼馴染が居るのを佐藤も知っている。
 となると、目下の問題は消えて別の懸念が出て来る。好きな人に例え義理チョコでも贈られたとなると、胸中穏やかではいられないと思う。
 吉田は早速、秋本の可愛い幼馴染の洋子へと連絡を取りつけた。


『へぇ~、そうなんだ~。何だか大変なんだね~~~』
「……うん、大変」
 自分でも思っているが、改めて言われると本当に大変だなぁ、としみじみ思う吉田だった。吉田も全てを知っている訳ではないが、他校では独占権をかけたマラソン大会なんてしないだろうし。
 例の義理チョコの件をまずはメールで送ったのだが、思いのほかややこしい実情に、これは話した方が手っ取り早いなぁ、と電話を掛ける事にした。洋子も都合がつくようで、すぐに通話に入った。佐藤の絶大な人気は洋子の学校にまで届いているから、彼女が事態を正確に把握するのは早かった。
「ま、そう言う訳で秋本に贈る事になっちゃったから。洋子ちゃんも一緒に食べちゃって」
『うん、ありがと~』
 電話の向こうながらに、洋子喜んでいるのが解る。ややこしい経緯でチョコを上げる事になってしまったけども、こうして喜んでくれるとなると贈って良かったも、という気になれる。
「それでさ、ついでに聞いておきたいけど、何か好きなのとかある?」
 そしてどうせなら相手の好む味を贈りたい。チョコによく使われる素材である、洋酒やドライフルーツは好みが別れる所だし。
 そう思って訊いてみたが、洋子も秋本もそういう好き嫌いは特になし、との事だった。
『豊作ちゃんはね、何を贈っても美味しいって言ってくれるよ~』
 それがとても嬉しいのだと、その声だけで吉田に伝わるかのようだ。
『でもね、だから時々、何を贈れば良いのって迷っちゃうんだけど、それを考えるのも楽しいんだよねぇ』
 最近は事前に質問責めのように秋本の好みを尋ねるのだと言う。そのやり取りは彼女にとってとても幸せな時間なのだろう。それと、秋本にとっても。
 洋子との通話を終え、携帯をポケットに仕舞う。
「…………」
 なんだか、急に佐藤に会いたくなってしまった。今日は義理チョコの配分の為、放課後に女子たちだけで集まっていたから、男子はすでに帰っている。
 佐藤も、もう家かな。それとも、本屋とかに寄っているのかな。
 佐藤の所在を知りたくて、吉田は仕舞ったばかりの携帯を取り出した。


「村上君に頼むなんてどうかしてる!!!」
「まあ、でも、効果は抜群だったろ?」
 何一つとしてチョコを受け取らずに今日をやり過ごした佐藤は、実に晴れやかな表情だ。吉田はその逆と言って良いけれども。
 バレンタインの前日、いきなり現れた美少女が佐藤に抱きつき、騒然となった。けれど、蓋を開けてみればあの美少女は女装した村上で、佐藤がクラスの女子からチョコを受け取らない為の寸劇に過ぎなかった。佐藤はほぼ無言で(というかのりのりの村上の女装にちょっと引き気味で)後は村上の独壇場であったが。あそこにいる誰もが、女子も男子も、そして吉田を含めて村上を美少女だと思った。ただ、吉田が揺るぎなく思っていたのは、あの子は佐藤の彼女では無いと言う事。
 でもちょっとびっくりしたんだからな!!とプイプイ怒る吉田だが、後日のバレンタインにはちゃんと佐藤にチョコをあげていた。正確にはチョコレートというより、チョコチップがたっぷり入ったパウンドケーキだが。
 佐藤との付き合いが秘密なのは家族にでもだ。手作りのお菓子を作るのも、特に母親の目を盗んでの作業となる。そんな少ない機械で、繊細な温度管理が重要視されるチョコレートなんてとても作れる気にもなれなくて、少しでも作り慣れている物にチョコを加えたものを上げる事にしたのだ。が、しかし――
「……ちょっと、チョコチップ入れ過ぎちゃったんだけど……」
 村上の件にはまだ言いたいことはあるのだが、一旦それを引っ込めて吉田は製作物の弁明に出る。たっぷり入れたチョコチップの量は「チョコチップ入りのパウンドケーキ」というよりは「チョコチップの間にパウンドケーキの生地が詰まった物」というような代物にさせていた。作りなおそうにも材料はすでになく、せめて丁寧にラッピングしてみた吉田だった。それで見栄えが良くなるのは外見だけだとしても。
「まあ、このチョコチップの量が愛情の分、って事で」
 早速1つのラッピングを開けて取り出したパウンドケーキに、佐藤が微笑ましさを滲ませて言う。これはどこの店にも決して売っていない、自分の為の、自分の為だけに作られたケーキだ。それだけで佐藤の顔はにやけてしまう。
 けれど、その締まりのない顔は揶揄しているように見えて、吉田は来年はもっと立派なの作る!と割と見当違いな決意をしていた。
「食べて良い?」
「う、うん」
 一瞬、いきなりここで?とも思ったけど、佐藤が嬉しそうに言うものだから頷いてしまった。早く渡しておこうと、吉田は昼休みのオチケン部室でさっそく佐藤へと渡したのだ。自分が持っていると、どこからばれてしまうか気が気では無い。秋本にはすでに手ごろな値段の詰め合わせと渡しておいた。洋子ちゃんと食べてね、と一声かけて。義理チョコを貰ったというより、すでに洋子がこの事を知っているという事に、秋本は表情を緩めていたと思う。きっと、この特殊な経緯で貰ってしまった義理チョコについてどう言おうか、その頭の中で考えていたのだろう。その気持ちは吉田には特に解る。
 佐藤は口に入れる前、改めてパウンドケーキを眺め、そしてもったいぶったようにようやっと口に入れた。相変わらず、もげもげと眉を潜めて食べる。表情で良し悪しを判断するのは佐藤ではかなり難しい……と思いきや、吉田は何となくだか、口にしたものが佐藤の好きか嫌いかくらいは解るのだ。どうやら、不味いとは思われては無いだろうけども。
 ドキドキしながら佐藤の咀嚼を見ていると、やがて一口を飲み下した佐藤が吉田を見下ろす。
「うん、凄く美味しい」
「……………ッ」
 混じりっけ無しの、100%の愛情の籠った笑顔でそう言われ、口に入れたチョコよりも蕩けてしまう吉田であった。




<END>